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第56話 王宮のスパゲッティ予算

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王宮の馬車が、重厚な音を立てて停止する。
長かったカルヴァン公国での任務を終え、ようやく私は懐かしい我が家へと戻ってきたのだ。
馬車の扉が開かれると同時に、眩しい陽光が差し込んでくる。
それよりも眩しい銀髪の騎士が、私に向かって恭しく手を差し伸べていた。

「ミカ。足元に気をつけろ。俺の手をしっかり掴むんだ。」

レオン様が、壊れ物を扱うように私の腕を支えてくれる。
その逞しい腕は、いつものように温かくて頼もしかった。
私は彼の手を借りて、地面へと降り立つ。

「ありがとうございます。レオン様こそ、長旅でお疲れではないですか?」

私は心配になって、彼の整った顔を見上げる。
彼は少しだけ目元を緩め、私の頭を大きな手で優しく撫でた。

「君が無事なら、俺は平気だ。君を守るのが、俺の至上の幸せだからな。」

レオン様のあまりにも甘い言葉に、私は顔が熱くなるのを感じた。
周囲に控えていた騎士たちが、またニヤニヤと私たちを見ている。
彼らにとって、騎士団長が私を溺愛する様子は、もはや日常の風景となっているらしい。

王宮の正門をくぐると、懐かしい香りが鼻をくすぐった。
手入れされた花の香りと、磨き上げられた石畳の匂いが混ざり合っている。
そこには、この国の頂点に立つ人物が待ち構えていた。
皇帝アルベルト陛下が、護衛も従えずに玄関まで駆け寄ってくる。

「おかえり、ミカ! 君がいない間、王宮の色が消えたようだったぞ。」

陛下は私の手をとると、愛おしそうに頬ずりしようとする。
私は驚いて、思わず手を引っ込めそうになった。

「へ、陛下! みんなが見ています。恥ずかしいですわ。」

私が抗議すると、陛下は悪びれもせず楽しそうに笑う。
隣ではレオン様が、剣の柄に手をかけて凄まじい殺気を放っていた。

「陛下。俺のミカに気安く触れないでいただきたい。」
「何を言う、レオン。彼女は私の筆頭監査官だぞ。労うのは当然だろう。」

二人の英雄が、私の左右で火花を散らし始める。
いつもの光景だ。
私はこのやり取りを見て、本当に帰ってきたのだと実感した。

「さあ、積もる話もある。まずは私の部屋へ来なさい。」

陛下に促されて、私は皇帝執務室へと向かうことになった。
廊下を歩く間も、二人は私の左右をガッチリとガードして離れない。
すれ違う文官たちが、驚きと敬意の混じった眼差しで道を開ける。
今の私は、この国で最も重要な人物として扱われているのだ。

重厚な扉が開かれ、私たちは執務室へと足を踏み入れる。
そこで私を待ち受けていたのは、予想を裏切る恐ろしい光景だった。
広い部屋の中央にある執務机の上には、書類の山がうずたかく築かれている。
それだけではない。
床にも、未処理の羊皮紙の束が無造作に散乱していた。
足の踏み場もないとは、まさにこのことだ。

「……陛下。これ、一体どういう状況ですか?」

私は顔を引きつらせて、目の前の書類の山を指さした。
これは、まさに情報のゴミ屋敷だ。
整理整頓のプロとして、見過ごすわけにはいかない惨状である。
陛下はバツが悪そうに視線を逸らし、額を押さえた。

「面目ない。君が留守の間、各部署からの予算申請が殺到してな。」
「それで、処理しきれずに積み上がってしまったのですか?」
「うむ。どれが必要な経費で、どれが無駄なのか、私でも判断がつかないのだ。」

陛下は深いため息をついた。
有能な皇帝であっても、現場の細かい数字の嘘までは見抜けないらしい。
私は腕組みをして、散らかった部屋を見渡した。
これは、放置できない重大なシステムエラーだ。
国の血流である予算が詰まれば、国全体が機能不全に陥ってしまう。

「分かりました。私の次の仕事は、これですね。」

私は迷うことなく、スキルの発動を宣言した。
覚悟を決めた私の姿を見て、レオン様が心配そうに声をかける。

「ミカ。帰ったばかりで疲れているだろう。少し休んでからでもいいのではないか?」
「いいえ、レオン様。汚れを見つけたら、すぐに落とすのが鉄則ですわ。」

私はニッコリと笑って、右手を前にかざした。
私の瞳の奥で、青い光が静かに灯る。
スキル《完璧なる整理整頓》、フルスキャン開始。
視界が一瞬にして青いグリッド線に包まれ、部屋中の書類がデータとして認識される。

「……ひどい。これはまさに、スパゲッティ予算ですわ。」

解析結果を見た私は、思わず頭を抱えて独り言を漏らした。
あまりの惨状に、眩暈さえ覚えるレベルだ。
レオン様が不思議そうに、私の顔を覗き込む。

「すぱげってぃ? それは、南方の麺料理の名前ではないのか?」
「そうです。でも、これは情報の絡まり方の例えなんです。」

私は彼らにも分かるように、簡単な言葉を選んで説明を始めた。

「フォークで一本の麺を持ち上げようとしたら、全部が絡まって持ち上がるでしょう?」
「ああ、経験がある。あれは食べにくいな。」
「この予算も同じです。一つの項目を動かそうとすると、関係ない項目までついてくるのです。」

予算の出所がバラバラで、用途も不明確だ。
同じ内容の申請が、部署名だけを変えて複数出されている。
Aという橋を直す予算が、なぜかBという祭りの費用と紐付いている。
これは、完全に管理不足が招いた混沌だった。

