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1章:辺境の村、風の道
遠き記憶
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翌朝。今朝の村は静かだった。雨が降っていたのか、外の通りは湿り気を帯びている。
クラリスは納屋を出ると、昨日の小川まで歩いてみた。
村の空気はひんやりとしていて、土の香りが濃い。
乾いた岩を探し腰を下ろすと、空を仰ぎ見る。
まだ朝靄の残る空、雲の切れ間から薄い陽が差し込んでいた。
ふと、懐かしい光景をクラリスは思いだした。
──雨上がりの朝。
あの村の教会でも、こんな匂いがしていた。
木造の小さな礼拝堂。日曜の祈りの時間。
床は軋み、王都の大聖堂に比べれば、貧相でちっぽけ。
でも、なぜかあの場所は、クラリスをあたたかな気持ちにしてくれる場所だった。
教会では、日々幼い子たちも、暮らしのお手伝いをする。
そんな時、修道女に渡す皿を運ぶときも、薪を割るときも、ミラはよく自分を頼った。
それが嬉しかった。
頼られるのは、誰かのそばにいられる証のように思えたから。
──あの日、奇跡が起きた。
礼拝堂の中で、胸に深い傷を負った瀕死の男が、祈りの最中に突然息を吹き返した。
見守っていた修道女たちが歓声を上げた。
そのとき、人々の目が向けたのは、クラリスではなく、隣にいたミラだった。
「ミラちゃんが……癒したの?」
「神さまが、あの子を選んだんだわ」
皆がそう言っていた。
でも──本当に、そうだったのだろうか。
クラリスは覚えている。
あのとき、自分が差し伸べた手。心の奥底から、何かを願った瞬間。
でも、誰もそれには気づいていなかった。
ミラは、何も言わなかった。
否定もせず、静かに頷いた。
それ以来、村で怪我人や病人が出るとそのたびにミラのもとへ運ばれるようになった。
クラリスは、ただその様子を眺めていた。
隣で「すごいね」と笑っていただけだった。
やがて、ミラの瞳の誰かを見る視線には、どこか冷たいものが混じっているように感じることが増えた。
背後から、濡れた土を踏む足音が近づいてくる。
クラリスが振り返ると、セラヴィアだった。
セラヴィアは、少し離れた場所で立ち止まると、同じように空を眺めだした。
クラリスは初め黙っていたが、沈黙に耐えきれなくなったように切り出す。
「……何も言わないんですか?」
「……どうして?」
「いつも私に近づくときは、何か声をかけてくる時でしたから……」
「……何か言ってほしい……?」
「……いえ……そういうわけでは……」
二人の間に、小川の流れる音だけが聞こえる。
なんとなく気まずくなり、クラリスが立ち上がろうとした時だった。
「……昔々、とても力の強い加護師がいました」
その声にクラリスはセラヴィアの方を見た。
「その加護師には、怪我も病気も、癒せないものなんてありませんでした。王宮の、教会の、誰もが、次の聖女になるのはその力の強い加護師だと囁いていました──」
セラヴィアは一息つくと、古い切り株に腰掛ける。
「でも──その加護師は、聖女にはなれませんでした。……おしまい」
なんとも歯切れの悪い結末。だがその人はきっと──
「……その人は、その後どうなったんですか?」
「さあ、どうなったのかしら……案外、近くにいるかもしれないわね……」
クラリスは苦笑した。
そして、その人が誰でもよかったことに気が付いた。
クラリスにとって、セラヴィアは、セラヴィアだった。
「やっと笑った? あなた、……すごく怖い顔、してたわ」
クラリスははっとした。
「あ……いえ。……昔のことを思い出していました」
そんなにひどい顔をしていたのだろうか。クラリスは慌てて口の端をあげてみたりした。
「王都の話?」
「いえ、もっと前の……まだ、王都に行く前、ちょうどこんな日があったな、って」
「そう……」
そう、ただそれだけ、だった。
それでも、あの雨上がりの朝を、ずっと忘れることはないのだろうなとクラリスは思った。
しばらく空を眺めていると、二人を呼ぶ声がした。
「呼んでるわ」
セラヴィアが指した方を見るとバルバラが手を振っている。
