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「見つけたぞ、リリア・アークライト」
夜の森に、憎しみのこもった声が響き渡った。
道の両側から現れた男たちは、全部で二十人ほどだろうか。
その手には、錆びついた剣や斧が握られている。
彼らの目は、飢えた獣のようにぎらついていた。
服装はばらばらだったが、胸には見覚えのあるサソリの印があった。
ヴァロワ伯爵家に仕えていた、私兵たちの生き残りである。
そして、その真ん中に一人の青年が立っていた。
年は、ヘクター兄様と同じくらいに見える。
上等な服は土で汚れ、整っていたであろう髪はひどく乱れていた。
しかし、その瞳だけが異常な熱を帯びている。
私を、まっすぐに見ていた。
捕らえられたヴァロワ伯爵の長男、ジュリアーノだ。
彼は、復讐という悪い考えに心を支配されているようだった。
「父の、そして我が家の仇め。ここで、その命をもらうぞ」
ジュリアーノの言葉は、まるで呪いのようだった。
彼の後ろにいる兵士たちが、じりじりと私たちを囲むように動き始める。
馬車は完全に包囲されて、逃げ場はどこにもない。
御者は、顔を真っ青にしてぶるぶると震えていた。
もう絶対に逃げられない、そんな状況だ。
普通なら、四歳の子供は泣き叫んでもおかしくないだろう。
しかし私の心は、不思議なくらい落ち着いていた。
怖いという気持ちよりも先に、冷静な分析が始まってしまうのは私の性格らしい。
(兵士の数は、二十人。強さは、それほどでもないわね。服装の乱れや武器がそろっていないことから見て、負けて逃げてきた兵士の集まりだろう。それに、彼らの目には憎しみよりも生活への不安の色が濃い。たぶん、ジュリアーノがお金で雇ったのでしょう)
私は、一瞬で敵の力を分析した。
問題は、リーダーであるジュリアーノだ。
彼の瞳には、まともな光が見えない。
復讐心だけで動いている人間は、何をするか分からない。
一番、面倒な相手だった。
「リリア、馬車の中にいろ。こいつらは、俺が片付ける」
私の隣で、静かに馬車を降りたゼロ兄様が低い声で言った。
その手には、いつの間にか二本の短い剣が握られている。
月の光を浴びて、その刃が怪しくきらめいた。
「兄様、お一人で戦うのですか」
「ああ、問題ない。こんな弱い奴ら、何人いたって同じことだ」
ゼロ兄様は、肩をすくめてみせた。
その態度は、絶対の自信に満ちている。
裏社会で生き抜いてきた彼の腕は、本物だ。
それは、霧の谷で巨大な蜘蛛と戦った時に証明されている。
「面白い、たった一人で我々全員を相手にするつもりか」
ジュリアーノが、馬鹿にするように言った。
「兄をなめるなよ、小僧。そいつは、俺たちの獲物だ。手出しは、絶対にさせない」
「やれ、殺せ。あの小娘も、そいつの仲間も、皆殺しにするんだ」
ジュリアーノの狂ったような叫び声が、合図になった。
二十人の兵士たちが、大きな声を上げて一斉にゼロ兄様へと襲いかかる。
数の上では、とても不利な状況だ。
しかし、ゼロ兄様はまったく動じていなかった。
彼は、まるで舞いを舞うかのように動く。
兵士たちの攻撃を、ひらりひらりとかわしていく。
その動きには、一切の無駄がない。
最小限の動きで相手の力を受け流し、そして急所へ正確な一撃を叩き込んでいく。
短い剣の柄で、みぞおちを突く。
刃の背で、手首の関節を打った。
彼の攻撃は、決して相手の命を奪うものではない。
ただ、確実に相手の戦う力だけを奪っていく。
その無駄のない動きは、もはや芸術のようだった。
兵士たちは、何が起こったのかも分からないまま次々と地面に倒れていく。
ゼロ兄様の体は、まるで黒い竜巻のようだった。
私は、馬車の窓からその光景を冷静に見つめていた。
フェンとノクスは、いつでも飛び出せるように私の足元で低く体を構えている。
だが、まだ彼女たちの出番ではなかった。
「な、なんだこいつは。化け物か」
兵士たちの中から、悲鳴のような声が上がった。
彼らの心は、完全に折れている。
目の前にいる男が、自分たちとはレベルの違う存在だと本能で理解したのだ。
