割込み王女に祝福を(婚約解消いただきました。ありがとうございました)

久留美眞理

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第一章

逃れられぬ婚約

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第一章 逃れられぬ婚約

 ベアトリックスは父を知らない。
 家門は、六代前まで遡れる貴族の家だ。屋敷の回廊や広間に歴代当主の肖像画が飾られており、先代の伯爵だった彼女の父の肖像画は、広間の壁に掛かっていた。
 絵の中の父は凛々しい。
 軍籍にあった父親は、甲冑に身を固めて黒い馬に乗っている。肩幅が広く、がっちりとした体格で、黒い短髪にヘーゼルの瞳、その絵姿からは質実剛健といった感じがするが、実際は物静かで軍の訓練よりも書斎にこもって本を読んだり、絵を描いたりすることが好きだった、とベアトリックスは、父の思い出を語る母から知った。
 
 ベアトリックスの父は、彼女が三歳の時に亡くなった。若くして王立軍の近衛隊長の要職にあった彼の死は、一家に大変な衝撃を与えた。ことに妻のクローディアの悲嘆は相当なものだった。
 そんな彼女の嘆きをよそに、彼女には、再婚の申し込みが相次いだ。娘時代に、社交界の華と謳われた美しい未亡人に言い寄る男は、決して少なくなく、そんな中の一人だった男と彼女は再婚した。
 ベアトリックスに義父が出来た。
 金髪碧眼で人当たりがよく、物腰の柔らかな義父のことを、人は口を揃えて良い男だと褒めたたえる。確かに感じの悪い人ではない。それどころか一見すると上品な優しい人に見えるのだが、当時、まだ幼かったベアトリックスは、義父を毛嫌いしていた。母を取られたという幼い嫉妬だけが原因ではない。義父のかもしだす空気とでも言おうか、そのうさん臭さが嫌だったのだ。
 それでも義父と母、ベアトリックスの三人で生活してはいたが、彼女が十歳になった時、弟が生まれた。ベアトリックスは屋敷の東の棟に取り残され、母と義父、義弟の三人は西の棟で暮すようになった。母は時々、東の棟に来てはくれたが、可愛い息子に夢中のようで、顔を合わせても、ろくに話すこともなく、そそくさと西の棟へ帰っていく。東の館と西を繋ぐ長い廊下は、母と娘の間に出来た心の距離のようにべアトックスには感じられた。

 ただ、義父が決めた「晩餐は家族全員で」という規則のため、ベアトリックスは、夕食時だけは西へ行かなければならなかった。そして、義父と母、小子爵だけが楽しげに会話を交わす席で、彼女は誰とも口をきくことなく食事をしていた。

 ベアトリックスは、とても孤独だったのだ。
 
 金色の髪を持つ、父親によく似た男の子は、両親にとても可愛がられていた。父に肩車をされ、母に優しいまなざしを注がれて、楽しげに散歩していた姿を、ベアトリックスは二階の自室の窓から見下ろしていた。すくすくと育つその子は、いにしえの大王と同じアレクサンダーの名を与えられ、そのいかつい名は愛らしい彼にはそぐわない、ということで、両親からはアレックスという愛称で呼ばれていた。使用人たちからも、アレックス小子爵と呼ばれ、屋敷中の愛情を独り占めしていたのだった。

 ブライトストーン子爵家次代当主の座が約束されているアレックス小子爵の成長を、屋敷中の皆が楽しみにしていた。
 そして、家族から見捨てられたように東の棟に取り残されたベアトリックスの世話をしてくれるのは、長年、この家に仕えている侍女長だけと言ってよかった。
 ベアトリックスは、その侍女長を「ばあや」と呼んで甘えていた。彼女にとって心を許せるただ一人の大人だった。

 ろくに話をすることもない義父を、ベアトリックスが苦手に思っているのは、そのアクアマリンのような薄い青い瞳が、とても冷たい光を放っているように見えるせいでもあった。幼い少女だったベアトリックスが、初対面の時に義父に感じた違和感は、彼の瞳に潜む冷たさにいち早く気づいたためかもしれなかった。
 いや、かもしれない、ではなくて、ベアトリックスから見た義父は、身勝手で冷たい男である。
 
 なぜなら、この義父の勧めた相手との婚約が決まろうとしているからだ。
 
 近衛隊長をしていた亡父とは違い、この義父は、宮中の役職につくことができなかった。彼が持っているのは、僅かな所領だけ。痩せた土地が多くて耕作面積も少なく、収入も乏しい。そのうえ、子爵は頭が悪いくせに欲の皮だけは一人前に突っ張っていて、怪しい詐欺師に騙され、領地の近くの湾岸の無人島を買わされたのだった。
 潮の流れが独特な海域にあるお陰で暖流が流れ込み、寒冷地にあってもあの島だけは例外で、秋には島中で小麦が豊かに実る・・・そんな詐欺師の戯言にひっかかり、義父は岩だらけの島を買った。当然、その買い物は利益を出すどころか子爵家は借金まみれになった。
 そして、トドメは、領地内の僅かな耕作地を襲った不作だった。

