未来から来た5歳児と始める、不器用パパの子育て逆転生活

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桜木さんからの返信は、翌日の昼過ぎに届いた。
俺が送った回りくどくて要領を得ないメールに対し、彼女の返信は驚くほど単刀直入だった。

『相生さん、こんにちは。そういうことでしたら、百聞は一見に如かずですよ。今週の土曜日、うちの息子と駅前のファミレスでランチでもどうですか。キッズスペースもありますし、お子さん同士すぐに仲良くなれると思いますよ』

その提案に、俺の心臓は跳ね上がった。
他人の子供と、ランチ。

考えただけで、胃がキリキリと痛む。
嘘を重ねなければならない気まずさと、ボロが出てしまうかもしれない恐怖。

だが、断るという選択肢はなかった。
これはヒナが社会と繋がるための、千載一遇のチャンスかもしれない。
俺は『是非、お願いします』とだけ簡潔に返信した。

土曜日、俺は生まれて初めて、子供を連れてファミレスに行くというミッションに挑んでいた。
ヒナには、うさぎの絵がついた一番お気に入りのワンピースを着せた。
俺自身もいつものモノトーンの服装ではなく、少しでも「人の良さそうな叔父」に見えるように明るい色のシャツを選んだ。
鏡に映った自分は、ひどく落ち着きがなく滑稽に見えた。

店に着くと、桜木さんはすでに席に座っていた。
彼女の隣には大きな目でこちらをじっと見つめる、ヒナと同じくらいの歳の男の子がいた。

「相生さん、こちらへ。ご紹介しますね、息子の、湊(みなと)です」

「こ、こんにちは。相生です。こっちが、姪のヒナです」

俺は、ぎこちなく頭を下げた。
ヒナは俺の後ろに隠れて、恥ずかしそうに湊くんを見ている。

最初は、どうなることかと思った。
だが子供というのは不思議な生き物だ。
お互いにもじもじとしていた二人がドリンクバーでオレンジジュースを並んで注いだだけで、あっという間に打ち解けた。
キッズスペースに駆け込んでいく二人の後ろ姿を見ながら、俺は安堵のため息を漏らした。

「大変ですね、姪御さんを預かるのも」

桜木さんが、にこやかに話しかけてくる。

「あ、はい。まあ、慣れないことばかりで」

「分かります。うちは夫の協力があるから何とかなってますけど、一人じゃ本当に目が回りますよね」

夫。
その単語に、俺は少しだけほっとした。

やはり、彼女は未来の「ママ」ではない。
ジカンの警告は、何か別の意味があるのだろう。
そう思った瞬間、心が軽くなるのを感じた。

俺は、桜木さんという人間そのものに興味を持ち始めていた。
仕事の時の、あの鋭いディレクターとしての顔。
そして今、目の前にいる優しい母親としての顔。
彼女は、どうやってその二つを両立させているのだろうか。
俺がデザインと育児の間で、こんなにも不様に引き裂かれているというのに。

「桜木さんは、すごいですね。仕事も子育ても、完璧にこなしていて」

俺が素直な感想を口にすると、彼女はきょとんとした顔をした。
そして、声を立てて笑った。

「やだ、相生さん。何言ってるんですか。完璧なわけないじゃないですか」

「え?」

「毎日、失敗ばっかりですよ。朝は戦争だし、夜は寝かしつけで自分も一緒に寝落ちしちゃうし。会社ではああやって偉そうにしてますけど、家に帰ればただのくたくたのお母さんです」

彼女はそう言って、少しだけ寂しそうに笑った。
その笑顔は俺が今まで見たことのない、彼女の脆い部分を垣間見せた気がした。

俺たちは、それからとりとめもない話をした。
子供の好きなアニメの話。なかなか寝ない時の、とっておきの裏技。
それは俺が今まで経験したことのない、温かくて実用的な情報に満ちた会話だった。
デザイナー「相生健人」ではなく、ただの「ヒナの保護者」として誰かと繋がる時間。
それは、心地よかった。
孤独な城に閉じこもっていた頃には、決して味わえなかった穏やかな連帯感だった。

キッズスペースでは、ヒナと湊くんがブロックを高く積み上げるのに夢中になっている。
ヒナのあんなに楽しそうな顔は、初めて見たかもしれない。

来て、よかった。
心の底から、そう思った。

その穏やかな空気を引き裂く事件が起きたのは、その直後だった。
店員が、湊くんの頼んだお子様ランチをテーブルに運んできた。
カラフルなプレートの上には、星形のポテトや旗の立ったチキンライスが乗っている。
そして、その中央に。
デミグラスソースのかかった、小さな煮込みハンバーグがあった。

それを見た瞬間、ヒナがぴたりと動きを止めた。
積み上げていたブロックを放り出し、テーブルに駆け寄ってくる。
そしてその小さな鼻を、くんくんと動かした。
次の瞬間、ヒナがぽつりと呟いた言葉に、俺は全身の血が凍りつくのを感じた。

「……ママの、においがする」

ママの、匂い。
ジカンの言葉が、脳内でリフレインする。
『未来におけるヒナの母親、つまりあなたの妻となる人物の、最も得意な料理は『煮込みハンバーグ』です』

俺は、目の前が真っ暗になるのを感じた。
嘘だろ。
そんな、馬鹿な。
桜木さんに、夫がいると聞いて安心したばかりじゃなかったのか。

「あら、ヒナちゃん、ハンバーグ好きなの?湊、少し分けてあげたら?」

桜木さんが、悪気なく言う。

「だ、大丈夫です!ヒナは、その、アレルギーが……」

俺は咄嗟に意味不明な嘘をついて、ヒナを自分の方に引き寄せた。
ヒナは不思議そうな顔で、俺とハンバーグを交互に見ている。

「パパ?なんで?」

俺は、ヒナに何と答えればいいのか分からなかった。
頭が、完全に混乱している。
もし、桜木さんが本当に未来の妻なのだとしたら?
彼女の隣にいる夫は、湊くんの父親は、どうなるんだ?

まさか未来で、何か悲劇が起こるというのか。
そしてその結果、俺と桜木さんが結ばれる?
それはつまり俺が、誰かの不幸の上に自分の幸せを築くということじゃないか。
そんな未来は、絶対に嫌だ。

大いなる悲しみ。
それは俺自身の孤独のことだけを、指しているのではなかったのか。
もしかしたら俺が回避すべきなのは、桜木さん一家に降りかかる何か大きな不幸のことなのではないか。
だとしたらジカンの警告の意味が、全く違う重みを持って俺にのしかかってくる。

彼女と関わるな。
それは俺の未来を守るためじゃない。
彼女の未来を、壊さないためだったのではないか。

俺は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

「……すみません、桜木さん。急用を思い出したので、これで失礼します」

俺は一方的にそう告げると、会計伝票を掴んで席を立った。

「え、相生さん?どうしたんですか、急に」

戸惑う桜木さんの声と、遊びの途中だったヒナの「いやだ、まだあそぶの!」という泣き声が背中に突き刺さる。
だが俺にはもう、そこに一秒でも長く留まることはできなかった。

ファミレスを飛び出し、ヒナを無理やり抱きかかえて早足で駅へ向かう。
腕の中で、ヒナは「パパのばか!」と泣きじゃくっている。

ごめん、ヒナ。
今は、何も説明できない。

俺の頭の中は恐怖と、罪悪感と、そしてまだ見ぬ誰かの不幸に対する途方もない責任感で、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていた。
煮込みハンバーグの、甘くて香ばしい匂いが鼻の奥に、いつまでもこびりついて離れなかった。
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