【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-

七瀬菜々

文字の大きさ
134 / 149
番外編 ビターチョコレート

7:自己満足な贖罪(2)

しおりを挟む
「黙れよ」

 テオドールはベッドに叩きつけるようにランを押し倒した。

「わかったような口を聞くな。さっきからずっと不愉快なんだよ」

 ランは彼を怒らせてしまったようだ。こちらを見下ろすテオドールはかつて見たことがないほどに顔を歪めていた。

「……何よ。不愉快なのはこっちの方よ。中途半端に巻き込みやがって」
「巻き込んだつもりはない」
「巻き込んでるでしょうが。じゃなきゃ私はこうしてあなたのことを気にかけたりなんかしないのよ」
「気にかけてくれと頼んだ覚えはないよ」
「嘘ばっかり。こっちが気になるようなことだけ言って、大事なことは何も教えないなんて。わざとやってるようにしか見えないんだけど。何なの?子どもなの?かまってちゃんなの?面倒臭いことこの上ないわ」

 そう。本当にこの男は死ぬほど面倒くさい。でも、そういうところは別に嫌いじゃなかった。
 決して好きにはならない。けれど、自分にだけ見せてくれる弱い一面が可愛く思えた。
 だから、ランは勘違いしていた。自惚れていた。

(結局、この人にとって私は他人なんだ)
 
 差し出された手が他でもない自分のものなら、取ってくれるとランは思っていた。
 そんなわけないのに。主人であるイアンの手さえ取らない人が、つい最近知り合ったばかりの小娘の手を取るわけがない。
 ランはテオドールの視線に耐えきれず、目を逸らせた。
 すると、テオドールは内圧を下げるように長く息を吐き、冷たく笑う。

「ランはこんなふうに他人の領域に土足で踏み込んでくるような人ではないと思っていました」

 酷くガッカリしたような声色に、ランはカッと体が熱くなるのを感じた。恥ずかしさと怒りが混ざり合って、苦しい。

「自分でもどうしてこんなに首を突っ込みたくなるのか、どうしてこんなに苛立つのかわからない。けど、私はあなたを助けたいと思う」
「……僕はランに助けて欲しいなんて思ってませんよ」

 救われたいだなんて、思っていない。
 テオドールはそう言いながらも、辛そうな顔をして徐にランの髪に触れる。
 そして指に毛先を絡めるようにして弄ぶ。
 まるで恋人に触れるみたいに、優しく、艶かしく。

「……やめてよ」

 ランは小さく呟いた。本当は自分が何に苛立っているのか、よくわかっている。
 ランは何よりも一番、この男がこんな風に気安く触れてくることが腹立たしくて仕方がないのだ。

「流石に割に合わないわ」

 面倒くさい男のお守り代はランの給金には含まれていない。

「そうやって私を身代わりにするのはもうやめて」
「……え?」
「はじめは小動物を愛でてるような気分にでもなってるのかと思っていたけど、やっぱりただの身代わりだったのね。ようやく合点がいったわ」
「何?何の話?」
「同じ赤髪だから?たったそれだけの理由で亡霊に囚われて振り向いてくれない彼女の身代わりにでもしようって?」

 薄々気づいていたが、ニックたちからテオバルトの話を聞いて確信した。
 眼前のこの男は、自分をリズベットの代わりにしているだけだ。

(恋なんてしたことないからわからないけれど、多分間違ってない)

 そうじゃなきゃ、子どもだと思っている相手にこんな風に触れたりしない。
 ランは自嘲するような笑みを浮かべた。
 
「好きになるなと言ったのは、すでに想う人がいたからでしょう?」
「ち、違……」

 違う。それだけは、本当に違うのに。テオドールは言葉を詰まらせた。
 ランはその反応で自分の推測が正しかったのだと悟った。

「何が違うのよ。違う違うばっかり……」

 我慢できなくなったランはテオドールの右頬に向かって大きく手を振り上げた。
 平手打ちされると思ったテオドールはギュッと目を瞑る。
 しかし、頬は痛みを感じなかった。
 彼が恐る恐る目を開けると、ランの手はいつのまにか彼女の胸元に置かれていた。

「殴られるとでも思った?」
「……思った」
「殴ってなんてやらないわ。だって、それが一番でしょう?」

 罰を求め続けるやつには罰なんて与えてやらない。
 罰せられないことが、何よりの罰だ。責められないことが何よりの罰。

「退いてください」
「あ……。ご、ごめん……」

 ランの気迫に押され、テオドールは素直にベッドから離れる。
 ランは彼の手を掴むと、乱暴に引っ張り、そのまま部屋の外へと追い出した。
 そして、

「しばらく、業務連絡以外で話しかけないで」

 と、言い放ち、勢いよく扉を閉めた。
 バタンと閉まる扉の音が静かな廊下に響いた。    


「………………どうしよう」
 
 閉じられた扉を見つめるテオドールの顔は見る見るうちに青くなる。
 本気で怒らせた。

「……き、嫌われた?」

 思い返してみれば、嫌われるようなことしかしていない気がする。
 それでもいつも、ランはその広い心で全部受け流してくれるから。だから甘え過ぎていた。

 何も聞いてこない彼女のとなりは居心地が良かった。
 でも彼女にとっては、ずっと何も聞かされない事がもどかしかったのだろう。
 当たり前だ。あんな接し方をして気にならないはずがない。