 子爵家はとうとう貧乏一家になった。
 小子爵アレックスをもてはやしていた使用人たちも、一人去り、二人去り、気がつけば働いてくれているのはほんの数人だけ。
 (詐欺にひっかかって、子爵領を抵当に入れてまで、不毛の島を買うなんて)
 ベアトリックスは義父を心から軽蔑した。何も知らず屈託のない目で、子犬と共に庭を歩く小さな弟さえ、ベアトリックスにとっては、義父の遺伝子完全複写のような容姿が鼻につき、好きになれないでいた。もっとも、罪のない小さな子供に対し、自身の苦手意識を表に出すような真似を彼女は決してしなかったが。

 「売れるものは手放しました。絵画も彫刻もありません。残されたのは、伯爵家歴代当主の肖像画と、歴代の伯爵夫人が身に着けてきた、このイヤリングだけですわ」
 母クローディアは、ある日、ため息とともに夕食の席で話し出した。
 パサついたチキンを塩で食していたあの夜、ベアトリックスは自分の暮らしが脅かされている現実を思い知らされたのだった。
 「この屋敷の維持費もありますし・・・何しろ広大な豪邸ですから。今のままでは暮らし続けていけなくなることは、火を見るより明らかです」
 脇に立つ執事のボーナムも、母と同じようにため息をつき
「旦那さまに、事態打開のお考えはおありでしょうか?」
と、義父に問いかけた。
 そして、万策尽きた義父が考えたのが、義理の娘、つまり、ベアトリックスを売り飛ばすことだった。
 「売り飛ばす」と言っても、貴族の娘は、娼館になど行きはしない。
 「売却先」は、貴族の血が流れているだけで有り難がってくれる成金である。つまり、貴族と姻戚になりたがっている平民の資産家のもとへ嫁ぐわけだ。お金のない没落貴族の娘が、「血筋」を手土産に持って新興富裕層の家に行く。実によくある話ではないか。

 ベアトリックスの場合も、すぐに貰い手が現われた。
 
 階下の客間の扉を開けた彼女を迎えたのは、小太りの中年男性だった。
「これはこれは、お嬢様。お初にお目にかかります。手前どもは、アーヴィン商会を経営しております。わたくしは社長のデニス・アーヴィンと申します」

 その中年男は、ベアトリックスを見るやいなや、椅子を蹴るようにして立ち上がり、そう挨拶した。
テカテカした赤ら顔をほころばせている、義父よりも年上に見える男性が視界に入るや、ベアトリックスは卒倒しそうになった。

 「いやあ、お美しい方ですなあ。ベアトリックスさまとおっしゃいましたか。いや、なに、お嬢様は身一つで来て下さればいいのです。ブライトストーン子爵のご令嬢をいただくわけですから、全てこちらにお任せ下さい。お支度金もはずませていただきますよ。品のない言い方になりますが、そちらさまの借金をご清算いただいてもかなりな額がお手元に残るかと」
 
 茶会の席に義父が招いた男は、そう言って、満面の笑みを浮かべている。
 (まさか・・・この人がわたくしの相手なの?いくらなんでもそれは・・・)

 絶望のあまり、足元がふらつき、立っているのもやっとのベアトリックスだったが、これが家門を救わんとする貴族令嬢の試練なのだと、なんとか踏みとどまっていた。

 ふと見ると、赤ら顔の男の横には若い男性が座っている。
 細身で小柄な感じの人に見えた。
 「エドワード、令嬢にご挨拶を」
 男は、隣席の男に言った。
 「エドワード・アーヴィンです。初めましてベアトリックス嬢。お目にかかれて光栄に存じます」
 エドワードと呼ばれた若い男性は、席を立ち、ベアトリックスの正面に来て挨拶した。
 彼が立ち上がった時、その身長の高さにベアトリックスは驚いた。
(さっきは小柄に見えたのに。とっても足の長い人なんだわ)

 若く、すらりとした長身の男性を見て、ベアトリックスはひとまずホッとした。

 エドワードが椅子を引いてくれたので、ベアトリックスは腰を掛けた。
 ティーカップには、美しい赤い芥子の花が描かれている。
 (きれい・・・こんな食器は見たことがないわ)
 と思ったのと同時に、母のクローディアが
 「アーヴィン商会の製品よ。手先の器用な東洋人が一つ一つ絵付けをした高級品ですって。同じデザインで、色違いの青い花を描いた品を王室に献上したそうなの。我が家には王室と色違いの品があるってことね」
 と言った。その言葉にふむ、ふむ、と笑顔で頷く商人。

