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第三章 アッシュフォード男爵夫人
29:北部の王
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「なん……で?」
開始の合図があって1分もしないうちに、オリバーは地面に押し付けられていた。
あり得ない。剣豪を連れてきたのに。
ダニエルは頼みの綱を失った。彼に忠誠を誓っているわけではないオリバーはきっと、死ぬ前に降参するだろう。
代理人が降参すればもう、ダニエルは負けを認めるしかない。
けれど、そんなことは皇子としてのプライドが許さない。
無駄に高く聳え立つ、何の役にも立たないそのプライドのせいで、ダニエルは自分で自分を制御出来なくなっていた。
だから、マントで隠していたホルスターから銃を抜いたのだが……。
いきなり背後から蹴り飛ばされた彼は、椅子ごと前に倒れてしまった。
手から離れた銃は石畳の上を滑り、民衆の作る円の中心部へと遠のいていく。
皆が呆然とする中、アイシャはダニエルの真横を通り過ぎると、その銃を拾い上げ、振り返ると同時に銃口を彼に向けた。
ダニエルの騎士は慌てて剣を構えるも、アッシュフォードの騎士団がそんな彼らの背後を取る。
予期せぬ場外乱闘に、民衆は湧いた。
「……何のつもりだ、アイシャ」
ダニエルはゆっくりと立ち上がり、アイシャを睨みつける。
憎悪に満ちたその表情は、つい先日まで求婚していた相手に見せる顔ではない。
アイシャはフッと乾いた笑みをこぼした。
「それはこちらのセリフですわ、殿下。決闘って、外野が手を出して良いものでしたっけ?」
「……な、何でもアリなのだろう?」
「あらあら。閣下のお言葉をそう解釈なさったのね。ならば私のこの行動も許容範囲なのでは?」
「くっ……」
「殿下。皇子たるもの、視野は広く持たねばなりません」
「どういう意味だ」
「周りをよくご覧くださいな。場外乱闘を認めれば、あなた方に待つのは死のみでしてよ?」
ダニエルを取り囲むのはアッシュフォードの民。
戦争を生き抜いた誇り高き戦士たちだ。
「殿下はご存じないのでしょうけれど、アッシュフォードの民はその過酷な環境に身を置き続けたせいでとても研ぎ澄まされております」
「だからどうした」
「わかりませんか?研ぎ澄まされたと言うことは、言い方を変えれば削ぎ落としたと言うこと……。彼らが生き延びるために削ぎ落とした物の中に、皇室への忠誠心が含まれていることをお忘れなきよう」
ダニエルはその言葉にハッとした。
どうやら、ようやく気づいたらしい。自身へと向けられている憎悪の念を。
「わ、私はこの国の皇子だぞ!」
「存じております」
「この地で私が死ねば戦争になるぞ!?」
「ええ、どうぞ?」
「なっ!?」
「国境に背を向けても刺される心配がないのだから、アッシュフォードは持てる全てを皇室との戦争に割くことができるわ」
首都でテオドールが動いているが、今の南部の貴族でこの皇子にベットする馬鹿はきっとそう多くない。
対して、アッシュフォードにはついこの間までずっと戦争をしていた屈強な戦士が大勢いる。
それに、頼めばハルは魔族を動かしてくれるだろう。
確かに魔族は盟約により武器を取り上げられ、軍を解体したが、戦えないわけではない。彼らには魔法があるからだ。いざとなれば彼らは自らを武器として、その身一つで戦える。
どう考えても皇室に勝ち目はない。今のイアンとオリバーの姿がその未来を暗示している。
アイシャは、既に小説のモブ以下……、主人公の力を際立たせるためだけに存在するただの小悪党へと成り下がったダニエルを鼻で笑った。
「戦争となれば、困るのはそちらではなくて?」
アイシャの勝ち誇ったような笑みに、ダニエルは奥歯を噛み締めた。
悔しいが彼女の言う通り。戦争になれば皇室はもうおしまいだ。
ダニエルは泣きそうな顔でアイシャを見つめ、「どうして」と呟いた。
「ハッハッハ!手を出す相手を間違えましたなぁ、皇子殿下!」
この状況にとうとう堪えきれなくなったラホズ侯爵は、手を叩き豪快に笑った。
そして小馬鹿にしたようにダニエルを見やる。
「北部の王は寛大だ。だから其方の無礼も決闘という形で手打ちにしてやるつもりだったのに。それにすら水を差すとは、愚かなことよ」
「……何だと?」
「少しは頭を使うことを覚えたまえよ、若造が」
「な、何が言いたい……」
