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第三章 アッシュフォード男爵夫人
22:ふざけるな
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運命と言われれば、確かに運命なのだろう。
まるで誰かが糸を引いているように、見えない何かに導かれるように。
アイシャとイアンは出会い、別れ、また出会い、そして……。
「ダニエル殿下はアイシャ様が殿下と共に首都に行かれるのなら、ブランチェット伯爵を英雄の父親を殺した罪で裁いてくださるそうです」
「アイシャ!聞かなくていい!どうせ何の確証もない話だ!」
「事故の目撃者は馬車にブランチェットの家紋が描かれていたと言っています」
「もう十年も前の話だ。不確かな証言を集めただけでは確かな証拠にはなり得ない」
「ですが、彼らの証言が間違いであるという確証もありません」
「うるさい!」
従者の言葉を否定するように、イアンはダニエルを締め上げる。
オリバーはイアンの首元に当てた剣を少し下に滑らせた。イアンの頸からは微かに血が滲む。
リズベットは同じように、オリバーの首に剣先を滑らせる。
「あんた、死にたいの?」
「死にたいのは君のご主人様の方ではないかね?お嬢さん」
「あたしはあんたが剣を引くより先に、あんたの首を落とせる」
「それは随分大きく出たもんだな。だが残念。俺のほうが早い。何なら試してみるか?」
「貴様……!」
室内に充満する緊迫感。アイシャは静かに口を開いた。
「イアン様。殿下から離れてください」
「アイシャ!」
「リズベット。あなたも剣を下ろしなさい」
「こいつが下ろしたら下ろす」
「命令よ、下ろしなさい」
「でも!」
「オリバー殿も、どうか剣を納めてください」
「はいはーい」
結局、一番先に剣を下ろしたのはオリバーだった。
彼が剣を納めたのを確認し、リズベットが剣を下ろす。そして最後にイアンがダニエルから降りた。
ダニエルは咳き込みながら、オリバーを睨む。
「おい、何のためにお前を連れて来たと思ってる」
「ありゃ?殺せば良かったですかねぇ?」
「違う。こうなる前に阻止しろよ。そのくらいできるだろう」
「そうですねぇ。今度からそうします。ごめんなさい?」
オリバーは両手をあげて降参のポーズを取りつつも、まったく反省していないようにケラケラと笑った。
そんな態度の彼にダニエルは舌を鳴らした。
「殿下。私の夫が大変失礼しました」
「君に免じて今回のことは不問とする」
「ありがとうございます」
アイシャはイアンの横から顔を出すと、ダニエルに深々と頭を下げた。
皇族に手を上げて何のお咎めもないのは奇跡だ。
ダニエルは襟を正して立ち上がると、呆然とするイアンを横目で見つつ、勝ち誇ったようにアイシャの髪に触れた。
そして結っていた髪を悪戯に解き、指で一房絡めとると毛先に軽く口付ける。
「混乱させてしまってごめんね、アイシャ」
「いえ……」
「大丈夫。返事は待つから、ゆっくり考えるといい」
「……ダニエル殿下。お部屋にご案内します。本日は泊まっていかれるのでしょう?」
「ああ、そのつもりだ」
「ラン。殿下をお部屋にご案内してちょうだい」
「は、はい!」
ランはアイシャを心配しつつも、ダニエルたちを客室へと案内した。
「随分と散らかってしまったわ」
アイシャは俯いたまま、散らばった書類や割れたティーカップを片付ける。
リズベットはそんなことは自分がやると、彼女の手を止めた。
「怪我をしてしまう」
「大丈夫よ、リズ。このくらいできるわ」
「でも……」
「それより、リズは救急箱を持ってきて。あと箒と鋏と塵取りも」
「わかった……。って、ハサミ?」
「できるだけ早く」
「あ、はい」
リズベットは困ったようにイアンの方を見上げた。イアンは泣きそうな顔で小さく頷いた。
二人にしてくれと言っている。リズベットはすぐに戻ると言い残して部屋を出た。
しん、と静まり返った室内。差し込む春の日差しは暖かいのに、体感気温は真冬のようだ。
イアンは片付けをする彼女の後ろで突っ立ったまま、動けずにいた。
さっきからずっとこちらを見ない彼女が今、どんな顔をしているのかがわかるから。何を考えているかがわかってしまうから。