 「本日は、息子のエドワードをお引き合わせできて光栄です。令嬢とせがれの縁がまとまれば、どれほどめでたいことか。この先、当商会の格を上げるためにも、お嬢様を我が家の嫁としてお迎えしたいと願っております。何しろ、上流社会と取引していくためには・・・」
 勢い込んで話し続ける「社長」を尻目に見つつ、この、赤ら顔の初老の男が自分の婿候補ではない、というだけでも、自分は幸運なのだとベアトリックスは心に言い聞かせていた。
 (社長だなんて言ってはいるけど、ばあやは、『いくら大きな会社の経営者でもしょせん商人です』、って言っていたわ。彼らは品のない成金だともね)
 お金で買えないものこそ貴族の「血」なのだ。自分は臆することはない。ベアトリックスは心にそう言い聞かせ、エドワードと名乗った男性を、目の端でそっと窺い見た。
 小太りで太い眉と大きな鼻をもった父親と、その息子は似ても似つかなかった。金色の髪に、濃い青色の瞳、すっきりと細めの鼻梁。この二人がほんとうに親子なのかと驚くほどだった。
 自分を見つめているベアトリックスの視線に気づき、男が、彼女へと目をやった。二人の視線が絡んだ一瞬だった。
 (いやだわ。見つめ合うなんて)
 初対面の男性の顔をまじまじと見るのは失礼なことだ。ベアトリーチェは、視線を目の前のティーカップに戻した。

 自身の花嫁候補として目の前に現れたベアトリックスが、彼の目にどう映ったのか、その表情には何の変化もなく、彼は、ただ黙っていた。

 「エドワード、スコッチでもどうかね?」
 子爵が声をかけた。
 エドワードの父と、ベアトリックスの義父、上機嫌なのは二人の「父親」だけだった。
 
「お酒はよろしいんじゃありません?今日はお茶だけにして帰っていただいたら」
 クローディアが言った。

 我が家の借金を返してくれるという人に、母親のこの態度。没落して、自分を飾る宝石類すらろくになく、それどころか、娘を差し出して援助を得ようとしているのに、まるで、自分の世界は何も変わらないと信じているかのような「時代遅れの貴婦人」である母親に、ベアトリックスは苦笑を抑えられなかった。
 こちらは貴族なのだから、平民がへりくだって縁を求めるのが当然だ、と母の傲慢な横顔は語っていた。たとえ、借金で首が回らず、娘を人身御供にするほど困窮しているほどに落ちぶれた立場の貧乏家でも、貴族は貴族だ。祖先の勲功により、国王から爵位を賜った身分なのだから、それを誇りとして生きなければならない。母はいつもそう言っていた。だが、それは今となっては実態の伴わない虚勢ではないだろうか。母親の態度を見つつ、ベアトリックスは、心の中で自嘲の笑いをもらしていた。

 思えば、この家にはもう使用人も数えるほどしかいない。家に残っているのは、ここを辞めても今さらどこにも行けない年寄りばかりだ。例外はメイドのリンダで、十七になったばかりの若い娘だが、彼女が去るのも時間の問題だろう。職場にいるのは老境にさしかかった者ばかり。友情も芽生えず、恋も出来ない環境に、きっと今に嫌気が差すに決まっている。沈みかけの船からネズミが逃げ出すように、没落した家からは使用人が去っていくものなのだ。
 
 それにしても義父の早わざに、ベアトリックスは呆れるしかなかった。家の経済状況は彼女の想像以上に厳しいようだ。お尻に火がつくのも時間の問題ということで、所領を差し押さえられる前に手を打ったのだろう。借金返しの切り札が若い娘とは。父として、また子爵家の当主として、情けない限りのはずが、彼はすっかり上機嫌である。血の繋がらない連れ子など、モノ同然に売り飛ばしても心は痛まない、ということだろうか。
 (この恥知らず!)
 笑顔で商人と会話をしている義父が視界に入り、ベアトリックスは吐き気がした。

 見合いと言うより、買い手が商品を見に来たかのような場の空気。頭の上から足の先まで、自分を見ていた商人の視線に彼女はいたたまれなくなった。逆に、当のエドワードは自分の花嫁候補としてベアトリックスを紹介されたにも関わらず、無関心で、話しかけることはおろか、笑顔を向けることすらしなかった。
 それはまるで、彼が自分の妻選びにいっこうに関心がなく、「自分たちの得になる相手をとっとと決めてくれ」と父親に丸投げしているかのようにベアトリックスの目には映った。
 選ぶ立場にあるのは、貴族令嬢の自分ではなくて、成金親子のほうなのだ。彼女は苦々しい思いと共に紅茶を一口飲んだ。
 
 マスカルテルフレーバー、と言われる最高級のダージリンでさえも、彼女の気持ちを明るくはできない。この紅茶も、商人の手土産に違いないからだ。
 
 「ブライトストーンは、義父の姓です。わたくしの父はミッドフォード伯爵です。母はミッドフォード伯爵夫人ではなく、義父との婚姻後はブライトストーン子爵夫人を名乗っておりますが」
と言った。
 この国では、女性に爵位の継承権はない。父が名乗っていたミッドフォード伯爵は、今は、父の弟、つまり、彼女の叔父が継いでいる。母は再婚したことで、ブライトストーン子爵夫人となり、ミッドフォード伯爵夫人と名乗ることはなくなった。

