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「まあいいわ、その盾の自慢の性能とやらをまずは見せてもらいましょうか」
少女は、そう言うとぱんと優雅に手を叩いた。
すると部屋の隅に、まるで置物のように控えていた強そうな騎士が一人前に進み出る。
その騎士は、背の高さがおそらく二メートルはあろうかというすごい大男だった。
全身を、きらびやかで分厚い鋼鉄の鎧で固めている。
その、巨大な手には同じくらい巨大な両手剣が固く握られていた。
「オーギュスト、その自慢の剣でその盾を力一杯叩き斬ってみなさい」
少女が、どこまでも冷たく命令する。
オーギュストと呼ばれた騎士は、「はっ」と短く返事をした。
俺たちの前に、ゆっくりと進み出た。
そして、テーブルの上に置かれた盾を鋭い目で睨みつける。
その目には、絶対の揺るぎない自信がみなぎっていた。
彼は、おそらくこの王国でも五本の指に入るほどの剣の使い手なのだろう。
「おいおいお嬢様、それは本気でござるか」
ガルドが、珍しく慌てたような声を上げる。
「この盾は、まだ誰もその本当の硬さを知らないんで。もし、オーギュスト殿のその立派な剣が折れでもしたら……」
「構わないわ、その時はその程度のなまくらな剣だったというだけのことよ」
少女は、少しも悪びれることなく冷ややかに言い放った。
彼女にとって、おそらく国の宝であろう高価な魔法の剣でさえも使い捨ての道具くらいにしか思っていないのだろう。
その、あまりにいばった態度に俺は少しだけ腹が立つのを感じた。
オーギュストは、巨大な両手剣をゆっくりと大きく振りかぶる。
その、幅の広い剣には青白い魔力の光がゆらゆらとまとわりついていた。
明らかに、強力な魔法がかけられている証拠だ。
あんなもので、まともに斬られたら普通の盾ならまるで紙のように真っ二つになってしまうだろう。
「ふんっ」
オーギュストが、腹の底からの気合と共にその剣を振り下ろした。
風を切り裂く、すさまじい音が響く。
剣は、一直線にテーブルの上の黒い盾へとまるで吸い込まれるように落ちていく。
俺は、思わずぎゅっと目を閉じた。
ガルドも、息をのんでその歴史的な瞬間を見守っている。
キィィィィィィィィン。
耳が、破れてしまいそうなほどの甲高い金属音が豪華な部屋中にけたたましく響き渡った。
俺は、おそるおそる閉じていた目を開ける。
そこには、到底信じられないような光景が広がっていた。
オーギュストの、あの巨大な両手剣は黒い盾にほんの傷一つ付けることができなかった。
剣は、その半ばからぽっきりと無残に折れていた。
折れてしまった剣先が、きりきりと空中で舞う。
床に、からんとどこかむなしい音を立てて落ちた。
そして、俺たちが作った盾はもちろん全くの無傷だった。
「……な……」
オーギュストが、ぼうぜんと自分の手の中にあるただの柄になってしまった剣を見つめている。
彼の、絶対の自信に満ちていた顔が驚きの色に染まっていた。
部屋の中に、まるで時間が止まったかのように静けさが訪れる。
その、張り詰めた静けさを破ったのはあの少女の震えるような声だった。
「……うそ……」
彼女の、あの氷のように冷たい表情が初めて大きく揺らいだ。
その、人形のように美しい青い瞳が信じられないものを見るようにこれ以上ないくらい大きく見開かれている。
「オーギュストの、あの宝剣『竜殺し』が……たった一撃で折れた……?」
「だから、言ったでしょうがお嬢様」
ガルドが、ここぞとばかりに大きく胸を張った。
「この盾は、そこらのなまくらな武具とは訳が違うんで」
その、これみよがしな得意顔は少しだけむかついた。
だが、彼の言う通りだ。
この盾の、ものすごい硬さは本物だった。
少女は、しばらくの間ぼうぜんとしていた。
だが、やがてその能面のような表情がじわじわと喜びの色に変わっていくのが分かった。
その、雪のように白い頬が興奮でほんのりと赤く染まっている。
「……すごい……、本当にすごいわ……」
彼女は、椅子から勢いよく立ち上がった。
テーブルの上の盾に、ふらふらと駆け寄った。
そして、その黒くつややかに輝く表面をうっとりとした表情で優しく撫で始める。
その、ていねいな手つきはまるで愛しい恋人に初めて触れるかのようだ。
「これよ、私がずっと求めていたものは。これこそ、まさにこの世で唯一の最強の盾……」
彼女は、うっとりとした表情でそうつぶやいた。
