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風の民の少女リアさまとの心温まる交流から季節はさらに進み、村は、静かでどこか敬虔な、冬の気配に包まれておりました。
聖なる湖は鏡のように静まり返り、冷たく澄み切った空気を映しております。子どもたちの小さな温室の中では、冬の寒さにも負けずハーブたちが健気に緑の葉を茂らせており、その姿は村人たちの心にささやかな希望と安らぎを与えてくれておりました。
「静寂の香り亭」の暖炉の火も、ことのほか温かく感じられる、そんな季節でございます。
***
冬が近づくと、村では、ある一人の、かけがえのない人物の誕生日を村中でお祝いする準備が自然と始まります。その方とは、村で最高齢のイザベルお婆さまでございます。
彼女は、その長い人生の中で、村の歴史のほとんど全てを見てこられました。嬉しいことも、楽しいことも、そして、今ではもう語られることのなくなったささやかな出来事も、その全てが彼女の記憶の中に大切な宝物のように仕舞われております。
村の生き字引であり、そして、誰もが敬愛してやまない、優しく賢い、皆のお婆さまでございました。
その日、子どもたちが、何やら真剣な顔つきでわたくしの元へ相談にやってまいりました。
「ねえ、アナスタシアさま。もうすぐ、イザベルお婆さまのお誕生日でしょう?」
「うん。それでね、わたくしたち、今年のお婆さまへの贈り物は、これまでで一番とびっきりのものにしたいって、皆で相談したの」
「でも、何を贈ったら、お婆さま、一番喜んでくれるかな……?」
子どもたちは首を捻り、ううむ、と考え込んでおります。
イザベルお婆さまは、物欲などとうの昔に無くしてしまわれた方。高価な贈り物や珍しい品物を差し上げても、きっとお喜びにはならないでしょう。彼女が本当に大切にしているもの……それはきっと、目に見えない、心の中に在るものに違いありません。
「……アナスタシアさま。わたくし、思ったの。お婆さまは、いつもわたくしたちに、たくさんの、たくさんの昔の物語をお話ししてくださるでしょう? だから……今度はわたくしたちが、お婆さま自身の物語を、何か素敵な形にして、プレゼントして差し上げることはできないかしらって……」
ミレーヌちゃんのその言葉に、わたくしは、はっといたしました。なんと、素晴らしいアイデアでしょう。人の一生とは、それ自体が、一冊のかけがえのない壮大な物語。その物語を形にして贈る……。それ以上に心のこもった贈り物が、ありましょうか。
「ミレーヌちゃん。それは本当に、本当に素敵な考えですわ。イザベルお婆さまの、その素晴らしい人生という物語を、わたくしたち皆で、世界でたった一つの宝物の本にして差し上げるというのは、いかがかしら」
「本にするの!?」
「でも、どうやって……?」
「ふふ、そこが、わたくしの腕の見せ所でございますわ。ただ文字を書き連ねるだけではございませんのよ。お婆さまの思い出の一つ一つを、色と、そして“香り”で表現していくのです。“思い出を紡ぐ、香りのインク”を、わたくしたち皆で調合するのですわ」
「香りのインク!」「面白そう!」
子どもたちの顔が、ぱっと輝きました。
その計画はすぐに村中の大人たちの知るところとなり、皆、その素晴らしいアイデアに心からの賛同を示してくれました。イザベルお婆さまの誕生日をお祝いする、村を挙げての一大プロジェクトが、こうして始まったのでございます。
***
まず、わたくしたちはイザベルお婆さまの元を訪れ、彼女の人生の物語を、ゆっくりと詳しくお聞かせいただくことにいたしました。暖炉のそばで温かいハーブティーを飲みながら、お婆さまは、その記憶の扉を一つ、また一つと開いてくださいます。
わたくしたちも、村人たちも、そして子どもたちも、その物語に静かに深く耳を傾けました。
お婆さまがまだ小さかった頃の、甘く無邪気な思い出。それは、まるでお母様の腕の中で眠った時の、甘いミルクとカモミールの花の香りのよう……。わたくしは、そのイメージから、ごく僅かに甘い香りのするアラビアゴムを使い、カモミールの花びらをすり潰して混ぜ合わせた、優しいクリーム色のインクを調合いたしました。