 だが、伯爵の血を継ぐベアトリックスは、亡父の爵位を継承できなくとも、伯爵の遺児であることには違いないし、兄のあとを継いだ弟の現伯爵である叔父にとっては姪に当たる。叔父は、兄の死後も、屋敷から子爵夫妻と子供を追い出すこともせず、自分自身は片田舎の別邸で過ごしていた。
ミッドフォード伯爵の名前は継いだものの、兄の存命中と変わらない生活をしている。

 (叔父さまは、この縁談のことをご存じなのかしら?)

 叔父がこの縁談のことを小耳に挟んだのなら、平民の成金に買われる姪のことを哀れと思って、もしかしたら、援助の一つも申し出てくれるかもしれない。ベアトリックスはそう願ったが、それは全くの期待外れに終わったようだ。商人親子がここへやってきた、ということは、親族の誰もが子爵家を見放したことに他ならないからだ。

 そもそも叔父は、親族の中でも変わり者で通っていた。父の存命中も行き来はほとんどなく、兄弟はそれぞれ王都の本宅と、湖水地方の別邸とに離れて住んでいた。兄である先代伯爵が亡くなった時は喪主として葬儀を仕切り、義姉である母と姪のベアトリックスに悔やみの言葉はかけたものの、後継男子の単独相続を決めた法律に則り、自分が兄の跡を継いで伯爵家の当主になると、未亡人と遺児には援助どころか、僅かな見舞金さえ渡さなかった。
 ただ、かつて両親とベアトリックスが暮らした家だけは、「家族の思い出が残る家から出て行けなどとは言えません。引き続きここに住んでください」という言葉はかけてくれた。そして、その後、母がブライトストーン子爵と再婚した時も、叔父はそのことに口を挟むことはなく、新しい夫の子爵が王都の伯爵邸に居を移しても、とくに非難めいたことを言ってくることもなかった。
 こうして、今の子爵一家に干渉してこない叔父は、貴族社会では珍しいくらい他の親族とも交流せず、別邸に引きこもって暮らしており、王都の伯爵家に顔を見せることもなく年月が過ぎていた。だが、これほどに、つながりのほとんどない叔父の助けを、微かな心の頼みにするほど、ベアトリックスは追い詰められていたのだった。仮に叔父が今回の見合いのことを知ったとしても、姪であるベアトリックスに助け舟を出すことなどあり得ない。わかってはいるものの、彼女は、自分を救い出してくれる何者かの助けを心密かに求め、待ち続けているのだった。
 
 ベアトリックスは、来客の前でため息をつくようなことだけはすまい、と思い、すっかり冷めてしまったお茶を飲み下した。
 (今まで、ここから出て行け、と言われなかっただけマシよ。だけど、この先、わたくしが嫁げば、この屋敷も叔父さまに渡さなければならないわ。亡き伯爵の血を引く唯一の娘であるわたくしがここからいなくなるんですもの。それでもここに居座るなんて、いくら子爵でも言えるはずがないわ)
 ミッドフォード伯爵家の血をもたない母と、その夫である子爵に、現伯爵が本宅を貸し続けるはずもないだろう。

 商人は、子爵家のそういう事情も考慮して子爵夫妻のために新しく館まで用意してくれるらしい。
  
 そもそも、ベアトリックスの母クローディアが早々に再婚を決めたのは、実は、娘であるベアトリックスを守るためだったのだが、当時、まだ幼かった彼女が、母のそんな親心を知るよしもない。
 そして、ベアトリックスにとって、母親は、父の死に涙して、その涙も乾かぬうちに次の男へと走った、身勝手な女であった。
 (お母さまが再婚さえなさらなかったら・・・未亡人はずっとミッドフォードの姓を名乗ることができたのに)
 母親の再婚によって、自分が伯爵令嬢から子爵令嬢へと格落ちしたことも、ベアトリックスは不快だった。

 「わたくしのことは、ミッドフォードの名でお呼びください」
 ベアトリックスは、商人親子に言った。
 
 「伯爵なら、なおけっこうです。子爵より上の貴族様なわけですから」
 と、商人は嬉しそうに言うと、揉み手して笑っていた。
 
 ベアトリックスは、母の再婚と同時に、ブライトストーン子爵と養子縁組をして、義理とはいえ、法的には親子になっていた。だから、ミッドフォードを名乗るべきではないのだが、決して自分を子爵の娘だとは思っていなかった。義父とは言いうものの、子爵との間に交流などはほとんどなかった。彼はあくまでも母の夫。間に母や使用人を挟んだ関係は、当然ながら、ベアトリックスと子爵との間に親子の情など呼び起こしはしなかったが、関わってこないことが、ベアトリックスにとってもありがたかったので、それでよかった。
だが、今後は?
 縁談を持ってきたブライトストーン子爵と、ベアトリックスは、今後は、父と娘として関わるべきなのだろうか。
教会の祭壇へ続く道を、ブライトストーン子爵と腕を組んで進むなんて、彼女には考えられないことだった。
 そして、神父の前で自分を待つ花婿が、資産家とは言え平民の青年であることは、それと同じくらい彼女には受け入れられないことだった。

