ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

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重々しいマホガニーの扉が、背後でゆっくりと閉まった。
ボルジア辺境伯の書斎は、良い趣味と悪い趣味が入り混じった不思議な場所だった。
壁いっぱいの本棚には、革で表紙を飾った高い専門書がきちんと並んでいる。
しかし部屋の隅には、趣味の悪い黄金の骸骨の飾りが置かれていた。

「さあ旅芸人の娘よ、お前が言う特別な芸を見せてみろ」

ボルジア辺境伯は、部屋の真ん中にある大きな机の後ろにどっしりと座った。
その目は私とフェンとノクスを、まるで品定めするように見つめている。
彼の隣にいる娘のアンジェラは、期待に満ちた目でこちらを見ていた。
彼女の興味は、もはや私の芸ではなく可愛い二匹の動物に移っているようだ。

「はい旦那様、ですがこの芸は本当に特別なものですので。準備に、ほんの少しだけ時間をいただいてもよろしいでしょうか」

私は、わざと意味があるように言った。
人の心とは面白いもので、「特別」や「秘密」という言葉を強く言うほど期待は高まる。
そして、少しの無理なら聞いてもらえるようになるのだ。

「フン、もったいぶらないで早くしなさい」

アンジェラが、わがままそうに唇を尖らせた。

「まあまあアンジェラ、良い芸というものは準備に時間がかかるものなのだ」

ボルジア辺境伯は、娘をなだめながらもその目は私から離さない。
彼は、私の度胸と落ち着いた態度に少しだけ興味を持ち始めたようだった。
それこそが、私の狙いであった。

「フェン、ノクス。お願いね」

私は、二匹だけに聞こえるように小さくささやいた。
フェンは私の考えを分かったのか、アンジェラの足元へと駆け寄っていく。
そして、その場でくるりと一回転してみせた。
さらに前足をちょこんと揃えてお辞儀をすると、アンジェラに向かって「きゅん」と可愛く鳴いた。

「まあ、可愛い……!」

アンジェラの目は、すっかり心を奪われていた。
彼女は、フェンの銀色の毛皮を夢中になって撫で始める。
ボルジア辺境伯も、その光景に思わず笑みを浮かべていた。
よし、最初の段階はうまくいった。

次に、ノクスが音もなく部屋の隅にある暖炉の上へと飛び乗った。
そして、そこからカーテンレールの上へと軽々と移る。
まるで、黒い影が部屋の中を舞っているかのようであった。

「すごいわ!あの子、飛んでいるみたい!」

アンジェラの注意は、ノクスの軽やかな動きにすっかり釘付けになった。
ボルジア辺境伯も、感心したようにその姿を目で追っている。
今だ。
父と娘の注意が、完全に私からそれているこの一瞬。
私は、部屋の中を素早く観察し始めた。
しかし、決して怪しまれないように注意した。

私の目は、前の世界で身につけた特別な訓練を受けている。
たくさんの書類の中から、たった一つの数字の間違いを見つけるための訓練だ。
その目は、物事のほんの少しのずれや違和感を見逃さない。

本棚、机、壁に飾られた絵画、床の絨毯。
一見、何も変わったところのない書斎の風景だ。
しかし、私の目にはいくつかの不自然な点が映っていた。

まず、本棚である。
高い専門書が、種類ごとに整理されて並んでいる。
しかし歴史書の棚の一角だけ、本の背表紙の高さが数ミリだけ不揃いな場所があった。
普通の人なら、気にもしないような本当に小さなずれだ。
だが完璧を好みそうな辺境伯の性格を考えれば、そのずれはあまりにも不自然だった。

次に、床の絨毯だ。
最高級のペルシャ絨毯が、床いっぱいに敷かれている。
しかし机のすぐ下の一部分だけ、絨毯の毛の向きが他と逆になっている場所があった。
まるで、最近その部分だけをめくったような跡である。

そして最後に、壁に飾られた海の絵画だ。
美しい帆船が描かれた、見事な油絵である。
しかしその絵画だけが、他と比べて不自然なほど壁から数ミリ浮き上がって取り付けられているように見えた。

三つの、怪しい場所。
裏帳簿が隠されているとしたら、このどれかに違いない。
時間は、ない。
私は、最も可能性が高い場所へと狙いを定めた。

本棚の、背表紙のずれ。
あれは、目をそらすための偽物だ。
わざと不自然な場所を作ることで、本当の隠し場所から注意をそらそうとする昔ながらの手口である。
絨毯の下も、可能性はある。
しかし、毎日座る机のすぐ下にそんな大事なものを隠すだろうか。
危険が、大きすぎる。

残るは、壁の絵画だ。
あれこそが、一番怪しい。
私は、アンジェラに話しかけるふりをしてごく自然にその絵画へと近づいた。

「お嬢様、ノクスの本当のすごさはここからですわ」

私がそう言うと、ノクスはカーテンレールからひらりと飛び降りた。
そして、私が指差した絵画の額縁の上に見事に着地する。

「まあ、すごいわ!」

アンジェラが、手を叩いて喜んだ。
その隙に、私は絵画の裏側をそっと指で探る。
あった。
額縁の裏側、指先がなんとか届く場所に小さな出っ張りのようなものがある。
スイッチだ、間違いない。

