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石の扉に触れた瞬間、ひやりとした冷気が私の指先から伝わってきた。それは単なる物理的な冷たさではない。生命の温もりそのものを吸い取るような、不快で冒涜的な感覚だった。扉の表面には、古代の文字らしきものがびっしりと刻まれているが、長い年月の間に摩耗が進み、そのほとんどが判読不能になっていた。
「エリアーナ様、お下がりください。まずは我々が先行し、内部の安全を確保します」
グレゴール隊長が、ヴァイスランド鋼の大盾を構えながら毅然として私の前に立った。彼の後ろでは、防衛隊の兵士たちがすでに臨戦態勢を整えている。初めての実戦で圧倒的な勝利を収めた彼らの顔には確かな自信が満ち溢れていたが、目の前の遺跡が放つ異様な雰囲気には、さすがに緊張を隠せないでいるようだった。
「ありがとう、グレゴール隊長。でも、この扉は物理的な力では開かないわ。それに、内部にはおそらく、巧妙な罠がいくつも仕掛けられているはず。私が先に行きます」
私は創成魔法を使い、扉の構造と、その向こう側に広がる空間の情報を読み取ろうと試みた。私の魔力が、分厚い石の扉を透過し、見えない触手のように内部へと浸透していく。
……なるほど。この扉には、特定の魔力の波長にのみ反応する、古代の封印が施されている。そして、その先には長い通路が続き、そこには侵入者を阻むための悪意に満ちた仕掛けがいくつも配置されているようだった。
「これは、一種の霊廟、あるいは何かを封じ込めるための施設のようね」
私は分析結果を皆に伝え、封印を解くために魔力を集中させた。私の指先から、淡い翠色の光が放たれる。その光は、扉に刻まれた古代文字の溝をなぞるように、生命の奔流のごとく広がっていった。すると、忘れ去られていた文字が一つ、また一つと数千年の眠りから覚めるように光を放ち始め、やて扉全体がまばゆい光に包まれた。
ゴゴゴゴゴ……。
重々しい音を立てて、数百年、あるいは数千年も固く閉ざされていたであろう石の扉が、ゆっくりと内側へと開いていった。
開かれた扉の向こうからは、かび臭い澱んだ空気が、まるで溜息のように流れ出してくる。そして、先ほどよりもさらに強い、邪悪な魔力の奔流が、私たちを威圧するように吹き付けた。
「ひっ……!」
数人の若い兵士が、その禍々しい気に当てられ、思わず後ずさった。
「怯むな!エリアーナ様をお守りしろ!」
グレゴール隊長が檄を飛ばし、兵士たちはなんとか体勢を立て直す。
私は、そんな彼らに安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫。この程度の気、ヴァイスランドの民には効きませんよ。さあ、行きましょう。全ての元凶を、断ち切りに」
私はシラスを伴って、躊躇なく暗い遺跡の内部へと足を踏み入れた。グレゴール隊長と防衛隊が、すぐさま後に続く。ダグラス殿も、固唾を飲んで私たちの背中を見守っていた。
通路の壁には、等間隔で魔力によって灯る石がはめ込まれており、ぼんやりと青白い光で足元を照らしている。壁には、この遺跡が作られた目的を示すであろう壁画が描かれていた。それは、天から降り注ぐ災厄と、それを封じ込めようとする古代の人々の、絶望的な戦いの物語のようだった。
しばらく進むと、最初の罠が私たちを待ち受けていた。
床の一部が、わずかに他よりも色が変わっている。私がそれに気づき、足を止めた瞬間、グレゴール隊長が鋭く叫んだ。
「伏せろ!」
その声と同時に、左右の壁から、無数の矢が凄まじい勢いで放たれた。兵士たちは、日頃の厳しい訓練通りに即座に地面に伏せ、あるいは大盾で身を守る。
カンカンカン!と、矢が盾や鎧に弾かれる音が、通路に響き渡った。矢の先端には、黒く変色した毒が塗られているようだった。ヴァイスランド鋼の鎧でなければ、その一撃で即死していただろう。
「……見事な反応速度ね、グレゴール隊長」
私が称賛すると、彼は少し照れたように頬をかいた。
「いえ、エリアーナ様が先に気づいてくださったおかげです。しかし、厄介な仕掛けが続きますな」