残った数人の兵士たちは、武器を捨てて逃げ出していく。
ゼロ兄様は、そんな彼らを追いかけなかった。
あっという間に、戦いは終わった。
後に残されたのは、地面に倒れてうめく十数人の兵士たちだ。
そして、ぼうぜんと立ち尽くすジュリアーノだけがいる。
その前に立つ黒いマントの男、それがゼロ兄様だった。
「さて、と。大将が、一人残ったな」
ゼロ兄様は、短い剣の先をジュリアーノに向けた。
ジュリアーノは、わなわなと震えている。
その顔には、信じられないという驚きがあった。
そして、自分の無力さへの絶望が浮かんでいた。
「き、貴様、何者なんだ」
「言ったはずだ、ただの通りすがりだと」
「ふ、ふざけるな。ヴァロワ家の復讐を、邪魔するな」
ジュリアーノは、再び狂ったように叫んだ。
そして、自ら剣を抜いてゼロ兄様へと斬りかかっていく。
その剣の振り方は、素人が見ても分かるほどめちゃくちゃだった。
ただ、憎しみに任せて振り回しているだけだ。
ゼロ兄様は、その攻撃をため息まじりにひょいと避ける。
そして、ジュリアーノのみぞおちに正確な蹴りを一発見舞った。
「ぐふっ」
ジュリアーノは、カエルのようなうめき声を上げてその場に崩れ落ちた。
完全に、勝負はついた。
私は、ゆっくりと馬車を降りる。
ゼロ兄様の元へと、歩み寄った。
「お見事でしたわ、兄様」
「フン、たいした運動にもならん」
ゼロ兄様は、短い剣をさやに収めながらぶっきらぼうに言った。
私は、地面に倒れて苦しそうに息をするジュリアーノを見下ろす。
その瞳には、もう憎しみの炎は残っていなかった。
ただ、からっぽな光が揺れているだけだ。
「哀れな方ですね」
私は、そうつぶやいた。
「復讐心に心を食い尽くされ、自分を見失ってしまったのですね。ヴァロワ伯爵も、まさか自分の息子がこんな最後を迎えるとは思わなかったでしょう」
「自分のしたことが返ってきただけだ。あの男が、まともな教育をしなかったせいだ」
ゼロ兄様は、冷たく言い放った。
彼の言葉は、正しかった。
この青年は、父親のゆがんだ愛情と大きすぎる期待の中で育てられた被害者なのかもしれない。
「この男、どうしますか。王都へ、連れて行きますか」
「いや、その必要はないだろう。こいつは、もう何の力も持っていない」
ゼロ兄様は、そう言うと倒れている兵士の一人から財布を抜き取った。
そして、その中に入っていた銅貨を数枚だけ取り出す。
ジュリアーノの前に、それを投げ捨てた。
「その金で、どこか遠くへでも行くがいい。そして、二度と俺たちの前に姿を見せるな。次に会った時が、お前の本当の命日だと思え」
ゼロ兄様の冷たい声は、ジュリアーリの心に深く刺さったようだった。
彼は、何も言えずにただ震えている。
私は、その様子を黙って見ていた。
そして、ふと何かを思いつく。
私は、自分の荷物の中から一枚の羊皮紙とペンを取り出した。
その場で、さらさらと何かを書き始める。
それは、私がポルタの市場で調べた穀物の値段の変化に関する簡単な報告書だった。
「これを、あなたにあげます」
私は、その報告書をジュリアーノの前に置いた。
ジュリアーノは、不思議そうな顔で私を見つめる。
「なんだ、これは」
「未来を予測するための、ささやかなヒントですわ。復讐に生きるのも、新しい人生を歩むのもあなたの自由です。ですがもし、あなたがもう一度立ち上がりたいと願うなら、その知識がいつかあなたの助けになるかもしれません」
私の言葉に、ジュリアーノは息をのんだ。
彼は、私が何をしているのか理解できないという表情をしている。
無理もないだろう。
自分を殺そうとした相手に、手を差し伸べる人間などいるはずがないのだから。
「なぜ、だ。なぜ、俺にそんなものを」
「さあ、どうしてでしょうね。ただの、気まぐれかもしれませんわ」
私は、それだけ言うと彼に背を向けた。
ゼロ兄様も、私の行動に少しだけ驚いたようだったが何も言わない。
私たちは、倒れている兵士たちをそのままにして再び馬車に乗り込んだ。
馬車が、またゆっくりと動き出す。
窓の外で、ジュリアーノがぼうぜんとこちらを見ているのが見えた。
