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女剣士さんの青い瞳が零れ落ちんばかりに大きく見開かれる。
その唇がわなわなと震えていた。
「な……なんですか、これは……」
無理もない。
俺が作ったコーヒーはただのコーヒーではなかったのだから。
彼女は自分の腕に視線を落とした。
そこに在ったはずの深くて血に濡れた切り傷がみるみるうちに塞がっていく。
まるで早送り映像でも見ているかのようだ。
数秒後には傷跡一つない綺麗な肌に戻っていた。
「傷が……癒えていく……? それに、体の疲れが……抜けて……」
彼女は呆然と呟きながら自分の体を確かめるように何度も手を開いたり閉じたりしている。
その動きはさっきまでの弱々しさが嘘のように力強いものだった。
『ふふん。マスターのコーヒーの力、思い知りましたか!』
コアが俺の頭の中で得意げに胸を張っている。
「い、いらっしゃいませ!」
ここでようやく我に返ったゴブきちが慌ててお辞儀をした。
タイミングが遅すぎる。だが初めての実践だ。
大目に見よう。これも経験だ。
「お客様、お席はこちらでよろしかったでしょうか?」
俺は落ち着いて店のマスターとして話しかける。
女剣士さんははっとしたように顔を上げた。
そして俺と手の中のコーヒーカップを信じられないものを見るような目で見比べる。
「あ、あの……! このコーヒーは一体……? まるで高位の聖職者が使う最上級の回復魔法《ハイ・ヒール》のようです……! いいえ、それ以上の効果ですわ!」
興奮した様子で早口にまくしたてる。
まあその反応も当然か。
伝説級の回復薬なんて言われていたくらいだしな。
「さあどうでしょう。ただの自家焙煎コーヒーですが」
俺はにっこりと微笑んで答えた。
下手に説明するよりこれくらいの方がいいだろう。
「ただのコーヒー……? こんな奇跡のような飲み物が……?」
彼女はまだ納得がいかない様子だったが俺がそれ以上語る気がないことを察したのか口をつぐんだ。
そしてもう一口、恐る恐るコーヒーを口に運ぶ。
今度はその味に驚いたようだった。
「……美味しい……」
ぽつりとそんな呟きが漏れた。
さっきまでの驚きとは違う。
心からの感嘆の声だった。
「こんなに深くて豊かな香りのコーヒーは生まれて初めてですわ……」
うっとりと目を細めカップの中の液体を見つめている。
良かった。
回復効果だけでなく味もしっかりと評価してもらえたようだ。
喫茶店のマスターとしてこれほど嬉しいことはない。
「お口に合ったようで何よりです」
俺が言うと彼女はこくりと頷いた。
そしてメニューに視線を移す。
「あの……こちらのショートケーキというのも頂けますか?」
「はい、もちろんです」
俺は注文を受けると厨房に戻った。
ゴブきちは俺の後ろをちょこちょことついてくる。
「グギ……?」
どうした、とでも言いたげな顔だ。
「ゴブきち、よくやったな。初めてにしては上出来だ。次はケーキを運ぶ準備をしておいてくれ」
俺が頭を撫でてやるとゴブきちは少し照れたように、でも嬉しそうに頷いた。
俺はショーケースから作り置きしておいたショートケーキを一つ取り出す。
そして綺麗な皿に乗せフォークを添えてゴブきちに渡した。
「頼んだぞ。ゆっくり、慎重にな」
「グギィ!」
ゴブきちは任せろと言わんばかりに胸を叩くと真剣な面持ちでケーキを運び始めた。
小さな体で一生懸命、皿のバランスを取っている。
その姿はなんとも微笑ましい。
ゴブきちは女剣士さんのテーブルにたどり着くとことりと静かに皿を置いた。
完璧な仕事ぶりだ。
「お待たせいたしました」
俺が声をかけると女剣士さんは目の前のケーキに目を輝かせた。
「まあ、なんて可愛らしいお菓子……。雪のように白くて宝石のような果実が乗っていますわ」
イチゴのことだろう。
この世界では珍しいのかもしれない。
彼女はフォークを手に取るとそっとケーキに刃を入れた。
そして一口、ぱくりと口に運ぶ。
その瞬間、彼女の動きがぴたりと止まった。
今度はどんな反応を見せてくれるだろうか。
俺が固唾を飲んで見守っていると彼女の体から淡い光が溢れ出した。