さっきまでの、あの冷たく人を寄せ付けない態度は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
完全に、自分だけの世界に入ってしまっている。
俺は、そのあまりの変わりように正直少しだけ引いてしまった。
「気に入って、いただけたようで何よりでございます」
ガルドが、心底ほっとしたように安心の息を漏らす。
少女は、はっと我に返ると俺たちの方をゆっくりと向き直った。
その顔には、先ほどまでの人を人とも思わないようないばった色はなかった。
子供のように、無邪気な笑顔が浮かんでいた。
「あなたたち、名前は何と言うの?」
彼女が、尋ねてきた。
その声の調子も、さっきとは全く違う明るく弾んだものだった。
「へ、へい、あっしはガルドと申します。雷拳のガルド、と呼ばれておりやす」
「ガルド、ね。確かに覚えたわ。……で、そっちは?」
彼女の、強い興味を持った視線が今度は俺にまっすぐに注がれる。
俺は、ひどく緊張しながらもなんとかか細い声で自分の名前を告げた。
「……ケンジ、です」
「ケンジ……、とても素敵な名前ね」
彼女は、にっこりと花が咲くように微笑んだ。
その、とてつもなく可愛らしい笑顔に俺の心臓がどきんと大きく跳ねるのを感じた。
いけない、いけない。
この娘は、この国の宰相閣下の大切なお嬢様だ。
俺のような、ただの庶民がそんな風に気安く心を動かしていい相手では絶対にない。
「ケンジ、あなた一体何者なの? どうやって、こんなとんでもないものを作り出したの?」
彼女の、純粋な好奇心に満ちた瞳が俺の全てを見透かすように射抜く。
俺は、どう答えたものかとひどく困ってしまった。
ダンジョンの力、なんて口が裂けても言えるわけがない。
「そ、それは……その……」
俺が、意味のない言葉に詰まっているとガルドがまたしても絶妙なタイミングで助け舟を出してくれた。
「こいつは、あっしの秘密の弟子でしてな。古代から伝わる、幻の錬金術を受け継いでるんでさあ」
ガルドは、堂々とそんな真っ赤な嘘を言った。
俺は、心の中で本当にいい加減にしろよと鋭く突っ込んだ。
だが、少女は、そのあまりにも都合のいい言葉をあっさりと信じたようだった。
「古代の、錬金術……。なるほど、だからこんな奇跡のようなことが可能なのね……」
彼女は、一人で深く納得している。
まあ、それでこの場をごまかせるならもういいか。
俺は、そう思うことにした。
「ケンジ、あなた本当にすごいわ。私、あなたのこと一瞬で好きになっちゃったかも」
彼女は、とんでもない爆弾発言をまるで今日の天気を話すかのようにさらりと言いのけた。
俺は、緊張をほぐすために飲んでいた紅茶を思わず盛大に噴き出しそうになる。
「え、ええっ」
「お、お嬢様、そ、それはご冗談が過ぎますぜ」
ガルドも、さすがにひどく慌てていた。
だが、少女はどうやら本気のようだった。
その、美しい瞳はどこまでも真剣に俺のことだけを見つめている。
「冗談なんかじゃないわ、私は昔から強いものが好きなの。そして、何よりも美しいものが。この盾は、その両方を完璧に持っているわ。それを作り出した、あなたという人間に興味が湧くのはごく自然なことでしょう?」
彼女の、あまりにも真っ直ぐで純粋な言葉に俺は何も言い返すことができなかった。
ただ、自分の顔がじわじわと熱くなるのを感じるだけだった。
「決めたわ」
少女は、そう言うと高らかに宣言した。
「ケンジ、あなたを今日から私の専属の職人に任命します。これからは、私のそばで私のために働きなさい」
その言葉は、まるで決定事項のような有無を言わさぬ響きを持っていた。
俺の、意思や都合など全く無視されている。
俺が、ようやく手に入れかけていた平穏な暮らしが目の前で音を立てて崩れていくのがはっきりと分かった。
これは、まずい。
非常に、まずい状況になってしまった。
俺は、一体どうやってこの天使の顔をしたわがままなお嬢様の手から逃げ出せばいいのだろうか。
必死に、頭を高速で回転させ始めた。
だが、そんな俺の必死な心の中など知るはずもなく。
少女は、どこまでも満足げに美しく微笑んでいた。
その笑顔は、純粋な天使のようでもありずる賢い悪魔のようでもあった。
俺の、これから先の面倒な未来をまるで示しているかのようだった。
「今日から、あなたもこの屋敷に住むのよ。いいわね?」
少女は、追い打ちをかけるようにそんなとんでもないことを言った。
俺の、考えは完全に止まった。
この屋敷に、住む?
