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番外編 ビターチョコレート
6:自己満足な贖罪(1)
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翌日の午前3時。
テオドールがリズベットの部屋を出ると、そこには寝巻き姿のランがいた。
髪を結っていない彼女は壁にもたれかかるようにして立ち、腕組みをしてこちらをじっと見つめている。かなり機嫌が悪そうだ。
テオドールはこのまま気づかないふりをして自室に帰れないものかと、一瞬だけ考えた。
だが、その思考さえ見透かされており、ランは低い声でポツリと呟く。
「逃げたら殺す」
体格差とか諸々を踏まえても絶対、何があってもこの小娘に殺されるなどあり得ないのだけれど、テオドールはどうしてだか命の危険を感じた。
やはり女は怒らせると怖い。
「な、何か?」
「話があります。ついてきて」
「はい……」
どちらが上司なのかわからない。
テオドールはランに言われるがまま、彼女の後をついて行った。
*
ランの部屋はランらしい部屋だった。
ベッドにはアイシャにもらった、あまり可愛いとは言い難い微妙な顔のウサギのぬいぐるみが置いてあり、小さなテーブルにはニックからお裾分けされた花が生けられた花瓶が置いてある。
それから花瓶の横には、どこかの狡い男が17歳の誕生日にくれた、ストックの花をモチーフにした髪飾りが箱に入れたまま飾られていた。
「結婚式の準備で忙しい最中、時間を見つけて買いに行ったのになぁ……」
そういえば、一度もつけたところを見たことがない。
テオドールは髪飾りにそっと触れた。
「……つけないんですか?」
まるでつけて欲しいみたいな言い方だ。
テオドールは口を滑らせたと思ったのか、咄嗟に口元を押さえた。
ランはベッドに腰掛け、足を組むとそんな彼を嘲笑う。
「いざという時、高く売れそうなのでそのまま置いているんです」
「それ、あげた本人を前に言うことじゃないよ?」
らしいと言えば、らしいのだが。できれば売らないで欲しい。
テオドールは髪飾りを手に取り、苦笑した。
「今、つけてもらえませんか?」
「いやです」
「そう言わないで。僕も売られるのは流石に嫌なので」
使用済みになれば、それだけ価値も下がる。テオドールはランの髪を耳にかけて、こめかみの辺りに髪飾りをつけた。
「似合いますね」
やはり自分の見立ては間違っていなかった。
テオドールは嬉しそうにランを見下ろした。
すると、意外にもランは少しだけ頬を赤らめていた。
「…………君のその顔は初めて見たな」
とても気分がいい。
いつもしてやられてばかりだったから、俯いて恥ずかしそうにする姿は負かしてやった気になる。
「ラン……」
テオドールは手を髪飾りからランの顎へと滑らせ、顔を上げさせた。
顔を撫でられたランはピクリと体を強張らせる。
この反応は新鮮で、ついイタズラしたくなったテオドールはそのまま口元へと指を滑らせた。
指先で彼女の健康的なピンク色の唇を人差し指でそっとなぞる。
ランは恥ずかしさからか、目を逸らせた。
(……やめてほしい。気安く触らないでほしい)
そういう触り方は心臓に悪い。いつもこちらがどんな風に平静を装っているか、この男は一度でも考えたことがあるのだろうか。
ランはギュッと目を閉じた。
そして再び目を開けると、テオドールをキッと睨みつけた。
ーーーだいきらい
音には出さなかったがランはそう呟き、テオドールの指を思い切り噛んでやった。
「…………痛いんですけど」
悲鳴を上げなかったことを褒めて欲しい。
テオドールは噛まれた指をさすった。
「私、話があるって言いましたよね?変な気を起こさないでもらえます?」
「……別に起こしてないし」
「ああ、そうですか!」
あのまま流されていたら、手を出していたくせに。
口を尖らせて目を逸らすテオドールに、ランは苛立った。
「話って?」
「……リズさんのことです。テオ様が亡霊の身代わりなんてしても何の解決にもなりませんよ」
「…….ああ、聞いたのか。誰に?」
「ニックさん」
「ニックはやっぱり口が軽いですね。いやぁ、良くない。彼は昔から……」
「話を逸らさないで!」
この期に及んで逃げようとするテオドールをランは一喝した。
