【完結】恋が終わる、その隙に

七瀬菜々

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7:待ってるから(2)

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「……あ、あの」
 
 窓の前でこちらに背を向けて急にモジモジとし出すクロエ。
 そんな彼女にライルの頬は緩んだ。

「体調はどうだ?」
「あ、全然平気。問題ないわ」
「そうか。なら良かった」
「えっと……、心配かけてごめんなさい」
「謝る必要はない。あんなことがあったんだ。仕方ないよ」
「……うん」
「もし大丈夫なら正餐には参加してくれないか?父さんも母さんも心配しているから、顔を見せてやって欲しい」
「うん。わかった……」
「ところでさ、クロエ」
「な、何?」
「どうしてそっちを向いているんだ」
「え、えと……。外の景色を見たくて?」
「もう十分見たんじゃないか?」

 徐々に近づくライルの足音が、静かな室内に響く。
 普段は軽口を言い合ったりもできる関係なのに、今は彼の足音にさえ緊張してしまう。

「でもまあ、良かったよ」
「何が……?」
「俺のこと、ちゃんと意識してくれているみたいで」

 気がつくとすぐ背後まで迫ってきていたライルは、窓枠に手をつき、クロエに覆い被さるようにして背後から彼女の耳元で囁いた。
 耳にかかる吐息にクロエの体はゾワゾワと鳥肌を立てる。全身が落ち着かない。何だかくすぐったい。
 クロエはみるみる内に顔を紅潮させた。

「耳、赤いぞ」

 ライルは背後からクロエの長く艶やかな髪に触れ、それを優しく耳にかける。
 クロエはくずぐったそうに身じろいだ。

「や、やめて」
「クロエは耳が弱いんだな」
「ち、違……」

 ライルはそのままクロエをキツく抱きしめた。彼の大きな腕に、クロエの小さな体はすっぽりと収まってしまった。身動きが取れない。
 ああ、どうしたものか。
 壊れてしまいそうなほどに早鐘を打つ心臓の音が背中から伝わってくる。
 それだけで、ライルの想いは言葉にしなくとも十分に伝わってしまう。

(どうしてこんなことに……)

 好きだという言葉が、ただの慰めであればどれだけ良かったか。クロエはグッと唇を噛み締めた。

「ライル、離して。お願いよ」
「離したら逃げるだろう?」
「……」
「無言は肯定。本当、咄嗟の嘘はつけないよな」
「……やめてよ。こういうことをされるのは困る」
「そんなに、俺に触れられるのが嫌か?」
「違うわ。そうじゃない。でもやめて」
「どうして?嫌じゃないんだろう?」
「嫌じゃないけど、でも何か落ちつかないっていうか。その、変な感じするから……」
「変って?」
「~~~っ!変は変なの!!もういいから、離して!!」

 クロエは拘束が緩んだ隙に、ライルの腕の中から抜け出した。
 そして正面から応戦するように構え、彼を警戒する。
 多分だが、この状態のクロエをこれ以上刺激するのは良くない。
 まるで暴漢と対峙したかのように戦闘態勢に入る彼女に、ライルは両手を上げて降参のポーズを取った。
 

「悪かった。もう触らない」
「……本当?」
「ああ、本当だ」
「ならいいわ」

 クロエはスッと警戒を解いた。そして心を落ち着けるように大きく深呼吸をして、水を一口飲んだ。

「正餐には顔を出すわ。でも食事は軽めにして欲しいとキッチンには伝えおいて」
「わかった」
「あと、公爵夫妻のご様子はどう?結婚式の後から、ろくに話せていないから。気に病んだりしていないかしら」
「まあ、気には病んでいるね。君が寝込んだのは兄さんのせいだと思って自責の念に駆られている。でも実際その通りなのだから仕方がないよ」
「寝込んだのは別にオスカーのことだけが理由ではないわ」
「あ、もしかして俺のせいもある?」
「………………わかっているのならひと言くらい謝ったらどうなのよ」
「ごめんなさい?」
「そんなに簡単に謝らないで」
「何それ、超理不尽」