「こ……これは……!? 体の底から力が湧き上がってくる……!」
驚愕の声を上げる彼女。
そうだろう、そうだろう。
そのケーキはSTRとAGIを一時的に上昇させるバフアイテムなのだから。
「信じられない……。こんなことあり得ないわ……。このお店は一体……? あなたは何者なのですか……?」
彼女の視線が真っ直ぐに俺を射抜く。
その瞳には警戒とそれ以上の好奇の色が浮かんでいた。
俺は困ったように笑いながら首を横に振った。
「俺はただの喫茶店のマスターですよ。名前はケンジと申します」
「ケンジ……様」
「様なんてやめてください。ただのケンジで結構です」
俺がそう言うと彼女は少し戸惑ったように視線を泳がせた。
そして改めて深々と頭を下げる。
「申し遅れました。わたくしは英梨奈《エリナ》と申します。一介の冒険者にすぎません」
「英梨奈《エリナ》さん、ですね。どうぞごゆっくり」
俺はそう言ってカウンターの中に戻った。
これ以上、客のプライベートに踏み込むのは野暮というものだ。
英梨奈《エリナ》さんはしばらくの間、呆然としていた。
だがやがて諦めたように息をつくと夢中になってケーキを食べ始めた。
よほど気に入ったのかあっという間に平らげてしまう。
そして残りのコーヒーをゆっくりと味わっていた。
その表情は店に来た時とは比べ物にならないほど穏やかで安らいで見える。
時折、店の内装を興味深そうに眺めたり床を掃除して回るぷるんの動きを目で追ったりしている。
ぷるんが近くを通ると少し驚いたように身を引いていたが危害を加えるつもりがないと分かると安心したようだった。
ゴブきちが空になった英梨奈《エリナ》さんのコップにお水を注ぎに行く。
英梨奈《エリナ》さんはにこりと微笑んで「ありがとう」と礼を言った。
ゴブきちは照れ隠しなのかぷいっとそっぽを向いてカウンターに戻ってきてしまう。
うん、店の雰囲気もだんだん様になってきたな。
俺は満足して洗い物を始めた。
しばらくすると英梨奈《エリナ》さんが意を決したように立ち上がった。
そしてカウンターまでやってくる。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったわ。命を救われたと言っても過言ではありません」
「お粗末様でした。そう言っていただけると嬉しいです」
「それで……お代はおいくらになりますか? 正直これほどの奇跡を体験して持ち合わせで足りるかどうか……。金貨百枚でも安いくらいですわ」
金貨百枚。
この世界の貨幣価値はまだよく分からないがとんでもない大金であることだけは確かだ。
俺は苦笑しながら手を振った。
「そんなにはいただけませんよ。コーヒーとケーキで銅貨五枚になります」
「……え?」
英梨奈《エリナ》さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
「ど……銅貨、五枚……? あの、金貨ではなくて……?」
「はい。銅貨、五枚です」
俺が繰り返すと彼女は信じられないというように何度も聞き返してきた。
「そんな値段でいいのですか!? このコーヒーとケーキはそれこそ国宝級の秘薬にも匹敵する効果があるのですよ!?」
「あくまで喫茶店のメニューですから。あまり高くすると誰も来てくれなくなってしまいます」
それに材料は全てダンジョンが生成してくれる。
原価は実質ゼロだ。
もちろんそんなことは言わないが。
英梨奈《エリナ》さんはしばらく何かを考え込んでいた。
やがて何かを決心したように顔を上げる。
「分かりました。ですがこのご恩は決して忘れません。必ず何かの形でお返しいたします」
そう言うと彼女は懐から小さな革袋を取り出し銅貨を五枚、カウンターに置いた。
記念すべき最初の売り上げだ。
俺はそれをありがたく頂戴した。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
俺が頭を下げるとゴブきちもぎこちなく真似をした。
英梨奈《エリナ》さんはその様子を見てふわりと微笑む。
それは心の底からのとても綺麗な笑顔だった。
「はい。必ずまた来ますわ。ここは……本当に素敵な隠れ家ですね」
