【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第51話

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王都へ向けて「遠隔浄化の儀」を執り行ったあの日から、わたくしの日常は、表面上は変わらぬ穏やかさを保っておりましたけれど、その水面下では、常に遠い王都の気配を、そしてあの不吉な夢の残滓を感じずにはいられない、どこか張り詰めた日々が続いておりました。
わたくしは、以前にも増して注意深く、香草園や周囲の森の微細な変化に気を配っておりました。
鳥の声、風向き、ハーブたちの葉の色つや……。
その全てが、世界の調和を示すバロメーターのように感じられたからでございます。

幸いなことに、子どもたちは変わらず元気な笑顔でわたくしの小屋を訪れ、彼らの無邪気な笑い声は、わたくしの心に重くのしかかる不安を、しばし忘れさせてくれるかのようでした。
「香りの授業」も続けられており、その日は「色と香りの関係」について、子どもたちと一緒に探求しておりましたの。

「皆さま、この赤いローズヒップの実をご覧になって。
この鮮やかな赤色は、まるで生命力そのもののようですわね。
そして、その香りは、ほんのりとした酸味の中に、太陽の温かさを感じさせます。
赤い香りは、わたくしたちに元気や情熱を与えてくれることが多いのですわ」

「じゃあ、この青いコーンフラワーのお花は?」とミレーヌちゃん。

「ふふ、良い質問ですわね。
青色は、静けさや冷静さを思わせる色。
このお花の香りは、それほど強くはございませんけれど、どこか心をすうっと落ち着かせてくれるような、澄んだ気配がいたしますでしょう?
青い香りは、高ぶった気持ちを鎮め、思考を明晰にする手助けをしてくれますのよ」

子どもたちは、目を輝かせながら、様々な色のハーブや花を手に取り、その色と香りが織りなす不思議な関係に、夢中になっておりました。
その純粋な探求心に触れていると、わたくしの心もまた、束の間、穏やかさを取り戻すことができるのでございます。

けれど、そんな平穏な時間は、長くは続きませんでした。
その日の午後、村の猟師が、血相を変えてわたくしの小屋へと駆け込んできたのです。

「アナスタシアさま!
大変だ!
村はずれの森の様子が、どうにもおかしいんだ!」

「まあ、落ち着いてくださいまし。
一体、何がございましたの?」

「それが……。
森の動物たちが、姿を消しちまったんだ!
いつもなら、ウサギや鹿の足跡の一つや二つ、必ず見かけるっていうのに、今日は何一つねぇ。
鳥のさえずりすら、ぱったりと聞こえなくなっちまって……。
森全体が、まるで墓場みてぇに、しいん、と静まり返ってるんだ!
こんな気味の悪ぃことは、生まれてこのかた初めてだ……」

その言葉に、わたくしの心臓が、どきりと大きく鳴りました。
動物たちが姿を消し、鳥が鳴かなくなった森……。
それは、自然界が発する、最大の危険信号でございます。
何かが、この土地の生命の調和を、根底から脅かしている……。

「……アナスタシアさま……なんだか、怖いよ……」
子どもたちも、その不穏な空気を敏感に感じ取り、不安そうにわたくしの服の裾を握りしめました。

わたくしは、子どもたちを安心させるように、その小さな肩を優しく抱き寄せましたけれど、わたくし自身の研ぎ澄まされた感覚もまた、猟師の言葉を裏付けるように、これまで感じたことのない、冷たく、そして粘りつくような邪悪な「気」が、森の奥深くから、じわりじわりとこちらへ向かってきているのを捉えておりました。
それは、穢れた魔石が放つ波動の残滓とも、あるいは、あの夢で見た黒衣の人物が纏っていた、憎悪の気配とも似ております。

「皆さま、大丈夫ですわ。
わたくしが、必ずこの場所を守りますから。
あなたたちは、どうか小屋の奥に入って、静かになさっていて」

わたくしは、子どもたちを固く抱きしめた後、強い口調でそう言うと、彼らを小屋の中へと避難させました。
そして、わたくしは一人、静かに小屋の前に立ち、その見えざる敵の到来を待ったのでございます。

