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第48話
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わたくしが選んだのは、まず、エリアスさまの手記に「風の歌を運ぶ」と記されていた、高山に自生するという希少なハーブ「風切り草(かぜきりそう)」の乾燥させた葉。
これは、商人ルグさんが以前、少量だけもたらしてくれたもので、清涼感の中に、どこか寂寥とした、風そのもののような独特の香りを持っております。
次に、思考を鋭敏にし、集中力を高めるペパーミント。
そして、彼の冷え切った情熱の火を再び灯すために、ほんの少しだけ、砕いた黒胡椒とシナモンの樹皮を加えました。
ベースとなる茶葉は、これらの個性的な素材をまとめ上げ、そして深い余韻を残すために、スモーキーで力強い味わいの、正山小種(ラプサン・スーチョン)を選びましたの。
お湯を注ぐと、まず正山小種特有の燻した香りが立ち上り、続いてペパーミントの突き抜けるような清涼感が、そしてその奥から、「風切り草」の持つ、どこか物悲しくも雄大な風の香りが、複雑に絡み合いながら現れてまいります。
最後に、黒胡椒とシナモンのスパイシーな刺激が、全体の輪郭をきりりと引き締める。
それは、穏やかな癒しとは程遠い、荒々しくも生命力に満ちた、挑戦的な香りでございました。
わたくしは、この一杯を“荒野の呼び声”と名付けましたわ。
「エリアンさま……お待たせいたしました。
“荒野の呼び声”でございます。
どうぞ、ごゆっくりと……」
エリアンは、訝しげな表情でカップを受け取り、その香りを一嗅ぎすると、眉をひそめました。
「……なんだ、これは……。
甘くも、安らぎもせぬ……。
まるで、嵐の前の荒野のような、落ち着かぬ香りだ……」
「ええ。
これは、あなた様を眠らせるためのものではございません。
むしろ、あなた様の魂を、眠りから呼び覚ますための香りでございますから」
エリアンは、わたくしの言葉に鼻で笑うと、まるで苦い薬でも飲むかのように、そのお茶を一口、口に含みました。
その瞬間、彼の動きが、ぴたりと止まりましたの。
カップを持ったまま、その場で硬直し、その瞳は大きく見開かれ、焦点が合っておりません。
彼の意識は、今、この小屋にはない。
遠いどこか、彼の記憶の深層へと、旅立っているのでございます。
わたくしは、息を飲んでその様子を見守っておりました。
彼の内側で、一体何が起こっているのでしょう。
やがて、彼の閉じられた唇から、かすれた、しかし確かな旋律が、吐息と共に漏れ始めました。
それは、わたくしが聴いたこともない、物悲しくも美しいメロディ。
遠い昔、故郷で母が歌ってくれた子守唄、初めて楽器を手にした日の喜び、恋に破れた夜の痛み、そして、旅の途中で出会った数々の風景……。
それら全てが、音の断片となって、彼の内側から溢れ出してくるかのようでございました。
彼の頬を、一筋の熱い涙が伝い落ちました。
それは、絶望の涙ではございません。
長い間凍てついていた心の氷が溶け出し、再び流れ始めた、生命の歓喜の涙でございました。
どれほどの時間が過ぎましたでしょうか。
ようやく現実へと意識を戻したエリアンは、まるで夢から覚めた子どものような、呆然とした、それでいて純粋な表情で、わたくしを見つめました。
「……今のは……一体……?」
「それは、エリアンさま。
あなた様ご自身の魂が奏でた、歌でございますわ。
長い間、心の奥底に仕舞い込まれていた、あなた様だけの大切な旋律……」
「……歌……そうだ、わたくしは……歌いたかったのだ……。
いつから忘れていたのだろう……。
名声でも、称賛でもなく……。
ただ、この胸の奥から湧き上がるものを、音にしたかった……。
ただ、それだけだったはずなのに……」
エリアンは、そう呟くと、背負っていたリュートのケースをゆっくりと下ろし、震える手でその中から、使い込まれた美しい楽器を取り出しました。
そして、彼は目を閉じ、深く息を吸い込むと、その弦をそっと爪弾き始めたのでございます。
小屋の中に響き渡ったのは、先ほど彼が吐息と共に漏らした、あの旋律。
けれど、今度はもっと力強く、確信に満ちておりました。
それは、彼のこれまでの人生の喜びも、悲しみも、苦悩も、全てを包み込み、そして昇華させるかのような、深く、そしてどこまでも美しい音楽でございました。
香草園のハーブたちも、湖のさざ波も、そしてわたくしの心も、その音色に静かに聴き入っているかのようでございます。