 肖像画でしか知らない亡き父に、思慕や懐かしさなど湧いてはいないが、さりとて、心細い立場になった子持ちの未亡人を、その弱った心に付け込んで口説き落とした子爵のことは、絶対に好きになれない。彼のことを父親だなどと思えるはずもない。だから、ベアトリックスは敢えて義父の前で「自分をミッドフォード伯爵の娘として扱え」と、来客に言ったのだった。

 「息子は、母親似なんですよ、どうです?いい男でしょう?」
と、下卑た笑いを浮かべながら商人は言った。
 おそらく、彼の妻は、大金持ちの商人が、その富に物を言わせて娶った美女であるに違いなかろうとベアトリックスは思った。トロフィーワイフとも言うべき美しい妻から生まれたエドワードという青年は、母親に生き写しゆえに父親からも溺愛され、父は、その財力に物を言わせ、息子に玩具を与えるような気安さで、貴族の娘を買ってやろう、としているのだろう。
 (別に、わたくしでなくてもいいのだわ)
 自分には似ても似つかない美男だと、息子のことを嬉しそうに語る商人を見ながら、ベアトリックスは
 (心を無にして耐えなくちゃ)
と自分に言い聞かせていた。
 エドワードは、そんな父親の自慢話を、止めるでもなく、肯定も否定もせずに聞き流している。やたらと愛想よく笑い、大きな声で喋る父親とは、容姿だけではなく性格も違うらしい。彼は父に似ず、寡黙な男だった。子爵と商人との会話に、時折相槌を打ってはいたが、話題に乗ることもなく、「はい」「いいえ」と短い返事のあとは黙りこくっていた。
 彫刻のように美しい男には、沈黙がよく似合っていた。
 
 商人親子の三度目の来訪の時に、お茶ではなく食事がふるまわれ、ワインが出された。
 父デニス・アーヴィンの美しい妻も、その場にやってきた。彼女が息子と並ぶと姉と弟にしか見えない。豊かな金色の髪を高く結いあげ、シンプルな薄緑のドレスを着た彼女は、やはり物静かで、あまり笑わない女性だった。
エドワードの、男性にしては少し大きめの涼やかな目や、細くすっきりとした鼻梁、顔に陰を落とす長い睫毛は、母親にそっくりだった。特に睫毛は、彼が瞼を閉じるとき、バサッと音がするのではないかと思うほどだ。彼が男としては甘すぎる顔立ちなのは、母親の遺伝子が強すぎた結果だと、ベアトリックスはあらためて思った。

 「妻のヘレン・アーヴィンを紹介させてください。今のわたしがあるのも、妻のお陰です。我がアーヴィン商会は、小さな町工場が始まりでしたから」
 例によって、商人デニス・アーヴィンの話から宴はスタートした。
 「こんなに美人なのに、わたしを選んでくれて」
 高級赤ワインは酔いが回るのが早いのか、彼はいつにもまして饒舌だった。
 「妻は、工場の帳簿づけや、来客への茶出しなど、よく働いてくれました。おまけに食費を節約するために、家の庭に野菜まで作ってくれていたんです。まったくもって自分には過ぎた、素晴らしい女性です。そのうえ、王立学院を首席で出るような優秀な息子も授けてくれました。息子は今すでにわたしの右腕として社を盛り立ててくれています。今後、我が社はもっと発展するでしょうなあ。何しろ、息子は頭の出来が違うんで」
と言ってから、隣席の息子を見やり
 「いやあ、この子が男でよかったですよ。女だったら心配で、うちを留守にできませんから」
 夫が涙を流さんばかりに家族愛を語る間も、妻は何も言わず、静かに微笑んでいた。
 「女性が働く、ですって?」
 母クローディアがぴくりと眉を上げた。
 「あり得ませんわ。そんなこと」
 続けてそう言い放つ。
 