「まず、重複しているタスクを全て削除します。同じ請求書は二枚もいりません。」

私は空中で、見えないキーボードを叩く動作をした。
私の意思に呼応して、部屋中の書類がふわりと宙に浮く。
情報の断捨離が、猛烈な速度で始まった。
ピコン、ピコンと、私の脳内だけで軽快な通知音が響き渡る。

「これは却下。これも不要。……この宴会費は高すぎます、削除。」

無駄な予算が、次々と赤い光となって消滅していく。
これだけで、国家予算の三割が浮く計算になった。
ただの無駄遣いを削るだけで、これほどの効果があるのだ。

「よし。次は、予算の優先順位を整理します。」

私は空中に浮いた書類の山を、カテゴリー別に分類していく。
教育、軍事、インフラ、そして福祉。
それぞれが、正しいフォルダへと自動的に収納されていく。
陛下とレオン様は、ただ呆然とその光景を見ているしかなかった。
空中を舞う数百枚の羊皮紙が、まるで生き物のように綺麗に整列していく。
それは、どんな高等魔法よりも鮮やかで、美しい片付けだった。

「すごいな、ミカ。君の手にかかれば、ゴミの山も宝の地図に変わるようだ。」

陛下が感心したように、私の手元を覗き込む。
距離が近すぎて、彼の吐息が耳にかかるのが気になった。

「陛下、邪魔をしないでください。今、集中しているんですから。」

私が少し怒った口調で言うと、陛下はなぜか嬉しそうに微笑む。
彼は私の、仕事モードの困った顔を見るのが好きらしい。
困った皇帝陛下だ。

「レオン様、君からも何か言ってください。陛下が遊んでいますわ。」

私は助けを求めて、レオン様を振り返った。
彼は力強く頷き、陛下と私の間に割って入ってくれた。

「陛下。ミカの仕事の邪魔です。彼女は今、国を救っているのですから。」
「分かっているよ、レオン。だが、彼女が働く姿があまりに美しくてな。」

レオン様の真っ直ぐな言葉に、陛下は苦笑いして下がる。
二人の英雄が、また私の後ろで言い合っているのが聞こえる。
まったく、この国トップの二人は、私に関しては子供のようになってしまう。
私は苦笑しながら、最後の一枚の書類を手に取った。
その瞬間、私のスキルがけたたましい警告音を鳴らした。

「……見つかりました。この予算の乱れ、諸悪の根源はこれです。」

私は一つの、古びて分厚い帳簿を高く掲げた。
そこには、特定の貴族の名前がずらりと並んでいる。
『王宮財務官・バルトロメウス家』。
この国の金庫番を任されている、名門貴族の名前だった。

「この家門が、裏で予算を不当に操作しています。帳簿の改竄が、随所に見られますわ。」
「バルトロメウスか。古くから財務を任せていたが、まさかこれほどとは。」

陛下の表情が、一瞬にして為政者の厳しいものへと変わる。
信じていた部下の裏切りを知り、その瞳に静かな怒りが宿る。

「彼らは、古い慣習を悪用して利益を吸い上げています。システムの穴を突いた、悪質な行為です。」

私は詳細な分析結果を、空中に投影して陛下に提示した。
被害額は、金貨で数百万枚にものぼる。
これだけの金があれば、新しい学校がいくつも建ち、街道も整備できる。
私腹を肥やすために、国の未来を食いつぶしていたのだ。
私の怒りは、沸点に達していた。

「見てください。架空の人件費、存在しない修繕費、謎のコンサルタント料。」
「……許せん。私の民のための金を、私利私欲のために使うとは。」

陛下が拳を握りしめ、机をドンと叩いた。

「陛下。この不浄なゴミ、今すぐ片付けましょう。私が、完璧な監査プランを作成します。」

私は毅然とした態度で、陛下に進言した。
腐ったミカンは、箱ごと捨てなければならない。
徹底的な掃除が必要だ。

「ああ、頼む。君の思うままに、メスを入れてくれ。」

陛下は私の肩を、力強く抱き寄せた。
その手からは、私への全幅の信頼が伝わってくる。
この人の期待に、私は完璧に応えたい。

「俺も協力しよう。不届きな貴族を捕らえるのは、俺の役目だ。」

レオン様も、剣の柄に手をかけて力強く誓った。
最強の剣と、最高の権力。
そして、私の最強の整理術。
私たちの新しいプロジェクトが、ここに始動した。

私は新しいインクを、ペンにたっぷりと浸した。
真っ白な羊皮紙に、次々と不正の証拠と対策を書き記していく。
バルトロメウス家の、逃げ道はもうどこにもない。
私が彼らの嘘を、一つ残らず暴いてみせる。

「まずは、抜き打ちの財務監査から始めますわ。」

私は不敵な笑みを浮かべて、頼もしい二人のパートナーを見た。
「抜き打ちか。奴らの慌てる顔が目に浮かぶな。」
「ええ。準備をする暇も与えません。ありのままの汚れた姿を、晒してもらいましょう。」

私の頭の中には、すでに完璧なタイムスケジュールが完成していた。
明日の朝一番、彼らの職場である財務局を急襲する。
全ての帳簿を押収し、金の流れを完全に停止させる。
それは、まさに電光石火の早業となるだろう。

「ミカ。君は本当に、楽しそうに仕事をするな。」

陛下が、呆れたように、でも愛おしそうに私を見つめる。

「もちろんです。綺麗になるのは、いつだって気持ちが良いものですから。」

私はペンを走らせながら、明るく答えた。
さあ、大掃除の時間だ。
この国の財布を、ピカピカに磨き上げてみせる。
「レオン様、明日の警備の手配をお願いします。」
「任せろ。ネズミ一匹、逃がしはしない。」
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