「確かに、自分のことばかりだ」

 何も言わずに都合よく扱っているだけなのに、勝手に手に入れた気になっていた。

 その結果、最悪な方向に拗れた。


 
 


 ***



 
「ぬおおおおおお!あんのクソ野郎があああ!」

 速攻でお仕着せに着替えたランは部屋を飛び出し、まだ廊下で呆然としたままのテオドールをスルーして、ニックの元へと向かった。  
 まだ日も昇りきらないうちから現れたランにニックは不思議そうに首を傾げたが、そのただならぬ雰囲気にストレスが溜まっているのだなと察し、とりあえず薪割りの仕事を与えた。
 結果、木材に罵詈雑言を浴びせながら薪割りをするメイドの図が出来上がった。
 
「きらい!きらいきらいきらい!だいっきらーい!!」
「おーい、ラーン」
「ウジウジウジウジ、女々しいんだよ!はっきりしろやぁ!クソがああああ!」
「ラン、うるさいぞー」
「ああああああ!腹立つううううう!!」
「ランさーん」
「まっじで面倒くせぇんだよ、ばっかやろー!!!」
「聞こえてねーな、こりゃ……」

 早朝からうるさいとメイド長あたりから苦情が来そうだが、全部テオドールのせいにしておこう。
 ニックは孫娘を見るような温かい目でランを見守りつつ、彼女の気が済むまでやらせてやろうと小さくため息をこぼした。
 
しおりを挟む
感想 211

あなたにおすすめの小説

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま
恋愛
「この卑しい娘め、おまえはただの身代わりだろうが!」 ケルホーン伯爵家に生まれたシーナは、ある理由から義理の家族に虐げられていた。シーナは姉のルターナと瓜二つの顔を持ち、背格好もよく似ている。姉は病弱なため、義父はシーナに「ルターナの代わりに、婚約者のレクオン王子と面会しろ」と強要してきた。二人はなんとか支えあって生きてきたが、とうとうある冬の日にルターナは帰らぬ人となってしまう。「このお金を持って、逃げて――」ルターナは最後の力で屋敷から妹を逃がし、シーナは名前を捨てて別人として暮らしはじめたが、レクオン王子が迎えにやってきて……。○第15回恋愛小説大賞に参加しています。もしよろしければ応援お願いいたします。

侯爵令嬢リリアンは(自称)悪役令嬢である事に気付いていないw

さこの
恋愛
「喜べリリアン! 第一王子の婚約者候補におまえが挙がったぞ!」  ある日お兄様とサロンでお茶をしていたらお父様が突撃して来た。 「良かったな! お前はフレデリック殿下のことを慕っていただろう?」  いえ! 慕っていません!  このままでは父親と意見の相違があるまま婚約者にされてしまう。  どうしようと考えて出した答えが【悪役令嬢に私はなる!】だった。  しかしリリアンは【悪役令嬢】と言う存在の解釈の仕方が……  *設定は緩いです  

婚約白紙?上等です!ローゼリアはみんなが思うほど弱くない!

志波 連
恋愛
伯爵令嬢として生まれたローゼリア・ワンドは婚約者であり同じ家で暮らしてきたひとつ年上のアランと隣国から留学してきた王女が恋をしていることを知る。信じ切っていたアランとの未来に決別したローゼリアは、友人たちの支えによって、自分の道をみつけて自立していくのだった。 親たちが子供のためを思い敷いた人生のレールは、子供の自由を奪い苦しめてしまうこともあります。自分を見つめ直し、悩み傷つきながらも自らの手で人生を切り開いていく少女の成長物語です。 本作は小説家になろう及びツギクルにも投稿しています。

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

【完結】どうやら時戻りをしました。

まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。 辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。 時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。 ※前半激重です。ご注意下さい Copyright©︎2023-まるねこ

政略結婚した旦那様に「貴女を愛することはない」と言われたけど、猫がいるから全然平気

ハルイロ
恋愛
皇帝陛下の命令で、唐突に決まった私の結婚。しかし、それは、幸せとは程遠いものだった。 夫には顧みられず、使用人からも邪険に扱われた私は、与えられた粗末な家に引きこもって泣き暮らしていた。そんな時、出会ったのは、1匹の猫。その猫との出会いが私の運命を変えた。 猫達とより良い暮らしを送るために、夫なんて邪魔なだけ。それに気付いた私は、さっさと婚家を脱出。それから数年、私は、猫と好きなことをして幸せに過ごしていた。 それなのに、なぜか態度を急変させた夫が、私にグイグイ迫ってきた。 「イヤイヤ、私には猫がいればいいので、旦那様は今まで通り不要なんです!」 勘違いで妻を遠ざけていた夫と猫をこよなく愛する妻のちょっとずれた愛溢れるお話

処理中です...