「何故このアッシュフォードでただの一度も暴動が起きていないと思う?何故アッシュフォードの民が今こうして笑っていられると思う?まさか、ただの平民が少し指導を受けただけでここまで統治できると、本気でお思いか?」
「さ、さっきから何なんだよ!どういう意味だよ!」
「まだわからぬか?其方が男爵風情と下に見ているその男は王の器であると申し上げておるのだ」
「貴様……!」
「過去、先先代の皇帝が南北を統一して以来、北の城の玉座は空席のまま。我々北部の貴族はすでにそこにイアン・ダドリーを座らせる準備ができている」
ラホズ侯爵は大きく息を吸い込むと、一拍置いて言葉と共に吐き出した。
「皇子殿下。首都に帰ってお父君に伝えたまえ。愚かな皇子のせいで、帝国が再び真っ二つになるやもしれん、とな。そしてそれが嫌ならばこの事態をうまく収めてみせよ、と」
今後のことは皇帝の対応次第だ。ダニエルにできることは首都に戻り、自分のやらかしたことを父に伝えて許しを乞うことのみ。それ以外にできることなど何もない。
「この地を見捨てた男が、どういう手段で擦り寄ってくるのか。見ものだな?」
「侯爵…….、貴様!こんなこと、許されると思っているのか!?」
「おや?そういう態度を取られるのか?ならば、こちらはこのまま戦争でも構わんぞ?なあ、アッシュフォードの民よ」
そう問いかけられた民衆は賛同するように拳を上げた。
戦争を終えてもなお、士気は高いままだ。
*
そんな風にあたりが盛り上がる中、降参と口にすることすら出来ていないオリバーは取り残された気分だった。
「そろそろ退いてくれても良くない?すっげー背中痛いんだけど。多分鼻も折れてるし、早いとこ治療しないと腕もやばいし」
「粉砕したから腕は元通りにはならんぞ」
「容赦なさすぎでしょ」
「これからは剣を捨てて真面目に生きるんだな」
「……」
「……なんだよ。うるさいな」
「まだ何も言ってないじゃん」
「言いたげな空気出てんだよ」
「じゃあ聞くけどさ、英雄殿は玉座に座るのかい?」
「………………座らねーよ」
同意した覚えはないのに、いつの間にか、ガッチガチに外堀を埋められている。
「あれ、ただの脅し文句だよな?」
「半分くらいはそうだろ」
「半分……」
何度か打診されてはいたが、いつも侯爵の冗談だと受け流していた。
だが魔族のことを気にする必要がなくなった今、どうやら閣下は本気でイアンを担ぎ上げるつもりらしい。
「嫌なら嫌って言った方がいいぞ、英雄殿」
「言える空気か?これ」
イアンは皇帝が賢い判断をしてくれることを祈った。
開始の合図があって1分もしないうちに、オリバーは地面に押し付けられていた。
あり得ない。剣豪を連れてきたのに。
ダニエルは頼みの綱を失った。彼に忠誠を誓っているわけではないオリバーはきっと、死ぬ前に降参するだろう。
代理人が降参すればもう、ダニエルは負けを認めるしかない。
けれど、そんなことは皇子としてのプライドが許さない。
無駄に高く聳え立つ、何の役にも立たないそのプライドのせいで、ダニエルは自分で自分を制御出来なくなっていた。
だから、マントで隠していたホルスターから銃を抜いたのだが……。
いきなり背後から蹴り飛ばされた彼は、椅子ごと前に倒れてしまった。
手から離れた銃は石畳の上を滑り、民衆の作る円の中心部へと遠のいていく。
皆が呆然とする中、アイシャはダニエルの真横を通り過ぎると、その銃を拾い上げ、振り返ると同時に銃口を彼に向けた。
ダニエルの騎士は慌てて剣を構えるも、アッシュフォードの騎士団がそんな彼らの背後を取る。
予期せぬ場外乱闘に、民衆は湧いた。
「……何のつもりだ、アイシャ」
ダニエルはゆっくりと立ち上がり、アイシャを睨みつける。
憎悪に満ちたその表情は、つい先日まで求婚していた相手に見せる顔ではない。
アイシャはフッと乾いた笑みをこぼした。
「それはこちらのセリフですわ、殿下。決闘って、外野が手を出して良いものでしたっけ?」
「……な、何でもアリなのだろう?」
「あらあら。閣下のお言葉をそう解釈なさったのね。ならば私のこの行動も許容範囲なのでは?」
「くっ……」
「殿下。皇子たるもの、視野は広く持たねばなりません」
「どういう意味だ」
「周りをよくご覧くださいな。場外乱闘を認めれば、あなた方に待つのは死のみでしてよ?」
ダニエルを取り囲むのはアッシュフォードの民。
戦争を生き抜いた誇り高き戦士たちだ。
「殿下はご存じないのでしょうけれど、アッシュフォードの民はその過酷な環境に身を置き続けたせいでとても研ぎ澄まされております」
「だからどうした」