彼の横には、私が残した一枚の羊皮紙が落ちている。
彼が、どちらの道を選ぶのか。
それは、私にも分からない。
だが、私は彼にほんの小さな可能性の種をまいた。
その種が、いつか芽を出す日が来ることを心のどこかで願っていた。
「リリア、お前は甘いな」
馬車の中で、ゼロ兄様がぽつりと言った。
「そうでしょうか」
「ああ、甘い。俺なら、あんな奴は容赦なく殺していた。生かしておけば、いつかまた牙をむくか分からんぞ」
「そうかもしれません。ですが、私は人を殺すのは好きではありませんので。それに、彼を生かしておくことにも商売としての価値はあるのです」
「価値、だと」
ゼロ兄様が、不思議そうな顔をした。
「ええ。ヴァロワ家の最後の生き残りである彼が、もし心を入れ替えてまっとうな商人として成功したなら。それは、私とアークライト家の心の広さを示す、これ以上ない宣伝になりますわ。『敵さえも許し、やり直す機会を与えるなさけ深いリリア』。そんな物語が生まれれば、私の評判はさらに上がるでしょう」
私の計算している言葉に、ゼロ兄様はあきれたようにため息をついた。
「やはり、お前は化け物だ。どこまでが本心で、どこからが計算なのか全く分からん」
「さあ、どうでしょうね」
私は、いたずらっぽく笑ってみせた。
王都までの残りの道のりは、何事もなく過ぎていく。
私たちは、再び王都アウレリアの土を踏んだ。
そして、まっすぐに王宮へと向かう。
アーノルド殿下へ、報告するためだ。
今回のポルトゥスでの出来事、そしてジュリアーノの襲撃。
全てを、ありのままに伝える必要がある。
そして、この事件をどう利用してアークライト家の立場をさらに有利にするか。
私の頭の中では、すでに次の作戦が組み立てられ始めていた。
王宮の門をくぐると、一人の役人が慌てた様子で私たちに駆け寄ってきた。
「リリア・アークライト様、お待ちしておりました。殿下が、すぐにお会いしたいとのことです。どうやら、隣国で何か大きな動きがあったようでして」
その言葉に、私の眉がぴくりと動いた。
どうやら、休んでいる暇はなさそうだ。
新たな問題の気配が、私を待ち構えているようだった。
夜の森に、憎しみのこもった声が響き渡った。
道の両側から現れた男たちは、全部で二十人ほどだろうか。
その手には、錆びついた剣や斧が握られている。
彼らの目は、飢えた獣のようにぎらついていた。
服装はばらばらだったが、胸には見覚えのあるサソリの印があった。
ヴァロワ伯爵家に仕えていた、私兵たちの生き残りである。
そして、その真ん中に一人の青年が立っていた。
年は、ヘクター兄様と同じくらいに見える。
上等な服は土で汚れ、整っていたであろう髪はひどく乱れていた。
しかし、その瞳だけが異常な熱を帯びている。
私を、まっすぐに見ていた。
捕らえられたヴァロワ伯爵の長男、ジュリアーノだ。
彼は、復讐という悪い考えに心を支配されているようだった。
「父の、そして我が家の仇め。ここで、その命をもらうぞ」
ジュリアーノの言葉は、まるで呪いのようだった。
彼の後ろにいる兵士たちが、じりじりと私たちを囲むように動き始める。
馬車は完全に包囲されて、逃げ場はどこにもない。
御者は、顔を真っ青にしてぶるぶると震えていた。
もう絶対に逃げられない、そんな状況だ。
普通なら、四歳の子供は泣き叫んでもおかしくないだろう。
しかし私の心は、不思議なくらい落ち着いていた。
怖いという気持ちよりも先に、冷静な分析が始まってしまうのは私の性格らしい。
(兵士の数は、二十人。強さは、それほどでもないわね。服装の乱れや武器がそろっていないことから見て、負けて逃げてきた兵士の集まりだろう。それに、彼らの目には憎しみよりも生活への不安の色が濃い。たぶん、ジュリアーノがお金で雇ったのでしょう)
私は、一瞬で敵の力を分析した。
問題は、リーダーであるジュリアーノだ。
彼の瞳には、まともな光が見えない。
復讐心だけで動いている人間は、何をするか分からない。
一番、面倒な相手だった。
「リリア、馬車の中にいろ。こいつらは、俺が片付ける」
私の隣で、静かに馬車を降りたゼロ兄様が低い声で言った。