どれほどの時間が過ぎましたでしょうか。
ひた、ひた、と。
枯葉を踏む、複数の足音が、森の静寂を破って近づいてまいります。
やがて、木々の間から姿を現したのは、五人の人影でございました。
その者たちは、頭から足元までを、光を吸い込むような漆黒のローブで覆い、その顔を窺い知ることはできません。
けれど、そのローブの下から漏れ出してくる気配は、明らかに常人のものではございませんでした。
それは、生命の温かみを一切感じさせない、まるで死や腐敗を凝縮したかのような、不快で歪んだ魔力の淀み。
その気配に触れただけで、香草園のハーブたちが、恐怖に震えるかのように、その葉を微かに揺らすのが分かりました。

先頭に立つ一人が、一歩前に進み出ました。
その者の手には、黒曜石で作られた、禍々しい輝きを放つ杖が握られております。

「……ここが、かの“湖畔の香草師”の住処か。
噂に違わぬ、清浄な気に満ちた土地よな。
……だが、それも今日までだ」

その声は、まるで金属を擦り合わせたかのように不快な響きを持ち、嘲りと、そして冷酷な意志に満ちておりました。

「我らが主は、お前のような存在を、ひどくお嫌いになる。
自然なぞという曖昧なものに縋り、我らが絶対なる“力”の秩序を乱す、忌むべき異分子……。
その力を、我らが主のために差し出すか、あるいは、この土地もろとも消え去るか……選ばせてやろう」

やはり、彼らは王都からの刺客。
そして、あの穢れた魔石の力を操る者たちに違いございません。
彼らが放つ邪悪なオーラは、まるで毒のように周囲の空気を汚染し、わたくしの呼吸すらも苦しくさせるかのようでした。
恐怖に、足がすくみそうになります。
わたくしは、魔力もなければ、戦う術も持ち合わせてはおりません。
このままでは、わたくしも、この愛すべき小屋も、そして中にいる子どもたちも……。

けれど、わたくしが後ずさりかけた、その瞬間でございます。
わたくしの背後、香草園のハーブたちが、まるでわたくしを守ろうとするかのように、一斉に、その香りを力強く放ち始めたではございませんか。
浄化の力を持つセージとローズマリー、守護の力を持つアンジェリカとエルダーフラワー、そして、わたくしの決意に応えるかのように、湖畔に自生する全ての草花が……。
それら無数の清浄な香りが、一つの大きな渦となり、わたくしの身体を優しく包み込みました。
それは、見えざる、しかし何よりも強固な、香りの盾。
邪悪な気配に汚された空気が、その香りのヴェールに触れ、じりじりと浄化されていくのを感じます。

わたくしは、深く息を吸い込みました。
もはや、恐怖はございません。
あるのは、この場所を守り抜くという、静かで、しかし揺るぎない決意だけ。
わたくしの手には、ティーポットも、カップもございません。
けれど、わたくし自身が、今、この「静寂の香り亭」の、そしてこの土地の調和を司る、一杯の“お茶”そのものとなればよいのです。

「……お引き取りくださいまし。
この場所は、わたくしの大切な聖域。
あなた方のような、不調和な香りを持ち込むことは、わたくしが決してお許しいたしません」

わたくしは、静かに、しかし彼らの魂に直接響かせるかのように、はっきりとそう告げました。
黒衣の者たちは、わたくしを包む見えざる香りの力に一瞬たじろいだように見えましたが、先頭の男はすぐに杖を構え直し、その先端に、黒く禍々しい魔力を集束させ始めました。

「……面白い。
ならば、その清浄な気取りが、我らが主の“混沌の力”の前で、どこまで通用するか、試してやろうではないか……!」

男が杖を振り上げた、その瞬間。
わたくしもまた、わたくしの内なる全ての力――「極上調合」のスキルと、自然と共鳴する感覚、そしてこの土地を愛する心――を、一つに束ねるのでございました。
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