お婆さまが初めて恋をした、若い頃の胸ときめく思い出。それは、村の収穫祭で、後の旦那様となる若者から贈られた、一輪の深紅の薔薇の香り……。わたくしは、ローズの花びらの色素を丁寧に抽出し、そこへ恋の情熱を象徴するかのように、ほんの少しだけカルダモンのスパイシーな香りを加えた、燃えるような赤い色のインクを。
お婆さまが母親となり、初めて我が子をその腕に抱いた時の、何物にも代えがたい喜びの記憶。それは、まるでさんさんと降り注ぐ太陽の光のような、温かく生命力に満ちた香り……。わたくしは、太陽の花カレンデュラとマリーゴールドから輝くような黄金色の色素を取り出し、そこへ柑橘系の明るい香りを添えた、希望に満ちた色のインクを調合いたしました。
そして、長い人生を重ね、多くの喜びといくつかの悲しみを乗り越えて、今この穏やかな日々を過ごしておられる、現在の彼女の心境。それは、全てを優しく包み込むような、深く安らかなラベンダーの香り……。わたくしは、ラベンダーの花から美しい紫色のインクを作り上げ、そこへ彼女の叡智を象徴するかのように、セージの清浄な香りをほんの少しだけ加えました。
インクの調合は、村人たちとの心温まる共同作業となりました。
子どもたちは、お婆さまの思い出話に合ったハーブを一生懸命、香草園から摘んできてくれます。女性たちは、そのハーブを丁寧に乳鉢ですり潰すのを手伝ってくれました。わたくしは「極上調合」の力を使い、皆の想いとハーブの力、そしてお婆さまの思い出とが完璧に調和するように、心を込めて一つ一つのインクを完成させていったのです。
その間にも、村の職人たちがこのプロジェクトのために素晴らしい品々を用意してくれておりました。パン屋のリーザさんのご主人は製本職人でもあり、この世に二つとない美しい木の表紙で装丁された、真っ白な上質紙の「思い出の本」を作り上げてくださいました。そして、老絵描きのマルクスさまは、イザベルお婆さまの、その皺の刻まれた優しい手でも握りやすいようにと、特別な、美しい流線形の白樺の木のペン軸を心を込めて削り出してくださったのです。
***
そして、いよいよイザベルお婆さまのお誕生日の日。
村人全員が彼女の小さな家に集まり、ささやかな、しかし愛情に満ちたお祝いの会が開かれました。わたくしたちは、完成したばかりの「思い出の本」と四色の「香りのインク」、そして白樺のペンを、お婆さまへと謹んで贈呈いたしました。
「まあ……まあ……なんということじゃ……」
イザベルお婆さまは、その贈り物を前に言葉もなく、ただ感涙にむせんでおられました。
そして彼女は、震える手で白樺のペンを取り、まず、あの幼い頃の思い出を象徴する、クリーム色のカモミールの香りのインクをペン先につけました。
真っ白な本の最初の頁に、ゆっくりと、しかし確かな筆致で、彼女の物語を書き記し始めたのでございます。
すると、どうでしょう。お婆さまが文字を綴るたびに、その頁からふわりと、あの甘く優しいミルクとカモミールの香りが立ち上り、その場にいるすべての者を、彼女の遠い、幸せな幼年時代へと誘ってくれるではございませんか。
頁をめくりインクの色を変えるたびに、今度は情熱的な薔薇の香りが、あるいは希望に満ちた太陽の香りが、そして安らかなラベンダーの香りが、次々と部屋中に満ちていきます。
わたくしたちは皆、まるでお婆さまの人生そのものを五感の全てで追体験しているかのような、不思議で感動的な感覚に包まれておりました。
この「思い出のインク」と「思い出の本」は、その後、この村の新しい、かけがえのない伝統となりました。村人たちは、家族の、あるいは自分自身の大切な記念日や人生の節目節目に、それぞれの思い出を象徴する特別な香りのインクで、その物語を書き記していくようになったのです。
人の一生という、尊く美しい物語が色褪せることなく、素晴らしい香りと共に未来永劫、大切に受け継がれていく……。
わたくしは、香りがただ人の心を癒すだけでなく、人の記憶と時間を繋ぎ、そしてその人生の物語を永遠に紡いでいくための、何よりも優しく力強い、魔法の道具ともなり得るのだということを、この村の人々から改めて教えていただいたのでございます。
