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本編
最終話:最初から
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エミリアの死後、シャロンはしばらく心ここに在らずの状態だった。
心の中を占領していた魅了によるエミリアへの感情がすっかりなくなってしまったせいだろう。
彼女はずっと、エミリアの面影を探してエミリアの部屋に入り浸るようになった。
空いた穴を埋めるように何かに縋りたかったのかもしれない。
そしていつしか、かつてのアルフレッドのようにエミリアの話しかしなくなった…。
「って感じの設定も考えたんですけど、どうです?」
楽しい晩餐の時間に、2日ぶりに実家から帰った後妻が物騒な提案をしてくるものだから、アルフレッドは思わず飲んでいたシャンパンを吹き出した。
「冗談ですよ」
「もう少し笑える冗談をお願いしたいです…」
「むぅー」
「可愛い顔してもダメだから」
アルフレッドは彼女の冗談に肝を冷やした。
実際にエミリアの死後、心ここに在らずだったのは確かだし、周りが心配するほどに食が細くなった。人前で泣くことはなかったが、シノアやアルフレッドの前ではたまに涙を見せることもあった。
そして、時間の経過とともに、徐々に回復してきたシャロンだが、今もエミリアの部屋に入り浸っていることも事実だ。
シャロンは彼女の部屋に入り浸る理由について、
『エミリーの残した蔵書の隠し場所を教えてもらったので探しているだけです』
と語っているが、本当かどうかはわからない。
ただ、間違いなくシャロンは心に空いた穴を小説で埋めようとしていた。
そしてエミリアが亡くなって数ヶ月たった今、彼女の心は最早付け入る隙がないほどにその手の小説で埋まっている。
遂に筆を取り始めたのだ。もう重症だ。どっぷりと沼に浸かっている。
腐の世界の住人シノアは喜んでいるが、この事実を知られたらきっとまた、サイモンが彼女を連れ戻すために殴り込みに来ることだろう。
色々と吹っ切れて、趣味に生きる女になってしまった妻にどうアプローチすべきか、アルフレッドは頭を悩ませていた。
***
「旦那様、お話があります」
食事を終え、サロンでティータイムを楽しんでいる最中、シャロンは唐突切り出した。
その神妙な面持ちに、アルフレッドは離縁を突きつけられるのではないかと覚悟する。
シャロンはセバスチャンに目配せすると、彼に上質な紙とペンを持ってこさせた。
そして『全部やり直しましょう』と言ってそれらをアルフレッドの前に差し出す。
紙を手に取ったアルフレッドは怪訝な顔をした。
「こ、これは?」
「誓約書です」
「なぜ誓約書を?」
「エミリーに対する感情が抜け落ちた今、私たちが互いに互いを思う感情は“無”です」
「…お、おう」
「だから、結婚したあの日からもう一度やり直すのです」
アルフレッドの気持ちに気づいていないシャロンは、結婚生活を一からやり直そうと、互いに歩み寄る努力をしようと提案した。
ウィンターソン公爵が後継を作らねばならない事実は変わらないし、また、シャロンは居心地の良い公爵邸に残りたい。
利害は一致していると彼女は言う。
「本当に何とも思ってないのか」
「何がです?」
「いや、こっちの話…」
キョトンと首を傾げるシャロンにアルフレッドは泣きたくなった。
(もういっそ好きだと言ってしまおうかな…)
だが今ここで好意を示したところで、きっと彼女は毛虫見るような目で見てくることだろう。
そう考えると今は何も言わない方が賢明かもしれない。
アルフレッドは自嘲じみた笑みを浮かべながら、誓約書にサインした。
シャロンが用意した誓約書の内容は以下の通りだった。
『趣味に口出しするな』
『愛せなくても文句を言うな』
最早趣味に生きているシャロンにとって一つ目の項目は最重要項目だ。故に理解できる。
だが二つ目の項目が意味することは何だろうか。そのままの意味じゃなければ良いなと思いつつ、アルフレッドは恐る恐る聞いてみた。
「二つ目の項目、何?」
「互いに歩み寄る努力はしますが、好きになれる保証はないでしょう?」
「ごもっともだ!」
「何でちょっと怒ってるんですか?」
「怒ってない!ちょっと泣きそうなだけだ!」
両手で顔を覆い、シクシク泣き始めたアルフレッドを無視し、シャロンはその誓約書を保管しておくようセバスチャンに言いつけた。
そして、用意されていたマカロンを齧る。
それが思っていたより美味しかったのか、シャロンは目を輝かせた。
そんな彼女の様子を指の隙間から見ていたアルフレッドは、やっぱり好きだなと実感する。
「…シャロンはさ、私のことをどう思ってるの?」
「残念な人」
「残念…」
「いじりがいがありそうな人」
「い、いじっ…?」
「あと、少し可愛い人」
「かわ!?」
自分の言葉に百面相する彼に、シャロンは朝笑うような笑みを浮かべた。