私たちは、その後も落とし穴や、毒ガスが噴出する罠などを、私の創成魔法による事前察知と、兵士たちの見事な連携で次々と突破していった。彼らは、この実戦を通して、驚くべき速さで成長しているようだった。
遺跡は、地下へと向かって螺旋状に続いていた。下へ行けば行くほど、邪悪な魔力は濃密になっていく。そして、私たちはついに、広大な円形の広間へとたどり着いた。
その広間の中央には、黒曜石で作られた巨大な祭壇が鎮座しており、その上には、どす黒い水晶のようなものが、不気味な光を放ちながら浮かんでいた。
ゴードン領の魔力を吸い上げていたのは、間違いなくこの水晶だ。その表面には、無数の苦悶の表情が浮かび上がっては消え、内部からは、禍々しい魔力が絶えず漏れ出している。
そして、その祭壇を守るように、一体の異形の存在が立っていた。
それは、かつては人間だったのかもしれない。しかし、今はその面影はなく、全身が黒い瘴気に包まれ、その背からは、ねじくれた骨のような翼が生えていた。手には、闇そのものを凝縮したかのような、巨大な鎌を握っている。
「……ようやく来たか。ヴァイスランドの小娘」
その存在が、地の底から響くような、おぞましい声で言った。その声は、男のようでもあり、女のようでもあった。
「貴様が、この土地の異変を引き起こしている元凶か」
私は、冷静に問い返した。その存在からは、これまで出会ったどの魔物とも比較にならないほどの、圧倒的な負の魔力を感じていた。
「いかにも。我が名はマルバス。偉大なる『あの方』の忠実なる僕。この地の大地の力を贄として捧げ、我が主の復活の礎を築く者なり」
マルバスと名乗る者は、ゆっくりと鎌を構えた。その目は、狂信者のように、昏い光を宿している。
「貴様の噂は、我らの耳にも届いていた。突如として北の地に現れ、神のごとき力で荒れ地を楽園に変えた、銀髪の聖女、と。ふん、笑わせる。その力、我が主のために捧げてもらうぞ」
「断る。その汚らわしい水晶と、貴様をここで破壊する」
私の言葉に、マルバスは耳障りな声で高らかに笑った。
「面白い!ならば、試してみるがいい!その力が、真の闇の前で、どこまで通用するかをな!」
マルバスの体が、黒い稲妻を迸らせながら、瞬時に私たちの目の前から消えた。
「――ッ!エリアーナ様、上です!」
グレゴール隊長が叫ぶ。見上げると、マルバスが広間の天井に張り付き、私たちを見下ろしていた。そして、その手にした大鎌を、私めがけて投げつけてきた。
シュンッ、という音と共に、黒い斬撃が空間そのものを切り裂きながら、私に襲いかかる。
『主よ!』
シラスが、私を庇うように前に飛び出した。しかし、私は彼を手で制し、自分自身でその攻撃に対処することにした。
私は、創成魔法を発動させ、目の前の空間に、ヴァイスランド鋼よりもさらに高密度の、透明な壁を瞬時に創り上げた。
キィィィン!
黒い斬撃は、透明な壁に激突し、甲高い音を立てて霧散した。壁には、傷一つついていない。
「なっ……!?」
マルバスが、驚愕の声を上げる。自分の必殺の一撃が、いとも簡単に防がれたことが信じられないようだった。
「その程度の力で、私に勝てると思ったか」
私は、創り出した壁を消し去ると、今度は反撃に転じた。
両手を前に突き出し、この遺跡内に満ちる、清浄な魔力――古代の人々が災厄を封じ込めるために遺した、聖なる力を集束させていく。私の手の中に、太陽のように眩い光の球体が現れた。
「古代の勇者たちの祈り、そしてこの大地そのものの怒り。その重さを、その身で味わうがいい」
「小賢しい真-ねを!」
マルバスは、再び姿を消し、今度は防衛隊の兵士たちの方へ瞬時に移動した。彼の狙いは、私ではなく、私の仲間たちだった。
「まずは、その目障りな雑兵どもから片付けてくれる!」
マルバスが、兵士の一人に鎌を振り下ろす。その兵士は、恐怖に顔を引きつらせながらも、必死に盾を構えた。
だが、マルバスの鎌が彼に届くことはなかった。
彼の目の前に、いつの間にか移動していたグレゴール隊長が割って入り、その大盾で鎌の一撃を受け止めていたのだ。
ガキィィン!