 「わたくしは、働くのが楽しかったですわ。いっそ町工場の昔に戻りたいくらいです」
 今では、何の苦労もしていないだろう美しいアーヴィン夫人は、そう言って、唇をそっと上げ微笑んで
 「このお屋敷にも、侍女やメイドさんがいらっしゃるわけですから、子爵夫人も、女性が働いているのを見慣れておられるんじゃありません?」
とつけ加えた。
 「貴族の館で働く女性たちには、行儀見習いという名分がありますわ。いわばマナーを習得するための学校のようなものです。町工場で働くこととは違いましてよ」
 と、母は言い返す。
 (お母さま、あまりにも失礼じゃなくって?)
ベアトリックスは焦った。
 「あ、あの・・・」
 ずっと、言葉を発さずにいたベアトリックスが会話に入ってきたので、いっせいに全員の目が彼女に集まった。
 「わたくし・・・その・・・」
 ドキドキしながらも、彼女は
 「王立学院も、女子部は女性の先生が指導されていると聞きました。それに、本で読みましたが、戦地で働く従軍看護婦たちを率いた看護婦長は貴族出身の女性だったはずです。敵味方の区別なく、兵士を癒し続けた、あの方の伝記は感動的でした。女性が働く、ということはお母さまが驚かれるようなことじゃないと思いますわ。今後は、女性が様々な分野で能力を発揮する時代がくるのではないでしょうか」
 とりあえず、そう言っておいた。
 子爵家の財政状況、自分の今の身の上を思えば、彼らを怒らせて帰すわけにはいかない。アーヴィン家との話が無くなったら、次は別の成金と見合いをせねばならなくなる。どんな相手がくるかわかったものではない。ベアトリックスはとりあえず慎重にふるまったつもりだった。
 「あの女性は、家門に泥を塗ったと言われて、実家から縁を切られているのよ」
と母は言うと
 「当家のベアトリックスを、そちらの商会の帳簿係になどなさらないでしょうね?」
と、皮肉とも、詰問ともつかない口調で迫った。
 「あり得ません、そのようなことは。令嬢を宝と思って大事に致しますよ。なあ、エドワード」
 商人は、そう言うと、息子を見やり、赤ワインを飲み干した。
 話を振られた息子は
 「帳簿係が欲しいなら、新聞に求人広告でも出しますよ。もっともうちの経理は優秀なので、今は増員の必要はありませんが」
と言ってから、パンをちぎって口に入れた。
 
 貧乏貴族家渾身のメインディッシュ、子羊の香草焼きを堪能したあと、デザートにはイチゴのロマノフ風、最後は、ブランデーがふるまわれた。 
 「冬には野鴨をお持ちしましょう。甘い、とろけるような脂と、よく締まった肉の対比がえもいわれぬ逸品です」
と、商人が言ったので、今夜の子羊もアーヴィン親子が持ち込んだものだとわかり、ベアトリックスは何とも言えない気持ちになった。そして、久しぶりに良い食材を与えられた料理人のカールのことを思いやった。彼の腕は少しも落ちてはいない。
 この屋敷で粗末な食事を作ることに辟易していた彼の憂さ晴らしとでも呼びたい、素晴らしい一皿を彼女は思った。自分がアーヴィン家に嫁げば、この一皿が家族にとって、「たまの御馳走」ではなくなるのだ。

 「次の晩餐では小子爵も同席していただいては?お一人だけ蚊帳の外ではおかわいそうですわ」
 ヘレン・アーヴィンが言った。
 「あら、十歳にもなっていない子供をお客さまと一緒の会食には出せませんわ。いつもの家族だけの夕食とは違いますもの」
 母のクローディアがこたえるのを遮るように
 「次回は、そうさせていただこう。アレックスももうすぐ十歳なのだし、大人の席に混ざるのが早すぎるというほど子供でもないだろう」と義父がこたえた。
 「仕方がないわね、パーシー。あなたはアレックスが可愛くって仕方がないんですもの。目の届く範囲にあの子がいないとご機嫌が悪くって」
 母は、夫に甘えるような視線を投げると
 「ミセス・アーヴィンも男の子のお母さまですものね。溺愛、という言葉の意味を息子は教えてくれますわね」
と微笑んだ。

 (女の子は愛していないから、売りに出してもいいってことなの?)
 ベアトリックスは母の笑顔に苦々しい思いを抱えながら、それを顔に出さずにいた。

 「お砂糖はいかがですか?」
 食後のコーヒーを前にしたとき、正面のエドワード・アーヴィンがそっと砂糖壺をベアトリックスのほうにずらしてくれた。
 「ありがとうございます。あなたもブランデーを飲まれませんのね?」
 「このあと、一度、社に戻るつもりなので」

 ベアトリックスは彼に礼を言って砂糖壺の蓋を取り、角砂糖を入れた。そして、コーヒーのデミカップを持ち上げて一口飲んだ。
   
 「ディナーのあとにお仕事ですって?」
 母クローディアが、またも信じられないというふうに言葉を発した。
 「気になる仕事を残してきてしまったもので」
 そう答えるエドワード・アーヴィンに
「それだけお仕事熱心でしたら、蓄財もおできになれますわね」
と言ってから、
「お帰りになる前に、庭を見て行かれては?今夜は星がきれいですもの」