冗談では、ない。
「い、いえ、それは困ります」
俺は、思わず大きな声で断りの言葉を口にしていた。
少女は、俺が断るなどとは夢にも思っていなかったのだろう。
きょとんと、目を丸くして俺の顔をじっと見つめている。
その表情は、まるで言葉を話す犬でも見たかのようだ。
「……どうして? 私の、そばにいられるのよ? とても、名誉なことじゃなくて?」
彼女は、心から不思議そうに首を傾げた。
この娘は、どうやら本物の天然お嬢様らしい。
自分の言うことは、全て正しいと信じて疑わないタイプだ。
「名誉では、ありますが……。俺には、どうしても離れるわけにはいかない店があるんです」
俺は、必死に訴えた。
「森の奥で、小さな喫茶店を経営しておりまして……。俺がいないと、店が回らないんです」
俺の言葉に、少女はふーんと少しだけ考え込むようなそぶりを見せた。
もしかしたら、分かってくれるかもしれない。
そんな、かすかな期待を俺は抱いた。
だが、その期待は次の瞬間無残にも打ち砕かれることになる。
「そんな店、潰してしまえばいいじゃない」
彼女は、あっさりとそう言いのけた。
その言葉には、少しの悪意もない。
ただ、純粋にそれが最も簡単な解決策だと思っているだけなのだろう。
だからこそ、余計にたちが悪い。
「そ、そんな」
俺が、言葉を失っているとガルドが慌てて俺たちの間に割って入った。
「お、お嬢様、それはなりませぬ。ケンジの店は、ただの店ではないんで」
ガルドは、俺の喫茶店がいかに素晴らしい場所であるかを身振り手振りを交えて熱心に語り始めた。
疲れ果てた冒険者が、心と体を癒やす奇跡の隠れ家であること。
そこでは、伝説級の回復薬にも負けない絶品のコーヒーが飲めること。
一口食べれば、力がみなぎる魔法のケーキがあること。
そして、銀閃のエリナ様のような有名なAランク冒険者も常連であること。
ガルドの、熱い話を聞いているうちに少女の表情が少しずつ変わってきた。
最初は、退屈そうに聞いていた彼女の瞳にだんだんと好奇心の色が浮かんでくる。
「へえ……、その話本当なの?」
彼女の、興味の先が俺の店に向いたようだった。
俺は、これ幸いと大きく頷く。
「はい、本当です。だから、俺は店を離れるわけにはいかないんです」
「……そう」
少女は、しばらく何かを考えていた。
そして、にっこりといたずらっぽく笑う。
その笑顔を見た瞬間、俺はまた嫌な予感がした。
その予感は、悲しいくらいに的中する。
「分かったわ、そんなに面白い場所ならこの私が直接見に行ってあげる」
「……え?」
俺は、自分の耳を疑った。
今、この娘はなんと言った?