凄まじい衝撃に、グレゴール隊長の体が数メートルも吹き飛ばされる。しかし、彼は見事に受け身を取り、すぐさま体勢を立て直した。彼の盾には、深い亀裂が入っていたが、完全に破壊されるまでには至っていない。
「……ほう。ただの雑兵ではないようだな。面白い」
マルバスが、感心したように言う。
「エリアーナ様の兵士を、なめるなよ、化け物め!」
グレゴール隊長は、部下を庇いながら、力強く言い放った。彼のその勇敢な姿に、他の兵士たちも勇気を取り戻し、一斉にマルバスを取り囲むように陣形を組んだ。
「愚かな。数の利で、この私をどうこうできるとでも?」
マルバスが嘲笑った、その瞬間だった。
彼の足元の地面が、突如として泥沼のように変化し、その動きを封じた。私が、広間の床の構造を、創成魔法で作り変えたのだ。
「な、何だこれは!?」
足を取られ、身動きが封じられたマルバスに、兵士たちの攻撃が殺到する。
「喰らえ!」
ヴァイスランド鋼の剣と槍が、一斉にマルバスの体に突き立てられた。しかし、その刃は、マルバスの体を覆う黒い瘴気に阻まれ、致命傷を与えるには至らない。
「無駄だと言っている!」
マルバスが咆哮すると、その体から黒い衝撃波が放たれ、周囲の兵士たちを吹き飛ばした。
しかし、その隙を、シラスが見逃すはずがなかった。
銀色の狼は、衝撃波をものともせず、マルバスの懐へと潜り込むと、その背中に生えた不気味な翼の一つに、鋭い牙を突き立てた。
「ぐあああああっ!」
マルバスが、初めて苦痛の声を上げた。翼を食いちぎられ、バランスを崩した彼の体に、私は容赦なく、先ほど集束させておいた光の球体を叩きつけた。
「聖なる光に浄化されなさい!――『グランドクロス』!」
十字の閃光が、広間全体を白く染め上げる。
聖なる光の奔流に飲み込まれたマルバスは、断末魔の叫びを上げながら、その体が塵となって消滅していった。
「ば、馬鹿な……この私が……偉大なる『あの方』の復活を……見届ける……こと……なく……」
その言葉を最後に、マルバスは完全に消え去った。
広間に、静寂が戻る。残されたのは、不気味な光を放ち続ける、黒い水晶だけだった。
「……終わった、のか?」
一人の兵士が、呆然と呟いた。
私たちは、強敵を打ち破ったのだ。誰も、命を落とすことなく。
「いや、まだよ。あれを破壊しない限り、この土地は救われない」
私は、祭壇の上に浮かぶ黒い水晶を見据えた。あれこそが、全ての元凶。マルバスは、ただの番人に過ぎなかったのだ。
私が水晶に近づこうとした、その時。
水晶が、これまで以上に激しく脈動を始めた。そして、その表面に亀裂が走り、中から、さらに濃密な闇が溢れ出してきた。
ゴゴゴゴゴ……。
遺跡全体が、激しく揺れ始める。天井から、岩盤が崩れ落ちてきた。
「いけない!この遺跡、崩れるわ!」
水晶が、自らの破壊を悟り、道連れにこの場所を破壊しようとしているのだ。
「全員、急いで外へ!ここは私が!」
私は、兵士たちに脱出を促した。グレゴール隊長は、「しかし、エリアーナ様!」と食い下がろうとしたが、私は彼の肩を強く掴んだ。
「これは命令です!彼らを連れて、無事に地上へ戻りなさい!あなたたちの命は、ヴァイスランドの宝です!」
私のその真剣な眼差しに、彼は唇を噛み締め、そして、深く頷いた。
「……御意!必ずや、全員を!」
グレゴール隊長は、兵士たちを率いて、崩れ落ちる瓦礫を避けながら、来た道を急いで引き返していく。
広間には、私とシラスだけが残された。
『主よ、どうするのだ?あれは、相当に厄介な代物だぞ。下手に手を出せば、この闇が地上に解き放たれるやもしれん』
シラスが、警戒を解かずに言った。
「ええ、分かっているわ。だから、完全に封じ込める。この遺跡そのものを、永遠の牢獄としてね」
私は、両手を地面につけた。そして、私の持つ魔力の全てを、この遺跡の土台となっている岩盤へと注ぎ込み始めた。
私の創成魔法の真髄。それは、万物を生み出すことだけではない。万物を、あるべき姿へと還し、そして、永遠に封じることにもある。