 クローディアにそう言われて、ベアトリックスとエドワードは庭に出た。
 
 クチナシの甘い香りを風が運んでくる、初夏の夜だった。
 
 ふと立ち止まって、エドワードが言った。

 「さきほどのあなたのお話は、素晴らしかったですね」
 「なんのことでしょう?」
 「あなたは、いつもほとんど話されないので、お人柄がよくわからなかったのですが、女性が仕事をすることについて、肯定的な意見をお持ちなのが嬉しかったです。何より、わたしは、あなたのように自分の意見を人前できちんと述べられる女性に惹かれます」
 「ありがとうございます。でも、わたくし、そんなに立派な人間じゃありませんわ」
 自分には何の力もない。
 ずっと親の庇護のもとで生きてきて、それが続くと信じていた。それなのに子爵家が破産寸前になり、今は追い詰められている。仮に、この結婚を拒んだところで、自活する術もない自分には生きていく力など何もない。そのことをベアトリックスは知っていた。飯のタネにもならない貴族令嬢のプライドで、平民の彼を拒否しても、どうせまた別の誰かがやってくるに違いない。義父が借金に追われている以上、一刻も早く、気前のいい成金との縁を結ぶべきなのだ。

 だが、理屈どおりにはいかないのが人の感情というものだ。平民の青年の妻にならねばならない、その屈辱感は彼女をずっと憂鬱にさせていた。

 それにしても、急にベアトリックスを褒め出したエドワード・アーヴィンの真意は何だろう?
 つい先ほど、「経理係を雇うなら、広告を出して優秀な人材を探す」と言ったのは、彼自身ではないか。その言葉の中には、「役に立ちそうにもない貴族の娘ではなく」といった含みが感じ取れたような気がする。それなのに、急に自分のことを「人前で意見を堂々と述べられる女性」だと持ち上げてきたことに、ベアトリックスは戸惑っていた。彼が何を考えてそう言ったのか、彼女には、さっぱりわからなかった。

 「ベアトリックス嬢」
 呼びかけられて、ハッと我に返った彼女は、エドワード・アーヴィンの端正な横顔を見上げてから「はい」と返事をした。
 「一つ、おうかがいしたいのですが」
 「どのようなことでしょうか?」
 「正直なお気持ちを聞かせてください。わたしのもとへ嫁ぐ、というのは、あなたにとっては身を売るに等しい屈辱的なことなのでしょうか?」
 立ち止まって、自分を正面から見下ろすエドワードの金色の髪を、月の光が照らしていた。
 なんとこたえれば良いのだろう。
 「はい」とも「いいえ」とも言いかねて、ベアトリックスは黙っていた。その沈黙を彼はどう受け取ったのか。
 「あなたが不本意なのは百も承知ですが、お心を決めてください。あなたが来て下されば、上流社会との繋がりが出来、今後の商売にも役に立ちます。父の跡を継ぐわたしにとって、あなたとのことは願ってもない縁ですから」

 このあと、仕事がある、だから帰ると言ったわりには、エドワード・アーヴィンがやけにゆっくりと歩き、自分の横顔に何度も視線を投げかけてくるのを、ベアトリックスは不思議に思いながら、黙ったまま庭を歩き続けていた。
 「先ほども言いましたが、わたしは決して少なくない仕事を抱えています。たびたびこのお屋敷に、あなたの『人となり』を知るために通うわけにもいきません。急かすようで気が引けますが、今、あなたからのお返事をいただきたいのです」

 彼はそう言って、ベルベット張りの小箱を開け、大粒のダイヤモンドをベアトリックスに見せて
「これを指輪にしたら、受け取って、あなたの左手の薬指に嵌めていただけますか?」 と聞いた。
 あの時、少し離れて後ろを歩いていたばあやが、「そこに愛はあるんでしょうか?」と言った気がしたが、大きな鳥が翼を震わせるバサバサという音に紛れて、男の耳には届かなかったようだ。

 「夜に飛ぶ鳥なんているんですのね。鳥は昼間しか物が見えないものだと思っていました」

 なんとなく不吉な気がして、ベアトリックスはそう言った。この男と結婚しても、幸せになれないよ、と鳥が羽音で教えてくれたように思えたのだ。
 鳥の中には、雌雄がつがいになったら、一生相手を変えずに添い遂げる種があるという、そんな話をベアトリックスは聞いたことがあった。
 (この人は真逆。きっと何人も愛人を作るでしょうね。箔付のために貴族の娘を娶るような人だもの。ええ、金髪で青い目の男には、ろくなのがいないのよ)
 義父を思い浮かべながら、彼女はくやしさのあまり唇を噛んだ。この男と歩む人生に、明るい未来など、思い描くことができないとベアトリックスは感じていた。