その手には、いつの間にか二本の短い剣が握られている。
月の光を浴びて、その刃が怪しくきらめいた。
「兄様、お一人で戦うのですか」
「ああ、問題ない。こんな弱い奴ら、何人いたって同じことだ」
ゼロ兄様は、肩をすくめてみせた。
その態度は、絶対の自信に満ちている。
裏社会で生き抜いてきた彼の腕は、本物だ。
それは、霧の谷で巨大な蜘蛛と戦った時に証明されている。
「面白い、たった一人で我々全員を相手にするつもりか」
ジュリアーノが、馬鹿にするように言った。
「兄をなめるなよ、小僧。そいつは、俺たちの獲物だ。手出しは、絶対にさせない」
「やれ、殺せ。あの小娘も、そいつの仲間も、皆殺しにするんだ」
ジュリアーノの狂ったような叫び声が、合図になった。
二十人の兵士たちが、大きな声を上げて一斉にゼロ兄様へと襲いかかる。
数の上では、とても不利な状況だ。
しかし、ゼロ兄様はまったく動じていなかった。
彼は、まるで舞いを舞うかのように動く。
兵士たちの攻撃を、ひらりひらりとかわしていく。
その動きには、一切の無駄がない。
最小限の動きで相手の力を受け流し、そして急所へ正確な一撃を叩き込んでいく。
短い剣の柄で、みぞおちを突く。
刃の背で、手首の関節を打った。
彼の攻撃は、決して相手の命を奪うものではない。
ただ、確実に相手の戦う力だけを奪っていく。
その無駄のない動きは、もはや芸術のようだった。
兵士たちは、何が起こったのかも分からないまま次々と地面に倒れていく。
ゼロ兄様の体は、まるで黒い竜巻のようだった。
私は、馬車の窓からその光景を冷静に見つめていた。
フェンとノクスは、いつでも飛び出せるように私の足元で低く体を構えている。
だが、まだ彼女たちの出番ではなかった。
「な、なんだこいつは。化け物か」
兵士たちの中から、悲鳴のような声が上がった。
彼らの心は、完全に折れている。
目の前にいる男が、自分たちとはレベルの違う存在だと本能で理解したのだ。
残った数人の兵士たちは、武器を捨てて逃げ出していく。
ゼロ兄様は、そんな彼らを追いかけなかった。
あっという間に、戦いは終わった。
後に残されたのは、地面に倒れてうめく十数人の兵士たちだ。
そして、ぼうぜんと立ち尽くすジュリアーノだけがいる。
その前に立つ黒いマントの男、それがゼロ兄様だった。
「さて、と。大将が、一人残ったな」
ゼロ兄様は、短い剣の先をジュリアーノに向けた。
ジュリアーノは、わなわなと震えている。
その顔には、信じられないという驚きがあった。
そして、自分の無力さへの絶望が浮かんでいた。
「き、貴様、何者なんだ」
「言ったはずだ、ただの通りすがりだと」
「ふ、ふざけるな。ヴァロワ家の復讐を、邪魔するな」
ジュリアーノは、再び狂ったように叫んだ。
そして、自ら剣を抜いてゼロ兄様へと斬りかかっていく。
その剣の振り方は、素人が見ても分かるほどめちゃくちゃだった。
ただ、憎しみに任せて振り回しているだけだ。
ゼロ兄様は、その攻撃をため息まじりにひょいと避ける。
そして、ジュリアーノのみぞおちに正確な蹴りを一発見舞った。
「ぐふっ」
ジュリアーノは、カエルのようなうめき声を上げてその場に崩れ落ちた。
完全に、勝負はついた。
私は、ゆっくりと馬車を降りる。
ゼロ兄様の元へと、歩み寄った。
「お見事でしたわ、兄様」
「フン、たいした運動にもならん」
ゼロ兄様は、短い剣をさやに収めながらぶっきらぼうに言った。
私は、地面に倒れて苦しそうに息をするジュリアーノを見下ろす。
その瞳には、もう憎しみの炎は残っていなかった。
ただ、からっぽな光が揺れているだけだ。
「哀れな方ですね」
私は、そうつぶやいた。
「復讐心に心を食い尽くされ、自分を見失ってしまったのですね。ヴァロワ伯爵も、まさか自分の息子がこんな最後を迎えるとは思わなかったでしょう」
「自分のしたことが返ってきただけだ。あの男が、まともな教育をしなかったせいだ」
ゼロ兄様は、冷たく言い放った。
彼の言葉は、正しかった。
この青年は、父親のゆがんだ愛情と大きすぎる期待の中で育てられた被害者なのかもしれない。