「この地に眠る、古代の勇者たちの魂よ。そして、このヴァイスランドの大地よ。私に力を貸して。この邪悪なるものを、二度と地上へ出すわけにはいかない!」
私の呼びかけに、大地が応えた。遺跡全体が、優しい翠色の光に包まれていく。それは、古代の人々が遺した、封印の力の残滓。そして、ヴァイスランドから流れ込んでくる、生命力に満ちた魔力だった。
私はその力を使い、この地下遺跡の構造そのものを、内側へと圧縮し、再構築していく。
黒い水晶が、断末魔の叫びのように、甲高い音を立てている。しかし、その闇が外へ漏れ出すことはない。周囲の岩盤が、水晶を飲み込むように、その上を覆っていくのだ。
やがて、広間全体が、一つの巨大な岩の塊へと変貌した。
邪悪な魔力は、完全にその内部へと封じ込められた。
「……終わったわね」
私が安堵のため息をついた、その時だった。
最後の力を振り絞ったのか、封印された岩塊から、一本の黒い光の矢が放たれ、私の肩を掠めていった。
「――っ!」
鋭い痛みが、左肩に走る。見ると、鎧の一部が溶け、その下の皮膚が黒く変色していた。呪いの一撃だ。
『主よ!』
シラスが、心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫……このくらい……」
私がそう言いかけた瞬間、足元の地面が、完全に崩落した。
私たちは、なすすべもなく、さらに深い地の底へと、落下していった。
「エリアーナ様、お下がりください。まずは我々が先行し、内部の安全を確保します」
グレゴール隊長が、ヴァイスランド鋼の大盾を構えながら毅然として私の前に立った。彼の後ろでは、防衛隊の兵士たちがすでに臨戦態勢を整えている。初めての実戦で圧倒的な勝利を収めた彼らの顔には確かな自信が満ち溢れていたが、目の前の遺跡が放つ異様な雰囲気には、さすがに緊張を隠せないでいるようだった。
「ありがとう、グレゴール隊長。でも、この扉は物理的な力では開かないわ。それに、内部にはおそらく、巧妙な罠がいくつも仕掛けられているはず。私が先に行きます」
私は創成魔法を使い、扉の構造と、その向こう側に広がる空間の情報を読み取ろうと試みた。私の魔力が、分厚い石の扉を透過し、見えない触手のように内部へと浸透していく。
……なるほど。この扉には、特定の魔力の波長にのみ反応する、古代の封印が施されている。そして、その先には長い通路が続き、そこには侵入者を阻むための悪意に満ちた仕掛けがいくつも配置されているようだった。
「これは、一種の霊廟、あるいは何かを封じ込めるための施設のようね」
私は分析結果を皆に伝え、封印を解くために魔力を集中させた。私の指先から、淡い翠色の光が放たれる。その光は、扉に刻まれた古代文字の溝をなぞるように、生命の奔流のごとく広がっていった。すると、忘れ去られていた文字が一つ、また一つと数千年の眠りから覚めるように光を放ち始め、やて扉全体がまばゆい光に包まれた。
ゴゴゴゴゴ……。
重々しい音を立てて、数百年、あるいは数千年も固く閉ざされていたであろう石の扉が、ゆっくりと内側へと開いていった。
開かれた扉の向こうからは、かび臭い澱んだ空気が、まるで溜息のように流れ出してくる。そして、先ほどよりもさらに強い、邪悪な魔力の奔流が、私たちを威圧するように吹き付けた。
「ひっ……!」
数人の若い兵士が、その禍々しい気に当てられ、思わず後ずさった。
「怯むな!エリアーナ様をお守りしろ!」
グレゴール隊長が檄を飛ばし、兵士たちはなんとか体勢を立て直す。
私は、そんな彼らに安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫。この程度の気、ヴァイスランドの民には効きませんよ。さあ、行きましょう。全ての元凶を、断ち切りに」
私はシラスを伴って、躊躇なく暗い遺跡の内部へと足を踏み入れた。グレゴール隊長と防衛隊が、すぐさま後に続く。ダグラス殿も、固唾を飲んで私たちの背中を見守っていた。
