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1章:辺境の村、風の道
その手のひら
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朝の光が納屋のすきまから差し込んでいた。
クラリスはゆっくりと目を開け、干草の上から身を起こす。
敷き藁は思いのほか寝心地がよく、昨日までの疲労が嘘のように和らいでいた。
村の朝は早い。行き交う人々は声を交わし、遠くでは薪を割る。
外から聞こえてくる音に誘われるように、クラリスは表に出た。
「うーん」と大きく背伸びをする。こんなにすっきりとした朝は、いつぶりだろうか。空気がとても美味しい。
「おはよう。調子はどうだい?ここは朝から騒がしいだろう?」
バルバラが笑いながら話しかけてきた。
「おはようございます。ええ、きっとみんな働き者なのね」
クラリスも笑顔で返す。
「あはは、素直で結構。後でうちに来な。食事はうちで食べるといいからね」
バルバラは「食事の支度が出来たら呼びに来るから」と言うと、外れの方へ向かっていった。
クラリスは少し村を見て回ろうかとも思ったが、昨日のこともある。
あまり、目立たないようにしながら、納屋を離れた。
納屋の裏手を少し行ったところを小川が流れていた。
炊事や、洗濯などにも使うのだろうかなどと考えていると、川のそばで遊んでいた一人の男の子がつまずき、転ぶのが見えた。
酷く打ち付けたのか、しばらく起き上がってこなかったが、やがて、激しく泣き出した。
「……っ、いたい……! いたいよ……!」
よく見ると、左手の小指が逆の方向に曲がっている。
一緒に遊んでいた子供たちも、その折れ曲がった指を心配そうに見守るものの、子供の手で何かができるはずもない。
駆け寄る大人はいない。皆、畑やそれぞれの作業に追われていた。
クラリスは一瞬だけ躊躇したが、そばに向かうと、膝をついて男の子に声をかけた。
「大丈夫……? 見せてくれる?」
男の子は、涙を浮かべながら手をゆっくりと差し出した。
本来なら曲がるはずのない方向を指している指が痛々しい。
クラリスは、懐から小さな布を取り出すと、曲がった指の上からそっと手を添える。
「……っ!」
ほんの僅かでも触れるだけで痛みが響く。
「ごめんね……少しだけ、我慢してね」
クラリスは心に思い浮かべる。あの時赤子に思ったのと同じように。
(指を治す、だけでなく、痛みも……和らぎますように)
胸の奥から、ふわりとした温かさが立ち上がった。
手のひらが淡く光る。
「……あったかい……」
男の子がぽつりとつぶやいた。
数瞬後、指は元の方向を向いていた。
「あれ?え?すごい……え?すごい!もう、いたくない!」
目を輝かせて、手を開いては閉じ、開いては閉じしている男の子に、クラリスは穏やかに笑った。
「気を付けて、遊ばないとね」
「うん!」
走り去っていく、男の子の背中を見送っていると、背後から気配がした。
「……うちの子の指が曲がったって」
声をかけてきたのは、昨日、村の入り口で馬車に迫ってきた男だった。
畑仕事をしていたらしく、手は土で黒ずんでいる。
「本当だよ!あいつの指、変な方向に曲がってたんだもん!」
一緒にいた友達の一人が、父親を呼びに行っていたのだろう。
男は、遠くの方へ元気に走っていった自分の子の様子を見ると少しほっとしたように言った。
「おい、元気に走り回ってるじゃないか。あんまりひどい冗談言うんじゃ……」
はっとして、男はクラリスを見る。
「お前……うちの子の指に、何しやがった」
「加護です。けれど……私は、それを証明することはできません。証も何も持ち合わせていない、名もない者です」
正直に答えると、男は苦い顔をした。
「……おまえ、本当に加護師だったんだな……だがよ、別に俺は治してくれなんて一言も頼んでなんかいないからな」
「はい……わかっています……」
クラリスは、ただ、あの男の子が痛んでいるのが見ていられなかった。
あの子を助けたかった。
ただ、それだけだった。
「まったく、よそ者のくせに勝手なことしやがって……」
クラリスは男の声に何も答えられず黙るばかりだった。
クラリスが、何も言わずにうつむいていると、しばらくして、男は背中を向けたまま呟いた。
「……ありがとうよ」
男はぽつりと言うと、その場を立ち去った。
その日の終わり、クラリスが一人焚き火を眺めていると、セラヴィアが片手をあげて近づいてきた。
「ここ、いい?」
「どうぞ……」
二人はしばらく焚き火をじっと見ていたが、やがて、セラヴィアが口を開いた。
「……また、加護、使ったんだ?聞いたわ。……余計なお世話だって言われたでしょ?」
セラヴィアはくすくす笑っている。
「……ここの人たちはね、“また見捨てられる”って思ってる……」
クラリスはじっと焚き火を見つめていた。
「それでも、あんたのやってること、あたしは嫌いじゃない」
それは、セラヴィアから初めて向けられた、ほんのわずかな好意だった。
その夜、クラリスは納屋で寝転がりながら、掌を見つめた。