彼女はそう言い残すと店を出て行った。
カランコロンとドアベルの音が店内に響き渡る。
俺は初めてのお客さんを見送って大きく息をついた。
「……疲れた」
精神的にどっと疲れた。
慣れない接客は思った以上に体力を消耗するらしい。
『マスター、お疲れ様でした! 初仕事、大成功でしたね!』
コアが労うように声をかけてくれる。
「ああ、そうだな。でも反省点も多い。ゴブきちの動きもまだぎこちないしな」
俺が言うとカウンターの陰でゴブきちがしょんぼりと俯いた。
「グギ……」
「いや、お前を責めてるんじゃない。むしろよくやった方だ。これからも頼りにしてるぞ」
慌ててフォローするとゴブきちはぱあっと顔を輝かせた。
単純なやつで助かる。
俺はカウンターに置かれた銅貨五枚を指で弾いた。
ちゃりん、という軽い音。
これが俺の新しい人生の第一歩だ。
これからどんなお客さんがこの店を訪れるのだろうか。
どんな物語がここで生まれるのだろうか。
期待に胸を膨らませながら俺は次の客を待つことにした。
しかし英梨奈《エリナ》さんが去った後、その日は誰も店に来ることはなかった。
次の日もそのまた次の日も店の扉は固く閉ざされたままだった。
「うーん、やっぱり立地が悪いよなあ……」
森の奥深くにある隠れ家。
コンセプトとしては良いのだが現実問題として客が来なければ商売は成り立たない。
『マスター、DPの残量がかなり少なくなってきています……。このままではダンジョンの維持が……』
コアが心配そうな声で報告する。
ダンジョンは存在しているだけでDPを消費する。
収入がなければジリ貧だ。
せっかく手に入れた自分だけの城。
こんなにあっさりと手放してたまるか。
「何か手を打たないとな……」
俺がカウンターで頭を抱えているとぷるんが足元にやってきた。
心配そうに俺の顔を見上げている。
俺は苦笑しながらその体を撫でてやった。
ひんやりとして気持ちがいい。
その時だった。
カランコロンとドアベルが鳴った。
俺はばっと顔を上げた。
扉がゆっくりと開く。
そこに立っていたのは見覚えのある金髪の女剣士、英梨奈《エリナ》さんだった。
その唇がわなわなと震えていた。
「な……なんですか、これは……」
無理もない。
俺が作ったコーヒーはただのコーヒーではなかったのだから。
彼女は自分の腕に視線を落とした。
そこに在ったはずの深くて血に濡れた切り傷がみるみるうちに塞がっていく。
まるで早送り映像でも見ているかのようだ。
数秒後には傷跡一つない綺麗な肌に戻っていた。
「傷が……癒えていく……? それに、体の疲れが……抜けて……」
彼女は呆然と呟きながら自分の体を確かめるように何度も手を開いたり閉じたりしている。
その動きはさっきまでの弱々しさが嘘のように力強いものだった。
『ふふん。マスターのコーヒーの力、思い知りましたか!』
コアが俺の頭の中で得意げに胸を張っている。
「い、いらっしゃいませ!」
ここでようやく我に返ったゴブきちが慌ててお辞儀をした。
タイミングが遅すぎる。だが初めての実践だ。
大目に見よう。これも経験だ。
「お客様、お席はこちらでよろしかったでしょうか?」
俺は落ち着いて店のマスターとして話しかける。
女剣士さんははっとしたように顔を上げた。
そして俺と手の中のコーヒーカップを信じられないものを見るような目で見比べる。
「あ、あの……! このコーヒーは一体……? まるで高位の聖職者が使う最上級の回復魔法《ハイ・ヒール》のようです……! いいえ、それ以上の効果ですわ!」
興奮した様子で早口にまくしたてる。
まあその反応も当然か。
伝説級の回復薬なんて言われていたくらいだしな。
「さあどうでしょう。ただの自家焙煎コーヒーですが」
俺はにっこりと微笑んで答えた。
下手に説明するよりこれくらいの方がいいだろう。
「ただのコーヒー……? こんな奇跡のような飲み物が……?」
彼女はまだ納得がいかない様子だったが俺がそれ以上語る気がないことを察したのか口をつぐんだ。
そしてもう一口、恐る恐るコーヒーを口に運ぶ。
今度はその味に驚いたようだった。
「……美味しい……」
ぽつりとそんな呟きが漏れた。
さっきまでの驚きとは違う。