だから彼女の正面に行けない。
「アイシャ……」
「イアン様は座っていてください。すぐにリズが救急箱を持って……」
「アイシャ!!」
「そんなに大きな声を出さなくとも、聞こえています」
「……あんなの、出鱈目だよ。気にすることない」
「本当にそう思っていますか?」
「それは……」
そう問われると、違うとは言えない。言い切れない。
あの事故の目撃者は皆、馬車には家紋が描かれていたと言っていた。そしてそれがどこの家紋であるかはわからないとも言っていた。
しかし、わからないということは即ち、その馬車が領主のものではないことを示していて。また同時に隣接するエレノア家のものでも、アッシュフォード家のものでもないということを示している。
つまり犯人は、あの日偶然にもヴィルヘルムに来ていた貴族ということ。
けれど、ヴィルヘルムには貴族が喜ぶようなモノなど何一つない。あの街に貴族が訪れることはほとんどない。
そしてちょうどその頃、偶然にもブランチェット伯爵はエレノア子爵家を訪れていて、熱を出したベアトリーチェの薬草を探して走り回っていた。
確証はない。十年も前の話だ。
けれど、状況はブランチェット伯爵が犯人であると言っている。
「私は、あの男が事故を起こしたという話は聞いたことがありません。けれど、今思い出したのですけれど、そういえばあの時期。長く勤めた御者が一人、突然辞めたと聞いたことがあります」
それはもう、確定ではないのか。
金を持たせて追い出して、人を轢き殺したことをなかったことにしようとした証拠ではないのか。
「いつから知っていたのですか?」
「……本当に最近だよ。伯爵の顔を見た時、ふと気がついたんだ。そう考えると全てがつながるような気がして。でも、真実は確かめなかった。本人に問いただしたところで覚えてはいないだろうし、覚えていたとしても認めないだろ」
「そうですか。気づいたのなら、言ってくだされば良かったのに。そうしたら、私は……」
アイシャは割れたティーカップの破片を拾う手を止めた。
イアンは肩を振るわせて小さくなる彼女の背中を見つめ、耐えきれなくなったように叫んだ。
「…………そうしたら?そうしたらなんだよ!?素直に俺の元を離れたのにって?ふっっざけんなっ!!何で俺があんな男のせいで、父さんだけじゃなく、君まで奪われなくちゃいけないんだよ!ふざけんじゃねーよ!!」
彼に怒鳴られたことなどないアイシャは驚いたように目を大きく見開き、振り返った。
まるで誰かが糸を引いているように、見えない何かに導かれるように。
アイシャとイアンは出会い、別れ、また出会い、そして……。
「ダニエル殿下はアイシャ様が殿下と共に首都に行かれるのなら、ブランチェット伯爵を英雄の父親を殺した罪で裁いてくださるそうです」
「アイシャ!聞かなくていい!どうせ何の確証もない話だ!」
「事故の目撃者は馬車にブランチェットの家紋が描かれていたと言っています」
「もう十年も前の話だ。不確かな証言を集めただけでは確かな証拠にはなり得ない」
「ですが、彼らの証言が間違いであるという確証もありません」
「うるさい!」
従者の言葉を否定するように、イアンはダニエルを締め上げる。
オリバーはイアンの首元に当てた剣を少し下に滑らせた。イアンの頸からは微かに血が滲む。
リズベットは同じように、オリバーの首に剣先を滑らせる。
「あんた、死にたいの?」
「死にたいのは君のご主人様の方ではないかね?お嬢さん」
「あたしはあんたが剣を引くより先に、あんたの首を落とせる」
「それは随分大きく出たもんだな。だが残念。俺のほうが早い。何なら試してみるか?」
「貴様……!」
室内に充満する緊迫感。アイシャは静かに口を開いた。
「イアン様。殿下から離れてください」
「アイシャ!」
「リズベット。あなたも剣を下ろしなさい」
「こいつが下ろしたら下ろす」
「命令よ、下ろしなさい」
「でも!」
「オリバー殿も、どうか剣を納めてください」
「はいはーい」
結局、一番先に剣を下ろしたのはオリバーだった。
彼が剣を納めたのを確認し、リズベットが剣を下ろす。そして最後にイアンがダニエルから降りた。
ダニエルは咳き込みながら、オリバーを睨む。
「おい、何のためにお前を連れて来たと思ってる」
「ありゃ?殺せば良かったですかねぇ?」
