未来から来た5歳児と始める、不器用パパの子育て逆転生活

☆ほしい

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最終話

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ヒナがすっかり元気を取り戻した七月の初め。街は七夕の柔らかな飾りつけに彩られ始めていた。
マンションの近くにある昔ながらの商店街でも大きな笹の木が入り口に飾られ、道行く人が色とりどりの短冊に願い事を書き込んでいる。
ヒナは、その光景に目をきらきらと輝かせた。
「パパ、あれなあに?」
「七夕飾りだよ。あの紙にお願い事を書いて笹に吊るすと、願いが叶うって言われてるんだ」
俺がそう説明すると、ヒナは案の定「ヒナもやりたい!」と俺の手を強く引いた。
子供らしい純粋な好奇心。これくらいなら俺でも叶えてやれる。
俺はヒナを連れて、短冊が置かれているテーブルへと向かった。テーブルの上には赤、青、黄色、様々な色の短冊とマジックペンが用意されている。
俺はヒナに好きな色の短冊を選ばせた。
ヒナは迷わず綺麗な水色の短冊を手に取った。
「よし。じゃあ、何をお願いするんだ?」
俺が笑顔で尋ねると、ヒナはうーんと小さな頭を一生懸命に悩ませた。
そして、しばらく考えた後、俺の耳元に顔を寄せて小さな声でこう囁いた。
「……ママにあえますように」
その言葉が、俺の心にちくりと棘のように刺さった。
一番純粋で、一番切実なこの子の願い。だが、俺はその願いをこの誰でも見ることのできる短冊に書かせるわけにはいかなかった。
もし誰かが『どうして、ママに会えないの?』と悪気なく尋ねてきたら。
俺はどう答えればいい? この子の複雑な事情をどう説明すればいい?
それは、俺たちの秘密の核心に触れる行為だった。
俺は酷く狼狽した。そして、父親として最低の嘘をついた。
「あー、ヒナ。それはな、すごく大きなお願いだから七夕様もちょっと困っちゃうかもしれないな」
「そうなの?」
ヒナはきょとんとした顔で俺を見上げた。
「ああ。七夕のお願いはな、もっとこう、小さいお願い事の方が叶いやすいんだ。例えば、かけっこが速くなりますように、とか。ピーマンが食べられるようになりますように、とか」
我ながらなんて下手な嘘だろう。
俺は自分の不甲斐なさに自己嫌悪を覚えた。この子のたった一つの純粋な願いを、大人の勝手な都合で捻じ曲げようとしている。
ヒナは俺の言葉を素直に信じたようだった。
少しだけがっかりした顔をしたが、すぐに「じゃあ、ヒナこれにする!」と言った。
「ハンバーグがじょうずにやけるようになりますように、だって!」
それは先日、俺がハンバーグ作りに苦戦しているのを見ていたからだろう。
健気な、ヒナなりの気遣いだった。
俺は胸が締め付けられるのを感じながら、「そうか。いいお願いだな」と言って、ヒナの代わりにその願いを短冊に書き込んだ。
俺も自分の短冊に当たり障りのない願い事を書く。
『仕事がうまくいきますように』
俺たちは二つの嘘の願い事を書いた短冊を、並べて笹の枝に結びつけた。
風に揺れるたくさんの短冊。その中に、俺たちのささやかな嘘が紛れ込んでいく。
ヒナはそれを見て満足そうに笑っていた。
だが、俺の心の中には冷たい隙間風が吹いていた。
このままじゃ駄目だ。俺はこの子の心を守らなければならない。
たとえそれがどんなに不器用な方法だったとしても。

その夜、俺は仕事帰りに花屋に寄り、一本の小さな笹の枝を買った。
部屋に帰ると、色画用紙を短冊の形に切りヒナを呼ぶ。
「ヒナ。これはな、俺たちだけの特別な七夕だ」
俺はそう言って、笹の枝をリビングに飾った。ヒナはぽかんとした顔でそれを見ている。
「ここになら、どんなに大きなお願い事を書いても大丈夫だ。七夕様もきっとびっくりしない」
俺はヒナに新しい水色の短冊とペンを手渡した。
ヒナは俺の意図をすぐに理解したようだった。その顔は、みるみるうちにぱあっと明るくなる。
そして今度は誰に遠慮することもなく、大きな声で言った。
「ヒナ、かく! 『ママにあえますように』って、かく!」
俺はヒナの小さな手を取りながら、一文字一文字、丁寧にその願いを短冊に書き記した。それはヒナの魂からの叫びのように見えた。
書き終えた短冊を、二人で笹の一番高いところに結びつける。
ヒナはそれを本当に嬉しそうに見上げていた。その姿を見て、俺はこれでよかったんだと心の底から思った。
「パパもかいて」
ヒナが俺に短冊を差し出した。
俺の本当の願い。
俺はペンを取り、少しだけ考えた。
未来の悲しみを回避したい。それはもちろんそうだ。
だが、今、俺が心から願うことは。
俺は短冊にこう書き込んだ。
『ヒナが毎日、心から笑って過ごせますように』
それが、俺の偽りのないたった一つの願いだった。
俺は、その短冊をヒナの願い事の隣にそっと結んだ。
水色の短冊と、俺の若草色の短冊。
二つの本当の願いが、静かなリビングで寄り添うように揺れている。
俺たちは何も喋らなかった。ただ二人でその光景をじっと見つめていた。
それは少しだけ切なくて、でも、どうしようもなく温かい時間だった。
社会のルールや常識からは少しだけ外れているかもしれない。
でも、これが俺たちだけの新しい「普通」なのだ。
俺たちはこうやって二人だけのささやかな記念日を、一つ一つ積み重ねていく。
そうやって、未来へと歩いていくのだ。
俺はヒナの柔らかな髪を撫でながら、心の中で強くそう誓っていた。
窓の外では、本物の七夕の夜空が静かに広がっていた。
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