未来から来た5歳児と始める、不器用パパの子育て逆転生活

☆ほしい

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家に帰り着いた時、俺は心身ともに完全に疲弊していた。
ヒナは泣き疲れて、俺の腕の中で眠ってしまっている。
その寝顔は安らかだったが、俺の心は激しい嵐が吹き荒れるようだった。

ヒナをそっとベッドに寝かせ、俺はリビングで充電中のジカンの前に仁王立ちになった。

「説明しろ、ジカン」

俺は感情を押し殺し、静かに言った。

「桜木さんが、そうなのか。俺の、未来の妻なのか」

ジカンは数秒の沈黙の後、いつもと変わらない平坦な声で答えた。

「その問いに対して、肯定も否定もできません」

「ふざけるな!」

俺は、抑えていた感情を爆発させた。

「あんたは全部知ってるんだろ!彼女の夫は、どうなるんだ!俺は人の家庭を壊して、幸せになるような未来を望んでなんかない!」

俺の怒声にも、ジカンは全く動じなかった。

「未来は、未確定です。相生健人、あなたの選択が未来を形成します」

「選択だと?俺に、何を選べって言うんだ!」

「情報の過剰な開示は、あなたの自由意志を阻害し最良の未来から遠ざける可能性があります。それが、私の回答です」

暖簾に腕押し。
この機械仕掛けのぬいぐるみには、俺の焦りも苦しみも何も届かない。
俺は無力感に打ちひしがれ、その場に崩れるように座り込んだ。

もう、何もかもが分からない。
どうすれば、誰も不幸にならない未来にたどり着けるんだ。
俺が頭を抱えていた、その時だった。
ジカンの目が、再び淡い光を放った。

「ミッション遂行の膠着状態を打破するため、新たな参考情報を提示します。これはあなたが誤った選択をした場合に発生しうる、可能性の一つです」

目の前の空間が、陽炎のように揺らめく。
そしてそこに映し出されたのは、見慣れた、しかし荒れ果てた俺の部屋だった。
未来の、あの孤独な部屋だ。
観葉植物は枯れ果て、床には埃が積もっている。

だが今回は、何かが違った。
カメラは部屋に置かれたカレンダーを、ゆっくりと映し出す。
日付は、今から十年以上も先を示していた。

そして、次の瞬間。
カメラは、雨に濡れる窓の外に向けられた。
そこにはトレンチコートを着た女性の後ろ姿が、映っていた。
傘も差さずに雨の中を、ゆっくりと遠ざかっていく。
顔は、見えない。
だがそのトレンチコートの形には、見覚えがあった。
今日、桜木さんが着ていたものとよく似ていた。

映像は、そこでぷつりと途切れた。
俺は、息を飲む。
あれは、桜木さんなのか。
彼女が、俺の元から去っていく未来。
それとも、あれは全く別の誰かなのか。
あまりにも曖昧で、残酷な断片。
それは俺の混乱を、さらに加速させるだけだった。

俺は、震える手で顔を覆った。
もう、考えるのが怖かった。
一歩、足を踏み出すのが怖かった。

俺が絶望の淵で動けなくなっていると、不意に玄関のチャイムが鳴った。
こんな時間に、誰だ。
恐る恐るドアスコープを覗くと、そこに立っていたのは隣の部屋の老婦人だった。
俺は今の自分の顔を誰にも見られたくなかったが、無視するわけにもいかずドアを開けた。

「こんばんは。さっき、お嬢さんと帰ってこられた時なんだか、とても辛そうな顔をなさっていたから。心配になってしまって」

老婦人は優しい目で、俺の顔を覗き込んだ。

「……すみません。何でも、ないです」

「そう。それなら、いいのだけれど」

彼女は、それ以上は何も聞いてこなかった。
ただ静かに、こう続けた。

「子育てっていうのはね、先のことを考えすぎると動けなくなってしまうものよ。明日のご飯のこと、来年の誕生日のこと、十年後の進路のこと。考え始めたら、きりがないわ」

老婦人は自分の皺の刻まれた手を見つめながら、穏やかに言った。

「でもね子供は、未来のために生きてるんじゃない。今、この瞬間のために生きてるのよ」

彼女の言葉が俺の心の、固く凍りついた部分にじんわりと染み込んでいくようだった。

「だからねお父さんは、難しい顔して未来を憂うより、目の前の笑顔をただ見てあげていればいいの。今日の楽しかったことは何だったのか。今は、何をして遊びたいのか。その一つ一つに応えてあげることだけがきっと、一番正しい未来に繋がっていくんだと私は思うわ」

老婦人はにっこりと笑うと「お節介、焼きましたね」と言って、自分の部屋に戻っていった。
俺は閉まったドアの前で、しばらく立ち尽くした。

目の前の、笑顔。
俺ははっとして、リビングにいるヒナの元へ向かった。
ヒナはいつの間にか目を覚まし、床に広げたスケッチブックに何かを描いていた。
俺がそっと後ろから覗き込むと、そこには拙い線で描かれた四人の人物がいた。

俺と、ヒナ。
そして、桜木さんと湊くん。
四人がテーブルを囲んで、ニコニコ笑いながらハンバーグを食べている絵だった。
その絵には何の曇りも、悲しみも、複雑な未来への不安もなかった。
ただ、今日少しだけ一緒に遊んだ新しい友達とまた遊びたい、という純粋な願いだけがそこにあった。

それを見た瞬間、俺の中で何かがすとんと腑に落ちた。
そうだ。
俺は、何て馬鹿だったんだ。
未来の謎を解くことが、俺の仕事じゃない。
ジカンが見せる断片に、怯えることでもない。
俺の仕事は、この絵を守ることだ。
ヒナのこの純粋な願いを、叶えてやることだ。

たとえその先に、どんな未来が待っていようとも。
人との繋がりを恐れて、ヒナから笑顔を奪うことだけは絶対にしてはいけない。
それが、未来の孤独な俺を作らない唯一の方法なんだ。

俺は床に膝をつき、ヒナの隣に座った。

「ヒナ、上手だな。これ、またみんなで食べに行きたいのか?」

俺が尋ねると、ヒナはこくこくと力強く頷いた。

「うん!みなとくんと、またブロックやりたい!ハンバーグも、たべたい!」

その笑顔は、俺が進むべき道をはっきりと照らし出していた。
俺は、クレヨンを一本手に取った。
そしてヒナの描いた絵の背景に、大きな青い空を描き足してやった。

「よし。じゃあ今度、パパがもっと美味しいハンバーグ、作ってやるよ」

「ほんと!?」

「ああ。それから桜木さんにも、ちゃんと謝らないとな。今日の、お礼も言わなきゃ」

俺は自分の口から、自然とそんな言葉が出てくることに少しだけ驚いていた。
もう、迷わない。
俺は、繋がりを選ぶ。
たとえそれが、不確定な未来への入り口だとしても。

この小さな手を、離さないこと。
目の前の笑顔を、信じること。
それが俺が見つけ出した、たった一つのシンプルな答えだった。
俺はヒナの柔らかな髪を撫でながら、心の中でそっと決意を固めていた。
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