「違う。こうなる前に阻止しろよ。そのくらいできるだろう」
「そうですねぇ。今度からそうします。ごめんなさい?」
オリバーは両手をあげて降参のポーズを取りつつも、まったく反省していないようにケラケラと笑った。
そんな態度の彼にダニエルは舌を鳴らした。
「殿下。私の夫が大変失礼しました」
「君に免じて今回のことは不問とする」
「ありがとうございます」
アイシャはイアンの横から顔を出すと、ダニエルに深々と頭を下げた。
皇族に手を上げて何のお咎めもないのは奇跡だ。
ダニエルは襟を正して立ち上がると、呆然とするイアンを横目で見つつ、勝ち誇ったようにアイシャの髪に触れた。
そして結っていた髪を悪戯に解き、指で一房絡めとると毛先に軽く口付ける。
「混乱させてしまってごめんね、アイシャ」
「いえ……」
「大丈夫。返事は待つから、ゆっくり考えるといい」
「……ダニエル殿下。お部屋にご案内します。本日は泊まっていかれるのでしょう?」
「ああ、そのつもりだ」
「ラン。殿下をお部屋にご案内してちょうだい」
「は、はい!」
ランはアイシャを心配しつつも、ダニエルたちを客室へと案内した。
「随分と散らかってしまったわ」
アイシャは俯いたまま、散らばった書類や割れたティーカップを片付ける。
リズベットはそんなことは自分がやると、彼女の手を止めた。
「怪我をしてしまう」
「大丈夫よ、リズ。このくらいできるわ」
「でも……」
「それより、リズは救急箱を持ってきて。あと箒と鋏と塵取りも」
「わかった……。って、ハサミ?」
「できるだけ早く」
「あ、はい」
リズベットは困ったようにイアンの方を見上げた。イアンは泣きそうな顔で小さく頷いた。
二人にしてくれと言っている。リズベットはすぐに戻ると言い残して部屋を出た。
しん、と静まり返った室内。差し込む春の日差しは暖かいのに、体感気温は真冬のようだ。
イアンは片付けをする彼女の後ろで突っ立ったまま、動けずにいた。
さっきからずっとこちらを見ない彼女が今、どんな顔をしているのかがわかるから。何を考えているかがわかってしまうから。
だから彼女の正面に行けない。
「アイシャ……」
「イアン様は座っていてください。すぐにリズが救急箱を持って……」
「アイシャ!!」
「そんなに大きな声を出さなくとも、聞こえています」
「……あんなの、出鱈目だよ。気にすることない」
「本当にそう思っていますか?」
「それは……」
そう問われると、違うとは言えない。言い切れない。
あの事故の目撃者は皆、馬車には家紋が描かれていたと言っていた。そしてそれがどこの家紋であるかはわからないとも言っていた。
しかし、わからないということは即ち、その馬車が領主のものではないことを示していて。また同時に隣接するエレノア家のものでも、アッシュフォード家のものでもないということを示している。
つまり犯人は、あの日偶然にもヴィルヘルムに来ていた貴族ということ。
けれど、ヴィルヘルムには貴族が喜ぶようなモノなど何一つない。あの街に貴族が訪れることはほとんどない。
そしてちょうどその頃、偶然にもブランチェット伯爵はエレノア子爵家を訪れていて、熱を出したベアトリーチェの薬草を探して走り回っていた。
確証はない。十年も前の話だ。
けれど、状況はブランチェット伯爵が犯人であると言っている。
「私は、あの男が事故を起こしたという話は聞いたことがありません。けれど、今思い出したのですけれど、そういえばあの時期。長く勤めた御者が一人、突然辞めたと聞いたことがあります」
それはもう、確定ではないのか。
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「そうですか。気づいたのなら、言ってくだされば良かったのに。そうしたら、私は……」
アイシャは割れたティーカップの破片を拾う手を止めた。
イアンは肩を振るわせて小さくなる彼女の背中を見つめ、耐えきれなくなったように叫んだ。
「…………そうしたら?そうしたらなんだよ!?素直に俺の元を離れたのにって?ふっっざけんなっ!!何で俺があんな男のせいで、父さんだけじゃなく、君まで奪われなくちゃいけないんだよ!ふざけんじゃねーよ!!」
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