【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-

七瀬菜々

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第三章 アッシュフォード男爵夫人

23:だって気持ち悪い

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 言えば絶対に重荷になる。きっとアイシャのことだから、自分のものでもない罪も背負おうとする。それが嫌だった。
 そうやって罪を背負った彼女の笑顔が曇るのが嫌だった。好きだと、愛していると向けられた笑顔に贖罪の影が見えたらと思うと、もう絶対に耐えられない。
 だから、この秘密は一生隠し通すつもりだったのに。

「俺だって、気づいてしまったときから実は結構混乱してる!でもそれをわざわざ君に言ってどうなる?俺はもう父さんの死は乗り越えた。君がそうさせてくれたからだ!だから平気だ!そりゃあ、復讐できるならしたいけど、別にわざわざ平民を轢き殺した罪で裁かなくても、異端審問のせいであの男にはこの先はろくでもない人生しか待ってないんだし、ほっとけばいい!父さんが死んだのは君のせいじゃない。あの男の罪は君の罪じゃない!勝手に罪悪感感じていなくなろうとするな!」
「あ、あの……」
「俺は離さないって言った。君が逃げようとしても逃がさないって言った!君はそれを受け入れたはずだ!」
「あの、イアン様……?」
「もし俺に悪いと思うのなら、むしろ一生俺のそばにいるべきだろ!?俺がそうして欲しいって言ってんだから、そうすべきだろ!?」
「……えーっと?」
「好きだって言ったじゃないか。大好きだって、愛してるって言ったじゃないか!!あれは嘘かよ!こんなに好きにさせといて今更離れていくなんて許さない。俺は許さないからな!!」

 それはまるで拗ねた子どものような叫びで。
 けれど、とても切実な、イアンの本音だった。
 全部吐き出したイアンは苦しそうにアイシャを見下ろす。
 アイシャはただ唖然として、肩で息をする彼を見上げた。
 どうしよう、かなり気まずい。

「あ、あの。私はただ、言ってくだされば叔父様に引き渡さず、私の手で裁いてやったのにって……、思っ……」
「.……………へ?」
「血の縁から逃れられないのなら、どう足掻いても絡みついてくるのなら、もう自分の手で断ち切るしかないなと。私も覚悟を決めねばと……」
「………………あー、なるほどね」
「まあ、具体的にどうしたら良いのかはわかりませんが……。正直なところ異端審問よりダメージが大きいことって思いつかないし……」
「………………いや、何もしなくていいよ。もう破滅は確定事項だし。うん」
「そう、ですね……」
「うん……」
「あ!も、もちろん、あなたが私の顔など見たくもないと仰るのなら、素直に身を引きますので………」
「…………………そんなことは絶対にないから。知ってると思うけど」
「あ、はい。知ってます……。さっき聞いたので、色々と……」 
「色々と、とか言わないで……」

 どうやらアイシャは別に、いなくなるつもりなんてなかったらしい。
 つまりこれはイアンの早とちり。彼はようやく冷静になれたのか、両手で顔を覆い隠してその場にしゃがみ込んだ。

(なんか、あんまり良くないことを口走った気がする)

 怒りとそこからくる不安に飲み込まれ、とんでもなく子どもじみたことを言った気がする。特に、『俺に悪いと思うのなら俺のそばにいろ』とか。
 あれはもう、アイシャの良心に付け込んで自分に縛りつけようとしている下衆の発言だ。できれば撤回したい。恥ずかしい。
 イアンは耐えきれなくなり、よくわからない雄叫びを上げた。
 
「ぬおおおおお!?」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない!全然無事じゃない!冷静になるとダメだな!」
「ご、ごめんなさい。私も流石にちょっと混乱してしまって。もっと毅然とした態度をとるべきでしたよね。不安にさせてすみません!」
「謝らないで!君は悪くない!」
「ではイアン様も悪くないです」
「…………」
「…………あのー」
「……アイシャ」
「はい……」
「俺、今すごく消えてなくなりたい」
「それは困ります……。寂しいです」
「……そういうとこ好き」
「……?私も好きです?」