「行きましょう。きっと食事ですよ」
クラリスの声に、セラヴィアは小さくうなずいた。
クラリスは納屋を出ると、昨日の小川まで歩いてみた。
村の空気はひんやりとしていて、土の香りが濃い。
乾いた岩を探し腰を下ろすと、空を仰ぎ見る。
まだ朝靄の残る空、雲の切れ間から薄い陽が差し込んでいた。
ふと、懐かしい光景をクラリスは思いだした。
──雨上がりの朝。
あの村の教会でも、こんな匂いがしていた。
木造の小さな礼拝堂。日曜の祈りの時間。
床は軋み、王都の大聖堂に比べれば、貧相でちっぽけ。
でも、なぜかあの場所は、クラリスをあたたかな気持ちにしてくれる場所だった。
教会では、日々幼い子たちも、暮らしのお手伝いをする。
そんな時、修道女に渡す皿を運ぶときも、薪を割るときも、ミラはよく自分を頼った。
それが嬉しかった。
頼られるのは、誰かのそばにいられる証のように思えたから。
──あの日、奇跡が起きた。
礼拝堂の中で、胸に深い傷を負った瀕死の男が、祈りの最中に突然息を吹き返した。
見守っていた修道女たちが歓声を上げた。
そのとき、人々の目が向けたのは、クラリスではなく、隣にいたミラだった。
「ミラちゃんが……癒したの?」
「神さまが、あの子を選んだんだわ」
皆がそう言っていた。
でも──本当に、そうだったのだろうか。
クラリスは覚えている。
あのとき、自分が差し伸べた手。心の奥底から、何かを願った瞬間。
でも、誰もそれには気づいていなかった。
ミラは、何も言わなかった。
否定もせず、静かに頷いた。
それ以来、村で怪我人や病人が出るとそのたびにミラのもとへ運ばれるようになった。
クラリスは、ただその様子を眺めていた。
隣で「すごいね」と笑っていただけだった。
やがて、ミラの瞳の誰かを見る視線には、どこか冷たいものが混じっているように感じることが増えた。
背後から、濡れた土を踏む足音が近づいてくる。
クラリスが振り返ると、セラヴィアだった。
セラヴィアは、少し離れた場所で立ち止まると、同じように空を眺めだした。
クラリスは初め黙っていたが、沈黙に耐えきれなくなったように切り出す。
「……何も言わないんですか?」
「……どうして?」
「いつも私に近づくときは、何か声をかけてくる時でしたから……」
「……何か言ってほしい……?」
「……いえ……そういうわけでは……」
二人の間に、小川の流れる音だけが聞こえる。
なんとなく気まずくなり、クラリスが立ち上がろうとした時だった。
「……昔々、とても力の強い加護師がいました」
その声にクラリスはセラヴィアの方を見た。
「その加護師には、怪我も病気も、癒せないものなんてありませんでした。王宮の、教会の、誰もが、次の聖女になるのはその力の強い加護師だと囁いていました──」
セラヴィアは一息つくと、古い切り株に腰掛ける。
「でも──その加護師は、聖女にはなれませんでした。……おしまい」
なんとも歯切れの悪い結末。だがその人はきっと──
「……その人は、その後どうなったんですか?」
「さあ、どうなったのかしら……案外、近くにいるかもしれないわね……」
クラリスは苦笑した。
そして、その人が誰でもよかったことに気が付いた。
クラリスにとって、セラヴィアは、セラヴィアだった。
「やっと笑った? あなた、……すごく怖い顔、してたわ」
クラリスははっとした。
「あ……いえ。……昔のことを思い出していました」
そんなにひどい顔をしていたのだろうか。クラリスは慌てて口の端をあげてみたりした。
「王都の話?」
「いえ、もっと前の……まだ、王都に行く前、ちょうどこんな日があったな、って」
「そう……」
そう、ただそれだけ、だった。
それでも、あの雨上がりの朝を、ずっと忘れることはないのだろうなとクラリスは思った。
しばらく空を眺めていると、二人を呼ぶ声がした。
「呼んでるわ」
セラヴィアが指した方を見るとバルバラが手を振っている。
「行きましょう。きっと食事ですよ」
クラリスの声に、セラヴィアは小さくうなずいた。
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