ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

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「アォォォォーーーーーンッ」

フェンの叫び声が、夜の森に響き渡った。
それはもはや、子犬の鳴き声ではない。
聖獣だけが持つ、力強い叫び声だった。
その声だけで、巨大な野犬の動きが一瞬だけ止まる。
動物としての本能的な恐怖が、凶暴な食欲に勝ったのだ。

その一瞬の隙を、ノクスが見逃すはずはなかった。
真っ黒な体は影のように地面を滑り、野犬の見えない場所へ回り込む。
そしてしなやかな体をバネのように使い、野犬の首すじへ鋭い爪を立てた。

「ギャンッ」

野犬は、悲鳴を上げてその場を飛びのいた。
首すじからは、赤い血が流れている。
ひどい怪我ではなかったが、野犬の戦う気をなくすには十分だった。

獲物だと思った小さな子供に、恐ろしい二匹の護衛がいたのだ。
野犬は、完全に怯えてしまった。
そして私とフェンたちを交互に見て、情けない声を一つ上げて森の奥へ逃げた。
あっという間の、出来事だった。

「ありがとう、二人とも。助かったわ」

私は、足元に駆け寄ってきたフェンとノクスの頭を優しく撫でた。
フェンは、得意げに私の手に鼻を擦り付けてくる。
ノクスも、ゴロゴロと喉を鳴らして私の足に体をすり寄せた。

本当に、頼もしい護衛たちだ。
この子たちがいれば、私はどこでだって生きていけるだろう。

私たちは、何事もなかったかのように再び屋敷への道を歩き始めた。
しかし私の頭の中では、新しい考えが始まっていた。
野犬が現れたのは、この領地の安全が危なくなっている証拠だ。
食べ物が足りずに苦しんでいる領民が、いつ泥棒になってもおかしくない。
堤防の修理と、税の仕組みを変えるだけでは足りない。
領民たちの生活を、根本から立て直す必要がある。
そのためにはこの領地に、新しい仕事を起こす必要があるのだ。

屋敷に戻ると、私はすぐに仕事部屋にこもった。
そして、羊皮紙の上にこの領地の地図を広げる。
アークライト領は、森と丘の多い土地がほとんどだった。
大きな川が一本流れているが、農業に向いている平らな土地は少ない。
特産品と呼べるようなものも、これといってない。
それが、この領地が貧しい一番の理由だった。

「森、川、丘か」

私は、地図を眺めながら呟いた。
この何もない土地に眠る宝を、どうにかして見つけなければ。
私は前世の知識で、日本の田舎の町おこしを必死に思い出した。

「そうだ、薬草だ」

不意に、一つの可能性がひらめいた。
この領地の森は深くて、手付かずの自然が多く残っている。
もしかしたら、貴重な薬草が自然に生えているかもしれない。
ポルタの市場では、薬草はいつも高く売れる。
もし薬草園を作って安定して売れれば、それは大きな収入になるはずだ。

さらに私の頭には、バエルさんが持ってきたあの古い地図があった。
『霧の谷』に生えるという、万病に効く幻の薬草だ。
あれがもし本当に、この領地のどこかにあるのなら。

「調べる価値は、ありそうだわ」

私は、すぐに行動を始めることにした。
翌日、私はバルガスに堤防工事の監督を任せた。
そしてヘクターとセシリア、若い村人を連れて森の探索に出発した。
もちろん、フェンとノクスも一緒だ。

「なんで私たちが、こんな気味の悪い森に入らなければいけないの」

セシリアが、不満の声を上げる。
彼女の顔は、不安と恐怖でこわばっていた。

「薬草を探すのです。これは、この領地の未来がかかった重要な任務ですよ」
「それに、あなた方にはもう一つ別の目的があります」

「別の、目的だと」

ヘクターが、疑うように私を見つめた。

「ええ。あなた方にはこの森で、生き残るための技術を学んでもらいます」
「火の起こし方や水の集め方、そして食べられる植物の見分け方だ。これからの時代は、貴族でもいつまでも安全とは限らない」

私の言葉に、兄と姉は顔を見合わせた。
彼らは、私が本気で言っていることが信じられない様子だった。

森の中は、昼間でも薄暗かった。
湿った土の匂いと、草のむっとする匂いがした。
私は前世の図鑑の知識と、フェンの鋭い鼻を頼りに薬草を探す。

「あ、これは血を止める効果のある『キズナグサ』ですね」
「こっちには熱を下げる、ヒンヤリソウがたくさん生えているわ」

私の知識に、村人たちは驚きの声を上げた。

「リリア様は、薬草にもお詳しいのですな」
「まるで、薬師のようです」

「少し、本を読んだだけですよ」

私は、そう言いながらも次々と薬草を集めていく。
ヘクターとセシリアは、最初は困っていた。
しかし私が楽しそうに薬草を摘むのを見て、少しずつ興味を持ち始めた。

「リリア、その葉っぱは本当に食べられるのか」
「このキノコは、どうなんだ」

彼らは、子供のように次々と質問してくる。
私は、一つ一つ丁寧にそれに答えてやった。
彼らが貴族の暮らししか知らない、その世界の狭さを少しでも分かってくれればいい。

その日の探索では、十種類以上の薬草を見つけることができた。
中にはポルタで銀貨数枚で売れる、貴重なものも含まれている。
この森は、やはり宝の山だったのだ。

私たちは、その日の夜に森の中で野宿をすることにした。
ヘクターは私が教えた通りに、必死で火を起こそうとしている。
セシリアは村の娘に教わりながら、ぎこちない手つきでスープを作っていた。
その光景は、数日前には想像もできないものだった。