一曲を弾き終えたエリアンは、晴れ晴れとした、そして少し照れたような笑顔を、わたくしに向けてくれました。
それは、彼がこの小屋に来てから、初めて見せた心からの笑顔でございましたわ。
「……アナスタシアさま。
感謝の言葉もございません。
あなたは……わたくしの魂に、再び火を灯してくださった……。
このご恩は、生涯忘れません」
「ふふ、お役に立てたのでしたら、何よりですわ、エリアンさま。
その素晴らしい音楽こそが、わたくしへの何よりのお礼でございますもの」
その日以来、エリアンは数日間、わたくしの小屋に滞在し、湧き上がるインスピレーションのままに、次々と新しい曲を生み出していきました。
時には、わたくしが淹れるお茶の香りに触発されて曲を作り、また時には、彼の音楽がわたくしの新たな調合のヒントとなることもございました。
香りと音楽、それは異なる表現方法でありながら、人の魂の最も深い部分に触れ、それを揺さぶり、そして調和させるという点で、深く通じ合っているのだと、わたくしは改めて感じ入ったのでございます。
やがて、創作意欲に満ちた輝かしい表情で、エリアンが旅立ちの日を迎えました。
彼は、お礼にと、わたくしのためだけに一曲、特別な歌を作ってくれましたの。
それは、“静寂の香り亭のバラード”と名付けられた、この小さな小屋と、そこに流れる穏やかな時間を、優しく歌い上げた美しい曲でございました。
「アナスタシアさま。
わたくしはこれから、あなたの物語を、この歌に乗せて、世界中の人々に届けてまいります。
あなたがこの場所で、どれほど多くの魂を救っているのかを……」
「まあ、エリアンさま。
それは少々、話が大きすぎますわ。
わたくしはただ、静かにここで、お茶を淹れているだけですもの」
「いいえ。
あなたの淹れる一杯は、世界を変える力を持っております。
わたくしが、その証人でございますから」
そう言うと、エリアンは晴れやかな笑顔で手を振り、新たな旅へと出発していきました。
彼の背中を見送りながら、わたくしは、香りがもたらす奇跡の多様さに、改めて思いを馳せるのでございました。
癒し、浄化、祝福、そして今度は、創造性の解放……。
この「極上調合」の力は、わたくしが思う以上に、広大で、そして深遠な可能性を秘めているようですわ。
エリアンが残してくれたリュートの優しい音色は、その後も長く、わたくしの心と、この「静寂の香り亭」の空気の中に、温かく響き続けておりましたの。
これは、商人ルグさんが以前、少量だけもたらしてくれたもので、清涼感の中に、どこか寂寥とした、風そのもののような独特の香りを持っております。
次に、思考を鋭敏にし、集中力を高めるペパーミント。
そして、彼の冷え切った情熱の火を再び灯すために、ほんの少しだけ、砕いた黒胡椒とシナモンの樹皮を加えました。
ベースとなる茶葉は、これらの個性的な素材をまとめ上げ、そして深い余韻を残すために、スモーキーで力強い味わいの、正山小種(ラプサン・スーチョン)を選びましたの。
お湯を注ぐと、まず正山小種特有の燻した香りが立ち上り、続いてペパーミントの突き抜けるような清涼感が、そしてその奥から、「風切り草」の持つ、どこか物悲しくも雄大な風の香りが、複雑に絡み合いながら現れてまいります。
最後に、黒胡椒とシナモンのスパイシーな刺激が、全体の輪郭をきりりと引き締める。
それは、穏やかな癒しとは程遠い、荒々しくも生命力に満ちた、挑戦的な香りでございました。
わたくしは、この一杯を“荒野の呼び声”と名付けましたわ。
「エリアンさま……お待たせいたしました。
“荒野の呼び声”でございます。
どうぞ、ごゆっくりと……」
エリアンは、訝しげな表情でカップを受け取り、その香りを一嗅ぎすると、眉をひそめました。
「……なんだ、これは……。
甘くも、安らぎもせぬ……。
まるで、嵐の前の荒野のような、落ち着かぬ香りだ……」
「ええ。
これは、あなた様を眠らせるためのものではございません。
むしろ、あなた様の魂を、眠りから呼び覚ますための香りでございますから」
エリアンは、わたくしの言葉に鼻で笑うと、まるで苦い薬でも飲むかのように、そのお茶を一口、口に含みました。
その瞬間、彼の動きが、ぴたりと止まりましたの。
カップを持ったまま、その場で硬直し、その瞳は大きく見開かれ、焦点が合っておりません。
彼の意識は、今、この小屋にはない。
遠いどこか、彼の記憶の深層へと、旅立っているのでございます。
わたくしは、息を飲んでその様子を見守っておりました。
彼の内側で、一体何が起こっているのでしょう。