暖炉の火に照らされた、イザベルお婆さまの幸せに満ちた横顔を、わたくしは決して忘れることはないでしょう。
聖なる湖は鏡のように静まり返り、冷たく澄み切った空気を映しております。子どもたちの小さな温室の中では、冬の寒さにも負けずハーブたちが健気に緑の葉を茂らせており、その姿は村人たちの心にささやかな希望と安らぎを与えてくれておりました。
「静寂の香り亭」の暖炉の火も、ことのほか温かく感じられる、そんな季節でございます。
***
冬が近づくと、村では、ある一人の、かけがえのない人物の誕生日を村中でお祝いする準備が自然と始まります。その方とは、村で最高齢のイザベルお婆さまでございます。
彼女は、その長い人生の中で、村の歴史のほとんど全てを見てこられました。嬉しいことも、楽しいことも、そして、今ではもう語られることのなくなったささやかな出来事も、その全てが彼女の記憶の中に大切な宝物のように仕舞われております。
村の生き字引であり、そして、誰もが敬愛してやまない、優しく賢い、皆のお婆さまでございました。
その日、子どもたちが、何やら真剣な顔つきでわたくしの元へ相談にやってまいりました。
「ねえ、アナスタシアさま。もうすぐ、イザベルお婆さまのお誕生日でしょう?」
「うん。それでね、わたくしたち、今年のお婆さまへの贈り物は、これまでで一番とびっきりのものにしたいって、皆で相談したの」
「でも、何を贈ったら、お婆さま、一番喜んでくれるかな……?」
子どもたちは首を捻り、ううむ、と考え込んでおります。
イザベルお婆さまは、物欲などとうの昔に無くしてしまわれた方。高価な贈り物や珍しい品物を差し上げても、きっとお喜びにはならないでしょう。彼女が本当に大切にしているもの……それはきっと、目に見えない、心の中に在るものに違いありません。
「……アナスタシアさま。わたくし、思ったの。お婆さまは、いつもわたくしたちに、たくさんの、たくさんの昔の物語をお話ししてくださるでしょう? だから……今度はわたくしたちが、お婆さま自身の物語を、何か素敵な形にして、プレゼントして差し上げることはできないかしらって……」
ミレーヌちゃんのその言葉に、わたくしは、はっといたしました。なんと、素晴らしいアイデアでしょう。人の一生とは、それ自体が、一冊のかけがえのない壮大な物語。その物語を形にして贈る……。それ以上に心のこもった贈り物が、ありましょうか。
「ミレーヌちゃん。それは本当に、本当に素敵な考えですわ。イザベルお婆さまの、その素晴らしい人生という物語を、わたくしたち皆で、世界でたった一つの宝物の本にして差し上げるというのは、いかがかしら」
「本にするの!?」
「でも、どうやって……?」
「ふふ、そこが、わたくしの腕の見せ所でございますわ。ただ文字を書き連ねるだけではございませんのよ。お婆さまの思い出の一つ一つを、色と、そして“香り”で表現していくのです。“思い出を紡ぐ、香りのインク”を、わたくしたち皆で調合するのですわ」
「香りのインク!」「面白そう!」
子どもたちの顔が、ぱっと輝きました。
その計画はすぐに村中の大人たちの知るところとなり、皆、その素晴らしいアイデアに心からの賛同を示してくれました。イザベルお婆さまの誕生日をお祝いする、村を挙げての一大プロジェクトが、こうして始まったのでございます。
***
まず、わたくしたちはイザベルお婆さまの元を訪れ、彼女の人生の物語を、ゆっくりと詳しくお聞かせいただくことにいたしました。暖炉のそばで温かいハーブティーを飲みながら、お婆さまは、その記憶の扉を一つ、また一つと開いてくださいます。
わたくしたちも、村人たちも、そして子どもたちも、その物語に静かに深く耳を傾けました。
お婆さまがまだ小さかった頃の、甘く無邪気な思い出。それは、まるでお母様の腕の中で眠った時の、甘いミルクとカモミールの花の香りのよう……。わたくしは、そのイメージから、ごく僅かに甘い香りのするアラビアゴムを使い、カモミールの花びらをすり潰して混ぜ合わせた、優しいクリーム色のインクを調合いたしました。