テオドールは気まずそうに足元へと視線を落とす。
「あなたがテオバルトさんの代わりになっても、リズさんは彼から解放されません」
ストレートに、真正面から痛いところをついてくるランに、テオドールは舌を鳴らした。
せめてもう少しオブラートに包んでくれればいいのにと思う。
「……そんなことはわかってる。でもどうしようもないだろ」
「どうしようもなくない。やり方なんていくらでもあるし、何なら彼の幻影を今も追わせ続けている方が問題だわ」
死者とは過去だ。本当に責任を取りたいと思うのなら、テオドールはリズベットが現実を見れるように導いてやるべきだ。
ただ真綿に包んで甘やかして、依存先になってやるのは正しくない。
そんなこと、彼の頭ならわかりそうなものなのに。それをしない理由は分かりきっている。
ランはジッとテオドールの真紅の瞳を見据えた。
「……テオ様は結局、自分が一番大事なんですよ」
「……は?」
これは聞き捨てならない。テオドールの眉が苛立ったようにピクリと動く。
だがランは引かない。
「責任責任って言うけど、誰か一人でもあなたに戦争の責任を背負わせた人がいたんですか?テオバルトさんが死んだのだって、あなたがした事はどうせ後退する彼らを見つけてしまったとか、その程度でしょう?違います?」
「違わない……、けど……」
「けど、何よ」
「でも、あの時。僕がリズの存在を上官に伝えなければ、彼は死ななかった」
「そんなのわからないじゃない。あなたが伝えなくてもその上官が自分で気づいたかもしれないじゃない。戦時中のことを振り返って『たられば』の話してもキリがないでしょう。そのくらいは戦争を経験していない私でもわかるわ」
「……うるさいよ。そんなこと言われなくともわかってる」
「いいえ、わかってない。わかってないから言ってる。大体、そんなに責任を取りたいならいっそ殺されてやればいいじゃない。全部ぶちまけてリズさんの手で葬ってもらえばいいのよ」
「……そんなこと、させられないだろ」
「させられないんじゃなくて出来ないだけでしょ。生への執着を捨てることも出来なければ、全部知られて彼女に嫌われることも出来ない。だから今、こんなことになってるのよ」
「違う」
「私には、あなたのしていることが全部、自分のためにやっているようにしか見えない」
「そんなことない」
「贖罪だと、自分を罰したくて仕方がなくて。誰にも許されたくなくて。でもみんなあなたの事情を知らないから、あなたに笑いかけるし、騎士団長とか旦那様とか、あなたの事情を知る人は何故かあなたを許す。だからリズさんに縋ってるのよ」
「違うよ」
「彼女のそばにいれば自分が罪人なのだと思い知ることができるから、だから亡霊のフリなんてしてるの」
「違うってば」
「いい加減、自己満足な贖罪にリズさんを巻き込むのはやめたら?この関係に依存してるのは彼女じゃない。あなたの方よ」
「違うって言ってるだろ!!」
テオドールは珍しく声を荒げた。
ランは奥歯をギリっと鳴らし、それに乗せられるように自分も声を荒げる。
「じゃあ、どう違うのよ!違うっていうならどう違うのか説明してみなさいよ!ちゃんと自分の言葉で自分の本心を語ってみなさいよ!嘘偽りのないあなたの本心を聞かせてよ!そうしたら……」
そうしたら、手を貸してやるのに。
こんな年下の自分にさえ甘えてくるのは、心が悲鳴をあげているから。もう限界だと言っているから。
ランはそれがわかっている。だから何も言わなかったし、抵抗することなく素直に拠り所になってやっていた。
けれど、ただ隣にいるだけなら、ただ何も言わずに抱きしめられて癒しを与えるだけの存在ならば、それこそ愛玩動物としてのウサギで十分だ。
ランは人間だ。テオドールと話すことも、彼の話を聞くこともできる。
アドバイスを求めるなら答えてやれるし、ただ愚痴を聞いて欲しいだけなら黙って聞いてやる。
一緒に悩んで、考えて、答えを見つける手助けくらいしてやれる。
「助けてって言えばいいじゃん……」
救いを求めない奴にいくら手を差し伸べても無駄だ。相手にその手を取る気がないのだから、こちらがどれだけ心を砕いたところで何も変わらない。
だから、そんなに辛そうな顔をするのなら、差し伸べられた手をちゃんと取ってほしい。