心からの感嘆の声だった。
「こんなに深くて豊かな香りのコーヒーは生まれて初めてですわ……」
うっとりと目を細めカップの中の液体を見つめている。
良かった。
回復効果だけでなく味もしっかりと評価してもらえたようだ。
喫茶店のマスターとしてこれほど嬉しいことはない。
「お口に合ったようで何よりです」
俺が言うと彼女はこくりと頷いた。
そしてメニューに視線を移す。
「あの……こちらのショートケーキというのも頂けますか?」
「はい、もちろんです」
俺は注文を受けると厨房に戻った。
ゴブきちは俺の後ろをちょこちょことついてくる。
「グギ……?」
どうした、とでも言いたげな顔だ。
「ゴブきち、よくやったな。初めてにしては上出来だ。次はケーキを運ぶ準備をしておいてくれ」
俺が頭を撫でてやるとゴブきちは少し照れたように、でも嬉しそうに頷いた。
俺はショーケースから作り置きしておいたショートケーキを一つ取り出す。
そして綺麗な皿に乗せフォークを添えてゴブきちに渡した。
「頼んだぞ。ゆっくり、慎重にな」
「グギィ!」
ゴブきちは任せろと言わんばかりに胸を叩くと真剣な面持ちでケーキを運び始めた。
小さな体で一生懸命、皿のバランスを取っている。
その姿はなんとも微笑ましい。
ゴブきちは女剣士さんのテーブルにたどり着くとことりと静かに皿を置いた。
完璧な仕事ぶりだ。
「お待たせいたしました」
俺が声をかけると女剣士さんは目の前のケーキに目を輝かせた。
「まあ、なんて可愛らしいお菓子……。雪のように白くて宝石のような果実が乗っていますわ」
イチゴのことだろう。
この世界では珍しいのかもしれない。
彼女はフォークを手に取るとそっとケーキに刃を入れた。
そして一口、ぱくりと口に運ぶ。
その瞬間、彼女の動きがぴたりと止まった。
今度はどんな反応を見せてくれるだろうか。
俺が固唾を飲んで見守っていると彼女の体から淡い光が溢れ出した。
「こ……これは……!? 体の底から力が湧き上がってくる……!」
驚愕の声を上げる彼女。
そうだろう、そうだろう。
そのケーキはSTRとAGIを一時的に上昇させるバフアイテムなのだから。
「信じられない……。こんなことあり得ないわ……。このお店は一体……? あなたは何者なのですか……?」
彼女の視線が真っ直ぐに俺を射抜く。
その瞳には警戒とそれ以上の好奇の色が浮かんでいた。
俺は困ったように笑いながら首を横に振った。
「俺はただの喫茶店のマスターですよ。名前はケンジと申します」
「ケンジ……様」
「様なんてやめてください。ただのケンジで結構です」
俺がそう言うと彼女は少し戸惑ったように視線を泳がせた。
そして改めて深々と頭を下げる。
「申し遅れました。わたくしは英梨奈《エリナ》と申します。一介の冒険者にすぎません」
「英梨奈《エリナ》さん、ですね。どうぞごゆっくり」
俺はそう言ってカウンターの中に戻った。
これ以上、客のプライベートに踏み込むのは野暮というものだ。
英梨奈《エリナ》さんはしばらくの間、呆然としていた。
だがやがて諦めたように息をつくと夢中になってケーキを食べ始めた。
よほど気に入ったのかあっという間に平らげてしまう。
そして残りのコーヒーをゆっくりと味わっていた。
その表情は店に来た時とは比べ物にならないほど穏やかで安らいで見える。
時折、店の内装を興味深そうに眺めたり床を掃除して回るぷるんの動きを目で追ったりしている。
ぷるんが近くを通ると少し驚いたように身を引いていたが危害を加えるつもりがないと分かると安心したようだった。
ゴブきちが空になった英梨奈《エリナ》さんのコップにお水を注ぎに行く。
英梨奈《エリナ》さんはにこりと微笑んで「ありがとう」と礼を言った。
ゴブきちは照れ隠しなのかぷいっとそっぽを向いてカウンターに戻ってきてしまう。
うん、店の雰囲気もだんだん様になってきたな。
俺は満足して洗い物を始めた。
しばらくすると英梨奈《エリナ》さんが意を決したように立ち上がった。
そしてカウンターまでやってくる。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったわ。命を救われたと言っても過言ではありません」