「わかりませんか?研ぎ澄まされたと言うことは、言い方を変えれば削ぎ落としたと言うこと……。彼らが生き延びるために削ぎ落とした物の中に、皇室への忠誠心が含まれていることをお忘れなきよう」
ダニエルはその言葉にハッとした。
どうやら、ようやく気づいたらしい。自身へと向けられている憎悪の念を。
「わ、私はこの国の皇子だぞ!」
「存じております」
「この地で私が死ねば戦争になるぞ!?」
「ええ、どうぞ?」
「なっ!?」
「国境に背を向けても刺される心配がないのだから、アッシュフォードは持てる全てを皇室との戦争に割くことができるわ」
首都でテオドールが動いているが、今の南部の貴族でこの皇子にベットする馬鹿はきっとそう多くない。
対して、アッシュフォードにはついこの間までずっと戦争をしていた屈強な戦士が大勢いる。
それに、頼めばハルは魔族を動かしてくれるだろう。
確かに魔族は盟約により武器を取り上げられ、軍を解体したが、戦えないわけではない。彼らには魔法があるからだ。いざとなれば彼らは自らを武器として、その身一つで戦える。
どう考えても皇室に勝ち目はない。今のイアンとオリバーの姿がその未来を暗示している。
アイシャは、既に小説のモブ以下……、主人公の力を際立たせるためだけに存在するただの小悪党へと成り下がったダニエルを鼻で笑った。
「戦争となれば、困るのはそちらではなくて?」
アイシャの勝ち誇ったような笑みに、ダニエルは奥歯を噛み締めた。
悔しいが彼女の言う通り。戦争になれば皇室はもうおしまいだ。
ダニエルは泣きそうな顔でアイシャを見つめ、「どうして」と呟いた。
「ハッハッハ!手を出す相手を間違えましたなぁ、皇子殿下!」
この状況にとうとう堪えきれなくなったラホズ侯爵は、手を叩き豪快に笑った。
そして小馬鹿にしたようにダニエルを見やる。
「北部の王は寛大だ。だから其方の無礼も決闘という形で手打ちにしてやるつもりだったのに。それにすら水を差すとは、愚かなことよ」
「……何だと?」
「少しは頭を使うことを覚えたまえよ、若造が」
「な、何が言いたい……」
「何故このアッシュフォードでただの一度も暴動が起きていないと思う?何故アッシュフォードの民が今こうして笑っていられると思う?まさか、ただの平民が少し指導を受けただけでここまで統治できると、本気でお思いか?」
「さ、さっきから何なんだよ!どういう意味だよ!」
「まだわからぬか?其方が男爵風情と下に見ているその男は王の器であると申し上げておるのだ」
「貴様……!」
「過去、先先代の皇帝が南北を統一して以来、北の城の玉座は空席のまま。我々北部の貴族はすでにそこにイアン・ダドリーを座らせる準備ができている」
ラホズ侯爵は大きく息を吸い込むと、一拍置いて言葉と共に吐き出した。
「皇子殿下。首都に帰ってお父君に伝えたまえ。愚かな皇子のせいで、帝国が再び真っ二つになるやもしれん、とな。そしてそれが嫌ならばこの事態をうまく収めてみせよ、と」
今後のことは皇帝の対応次第だ。ダニエルにできることは首都に戻り、自分のやらかしたことを父に伝えて許しを乞うことのみ。それ以外にできることなど何もない。
「この地を見捨てた男が、どういう手段で擦り寄ってくるのか。見ものだな?」
「侯爵…….、貴様!こんなこと、許されると思っているのか!?」
「おや?そういう態度を取られるのか?ならば、こちらはこのまま戦争でも構わんぞ?なあ、アッシュフォードの民よ」
そう問いかけられた民衆は賛同するように拳を上げた。
戦争を終えてもなお、士気は高いままだ。
*
そんな風にあたりが盛り上がる中、降参と口にすることすら出来ていないオリバーは取り残された気分だった。
「そろそろ退いてくれても良くない?すっげー背中痛いんだけど。多分鼻も折れてるし、早いとこ治療しないと腕もやばいし」
「粉砕したから腕は元通りにはならんぞ」
「容赦なさすぎでしょ」
「これからは剣を捨てて真面目に生きるんだな」
「……」
「……なんだよ。うるさいな」
「まだ何も言ってないじゃん」
「言いたげな空気出てんだよ」
「じゃあ聞くけどさ、英雄殿は玉座に座るのかい?」
「………………座らねーよ」
同意した覚えはないのに、いつの間にか、ガッチガチに外堀を埋められている。
「あれ、ただの脅し文句だよな?」
「半分くらいはそうだろ」
「半分……」
何度か打診されてはいたが、いつも侯爵の冗談だと受け流していた。
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