「決まりね、さあガルドとケンジ。すぐに、そのやすらぎの隠れ家とやらに案内しなさい」
彼女は、有無を言わせぬ口調でそう命じた。
話が、どんどんおかしな方向に進んでいく。
俺はただ、ガルドの無茶な頼みを断りきれなかっただけなのに。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
俺は、頭を抱えた。
あの、物静かでのんびりした俺の隠れ家にこの嵐のようなわがままお嬢様を連れて行かなければならないなんて。
考えただけで、胃がきりきりと痛む。
ルナリアや、ゴブきちが驚いて倒れてしまうかもしれない。
「がっはっは、こりゃあ面白くなってきたぜ」
ガルドだけが、一人楽しそうに笑っていた。
この、のんきなドワーフめ。
少女は、そう言うとぱんと優雅に手を叩いた。
すると部屋の隅に、まるで置物のように控えていた強そうな騎士が一人前に進み出る。
その騎士は、背の高さがおそらく二メートルはあろうかというすごい大男だった。
全身を、きらびやかで分厚い鋼鉄の鎧で固めている。
その、巨大な手には同じくらい巨大な両手剣が固く握られていた。
「オーギュスト、その自慢の剣でその盾を力一杯叩き斬ってみなさい」
少女が、どこまでも冷たく命令する。
オーギュストと呼ばれた騎士は、「はっ」と短く返事をした。
俺たちの前に、ゆっくりと進み出た。
そして、テーブルの上に置かれた盾を鋭い目で睨みつける。
その目には、絶対の揺るぎない自信がみなぎっていた。
彼は、おそらくこの王国でも五本の指に入るほどの剣の使い手なのだろう。
「おいおいお嬢様、それは本気でござるか」
ガルドが、珍しく慌てたような声を上げる。
「この盾は、まだ誰もその本当の硬さを知らないんで。もし、オーギュスト殿のその立派な剣が折れでもしたら……」
「構わないわ、その時はその程度のなまくらな剣だったというだけのことよ」
少女は、少しも悪びれることなく冷ややかに言い放った。
彼女にとって、おそらく国の宝であろう高価な魔法の剣でさえも使い捨ての道具くらいにしか思っていないのだろう。
その、あまりにいばった態度に俺は少しだけ腹が立つのを感じた。
オーギュストは、巨大な両手剣をゆっくりと大きく振りかぶる。
その、幅の広い剣には青白い魔力の光がゆらゆらとまとわりついていた。
明らかに、強力な魔法がかけられている証拠だ。
あんなもので、まともに斬られたら普通の盾ならまるで紙のように真っ二つになってしまうだろう。
「ふんっ」
オーギュストが、腹の底からの気合と共にその剣を振り下ろした。
風を切り裂く、すさまじい音が響く。
剣は、一直線にテーブルの上の黒い盾へとまるで吸い込まれるように落ちていく。
俺は、思わずぎゅっと目を閉じた。
ガルドも、息をのんでその歴史的な瞬間を見守っている。
キィィィィィィィィン。
耳が、破れてしまいそうなほどの甲高い金属音が豪華な部屋中にけたたましく響き渡った。
俺は、おそるおそる閉じていた目を開ける。
そこには、到底信じられないような光景が広がっていた。
オーギュストの、あの巨大な両手剣は黒い盾にほんの傷一つ付けることができなかった。
剣は、その半ばからぽっきりと無残に折れていた。
折れてしまった剣先が、きりきりと空中で舞う。
床に、からんとどこかむなしい音を立てて落ちた。
そして、俺たちが作った盾はもちろん全くの無傷だった。
「……な……」
オーギュストが、ぼうぜんと自分の手の中にあるただの柄になってしまった剣を見つめている。
彼の、絶対の自信に満ちていた顔が驚きの色に染まっていた。
部屋の中に、まるで時間が止まったかのように静けさが訪れる。
その、張り詰めた静けさを破ったのはあの少女の震えるような声だった。
「……うそ……」
彼女の、あの氷のように冷たい表情が初めて大きく揺らいだ。
その、人形のように美しい青い瞳が信じられないものを見るようにこれ以上ないくらい大きく見開かれている。
「オーギュストの、あの宝剣『竜殺し』が……たった一撃で折れた……?」
「だから、言ったでしょうがお嬢様」
ガルドが、ここぞとばかりに大きく胸を張った。
「この盾は、そこらのなまくらな武具とは訳が違うんで」
その、これみよがしな得意顔は少しだけむかついた。
だが、彼の言う通りだ。
この盾の、ものすごい硬さは本物だった。
少女は、しばらくの間ぼうぜんとしていた。
だが、やがてその能面のような表情がじわじわと喜びの色に変わっていくのが分かった。
その、雪のように白い頬が興奮でほんのりと赤く染まっている。
「……すごい……、本当にすごいわ……」
彼女は、椅子から勢いよく立ち上がった。
テーブルの上の盾に、ふらふらと駆け寄った。
そして、その黒くつややかに輝く表面をうっとりとした表情で優しく撫で始める。