お婆さまが初めて恋をした、若い頃の胸ときめく思い出。それは、村の収穫祭で、後の旦那様となる若者から贈られた、一輪の深紅の薔薇の香り……。わたくしは、ローズの花びらの色素を丁寧に抽出し、そこへ恋の情熱を象徴するかのように、ほんの少しだけカルダモンのスパイシーな香りを加えた、燃えるような赤い色のインクを。
お婆さまが母親となり、初めて我が子をその腕に抱いた時の、何物にも代えがたい喜びの記憶。それは、まるでさんさんと降り注ぐ太陽の光のような、温かく生命力に満ちた香り……。わたくしは、太陽の花カレンデュラとマリーゴールドから輝くような黄金色の色素を取り出し、そこへ柑橘系の明るい香りを添えた、希望に満ちた色のインクを調合いたしました。
そして、長い人生を重ね、多くの喜びといくつかの悲しみを乗り越えて、今この穏やかな日々を過ごしておられる、現在の彼女の心境。それは、全てを優しく包み込むような、深く安らかなラベンダーの香り……。わたくしは、ラベンダーの花から美しい紫色のインクを作り上げ、そこへ彼女の叡智を象徴するかのように、セージの清浄な香りをほんの少しだけ加えました。
インクの調合は、村人たちとの心温まる共同作業となりました。
子どもたちは、お婆さまの思い出話に合ったハーブを一生懸命、香草園から摘んできてくれます。女性たちは、そのハーブを丁寧に乳鉢ですり潰すのを手伝ってくれました。わたくしは「極上調合」の力を使い、皆の想いとハーブの力、そしてお婆さまの思い出とが完璧に調和するように、心を込めて一つ一つのインクを完成させていったのです。
その間にも、村の職人たちがこのプロジェクトのために素晴らしい品々を用意してくれておりました。パン屋のリーザさんのご主人は製本職人でもあり、この世に二つとない美しい木の表紙で装丁された、真っ白な上質紙の「思い出の本」を作り上げてくださいました。そして、老絵描きのマルクスさまは、イザベルお婆さまの、その皺の刻まれた優しい手でも握りやすいようにと、特別な、美しい流線形の白樺の木のペン軸を心を込めて削り出してくださったのです。
***
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村人全員が彼女の小さな家に集まり、ささやかな、しかし愛情に満ちたお祝いの会が開かれました。わたくしたちは、完成したばかりの「思い出の本」と四色の「香りのインク」、そして白樺のペンを、お婆さまへと謹んで贈呈いたしました。
「まあ……まあ……なんということじゃ……」
イザベルお婆さまは、その贈り物を前に言葉もなく、ただ感涙にむせんでおられました。
そして彼女は、震える手で白樺のペンを取り、まず、あの幼い頃の思い出を象徴する、クリーム色のカモミールの香りのインクをペン先につけました。
真っ白な本の最初の頁に、ゆっくりと、しかし確かな筆致で、彼女の物語を書き記し始めたのでございます。
すると、どうでしょう。お婆さまが文字を綴るたびに、その頁からふわりと、あの甘く優しいミルクとカモミールの香りが立ち上り、その場にいるすべての者を、彼女の遠い、幸せな幼年時代へと誘ってくれるではございませんか。
頁をめくりインクの色を変えるたびに、今度は情熱的な薔薇の香りが、あるいは希望に満ちた太陽の香りが、そして安らかなラベンダーの香りが、次々と部屋中に満ちていきます。
わたくしたちは皆、まるでお婆さまの人生そのものを五感の全てで追体験しているかのような、不思議で感動的な感覚に包まれておりました。
この「思い出のインク」と「思い出の本」は、その後、この村の新しい、かけがえのない伝統となりました。村人たちは、家族の、あるいは自分自身の大切な記念日や人生の節目節目に、それぞれの思い出を象徴する特別な香りのインクで、その物語を書き記していくようになったのです。
人の一生という、尊く美しい物語が色褪せることなく、素晴らしい香りと共に未来永劫、大切に受け継がれていく……。
わたくしは、香りがただ人の心を癒すだけでなく、人の記憶と時間を繋ぎ、そしてその人生の物語を永遠に紡いでいくための、何よりも優しく力強い、魔法の道具ともなり得るのだということを、この村の人々から改めて教えていただいたのでございます。
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