ランは少しだけ泣きそうな顔をして、テオドールに手を伸ばした。
けれど、ランの思いも虚しく。その手は振り払われた。
テオドールがリズベットの部屋を出ると、そこには寝巻き姿のランがいた。
髪を結っていない彼女は壁にもたれかかるようにして立ち、腕組みをしてこちらをじっと見つめている。かなり機嫌が悪そうだ。
テオドールはこのまま気づかないふりをして自室に帰れないものかと、一瞬だけ考えた。
だが、その思考さえ見透かされており、ランは低い声でポツリと呟く。
「逃げたら殺す」
体格差とか諸々を踏まえても絶対、何があってもこの小娘に殺されるなどあり得ないのだけれど、テオドールはどうしてだか命の危険を感じた。
やはり女は怒らせると怖い。
「な、何か?」
「話があります。ついてきて」
「はい……」
どちらが上司なのかわからない。
テオドールはランに言われるがまま、彼女の後をついて行った。
*
ランの部屋はランらしい部屋だった。
ベッドにはアイシャにもらった、あまり可愛いとは言い難い微妙な顔のウサギのぬいぐるみが置いてあり、小さなテーブルにはニックからお裾分けされた花が生けられた花瓶が置いてある。
それから花瓶の横には、どこかの狡い男が17歳の誕生日にくれた、ストックの花をモチーフにした髪飾りが箱に入れたまま飾られていた。
「結婚式の準備で忙しい最中、時間を見つけて買いに行ったのになぁ……」
そういえば、一度もつけたところを見たことがない。
テオドールは髪飾りにそっと触れた。
「……つけないんですか?」
まるでつけて欲しいみたいな言い方だ。
テオドールは口を滑らせたと思ったのか、咄嗟に口元を押さえた。
ランはベッドに腰掛け、足を組むとそんな彼を嘲笑う。
「いざという時、高く売れそうなのでそのまま置いているんです」
「それ、あげた本人を前に言うことじゃないよ?」
らしいと言えば、らしいのだが。できれば売らないで欲しい。
テオドールは髪飾りを手に取り、苦笑した。
「今、つけてもらえませんか?」
「いやです」
「そう言わないで。僕も売られるのは流石に嫌なので」
使用済みになれば、それだけ価値も下がる。テオドールはランの髪を耳にかけて、こめかみの辺りに髪飾りをつけた。
「似合いますね」
やはり自分の見立ては間違っていなかった。
テオドールは嬉しそうにランを見下ろした。
すると、意外にもランは少しだけ頬を赤らめていた。
「…………君のその顔は初めて見たな」
とても気分がいい。
いつもしてやられてばかりだったから、俯いて恥ずかしそうにする姿は負かしてやった気になる。
「ラン……」
テオドールは手を髪飾りからランの顎へと滑らせ、顔を上げさせた。
顔を撫でられたランはピクリと体を強張らせる。
この反応は新鮮で、ついイタズラしたくなったテオドールはそのまま口元へと指を滑らせた。
指先で彼女の健康的なピンク色の唇を人差し指でそっとなぞる。
ランは恥ずかしさからか、目を逸らせた。
(……やめてほしい。気安く触らないでほしい)
そういう触り方は心臓に悪い。いつもこちらがどんな風に平静を装っているか、この男は一度でも考えたことがあるのだろうか。
ランはギュッと目を閉じた。
そして再び目を開けると、テオドールをキッと睨みつけた。
ーーーだいきらい
音には出さなかったがランはそう呟き、テオドールの指を思い切り噛んでやった。
「…………痛いんですけど」
悲鳴を上げなかったことを褒めて欲しい。
テオドールは噛まれた指をさすった。
「私、話があるって言いましたよね?変な気を起こさないでもらえます?」
「……別に起こしてないし」
「ああ、そうですか!」
あのまま流されていたら、手を出していたくせに。
口を尖らせて目を逸らすテオドールに、ランは苛立った。
「話って?」
「……リズさんのことです。テオ様が亡霊の身代わりなんてしても何の解決にもなりませんよ」
「…….ああ、聞いたのか。誰に?」
「ニックさん」
「ニックはやっぱり口が軽いですね。いやぁ、良くない。彼は昔から……」
「話を逸らさないで!」
この期に及んで逃げようとするテオドールをランは一喝した。
テオドールは気まずそうに足元へと視線を落とす。
「あなたがテオバルトさんの代わりになっても、リズさんは彼から解放されません」
ストレートに、真正面から痛いところをついてくるランに、テオドールは舌を鳴らした。