その手にはまだ、朝出会った男の子の手のぬくもりが残っているような気がした。
クラリスはゆっくりと目を開け、干草の上から身を起こす。
敷き藁は思いのほか寝心地がよく、昨日までの疲労が嘘のように和らいでいた。
村の朝は早い。行き交う人々は声を交わし、遠くでは薪を割る。
外から聞こえてくる音に誘われるように、クラリスは表に出た。
「うーん」と大きく背伸びをする。こんなにすっきりとした朝は、いつぶりだろうか。空気がとても美味しい。
「おはよう。調子はどうだい?ここは朝から騒がしいだろう?」
バルバラが笑いながら話しかけてきた。
「おはようございます。ええ、きっとみんな働き者なのね」
クラリスも笑顔で返す。
「あはは、素直で結構。後でうちに来な。食事はうちで食べるといいからね」
バルバラは「食事の支度が出来たら呼びに来るから」と言うと、外れの方へ向かっていった。
クラリスは少し村を見て回ろうかとも思ったが、昨日のこともある。
あまり、目立たないようにしながら、納屋を離れた。
納屋の裏手を少し行ったところを小川が流れていた。
炊事や、洗濯などにも使うのだろうかなどと考えていると、川のそばで遊んでいた一人の男の子がつまずき、転ぶのが見えた。
酷く打ち付けたのか、しばらく起き上がってこなかったが、やがて、激しく泣き出した。
「……っ、いたい……! いたいよ……!」
よく見ると、左手の小指が逆の方向に曲がっている。
一緒に遊んでいた子供たちも、その折れ曲がった指を心配そうに見守るものの、子供の手で何かができるはずもない。
駆け寄る大人はいない。皆、畑やそれぞれの作業に追われていた。
クラリスは一瞬だけ躊躇したが、そばに向かうと、膝をついて男の子に声をかけた。
「大丈夫……? 見せてくれる?」
男の子は、涙を浮かべながら手をゆっくりと差し出した。
本来なら曲がるはずのない方向を指している指が痛々しい。
クラリスは、懐から小さな布を取り出すと、曲がった指の上からそっと手を添える。
「……っ!」
ほんの僅かでも触れるだけで痛みが響く。
「ごめんね……少しだけ、我慢してね」
クラリスは心に思い浮かべる。あの時赤子に思ったのと同じように。
(指を治す、だけでなく、痛みも……和らぎますように)
胸の奥から、ふわりとした温かさが立ち上がった。
手のひらが淡く光る。
「……あったかい……」
男の子がぽつりとつぶやいた。
数瞬後、指は元の方向を向いていた。
「あれ?え?すごい……え?すごい!もう、いたくない!」
目を輝かせて、手を開いては閉じ、開いては閉じしている男の子に、クラリスは穏やかに笑った。
「気を付けて、遊ばないとね」
「うん!」
走り去っていく、男の子の背中を見送っていると、背後から気配がした。
「……うちの子の指が曲がったって」
声をかけてきたのは、昨日、村の入り口で馬車に迫ってきた男だった。
畑仕事をしていたらしく、手は土で黒ずんでいる。
「本当だよ!あいつの指、変な方向に曲がってたんだもん!」
一緒にいた友達の一人が、父親を呼びに行っていたのだろう。
男は、遠くの方へ元気に走っていった自分の子の様子を見ると少しほっとしたように言った。
「おい、元気に走り回ってるじゃないか。あんまりひどい冗談言うんじゃ……」
はっとして、男はクラリスを見る。
「お前……うちの子の指に、何しやがった」
「加護です。けれど……私は、それを証明することはできません。証も何も持ち合わせていない、名もない者です」
正直に答えると、男は苦い顔をした。
「……おまえ、本当に加護師だったんだな……だがよ、別に俺は治してくれなんて一言も頼んでなんかいないからな」
「はい……わかっています……」
クラリスは、ただ、あの男の子が痛んでいるのが見ていられなかった。
あの子を助けたかった。
ただ、それだけだった。
「まったく、よそ者のくせに勝手なことしやがって……」
クラリスは男の声に何も答えられず黙るばかりだった。
クラリスが、何も言わずにうつむいていると、しばらくして、男は背中を向けたまま呟いた。
「……ありがとうよ」
男はぽつりと言うと、その場を立ち去った。
その日の終わり、クラリスが一人焚き火を眺めていると、セラヴィアが片手をあげて近づいてきた。
「ここ、いい?」
「どうぞ……」
二人はしばらく焚き火をじっと見ていたが、やがて、セラヴィアが口を開いた。
「……また、加護、使ったんだ?聞いたわ。……余計なお世話だって言われたでしょ?」
セラヴィアはくすくす笑っている。
「……ここの人たちはね、“また見捨てられる”って思ってる……」
クラリスはじっと焚き火を見つめていた。
「それでも、あんたのやってること、あたしは嫌いじゃない」
それは、セラヴィアから初めて向けられた、ほんのわずかな好意だった。
その夜、クラリスは納屋で寝転がりながら、掌を見つめた。
その手にはまだ、朝出会った男の子の手のぬくもりが残っているような気がした。
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