通路の壁には、等間隔で魔力によって灯る石がはめ込まれており、ぼんやりと青白い光で足元を照らしている。壁には、この遺跡が作られた目的を示すであろう壁画が描かれていた。それは、天から降り注ぐ災厄と、それを封じ込めようとする古代の人々の、絶望的な戦いの物語のようだった。
しばらく進むと、最初の罠が私たちを待ち受けていた。
床の一部が、わずかに他よりも色が変わっている。私がそれに気づき、足を止めた瞬間、グレゴール隊長が鋭く叫んだ。
「伏せろ!」
その声と同時に、左右の壁から、無数の矢が凄まじい勢いで放たれた。兵士たちは、日頃の厳しい訓練通りに即座に地面に伏せ、あるいは大盾で身を守る。
カンカンカン!と、矢が盾や鎧に弾かれる音が、通路に響き渡った。矢の先端には、黒く変色した毒が塗られているようだった。ヴァイスランド鋼の鎧でなければ、その一撃で即死していただろう。
「……見事な反応速度ね、グレゴール隊長」
私が称賛すると、彼は少し照れたように頬をかいた。
「いえ、エリアーナ様が先に気づいてくださったおかげです。しかし、厄介な仕掛けが続きますな」
私たちは、その後も落とし穴や、毒ガスが噴出する罠などを、私の創成魔法による事前察知と、兵士たちの見事な連携で次々と突破していった。彼らは、この実戦を通して、驚くべき速さで成長しているようだった。
遺跡は、地下へと向かって螺旋状に続いていた。下へ行けば行くほど、邪悪な魔力は濃密になっていく。そして、私たちはついに、広大な円形の広間へとたどり着いた。
その広間の中央には、黒曜石で作られた巨大な祭壇が鎮座しており、その上には、どす黒い水晶のようなものが、不気味な光を放ちながら浮かんでいた。
ゴードン領の魔力を吸い上げていたのは、間違いなくこの水晶だ。その表面には、無数の苦悶の表情が浮かび上がっては消え、内部からは、禍々しい魔力が絶えず漏れ出している。
そして、その祭壇を守るように、一体の異形の存在が立っていた。
それは、かつては人間だったのかもしれない。しかし、今はその面影はなく、全身が黒い瘴気に包まれ、その背からは、ねじくれた骨のような翼が生えていた。手には、闇そのものを凝縮したかのような、巨大な鎌を握っている。
「……ようやく来たか。ヴァイスランドの小娘」
その存在が、地の底から響くような、おぞましい声で言った。その声は、男のようでもあり、女のようでもあった。
「貴様が、この土地の異変を引き起こしている元凶か」
私は、冷静に問い返した。その存在からは、これまで出会ったどの魔物とも比較にならないほどの、圧倒的な負の魔力を感じていた。
「いかにも。我が名はマルバス。偉大なる『あの方』の忠実なる僕。この地の大地の力を贄として捧げ、我が主の復活の礎を築く者なり」
マルバスと名乗る者は、ゆっくりと鎌を構えた。その目は、狂信者のように、昏い光を宿している。
「貴様の噂は、我らの耳にも届いていた。突如として北の地に現れ、神のごとき力で荒れ地を楽園に変えた、銀髪の聖女、と。ふん、笑わせる。その力、我が主のために捧げてもらうぞ」
「断る。その汚らわしい水晶と、貴様をここで破壊する」
私の言葉に、マルバスは耳障りな声で高らかに笑った。
「面白い!ならば、試してみるがいい!その力が、真の闇の前で、どこまで通用するかをな!」
マルバスの体が、黒い稲妻を迸らせながら、瞬時に私たちの目の前から消えた。
「――ッ!エリアーナ様、上です!」
グレゴール隊長が叫ぶ。見上げると、マルバスが広間の天井に張り付き、私たちを見下ろしていた。そして、その手にした大鎌を、私めがけて投げつけてきた。
シュンッ、という音と共に、黒い斬撃が空間そのものを切り裂きながら、私に襲いかかる。
『主よ!』
シラスが、私を庇うように前に飛び出した。しかし、私は彼を手で制し、自分自身でその攻撃に対処することにした。
私は、創成魔法を発動させ、目の前の空間に、ヴァイスランド鋼よりもさらに高密度の、透明な壁を瞬時に創り上げた。
キィィィン!