その、ていねいな手つきはまるで愛しい恋人に初めて触れるかのようだ。
「これよ、私がずっと求めていたものは。これこそ、まさにこの世で唯一の最強の盾……」
彼女は、うっとりとした表情でそうつぶやいた。
さっきまでの、あの冷たく人を寄せ付けない態度は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
完全に、自分だけの世界に入ってしまっている。
俺は、そのあまりの変わりように正直少しだけ引いてしまった。
「気に入って、いただけたようで何よりでございます」
ガルドが、心底ほっとしたように安心の息を漏らす。
少女は、はっと我に返ると俺たちの方をゆっくりと向き直った。
その顔には、先ほどまでの人を人とも思わないようないばった色はなかった。
子供のように、無邪気な笑顔が浮かんでいた。
「あなたたち、名前は何と言うの?」
彼女が、尋ねてきた。
その声の調子も、さっきとは全く違う明るく弾んだものだった。
「へ、へい、あっしはガルドと申します。雷拳のガルド、と呼ばれておりやす」
「ガルド、ね。確かに覚えたわ。……で、そっちは?」
彼女の、強い興味を持った視線が今度は俺にまっすぐに注がれる。
俺は、ひどく緊張しながらもなんとかか細い声で自分の名前を告げた。
「……ケンジ、です」
「ケンジ……、とても素敵な名前ね」
彼女は、にっこりと花が咲くように微笑んだ。
その、とてつもなく可愛らしい笑顔に俺の心臓がどきんと大きく跳ねるのを感じた。
いけない、いけない。
この娘は、この国の宰相閣下の大切なお嬢様だ。
俺のような、ただの庶民がそんな風に気安く心を動かしていい相手では絶対にない。
「ケンジ、あなた一体何者なの? どうやって、こんなとんでもないものを作り出したの?」
彼女の、純粋な好奇心に満ちた瞳が俺の全てを見透かすように射抜く。
俺は、どう答えたものかとひどく困ってしまった。
ダンジョンの力、なんて口が裂けても言えるわけがない。
「そ、それは……その……」
俺が、意味のない言葉に詰まっているとガルドがまたしても絶妙なタイミングで助け舟を出してくれた。
「こいつは、あっしの秘密の弟子でしてな。古代から伝わる、幻の錬金術を受け継いでるんでさあ」
ガルドは、堂々とそんな真っ赤な嘘を言った。
俺は、心の中で本当にいい加減にしろよと鋭く突っ込んだ。
だが、少女は、そのあまりにも都合のいい言葉をあっさりと信じたようだった。
「古代の、錬金術……。なるほど、だからこんな奇跡のようなことが可能なのね……」
彼女は、一人で深く納得している。
まあ、それでこの場をごまかせるならもういいか。
俺は、そう思うことにした。
「ケンジ、あなた本当にすごいわ。私、あなたのこと一瞬で好きになっちゃったかも」
彼女は、とんでもない爆弾発言をまるで今日の天気を話すかのようにさらりと言いのけた。
俺は、緊張をほぐすために飲んでいた紅茶を思わず盛大に噴き出しそうになる。
「え、ええっ」
「お、お嬢様、そ、それはご冗談が過ぎますぜ」
ガルドも、さすがにひどく慌てていた。
だが、少女はどうやら本気のようだった。
その、美しい瞳はどこまでも真剣に俺のことだけを見つめている。
「冗談なんかじゃないわ、私は昔から強いものが好きなの。そして、何よりも美しいものが。この盾は、その両方を完璧に持っているわ。それを作り出した、あなたという人間に興味が湧くのはごく自然なことでしょう?」
彼女の、あまりにも真っ直ぐで純粋な言葉に俺は何も言い返すことができなかった。
ただ、自分の顔がじわじわと熱くなるのを感じるだけだった。
「決めたわ」
少女は、そう言うと高らかに宣言した。
「ケンジ、あなたを今日から私の専属の職人に任命します。これからは、私のそばで私のために働きなさい」
その言葉は、まるで決定事項のような有無を言わさぬ響きを持っていた。
俺の、意思や都合など全く無視されている。
俺が、ようやく手に入れかけていた平穏な暮らしが目の前で音を立てて崩れていくのがはっきりと分かった。
これは、まずい。
非常に、まずい状況になってしまった。
俺は、一体どうやってこの天使の顔をしたわがままなお嬢様の手から逃げ出せばいいのだろうか。
必死に、頭を高速で回転させ始めた。
だが、そんな俺の必死な心の中など知るはずもなく。
少女は、どこまでも満足げに美しく微笑んでいた。
その笑顔は、純粋な天使のようでもありずる賢い悪魔のようでもあった。
俺の、これから先の面倒な未来をまるで示しているかのようだった。
「今日から、あなたもこの屋敷に住むのよ。いいわね?」
少女は、追い打ちをかけるようにそんなとんでもないことを言った。
俺の、考えは完全に止まった。
この屋敷に、住む?