「この男、どうしますか。王都へ、連れて行きますか」
「いや、その必要はないだろう。こいつは、もう何の力も持っていない」
ゼロ兄様は、そう言うと倒れている兵士の一人から財布を抜き取った。
そして、その中に入っていた銅貨を数枚だけ取り出す。
ジュリアーノの前に、それを投げ捨てた。
「その金で、どこか遠くへでも行くがいい。そして、二度と俺たちの前に姿を見せるな。次に会った時が、お前の本当の命日だと思え」
ゼロ兄様の冷たい声は、ジュリアーリの心に深く刺さったようだった。
彼は、何も言えずにただ震えている。
私は、その様子を黙って見ていた。
そして、ふと何かを思いつく。
私は、自分の荷物の中から一枚の羊皮紙とペンを取り出した。
その場で、さらさらと何かを書き始める。
それは、私がポルタの市場で調べた穀物の値段の変化に関する簡単な報告書だった。
「これを、あなたにあげます」
私は、その報告書をジュリアーノの前に置いた。
ジュリアーノは、不思議そうな顔で私を見つめる。
「なんだ、これは」
「未来を予測するための、ささやかなヒントですわ。復讐に生きるのも、新しい人生を歩むのもあなたの自由です。ですがもし、あなたがもう一度立ち上がりたいと願うなら、その知識がいつかあなたの助けになるかもしれません」
私の言葉に、ジュリアーノは息をのんだ。
彼は、私が何をしているのか理解できないという表情をしている。
無理もないだろう。
自分を殺そうとした相手に、手を差し伸べる人間などいるはずがないのだから。
「なぜ、だ。なぜ、俺にそんなものを」
「さあ、どうしてでしょうね。ただの、気まぐれかもしれませんわ」
私は、それだけ言うと彼に背を向けた。
ゼロ兄様も、私の行動に少しだけ驚いたようだったが何も言わない。
私たちは、倒れている兵士たちをそのままにして再び馬車に乗り込んだ。
馬車が、またゆっくりと動き出す。
窓の外で、ジュリアーノがぼうぜんとこちらを見ているのが見えた。
彼の横には、私が残した一枚の羊皮紙が落ちている。
彼が、どちらの道を選ぶのか。
それは、私にも分からない。
だが、私は彼にほんの小さな可能性の種をまいた。
その種が、いつか芽を出す日が来ることを心のどこかで願っていた。
「リリア、お前は甘いな」
馬車の中で、ゼロ兄様がぽつりと言った。
「そうでしょうか」
「ああ、甘い。俺なら、あんな奴は容赦なく殺していた。生かしておけば、いつかまた牙をむくか分からんぞ」
「そうかもしれません。ですが、私は人を殺すのは好きではありませんので。それに、彼を生かしておくことにも商売としての価値はあるのです」
「価値、だと」
ゼロ兄様が、不思議そうな顔をした。
「ええ。ヴァロワ家の最後の生き残りである彼が、もし心を入れ替えてまっとうな商人として成功したなら。それは、私とアークライト家の心の広さを示す、これ以上ない宣伝になりますわ。『敵さえも許し、やり直す機会を与えるなさけ深いリリア』。そんな物語が生まれれば、私の評判はさらに上がるでしょう」
私の計算している言葉に、ゼロ兄様はあきれたようにため息をついた。
「やはり、お前は化け物だ。どこまでが本心で、どこからが計算なのか全く分からん」
「さあ、どうでしょうね」
私は、いたずらっぽく笑ってみせた。
王都までの残りの道のりは、何事もなく過ぎていく。
私たちは、再び王都アウレリアの土を踏んだ。
そして、まっすぐに王宮へと向かう。
アーノルド殿下へ、報告するためだ。
今回のポルトゥスでの出来事、そしてジュリアーノの襲撃。
全てを、ありのままに伝える必要がある。
そして、この事件をどう利用してアークライト家の立場をさらに有利にするか。
私の頭の中では、すでに次の作戦が組み立てられ始めていた。
王宮の門をくぐると、一人の役人が慌てた様子で私たちに駆け寄ってきた。
「リリア・アークライト様、お待ちしておりました。殿下が、すぐにお会いしたいとのことです。どうやら、隣国で何か大きな動きがあったようでして」
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