黒い斬撃は、透明な壁に激突し、甲高い音を立てて霧散した。壁には、傷一つついていない。
「なっ……!?」
マルバスが、驚愕の声を上げる。自分の必殺の一撃が、いとも簡単に防がれたことが信じられないようだった。
「その程度の力で、私に勝てると思ったか」
私は、創り出した壁を消し去ると、今度は反撃に転じた。
両手を前に突き出し、この遺跡内に満ちる、清浄な魔力――古代の人々が災厄を封じ込めるために遺した、聖なる力を集束させていく。私の手の中に、太陽のように眩い光の球体が現れた。
「古代の勇者たちの祈り、そしてこの大地そのものの怒り。その重さを、その身で味わうがいい」
「小賢しい真-ねを!」
マルバスは、再び姿を消し、今度は防衛隊の兵士たちの方へ瞬時に移動した。彼の狙いは、私ではなく、私の仲間たちだった。
「まずは、その目障りな雑兵どもから片付けてくれる!」
マルバスが、兵士の一人に鎌を振り下ろす。その兵士は、恐怖に顔を引きつらせながらも、必死に盾を構えた。
だが、マルバスの鎌が彼に届くことはなかった。
彼の目の前に、いつの間にか移動していたグレゴール隊長が割って入り、その大盾で鎌の一撃を受け止めていたのだ。
ガキィィン!
凄まじい衝撃に、グレゴール隊長の体が数メートルも吹き飛ばされる。しかし、彼は見事に受け身を取り、すぐさま体勢を立て直した。彼の盾には、深い亀裂が入っていたが、完全に破壊されるまでには至っていない。
「……ほう。ただの雑兵ではないようだな。面白い」
マルバスが、感心したように言う。
「エリアーナ様の兵士を、なめるなよ、化け物め!」
グレゴール隊長は、部下を庇いながら、力強く言い放った。彼のその勇敢な姿に、他の兵士たちも勇気を取り戻し、一斉にマルバスを取り囲むように陣形を組んだ。
「愚かな。数の利で、この私をどうこうできるとでも?」
マルバスが嘲笑った、その瞬間だった。
彼の足元の地面が、突如として泥沼のように変化し、その動きを封じた。私が、広間の床の構造を、創成魔法で作り変えたのだ。
「な、何だこれは!?」
足を取られ、身動きが封じられたマルバスに、兵士たちの攻撃が殺到する。
「喰らえ!」
ヴァイスランド鋼の剣と槍が、一斉にマルバスの体に突き立てられた。しかし、その刃は、マルバスの体を覆う黒い瘴気に阻まれ、致命傷を与えるには至らない。
「無駄だと言っている!」
マルバスが咆哮すると、その体から黒い衝撃波が放たれ、周囲の兵士たちを吹き飛ばした。
しかし、その隙を、シラスが見逃すはずがなかった。
銀色の狼は、衝撃波をものともせず、マルバスの懐へと潜り込むと、その背中に生えた不気味な翼の一つに、鋭い牙を突き立てた。
「ぐあああああっ!」
マルバスが、初めて苦痛の声を上げた。翼を食いちぎられ、バランスを崩した彼の体に、私は容赦なく、先ほど集束させておいた光の球体を叩きつけた。
「聖なる光に浄化されなさい!――『グランドクロス』!」
十字の閃光が、広間全体を白く染め上げる。
聖なる光の奔流に飲み込まれたマルバスは、断末魔の叫びを上げながら、その体が塵となって消滅していった。
「ば、馬鹿な……この私が……偉大なる『あの方』の復活を……見届ける……こと……なく……」
その言葉を最後に、マルバスは完全に消え去った。
広間に、静寂が戻る。残されたのは、不気味な光を放ち続ける、黒い水晶だけだった。