冗談では、ない。
「い、いえ、それは困ります」
俺は、思わず大きな声で断りの言葉を口にしていた。
少女は、俺が断るなどとは夢にも思っていなかったのだろう。
きょとんと、目を丸くして俺の顔をじっと見つめている。
その表情は、まるで言葉を話す犬でも見たかのようだ。
「……どうして? 私の、そばにいられるのよ? とても、名誉なことじゃなくて?」
彼女は、心から不思議そうに首を傾げた。
この娘は、どうやら本物の天然お嬢様らしい。
自分の言うことは、全て正しいと信じて疑わないタイプだ。
「名誉では、ありますが……。俺には、どうしても離れるわけにはいかない店があるんです」
俺は、必死に訴えた。
「森の奥で、小さな喫茶店を経営しておりまして……。俺がいないと、店が回らないんです」
俺の言葉に、少女はふーんと少しだけ考え込むようなそぶりを見せた。
もしかしたら、分かってくれるかもしれない。
そんな、かすかな期待を俺は抱いた。
だが、その期待は次の瞬間無残にも打ち砕かれることになる。
「そんな店、潰してしまえばいいじゃない」
彼女は、あっさりとそう言いのけた。
その言葉には、少しの悪意もない。
ただ、純粋にそれが最も簡単な解決策だと思っているだけなのだろう。
だからこそ、余計にたちが悪い。
「そ、そんな」
俺が、言葉を失っているとガルドが慌てて俺たちの間に割って入った。
「お、お嬢様、それはなりませぬ。ケンジの店は、ただの店ではないんで」
ガルドは、俺の喫茶店がいかに素晴らしい場所であるかを身振り手振りを交えて熱心に語り始めた。
疲れ果てた冒険者が、心と体を癒やす奇跡の隠れ家であること。
そこでは、伝説級の回復薬にも負けない絶品のコーヒーが飲めること。
一口食べれば、力がみなぎる魔法のケーキがあること。
そして、銀閃のエリナ様のような有名なAランク冒険者も常連であること。
ガルドの、熱い話を聞いているうちに少女の表情が少しずつ変わってきた。
最初は、退屈そうに聞いていた彼女の瞳にだんだんと好奇心の色が浮かんでくる。
「へえ……、その話本当なの?」
彼女の、興味の先が俺の店に向いたようだった。
俺は、これ幸いと大きく頷く。
「はい、本当です。だから、俺は店を離れるわけにはいかないんです」
「……そう」
少女は、しばらく何かを考えていた。
そして、にっこりといたずらっぽく笑う。
その笑顔を見た瞬間、俺はまた嫌な予感がした。
その予感は、悲しいくらいに的中する。
「分かったわ、そんなに面白い場所ならこの私が直接見に行ってあげる」
「……え?」
俺は、自分の耳を疑った。
今、この娘はなんと言った?
「決まりね、さあガルドとケンジ。すぐに、そのやすらぎの隠れ家とやらに案内しなさい」
彼女は、有無を言わせぬ口調でそう命じた。
話が、どんどんおかしな方向に進んでいく。
俺はただ、ガルドの無茶な頼みを断りきれなかっただけなのに。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
俺は、頭を抱えた。
あの、物静かでのんびりした俺の隠れ家にこの嵐のようなわがままお嬢様を連れて行かなければならないなんて。
考えただけで、胃がきりきりと痛む。
ルナリアや、ゴブきちが驚いて倒れてしまうかもしれない。
「がっはっは、こりゃあ面白くなってきたぜ」
ガルドだけが、一人楽しそうに笑っていた。
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雛月 らん
ファンタジー
俺、黒田 蓮(くろだ れん)35歳は前世でブラック企業の社畜だった。過労死寸前で倒れ、次に目覚めたとき、そこは剣と魔法の異世界。しかも、幼少期の俺は、とある大貴族の私生児、アレン・クロイツェルとして生まれ変わっていた。
前世の記憶と、この世界では「外れスキル」とされる『万物鑑定』と『薬草栽培(ハイレベル)』。そして、誰にも知られていない規格外の莫大な魔力を持っていた。
しかし、俺は決意する。「今世こそ、誰にも邪魔されない、のんびりしたスローライフを送る!」と。
これは、スローライフを死守したい天才薬師のアレンと、彼の作る規格外の薬に振り回される異世界の物語。
平穏を愛する(自称)凡人薬師の、のんびりだけど実は波乱万丈な辺境スローライフファンタジー。
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