せめてもう少しオブラートに包んでくれればいいのにと思う。
「……そんなことはわかってる。でもどうしようもないだろ」
「どうしようもなくない。やり方なんていくらでもあるし、何なら彼の幻影を今も追わせ続けている方が問題だわ」
死者とは過去だ。本当に責任を取りたいと思うのなら、テオドールはリズベットが現実を見れるように導いてやるべきだ。
ただ真綿に包んで甘やかして、依存先になってやるのは正しくない。
そんなこと、彼の頭ならわかりそうなものなのに。それをしない理由は分かりきっている。
ランはジッとテオドールの真紅の瞳を見据えた。
「……テオ様は結局、自分が一番大事なんですよ」
「……は?」
これは聞き捨てならない。テオドールの眉が苛立ったようにピクリと動く。
だがランは引かない。
「責任責任って言うけど、誰か一人でもあなたに戦争の責任を背負わせた人がいたんですか?テオバルトさんが死んだのだって、あなたがした事はどうせ後退する彼らを見つけてしまったとか、その程度でしょう?違います?」
「違わない……、けど……」
「けど、何よ」
「でも、あの時。僕がリズの存在を上官に伝えなければ、彼は死ななかった」
「そんなのわからないじゃない。あなたが伝えなくてもその上官が自分で気づいたかもしれないじゃない。戦時中のことを振り返って『たられば』の話してもキリがないでしょう。そのくらいは戦争を経験していない私でもわかるわ」
「……うるさいよ。そんなこと言われなくともわかってる」
「いいえ、わかってない。わかってないから言ってる。大体、そんなに責任を取りたいならいっそ殺されてやればいいじゃない。全部ぶちまけてリズさんの手で葬ってもらえばいいのよ」
「……そんなこと、させられないだろ」
「させられないんじゃなくて出来ないだけでしょ。生への執着を捨てることも出来なければ、全部知られて彼女に嫌われることも出来ない。だから今、こんなことになってるのよ」
「違う」
「私には、あなたのしていることが全部、自分のためにやっているようにしか見えない」
「そんなことない」
「贖罪だと、自分を罰したくて仕方がなくて。誰にも許されたくなくて。でもみんなあなたの事情を知らないから、あなたに笑いかけるし、騎士団長とか旦那様とか、あなたの事情を知る人は何故かあなたを許す。だからリズさんに縋ってるのよ」
「違うよ」
「彼女のそばにいれば自分が罪人なのだと思い知ることができるから、だから亡霊のフリなんてしてるの」
「違うってば」
「いい加減、自己満足な贖罪にリズさんを巻き込むのはやめたら?この関係に依存してるのは彼女じゃない。あなたの方よ」
「違うって言ってるだろ!!」
テオドールは珍しく声を荒げた。
ランは奥歯をギリっと鳴らし、それに乗せられるように自分も声を荒げる。
「じゃあ、どう違うのよ!違うっていうならどう違うのか説明してみなさいよ!ちゃんと自分の言葉で自分の本心を語ってみなさいよ!嘘偽りのないあなたの本心を聞かせてよ!そうしたら……」
そうしたら、手を貸してやるのに。
こんな年下の自分にさえ甘えてくるのは、心が悲鳴をあげているから。もう限界だと言っているから。
ランはそれがわかっている。だから何も言わなかったし、抵抗することなく素直に拠り所になってやっていた。
けれど、ただ隣にいるだけなら、ただ何も言わずに抱きしめられて癒しを与えるだけの存在ならば、それこそ愛玩動物としてのウサギで十分だ。
ランは人間だ。テオドールと話すことも、彼の話を聞くこともできる。
アドバイスを求めるなら答えてやれるし、ただ愚痴を聞いて欲しいだけなら黙って聞いてやる。
一緒に悩んで、考えて、答えを見つける手助けくらいしてやれる。
「助けてって言えばいいじゃん……」
救いを求めない奴にいくら手を差し伸べても無駄だ。相手にその手を取る気がないのだから、こちらがどれだけ心を砕いたところで何も変わらない。
だから、そんなに辛そうな顔をするのなら、差し伸べられた手をちゃんと取ってほしい。
ランは少しだけ泣きそうな顔をして、テオドールに手を伸ばした。
けれど、ランの思いも虚しく。その手は振り払われた。
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