焚き火の炎が、ぱちぱちと音を立てて燃えている。
その温かい光が、私たちの顔を照らしていた。

「なあ、リリア」

不意に、ヘクターが口を開いた。

「何です、兄様」

「お前は、どうしてそんなに色々なことを知っているんだ」
「薬草のことも土木のことも、そして経営のこともだ。まるで、何十年も生きてきた人間みたいじゃないか」

その質問は、私の秘密に触れるものだった。
私は、一瞬だけ言葉に詰まってしまう。
しかし、すぐにいつもの冷静さを取り戻した。

「さあ、どうしてでしょうね」
「ただ、兄様たちが知らなすぎるだけではないですか」

私の言葉に、ヘクターは何も言えなかった。
彼は悔しそうに唇を噛み、また火起こしの作業に戻った。

その夜、私はなかなか寝付けなかった。
焚き火の向こうで、村人たちがひそひそと話しているのが聞こえる。

「リリア様は、本当にすごいお方だ」
「あんなに小さいのに、俺たちの誰よりも賢くてそしてお強い」
「まるで、女神様みたいだぜ」

女神、か。
その言葉は、私には少しだけくすぐったかった。
私がやっていることは、ただ自分の知識を使っているだけだ。
しかし、それがこの領地の人々にとっては希望の光に見えているのかもしれない。
その期待には、応えなければならない。
私は、改めて強くそう思った。

森での探索は、三日間続いた。
私たちは、最終的に三十種類以上の薬草を発見した。
そして、その分布図を作ることに成功した。
これで、薬草園を作るための基礎資料は集まった。

屋敷に戻ると、アルフォンスが興奮した様子で私を待っていた。

「リリア。王都から、返事が来たぞ」

彼が差し出した羊皮紙には、王家のしるしが刻まれている。
それは私の計画書と、父のお願いの手紙に対する王宮からの返事だった。
その内容は、私の予想をはるかに超えるものだった。

王宮は、この領地の再建計画を全て支持するという。
そして堤防を直すお金として、金貨百枚を援助するそうだ。
それだけではない、税の支払いを今後五年間免除するという特別な条件までついていた。

「すごい。まさか、これほどの良い条件を引き出せるとは」

私も、これには素直に驚いた。
私の計画が、それだけ王宮に高く評価されたということだろう。
あるいは私の背後にいる、商業ギルドの力を無視できなかったのかもしれない。

「やったぞ、リリア。これで、この領地は救われる」

アルフォンスは、子供のようにはしゃいでいる。
その顔には、かつての領主としての自信が少しだけ戻っていた。
私も、素直にその結果を喜んだ。
これで、お金の問題は完全に解決した。
あとは、計画通りに実行していくだけだ。

領地の再建は、そこから一気に速まった。
王宮からのたくさんのお金を得て、堤防の修復工事は急いで進められた。
ヘクターは、最初は嫌々だった。
しかし、いつしか領民たちに混じって泥まみれで働くようになっていた。
その顔つきは、以前のいばった少年のものではなくなってきている。

セシリアも、食事の準備などを手伝うことを通じて村の女たちと少しずつ仲良くなっていった。
彼女は、生まれて初めて自分以外の誰かのために働く喜びを知ったのかもしれない。

そして、私は薬草園の建設計画を始めた。
森の探索で手に入れた資料を元にして、最も効率よく薬草を育てられる場所を選ぶ。
村人たちの中から薬草栽培に興味のある者を集めて、専門のチームも作った。

全てが、順調に進んでいるように見えた。
しかし、私はまだ満足していなかった。
この領地が本当に自立するには、もう一つ何か強い柱がいる。
薬草だけでは、まだ足りない。

そんなある日、私は仕事部屋でバエルさんの古い地図を改めて眺めていた。
『霧の谷』と、そこに眠るという幻の薬草。
もし、これを見つけ出すことができれば。

私は、地図に描かれた地形と領地の地図を何度も見比べた。
そして、ある一つの可能性にたどり着く。
地図の『霧の谷』は、領地の北にある禁断の森の奥深くにあるのではないか。

「行くしかない、わね」

私の探究心に、火がついた。
それは危険な賭けだと、分かっている。
しかし大きなものを得るためには、時には危険を冒す必要もあるのだ。

私は、誰にも言わずに一人で旅の準備を始めた。
食料と水、そして薬草をいくつかカバンに詰める。
もちろん、フェンとノクスも一緒だ。
この二匹がいれば、どんな危険な場所でも乗り越えられるはずだ。
深夜、私は家族が寝静まったのを見計らってそっと屋敷を抜け出した。
目指すは、北の禁断の森。
幻の薬草が眠るという、霧の谷へ。
その時、背後から落ち着いた声がかけられた。

「どこへ行くんだ、リリア」

振り返ると、そこに立っていたのは兄のゼロだった。
彼は、いつからそこにいたのだろうか。
まるで、闇に溶け込むようにしてそこに佇んでいる。

「あなたには、関係ないことです」

私は、警戒しながら答えた。

「霧の谷へ、行くんだろう」

ゼロの言葉に、私は息を飲んだ。
なぜ、彼がそれを知っているのか。

「その地図は、もともと俺がアークライト家から持ち出したものだ。巡り巡って、君の手に渡ったようだな」
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