やがて、彼の閉じられた唇から、かすれた、しかし確かな旋律が、吐息と共に漏れ始めました。
それは、わたくしが聴いたこともない、物悲しくも美しいメロディ。
遠い昔、故郷で母が歌ってくれた子守唄、初めて楽器を手にした日の喜び、恋に破れた夜の痛み、そして、旅の途中で出会った数々の風景……。
それら全てが、音の断片となって、彼の内側から溢れ出してくるかのようでございました。
彼の頬を、一筋の熱い涙が伝い落ちました。
それは、絶望の涙ではございません。
長い間凍てついていた心の氷が溶け出し、再び流れ始めた、生命の歓喜の涙でございました。
どれほどの時間が過ぎましたでしょうか。
ようやく現実へと意識を戻したエリアンは、まるで夢から覚めた子どものような、呆然とした、それでいて純粋な表情で、わたくしを見つめました。
「……今のは……一体……?」
「それは、エリアンさま。
あなた様ご自身の魂が奏でた、歌でございますわ。
長い間、心の奥底に仕舞い込まれていた、あなた様だけの大切な旋律……」
「……歌……そうだ、わたくしは……歌いたかったのだ……。
いつから忘れていたのだろう……。
名声でも、称賛でもなく……。
ただ、この胸の奥から湧き上がるものを、音にしたかった……。
ただ、それだけだったはずなのに……」
エリアンは、そう呟くと、背負っていたリュートのケースをゆっくりと下ろし、震える手でその中から、使い込まれた美しい楽器を取り出しました。
そして、彼は目を閉じ、深く息を吸い込むと、その弦をそっと爪弾き始めたのでございます。
小屋の中に響き渡ったのは、先ほど彼が吐息と共に漏らした、あの旋律。
けれど、今度はもっと力強く、確信に満ちておりました。
それは、彼のこれまでの人生の喜びも、悲しみも、苦悩も、全てを包み込み、そして昇華させるかのような、深く、そしてどこまでも美しい音楽でございました。
香草園のハーブたちも、湖のさざ波も、そしてわたくしの心も、その音色に静かに聴き入っているかのようでございます。
一曲を弾き終えたエリアンは、晴れ晴れとした、そして少し照れたような笑顔を、わたくしに向けてくれました。
それは、彼がこの小屋に来てから、初めて見せた心からの笑顔でございましたわ。
「……アナスタシアさま。
感謝の言葉もございません。
あなたは……わたくしの魂に、再び火を灯してくださった……。
このご恩は、生涯忘れません」
「ふふ、お役に立てたのでしたら、何よりですわ、エリアンさま。
その素晴らしい音楽こそが、わたくしへの何よりのお礼でございますもの」
その日以来、エリアンは数日間、わたくしの小屋に滞在し、湧き上がるインスピレーションのままに、次々と新しい曲を生み出していきました。
時には、わたくしが淹れるお茶の香りに触発されて曲を作り、また時には、彼の音楽がわたくしの新たな調合のヒントとなることもございました。
香りと音楽、それは異なる表現方法でありながら、人の魂の最も深い部分に触れ、それを揺さぶり、そして調和させるという点で、深く通じ合っているのだと、わたくしは改めて感じ入ったのでございます。
やがて、創作意欲に満ちた輝かしい表情で、エリアンが旅立ちの日を迎えました。
彼は、お礼にと、わたくしのためだけに一曲、特別な歌を作ってくれましたの。
それは、“静寂の香り亭のバラード”と名付けられた、この小さな小屋と、そこに流れる穏やかな時間を、優しく歌い上げた美しい曲でございました。
「アナスタシアさま。
わたくしはこれから、あなたの物語を、この歌に乗せて、世界中の人々に届けてまいります。
あなたがこの場所で、どれほど多くの魂を救っているのかを……」
「まあ、エリアンさま。
それは少々、話が大きすぎますわ。
わたくしはただ、静かにここで、お茶を淹れているだけですもの」
「いいえ。
あなたの淹れる一杯は、世界を変える力を持っております。
わたくしが、その証人でございますから」
そう言うと、エリアンは晴れやかな笑顔で手を振り、新たな旅へと出発していきました。
彼の背中を見送りながら、わたくしは、香りがもたらす奇跡の多様さに、改めて思いを馳せるのでございました。
癒し、浄化、祝福、そして今度は、創造性の解放……。
この「極上調合」の力は、わたくしが思う以上に、広大で、そして深遠な可能性を秘めているようですわ。
エリアンが残してくれたリュートの優しい音色は、その後も長く、わたくしの心と、この「静寂の香り亭」の空気の中に、温かく響き続けておりましたの。
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