 ライルはククッと笑い、もう一度軽く『ごめん』と謝った。
 素直に謝られては怒りをぶつけたくともぶつけられない。
 クロエは仕方がないとため息をこぼした。

「着替えるから、そろそろ出て行ってくれないかしら」
「手伝おうか?」
「結構よ!」

 クロエは衝動的に近くにあった枕をライルに投げつけた。
 それが淑女としてふさわしくない行動だとわかっているのに。
 相手が王子様オスカーではないからだろうか。ライルの前ではどうしても『淑女でいなくては』という意識が欠けてしまう。

(よくない。これは良くないわ)

 ライルとて、今はもう次期公爵。彼の妻となる以上、今まで通りに淑女でいなくては。
 クロエは自分を律するように背筋をピンと伸ばして、落ちた枕を拾うライルを見据えた。

「ねえ、ライル……」
「ん?何?」
「ひとつ、大事な話をしておきたいのだけれど」
「何さ、急に改まって」
「私ね、あなたのこと好きじゃないわ」

 真剣な眼差しで、でもどこか申し訳なさそうにスッパリと振ってくるクロエに、ライルは小さく笑う。

「そんな申し訳なさそうな顔をしなくても大丈夫だよ。君が俺をなんとも思っていないのなんて、初めからわかってるから」

 クロエがオスカーしか見ていないのは誰の目から見ても明白だった。
 兄に恋をする彼女を誰よりも近くで見ていたライルが、それを知らないはずはない。

「私はあなたの事を、年上の義弟としか思ってないわ」
「うん」
「いつから私のことを好きだったのかなんて知らないけれど、私はずっと、本当にずっと、オスカーだけを愛していたの」
「うん。知ってる」
「裏切られたとしても、今もまだ彼が好きなの。私の心は彼にあるの」
「うん。大丈夫。わかってる」
「だから、急に好きとか言われても困るの」
「うん……」

 嘘をつくこともなく、上辺だけを取り繕うこともなく、真剣に、ひとつひとつ丁寧に言葉を紡ぐクロエ。
 きっと自分の発している言葉がどれだけ残酷なものであるかは理解しているのだろう。だからそんなに悲痛な表情を浮かべている。
 ライルはそんな彼女の不器用な姿が愛おしいと思った。

「クロエ。俺は別に……」

 好きになってもらおうなんて思っていない。もちろん、好きになってくれたら嬉しいし、そうなってもらえるよう努力はするつもりだ。
 けれど、もし思いを返してもらえなくても別に構わない。だってもう結婚しているのだから。
 誰がなんと言おうと、クロエはライルの妻で、複雑で面倒な離婚手続きを行わない限りは死ぬまで一緒にいることができる。だったらもう、十分だ。これ以上は何も望まない。
 ライルはそう言おうとした。
 しかし、彼がそう言うよりも先にクロエが続けた。

「だからね、ライル。もう少しだけ時間が欲しいの」
「…………え?」
「あなたのこと、ちゃんと異性として意識してみる。あなたが私を想ってくれるみたいに気持ちを返すことはできないかもしれないけれど、それでもできる限り応えたいとは思ってる」

 クロエはライルの目をしっかりと見つめて宣言した。
 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった彼は、目を丸くした。

「何よ。その顔は」
「俺のこと、好きになってくれるのか?」
「す、好きになるとは言ってないわ。そうなるよう努力するって話で……」
「努力してくれるのか?」
「一応ね!夫婦になったわけだし?」
「そっか……」

 ライルは口元を手で覆い、嬉しくてにやけてしまう口を隠した。
 だがしかし、目元からも声色からも喜びが漏れ出ていて隠しきれていない。

「そっか。そっかそっか……」
「な、何よ」
「努力してくれるのか」
「だからそう言っているじゃない!」
「そっかぁ」
「なっ!?さっきから何なのよ!」
「クロエ」
「何よ!」
「好きだよ」
「……っ!?」
「待ってるから。君が俺を好きになってくれる日が来ることを、期待して待ってるから。だから……、早く好きになって?」

 ライルは自分の薬指にはめられたサイズの合っていない指輪に軽く口付けると、上目遣いで熱い視線をクロエに送った。
 別に自分の指に口付けられたわけでもないのに、薬指が熱い。クロエは咄嗟に左手を背中に隠した。

「は、早く出ていって!」
「わかった、わかった」
「早く!」
「はいはい」

 ライルはククッと笑いながら、手をひらひらとさせて部屋を出た。
 入れ違いで戻ってきたソフィアはいつもと少し雰囲気の違う二人の様子を交互に見て、不思議そうに首を傾げた。
 

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