「好意はないけど、興味はありますよ」
「…何その笑顔。怖い」
ここでアルフレッドは、ふと、最近になって彼女がベネット子爵の変異種の研究に協力し始めたことを思い出した。
彼女の興味とはもしや、実験動物としての興味だろうか。ああ、恐ろしい。
「旦那様は誓約書、書かなくても良いんですか?」
「じゃあ私からも一つだけ…」
セバスチャンに持ってこさせた上質な紙にペンを滑らせるアルフレッド。
書き終えたそれを渡されたシャロンは訝しむ。
そこに書かれていたのは
『シャロンがアルフレッドを好きになるまでは一切触れない』
という内容だった。
「これじゃあ後継が作れませんよ?」
「後継くらいなんとでもなる」
「でも、それでは旦那様にメリットがありません」
「メリットならちゃんとある」
アルフレッドは気にするなと笑い、サインするように促した。
シャロンは本当に良いのだろうかと思いつつも、誓約書にサインする。
「ではこれからもよろしく。奥さん」
「はい、よろしくお願いします。旦那様」
2人は笑顔で固い握手を交わした。
この瞬間、誓約書で結ばれた何とも奇妙な夫婦が誕生した。
そばで見ていたセバスチャンは後継が拝める日は来るのだろうかと、大層不安になったそうだ。
そろそろ就寝時間が近づいた頃、シャロンは紅茶を啜ると、ニヤリと口角を上げた。
「そういえば、来週はお城に泊まりでしたっけ?」
「そうだよ」
「そんな旦那様に一つお話ししておきたいことがあるのですが」
またしても神妙な面持ちで話し始めた彼女に、アルフレッドはまた何が重大な話なのだと身構えた。
「あの事件、実は一つだけ解決していない事があるんです」
「解決していないこと?」
「本格的に捜査に入る前、エミリーの姿が王宮で目撃されてましたよね?」
「あ、ああ」
「でもその噂が出たのって、今年だけなんです」
「…え?」
「しかし、私がエミリーを離宮で見つけた時、彼女は歩く事ができませんでした」
歩けないはずのエミリアの姿が王宮内の複数の場所で目撃されたなど、理論上はあり得ない。
王宮で目撃された長い黒髪の、白いワンピースを着た女。あれがエミリア出ないというのなら…。
「…シャ、シャロン?」
「あれは、誰だったんでしょうねぇ?」
満面の笑みでそう言って紅茶を啜るシャロンに対し、アルフレッドは顔面蒼白である。
「何でその話を今するの…」
「その顔が見たいから」
満足げな笑みを浮かべたシャロンは、それだけ話し終えると『おやすみなさい』と言って部屋を出た。
アルフレッドはそういえば先ほど、彼女が自分のことを『いじりがいのある人だ』と言っていてことを思い出していた。
心の中を占領していた魅了によるエミリアへの感情がすっかりなくなってしまったせいだろう。
彼女はずっと、エミリアの面影を探してエミリアの部屋に入り浸るようになった。
空いた穴を埋めるように何かに縋りたかったのかもしれない。
そしていつしか、かつてのアルフレッドのようにエミリアの話しかしなくなった…。
「って感じの設定も考えたんですけど、どうです?」
楽しい晩餐の時間に、2日ぶりに実家から帰った後妻が物騒な提案をしてくるものだから、アルフレッドは思わず飲んでいたシャンパンを吹き出した。
「冗談ですよ」
「もう少し笑える冗談をお願いしたいです…」
「むぅー」
「可愛い顔してもダメだから」
アルフレッドは彼女の冗談に肝を冷やした。
実際にエミリアの死後、心ここに在らずだったのは確かだし、周りが心配するほどに食が細くなった。人前で泣くことはなかったが、シノアやアルフレッドの前ではたまに涙を見せることもあった。
そして、時間の経過とともに、徐々に回復してきたシャロンだが、今もエミリアの部屋に入り浸っていることも事実だ。
シャロンは彼女の部屋に入り浸る理由について、
『エミリーの残した蔵書の隠し場所を教えてもらったので探しているだけです』
と語っているが、本当かどうかはわからない。
ただ、間違いなくシャロンは心に空いた穴を小説で埋めようとしていた。
そしてエミリアが亡くなって数ヶ月たった今、彼女の心は最早付け入る隙がないほどにその手の小説で埋まっている。
遂に筆を取り始めたのだ。もう重症だ。どっぷりと沼に浸かっている。
腐の世界の住人シノアは喜んでいるが、この事実を知られたらきっとまた、サイモンが彼女を連れ戻すために殴り込みに来ることだろう。
色々と吹っ切れて、趣味に生きる女になってしまった妻にどうアプローチすべきか、アルフレッドは頭を悩ませていた。
***
「旦那様、お話があります」
食事を終え、サロンでティータイムを楽しんでいる最中、シャロンは唐突切り出した。
その神妙な面持ちに、アルフレッドは離縁を突きつけられるのではないかと覚悟する。
シャロンはセバスチャンに目配せすると、彼に上質な紙とペンを持ってこさせた。
そして『全部やり直しましょう』と言ってそれらをアルフレッドの前に差し出す。