私は、ノクスを褒めるふりをしてそのスイッチを押し込んだ。
ごくわずかに、カチリという小さな音がする。
次の瞬間、私のすぐ横にあった本棚の一部が音もなく静かに横へと動いた。
本棚の裏側に、隠し金庫が現れたのだ。

「……!」

ボルジア辺境伯が、息をのむのが分かった。
彼の顔から、血の気が引いている。
まさか、こんな子供に自分の最大の秘密を暴かれるとは夢にも思わなかったのだろう。
しかし、もう遅い。

「まあ大変、ノクスが何か壊してしまったようですわ」

私は、わざと驚いたような声を上げた。
そして、アンジェラに向かって言った。

「お嬢様申し訳ありません、お詫びにこの子たちの一番の得意技をお見せしますわ。フェン、ノクス、『月の輪』よ!」

私が合図をすると、フェンはその場でくるくると速く回転を始めた。
その銀色の毛皮が、まるで光の輪のように見える。
同時に、ノクスがフェンの背中を足場にして高くジャンプした。
そして、空中で三回転してみせる。
二匹の見事な連携技に、アンジェラの目は完全に釘付けになった。

ボルジア辺境伯の意識も、一瞬だけそちらへと向かう。
そのわずかな時間で、私は隠し金庫の中身を確かめた。
金庫の中には、金の延べ棒や宝石と共に数冊の黒い革のノートが置かれていた。
これだ、裏帳簿に違いない。
全てを持ち出すのは、不可能だ。
私は、その場でノートを数ページだけ開いた。
そして、そこに書かれた数字と取引先の名前を驚くべき速さで記憶していく。
日付、金額、品物、関わった人間の名前。
前の世界で鍛えた私の記憶力は、見たものを写真のように脳に焼き付けることができた。

数秒後、私は何事もなかったかのようにノートを金庫に戻した。
そして、本棚を元の位置へと戻す。
全ては、一瞬の出来事であった。

「どうでしたかお嬢様、これが私たちの一番の芸ですの」

私が振り返ると、アンジェラはまだ興奮した様子で拍手をしていた。
ボルジア辺境伯だけが、疑いの目で私と隠し金庫があった場所を交互に見ている。
しかし、彼には何の証拠もない。
本棚は、元の位置に完璧に戻っていた。

「……見事な、芸だったな」

ボルジア辺境伯は、絞り出すような声で言った。
その顔は、まだ少し青白い。

「では私たちはこれで失礼いたしますわ、お嬢様のお誕生日まことにおめでとうございます」

私は、美しくお辞儀をした。
そして、フェンとノクスを抱きかかえて書斎を出る。
背中に、ボルジア辺境伯の突き刺さるような視線を感じた。
しかし、私は一度も振り返らなかった。

屋敷の外へ出ると、パーティーのにぎやかさが嘘のようだった。
私は、人目を避けるように裏通りへと急ぐ。
そして、あらかじめ決めておいた廃墟の教会で待っているはずの人の元へ向かった。
月明かりが、崩れかけた教会のステンドグラスをぼんやりと照らしている。
その祭壇の前に、黒い影が一つ立っていた。

「兄様」

私が声をかけると、ゼロ兄様がゆっくりとこちらを振り返った。

「どうだった」

「ええうまくいきましたわ、完璧な証拠をこの頭の中に記憶してきました」

私は、書斎で見た裏帳簿の内容をゼロ兄様に語り始めた。
海賊との密輸、奴隷売買、そして港の税収をごまかしていたこと。
その手口と、関わった者たちの名前。
私の記憶は、一言も間違えずに全ての情報を再現していく。

私の話を聞き終えたゼロ兄様は、感心したようにため息をついた。

「……お前の頭の中は、一体どうなっているんだ。本当に、化け物だな」

「褒め言葉として、受け取っておきますわ」

「それでどうする、この情報をすぐに王子に報告するのか」

ゼロ兄様が、真剣な顔で尋ねた。

「いいえ、それではまだ足りません」

私は、首を横に振った。

「帳簿の記録だけでは、ボルジア辺境伯は言い逃れをするかもしれません。私たちには、彼が言い逃れのできない『動かぬ証拠』が必要です」

「動かぬ証拠、だと」

「ええ。例えば、彼が海賊と取引をしている現場とか密輸品を隠している倉庫とか」

私の言葉に、ゼロ兄様はにやりと笑みを浮かべた。
その笑みは、これから始まる狩りを楽しむ肉食の獣のようだった。

「面白い、その情報ならちょうど手に入ったところだ」

ゼロ兄様は、懐から一枚の地図を取り出した。

「奴らが、次の取引に使う秘密の港の場所だ。三日後の、満月の夜にそこで大きな取引が行われるらしい。俺の仲間が、命がけで手に入れてきた情報だ。間違いは、ない」

「三日後の、満月の夜」

私は、その言葉を繰り返した。
全てが、つながった。
点と点が線になり、一つの完璧な計画が出来上がっていく。

「兄様、また力を貸していただけますね」

「フン、言うまでもない。面白くなってきたじゃないか」

私たちは、顔を見合わせて笑い合った。
ボルジア辺境伯の、最後の時が近づいている。
この港町に、本当の正義を取り戻すための戦いが始まろうとしていた。
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