 「月明かりで、まだ、見えているんじゃないですか?それに、鳥の種類によっては、天敵の目につきにくい夜に渡る種もあるんですよ」
エドワードは言ってから、ベアトリックスを見つめて
 「まだ学生だった頃、友人とよく鳥を見に行きました。ベアトリックス嬢は、ダルトンムーアに行かれたことはありますか?」
 とたずねた。
 「いいえ。一度も。わたくし、王都から出たことがなくて」
 「子爵のご領地は、あの近くでは?」
 「夏に、子爵と母、それに弟は、領地で過ごしますわ。でも、わたくしは同行しません」
 「なぜですか?子爵領は美しいところと聞いていますが」
 「何もない田舎だそうですし・・・ヒースとソルガムしか育たない荒れた土地に、一年中冷たい風が吹き渡っているとも聞きましたので」
 「お好きになれませんか?一度、行かれれば、お考えが変わるかもしれないですよ」
 「夏でも寒いようなところは・・・」
 ベアトリックスは言葉を濁したあと
 「ミスター・エドワード・アーヴィンは、王立学院を首席でご卒業になったのですってね」
と話題を変えて
 「貴族以外の方が首席になったのは、あなたが初めてとうかがっています。わたくし、このお話をいただいてから、あなたにお会いするまで、分厚い眼鏡をかけた堅物の男性がおいでになるとばかり思っていましたわ」
 「あなたもご存じのように、王立学院では、男子棟と女子棟に学舎が分かれていて、それぞれ別々に教育を受けます。優秀な女性と競ったことがないので、自分が本当の学院首席かどうかはわかりません」
エドワード・アーヴィンはそう言ってから
 「眼鏡をかけた真面目な優等生タイプの男が、ベアトリックス嬢のお好みですか?」
とたずねた。
 「どういう男性が好みか、なんて考えたこともございません」
 ベアトリックスはそう言いながら、物語の中にあるような恋に憧れながら、自分は初恋も知らずに嫁ぐのかと思うと、泣きたいような気持になってきて
 「王立学院ってどんなところかしら?卒業生は国を支える優秀な方ばかりと聞いております。あなたはその中でも特に秀でた方でいらしたわけですし・・・わたくしは学校に通ったことがなくて、たいした教養もありません。だから・・・わたくし、たぶん、あなたのお話相手もつとまりませんわ。それに身に過ぎた高価な宝石も、わたくしには不要です」と言った。

 二人の間に沈黙が流れた。

 「わたしの話し相手もできないとおっしゃるのは、あなたからのお断りの言葉でしょうか?指輪もいらないということは、わたしと結婚できないという意味ですか?」
 エドワード・アーヴィンの口調には、焦りがうかがえた。何が彼を焦らせたのか、ベアトリックスにはまったくわからなかった。知的に対等でない二人に会話が成り立たないだろう、と考えるのは当然のことで、だからこそ、エドワードはいつも黙り込んでいて、彼女に話しかけようとしなかったのではないのか。

 「レディ・ベアトリックス、今夜、あなたのお返事をいただけないと、準備その他の段取りが組めず、我が家が困ります。お断りになられるつもりなら、はっきりおっしゃってください」
 詰め寄られて、ベアトリックスは黙り込んでしまった。家の借金を思うと断ることはできない。自分には選択の自由はない。だが、「あなたと結婚いたします」という言葉を、愛してもいない男、それも平民の青年に向かって自分の口から発するのは、どうしても嫌だったからだ。

 「断る、とおっしゃらないので、わたしとの結婚を承諾してくださったと考えることに致します」
 とエドワード・アーヴィンが沈黙を破るように言った。彼の美しい青い目は、彼女への思慕など欠片も宿してはいないようだった。だが断る自由など、ベアトリックスにあろうはずもない。

 「ミスター・エドワード・アーヴィン。たとえ、あなたにとって、わたくしが、家柄以外、何の取柄も見出せない相手だとしても、結婚の申込みくらいは、もう少しロマンティックな言葉を選んでくださると思っていましたわ。この先、社交界でやっていかれるのでしたら、物言いにはお気をつけ遊ばせ」
 
 プライドを傷つけられた気がして、ベアトリックスはそう言いはしたが、一方で、エドワード・アーヴィンが、とってつけたような甘い言葉を囁くような男ではなかったことが、逆に彼女の気を楽にしてくれていた。所詮、結婚なんて、お互いの利益を第一に考えた家同士の結びつきにすぎないではないか。割り切って考えよう。
 
 (わたくしには、この求婚を受け入れるしかないのだから)

 「失礼致しました。ですが、あなたのような誇り高い方に、軽薄な偽りの愛の言葉を囁くほうが、かえって礼儀に反するような気がしたもので」
 エドワードはそう言った。
 (偽りの愛の言葉、って何よ。もとから愛情が全くない、なんてこと、プロポーズの夜によく言えたわね)
 
 屈辱に耐えながら、ベアトリックスは、彼に手を差し出した。そして彼は跪くと、彼女の手の甲に恭しげに、そっと唇を落とした。

 とうとう売られていくことが確定したのだ。その日の夜、ベアトリックスはベッドの中で泣いた。

 
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