「お粗末様でした。そう言っていただけると嬉しいです」
「それで……お代はおいくらになりますか? 正直これほどの奇跡を体験して持ち合わせで足りるかどうか……。金貨百枚でも安いくらいですわ」
金貨百枚。
この世界の貨幣価値はまだよく分からないがとんでもない大金であることだけは確かだ。
俺は苦笑しながら手を振った。
「そんなにはいただけませんよ。コーヒーとケーキで銅貨五枚になります」
「……え?」
英梨奈《エリナ》さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
「ど……銅貨、五枚……? あの、金貨ではなくて……?」
「はい。銅貨、五枚です」
俺が繰り返すと彼女は信じられないというように何度も聞き返してきた。
「そんな値段でいいのですか!? このコーヒーとケーキはそれこそ国宝級の秘薬にも匹敵する効果があるのですよ!?」
「あくまで喫茶店のメニューですから。あまり高くすると誰も来てくれなくなってしまいます」
それに材料は全てダンジョンが生成してくれる。
原価は実質ゼロだ。
もちろんそんなことは言わないが。
英梨奈《エリナ》さんはしばらく何かを考え込んでいた。
やがて何かを決心したように顔を上げる。
「分かりました。ですがこのご恩は決して忘れません。必ず何かの形でお返しいたします」
そう言うと彼女は懐から小さな革袋を取り出し銅貨を五枚、カウンターに置いた。
記念すべき最初の売り上げだ。
俺はそれをありがたく頂戴した。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
俺が頭を下げるとゴブきちもぎこちなく真似をした。
英梨奈《エリナ》さんはその様子を見てふわりと微笑む。
それは心の底からのとても綺麗な笑顔だった。
「はい。必ずまた来ますわ。ここは……本当に素敵な隠れ家ですね」
彼女はそう言い残すと店を出て行った。
カランコロンとドアベルの音が店内に響き渡る。
俺は初めてのお客さんを見送って大きく息をついた。
「……疲れた」
精神的にどっと疲れた。
慣れない接客は思った以上に体力を消耗するらしい。
『マスター、お疲れ様でした! 初仕事、大成功でしたね!』
コアが労うように声をかけてくれる。
「ああ、そうだな。でも反省点も多い。ゴブきちの動きもまだぎこちないしな」
俺が言うとカウンターの陰でゴブきちがしょんぼりと俯いた。
「グギ……」
「いや、お前を責めてるんじゃない。むしろよくやった方だ。これからも頼りにしてるぞ」
慌ててフォローするとゴブきちはぱあっと顔を輝かせた。
単純なやつで助かる。
俺はカウンターに置かれた銅貨五枚を指で弾いた。
ちゃりん、という軽い音。
これが俺の新しい人生の第一歩だ。
これからどんなお客さんがこの店を訪れるのだろうか。
どんな物語がここで生まれるのだろうか。
期待に胸を膨らませながら俺は次の客を待つことにした。
しかし英梨奈《エリナ》さんが去った後、その日は誰も店に来ることはなかった。
次の日もそのまた次の日も店の扉は固く閉ざされたままだった。
「うーん、やっぱり立地が悪いよなあ……」
森の奥深くにある隠れ家。
コンセプトとしては良いのだが現実問題として客が来なければ商売は成り立たない。
『マスター、DPの残量がかなり少なくなってきています……。このままではダンジョンの維持が……』
コアが心配そうな声で報告する。
ダンジョンは存在しているだけでDPを消費する。
収入がなければジリ貧だ。
せっかく手に入れた自分だけの城。
こんなにあっさりと手放してたまるか。
「何か手を打たないとな……」
俺がカウンターで頭を抱えているとぷるんが足元にやってきた。
心配そうに俺の顔を見上げている。
俺は苦笑しながらその体を撫でてやった。
ひんやりとして気持ちがいい。
その時だった。
カランコロンとドアベルが鳴った。
俺はばっと顔を上げた。
扉がゆっくりと開く。
そこに立っていたのは見覚えのある金髪の女剣士、英梨奈《エリナ》さんだった。
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