「……終わった、のか?」
一人の兵士が、呆然と呟いた。
私たちは、強敵を打ち破ったのだ。誰も、命を落とすことなく。
「いや、まだよ。あれを破壊しない限り、この土地は救われない」
私は、祭壇の上に浮かぶ黒い水晶を見据えた。あれこそが、全ての元凶。マルバスは、ただの番人に過ぎなかったのだ。
私が水晶に近づこうとした、その時。
水晶が、これまで以上に激しく脈動を始めた。そして、その表面に亀裂が走り、中から、さらに濃密な闇が溢れ出してきた。
ゴゴゴゴゴ……。
遺跡全体が、激しく揺れ始める。天井から、岩盤が崩れ落ちてきた。
「いけない!この遺跡、崩れるわ!」
水晶が、自らの破壊を悟り、道連れにこの場所を破壊しようとしているのだ。
「全員、急いで外へ!ここは私が!」
私は、兵士たちに脱出を促した。グレゴール隊長は、「しかし、エリアーナ様!」と食い下がろうとしたが、私は彼の肩を強く掴んだ。
「これは命令です!彼らを連れて、無事に地上へ戻りなさい!あなたたちの命は、ヴァイスランドの宝です!」
私のその真剣な眼差しに、彼は唇を噛み締め、そして、深く頷いた。
「……御意!必ずや、全員を!」
グレゴール隊長は、兵士たちを率いて、崩れ落ちる瓦礫を避けながら、来た道を急いで引き返していく。
広間には、私とシラスだけが残された。
『主よ、どうするのだ?あれは、相当に厄介な代物だぞ。下手に手を出せば、この闇が地上に解き放たれるやもしれん』
シラスが、警戒を解かずに言った。
「ええ、分かっているわ。だから、完全に封じ込める。この遺跡そのものを、永遠の牢獄としてね」
私は、両手を地面につけた。そして、私の持つ魔力の全てを、この遺跡の土台となっている岩盤へと注ぎ込み始めた。
私の創成魔法の真髄。それは、万物を生み出すことだけではない。万物を、あるべき姿へと還し、そして、永遠に封じることにもある。
「この地に眠る、古代の勇者たちの魂よ。そして、このヴァイスランドの大地よ。私に力を貸して。この邪悪なるものを、二度と地上へ出すわけにはいかない!」
私の呼びかけに、大地が応えた。遺跡全体が、優しい翠色の光に包まれていく。それは、古代の人々が遺した、封印の力の残滓。そして、ヴァイスランドから流れ込んでくる、生命力に満ちた魔力だった。
私はその力を使い、この地下遺跡の構造そのものを、内側へと圧縮し、再構築していく。
黒い水晶が、断末魔の叫びのように、甲高い音を立てている。しかし、その闇が外へ漏れ出すことはない。周囲の岩盤が、水晶を飲み込むように、その上を覆っていくのだ。
やがて、広間全体が、一つの巨大な岩の塊へと変貌した。
邪悪な魔力は、完全にその内部へと封じ込められた。
「……終わったわね」
私が安堵のため息をついた、その時だった。
最後の力を振り絞ったのか、封印された岩塊から、一本の黒い光の矢が放たれ、私の肩を掠めていった。
「――っ!」
鋭い痛みが、左肩に走る。見ると、鎧の一部が溶け、その下の皮膚が黒く変色していた。呪いの一撃だ。
『主よ!』
シラスが、心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫……このくらい……」
私がそう言いかけた瞬間、足元の地面が、完全に崩落した。
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