【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第10話

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彼が小屋に滞在して三日が過ぎましたの。その間、わたくしは特別なことは何もいたしませんでした。

ただ静かに、彼の体調に合わせて茶葉と香草を選び、必要な香りと温もりを、適切な分だけ、差し出していただけですわ。

朝にはカモミールとタイムで気を鎮め、昼にはローズマリーとシナモンで血を巡らせ、夜にはパッションフラワーで眠りを誘う。調合は毎日少しずつ変えておりますけれど、彼の反応は実に正直で、こちらの意図を過不足なく受け取ってくださいますの。

「アナさま、このお茶……今日は少し苦いですね」

「セントジョンズワートを加えましたの。心の隙間が曇る前に、少しだけ光を差すためですわ」

「心の隙間……なるほど、そういう作用か。昨日から、なんだか眠りが深いんですよ」

「それは、お身体がようやく落ち着いた証ですわ。体調が安定すると、香草の効果も穏やかに届きますのよ」

「……ほんとに、不思議な場所だ」

彼はカップを置き、棚の隅に置かれた香草の鉢をぼんやりと眺めておりましたの。ミントの葉が風に揺れ、光を受けてきらきらと反射する様子を、まるで初めて見るように、熱心に見つめておられました。

「アナさまは……毎日、こんなふうに暮らしてるんですか?」

「ええ、毎日違う茶葉を眺めて、違う香りに触れて、違う空気を吸っておりますわ。けれど、わたくしのなかでは、すべてが同じ“静けさ”の延長でしてよ」

「それで、退屈しないんですか?」

「退屈などいたしませんわ。香草のひとつひとつが、その日その瞬間の世界を語ってくださいますもの」

「……なるほど。なんか、すげえな」

「ふふ、それほどのことではございませんのよ。むしろ、あなたのように危機を越えてここに来た方こそ、すごいと思いますわ」

「危機っていうか……もう、命を捨てる覚悟だったからな……あ、いや、今のは軽口です」

「よろしいのですわ。ここでは、軽口のひとつふたつ、香りが包み込んでくれますから」

「……それにしても、あの記録……どうしたもんか」

「お身体が戻ったら、あなた自身で判断なさるのがよろしいかと存じますわ。今はまだ、回復に集中なさいな」

「わかりました。でも、俺だけでなんとかなる話じゃないのも、正直分かってる」

「わたくしには、お茶と香草以外の知識はございませんけれど……“心を整える助言”なら、少しは差し上げられるかもしれませんわ」

「じゃあ、質問していいですか?」

「もちろんですわ」

「アナさまは、何かを信じられなくなったとき、どうしてました?」

「ふふ、わたくしの場合、信じるものは常に香りでございますのよ。人は嘘をつきますけれど、香草は決して裏切りません」

「そっか……なるほどなあ……そういう答え、なんか、好きだ」

「そう仰っていただけるのなら、今日のブレンドは成功でしたわね」

ちょうどそのとき、外から子どもたちの声が聞こえてまいりましたの。今日は天気がよく、森を抜ける風も涼やかで、香草園の手入れに精を出すのには最適の日和ですわ。わたくしはポットに残ったお茶をカップに注ぎきり、彼にもそれを差し出しました。

「さあ、最後の一口。これを飲み干したら、少しだけ外の風に当たりましょうか」

「いいんですか? もう動いても?」

「軽くであれば。香りは身体を癒し、空気は心を整えるものですわ。人は、陽の光と風の音にも癒されますのよ」

「……それ、いい言葉ですね」

「気に入っていただけたのなら、どうぞ覚えて帰ってくださいませ」

わたくしは扉を開け、彼の背を軽く支えながら、外へと導きましたの。陽光が木々の合間から差し込み、葉の上に降り注いで、無数の光の粒が地面に踊っておりました。香草園では、ミントが青々と葉を広げ、ラベンダーが紫の房を揺らしておりました。

「すげえ……ここ、ほんとに癒しの楽園みたいだな……」

「この空間をそう思ってくださるのなら、それこそが香草の働きですわ。わたくしは、ただそれを整えているだけにすぎませんの」

「いや、違うよ。アナさまが整えてるからこそ、こんな場所になってる。俺には、わかる」

「まあ……お優しい言葉をありがとうございますわ」

子どもたちが駆け寄ってきて、彼の姿を見てぱあっと顔を明るくいたしました。

「お兄さんだ!」

「元気になったの!?」

「よかったぁ!」

「は、はい……みんな、ありがとう……アナさまのおかげです」

「アナさま、すごいでしょ!」

「すごいです……ほんとに、すごい」

わたくしはその光景を見ながら、カゴに入れておいた干しリンゴを一切れずつ配り、子どもたちにお茶を用意いたしましたの。今日はアップルミントとルイボス、それにレモンピールを加えた、甘くて爽やかな“午後の果樹園”というブレンドですわ。

「アナさまの作るお茶って、いつも名前がかわいいよね!」

「まあ、それは嬉しいお言葉ですわ。名は香りの導きですもの」

「ぼく、この前の“朝の花園”も好きだった!」

「それはお目が高い。あの調合は、わたくしもお気に入りのひとつですのよ」

「また飲みたいなあ……」

「ふふ、明日もお行儀よくいらっしゃれば、考えてさしあげますわ」

子どもたちの笑い声と、カップに注がれるお茶の音が重なり、小屋の周囲はまるで一枚の絵画のようでしたの。戦いも争いも、陰謀も、ここには存在しません。ただ風が吹き、香りが広がり、誰かの心が整ってゆく。わたくしが望んだのは、まさにこの空間。この静けさ。

けれど、その静けさを守るには、時に少しだけ“動く”必要があるのかもしれませんわ。彼が言った記録、王都の魔石庫、黒曜魔石──それらの言葉が、すでにこの場所に足を踏み入れたという事実は、無視できないものでしてよ。

ですがわたくしは、戦うつもりはございません。ただ、茶を淹れる。香草を整える。その力が、誰かの背を押すのなら、それはそれで構いませんの。

彼がふと、わたくしに近づき、囁くように言いました。

「アナさま、あの記録の複写……そろそろ見てもらえませんか?」

「まあ、見せていただけるのなら、喜んで。けれど、わたくしに読めるかは分かりませんわよ?」

「いえ、たぶん読めます。記録は貴族文様で暗号化されてるんです。でも、それは旧式のローゼン文字……たしか、アナさまのお名前も……」

「……まあ。懐かしい響きですこと」

わたくしは彼の手から差し出された、古びた布の端切れを受け取りましたの。その中に縫い込まれていたのは、確かに、わたくしが幼い頃に家庭教師から習った、あの貴族用暗号文字。手元に光を当て、目を凝らすと──その内容が、はっきりと見えてまいりましたわ。
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