 小さくなったまま、膝に顔を埋めて動かないイアン。
 アイシャはどうしたものかと悩み、とりあえず小さくなる彼の前に座ってみた。彼と同じように膝を抱えて小さくなって。

「首、痛くないですか?血はもう出ていないようですが……」
「大丈夫。大したことない」
「舐めてもいいですか?」
「だめ。ばっちいからやめなさい」 
「舐めたら治るんでしょ?」
「それを不衛生だと言ったのは君だ」
「確かに。そうでした」

 いつかした会話を思い出し、アイシャはクスクスと笑う。 
 そういえば、もう春は来てる。

「春ですね」
「そうだな」
「もうすぐ結婚式ですね」
「ああ」
「全然準備進んでないけど」
「邪魔が入りすぎてるからな」
「かろうじて間に合うの、衣装くらいじゃありませんか?」
「それはまずい。早いとこ追い返さないとな」
「そうですね」
「何か良い方法はないものか」
「もう結婚式を強行しちゃいます?」
「それもアリだな。勝手に押しかけてきてるのはあっちなわけだし?」

 わざわざ配慮してやる必要などないか、と言って穏やかに笑い合う二人。
 先程までの張り詰めた空気が嘘のようで。

「…………何してんの?」

 心配して急いで戻ってきたランとリズベットは、まだ片付いていないテーブルの近くで小さくなっている主人たちを見て、苦笑した。
 これは心配して損をしたパターンだ。リズベットは良かったと心底安堵した。

「ほい、救急箱とハサミ。ここ置いとくね」
「ありがとう」
「片付けはあたしとランでするから、奥様がイアンを手当てしてやってよ」
「ええ、まかせて!」

 アイシャはそう言うと救急箱を開け、イアンの傷を手当てした。
 拙い手当てだが、イアンは終始嬉しそうだった。


 *


「もう少し応急処置の勉強します……」

 手当てが終わり、アイシャはシュンと肩を落とした。
 思っていたよりも応急処置がうまく出来なかったのだ。

「大丈夫だって。十分上手だから」
「甘やかさないでください、イアン様。全然上手じゃないです。ねえ、リズ?」
「うん。やばい」
「……即答されるとそれはそれで傷つくわ」
「あたしにどうしろっていうのよ。……あ、そういえばハサミはどうするの?」
「ああ!そうだったわ!」

 アイシャは救急箱を閉じると、思い出したように隣に置いてあったハサミを手を伸ばした。
 そして右側の髪を一房を手に取り、徐に鋏を入れた。
 その光景に、ランもリズベットもイアンも目を丸くした。

「えっ?ちょ!?まっ…….なっ……うぇ!?」
「待て待て待て待て。何をしてるんだ!」
「いやぁ!やめてぇ!?」

 すかさずリズベットがアイシャを羽交締めにし、イアンがハサミを取り上げ、ランが髪を確認した。
 
「ふぅ、良かった。切れてないです」

 ランの言葉に二人は安堵のため息をこぼす。
 アイシャはそんな彼らに頬を膨らませた。

「髪を切ろうかと思っただけなのに」
「何ゆえ!?」
「だって毛先に口付けられたんだもの」

 アイシャはとても不快そうに、ダニエルに触られたところをいじる。
 まさか軽く口付けられただけで、大事な髪を切ろうとするとは。

「アイシャ。もしかして相当怒ってる?」
「いいえ?別に怒っていませんよ?」
「そうなの?」
「ええ。ただなんか、なんていうか……」
「なんていうか?」
「すごく不快なだけです。こう、鳥肌が立つというか、悪寒がするというか。とにかく気持ち悪くて」

 さっきからずっと毛先が肌に触れるのさえ嫌なのだと、アイシャは困ったように眉尻を下げた。
 リズベットとラン、そしてイアンは顔を見合わせ頷き合った。
 
 それはもう何と言うか。

「生理的に受け付けないってやつでは?」

 好き嫌い以前の問題。
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