紙を手に取ったアルフレッドは怪訝な顔をした。
「こ、これは?」
「誓約書です」
「なぜ誓約書を?」
「エミリーに対する感情が抜け落ちた今、私たちが互いに互いを思う感情は“無”です」
「…お、おう」
「だから、結婚したあの日からもう一度やり直すのです」
アルフレッドの気持ちに気づいていないシャロンは、結婚生活を一からやり直そうと、互いに歩み寄る努力をしようと提案した。
ウィンターソン公爵が後継を作らねばならない事実は変わらないし、また、シャロンは居心地の良い公爵邸に残りたい。
利害は一致していると彼女は言う。
「本当に何とも思ってないのか」
「何がです?」
「いや、こっちの話…」
キョトンと首を傾げるシャロンにアルフレッドは泣きたくなった。
(もういっそ好きだと言ってしまおうかな…)
だが今ここで好意を示したところで、きっと彼女は毛虫見るような目で見てくることだろう。
そう考えると今は何も言わない方が賢明かもしれない。
アルフレッドは自嘲じみた笑みを浮かべながら、誓約書にサインした。
シャロンが用意した誓約書の内容は以下の通りだった。
『趣味に口出しするな』
『愛せなくても文句を言うな』
最早趣味に生きているシャロンにとって一つ目の項目は最重要項目だ。故に理解できる。
だが二つ目の項目が意味することは何だろうか。そのままの意味じゃなければ良いなと思いつつ、アルフレッドは恐る恐る聞いてみた。
「二つ目の項目、何?」
「互いに歩み寄る努力はしますが、好きになれる保証はないでしょう?」
「ごもっともだ!」
「何でちょっと怒ってるんですか?」
「怒ってない!ちょっと泣きそうなだけだ!」
両手で顔を覆い、シクシク泣き始めたアルフレッドを無視し、シャロンはその誓約書を保管しておくようセバスチャンに言いつけた。
そして、用意されていたマカロンを齧る。
それが思っていたより美味しかったのか、シャロンは目を輝かせた。
そんな彼女の様子を指の隙間から見ていたアルフレッドは、やっぱり好きだなと実感する。
「…シャロンはさ、私のことをどう思ってるの?」
「残念な人」
「残念…」
「いじりがいがありそうな人」
「い、いじっ…?」
「あと、少し可愛い人」
「かわ!?」
自分の言葉に百面相する彼に、シャロンは朝笑うような笑みを浮かべた。
「好意はないけど、興味はありますよ」
「…何その笑顔。怖い」
ここでアルフレッドは、ふと、最近になって彼女がベネット子爵の変異種の研究に協力し始めたことを思い出した。
彼女の興味とはもしや、実験動物としての興味だろうか。ああ、恐ろしい。
「旦那様は誓約書、書かなくても良いんですか?」
「じゃあ私からも一つだけ…」
セバスチャンに持ってこさせた上質な紙にペンを滑らせるアルフレッド。
書き終えたそれを渡されたシャロンは訝しむ。
そこに書かれていたのは
『シャロンがアルフレッドを好きになるまでは一切触れない』
という内容だった。
「これじゃあ後継が作れませんよ?」
「後継くらいなんとでもなる」
「でも、それでは旦那様にメリットがありません」
「メリットならちゃんとある」
アルフレッドは気にするなと笑い、サインするように促した。
シャロンは本当に良いのだろうかと思いつつも、誓約書にサインする。
「ではこれからもよろしく。奥さん」
「はい、よろしくお願いします。旦那様」
2人は笑顔で固い握手を交わした。
この瞬間、誓約書で結ばれた何とも奇妙な夫婦が誕生した。
そばで見ていたセバスチャンは後継が拝める日は来るのだろうかと、大層不安になったそうだ。
そろそろ就寝時間が近づいた頃、シャロンは紅茶を啜ると、ニヤリと口角を上げた。
「そういえば、来週はお城に泊まりでしたっけ?」
「そうだよ」
「そんな旦那様に一つお話ししておきたいことがあるのですが」
またしても神妙な面持ちで話し始めた彼女に、アルフレッドはまた何が重大な話なのだと身構えた。
「あの事件、実は一つだけ解決していない事があるんです」
「解決していないこと?」
「本格的に捜査に入る前、エミリーの姿が王宮で目撃されてましたよね?」
「あ、ああ」
「でもその噂が出たのって、今年だけなんです」
「…え?」
「しかし、私がエミリーを離宮で見つけた時、彼女は歩く事ができませんでした」
歩けないはずのエミリアの姿が王宮内の複数の場所で目撃されたなど、理論上はあり得ない。
王宮で目撃された長い黒髪の、白いワンピースを着た女。あれがエミリア出ないというのなら…。
「…シャ、シャロン?」
「あれは、誰だったんでしょうねぇ?」
満面の笑みでそう言って紅茶を啜るシャロンに対し、アルフレッドは顔面蒼白である。
「何でその話を今するの…」
「その顔が見たいから」
満足げな笑みを浮かべたシャロンは、それだけ話し終えると『おやすみなさい』と言って部屋を出た。
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