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2章:王都に降る雨
聖女として
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「……もう、戻れないんだな」
玉座の前に立ち尽くしたまま、リオネルはつぶやいた。
床に敷かれた赤絨毯の先、無人の玉座が、まるで責めるようにそこにあった。
しんと静まり返った謁見の間。
外ではまだ雨が続いているのか、窓を濡らす音がその気配を伝えている。
「……リオネル様」
背後に控えていたミラが、リオネルに声をかける。
言葉は穏やかだったが、彼女の目は確かにリオネルの顔を見据えていた。
リオネルは無意識のうちに、その視線から目を逸らす。
「……やはり、見て下さらないのですか……」
はっとするリオネル。
「いや、そういうわけでは……」
ミラは、小さく笑った。
「……それでは、ミラは、リオネル様を、あまり見ないようにいたします」
ミラは悪戯っぽくそう言うと、軽く俯いたまま、小さくつぶやいた。
「リオネル様……」
雨の湿気を帯びてか、その名を呼ぶ声が妙に艶っぽい。
リオネルは、どことなく居心地の悪さを感じ、ミラに背を向けた。
「ミラよ、用がないのであれば……」
言いかけたリオネルを、遮るようにミラは切り出した。
「神託の件で、ひとつだけ……どうしても、気になることがあったのです」
リオネルが視線を戻す。ミラは両手を胸元に重ね、祈るように目を伏せていた。
「神託の予言ですが、リオネル様もご存じのように、最後には”闇と光交わるとき、……すべてを流さんとす”とございます」
「うん」
「……この一節だけが、ずっと胸に残って離れないのです」
ミラの声が、わずかに震える。
リオネルは、じっと彼女を見つめていた。
「これは、二つの秩序が手を取り合うことで全てがうまくいくのだということを指しているのだと長らくとされておりましたが、予言の”聖の座を汚す者”が現れた今に至りましては、この二つの秩序とは”教会”と”王家”を指しているのではないのかと……」
彼女の声は、決して大きくはなかった。
だがそこには、迷いと、決意と、聖女としての戒めが複雑に絡んでいた。
「つまり──神は、”私たち”に国を清めよと、命じていらっしゃるのではないかと──思えてならないのです」
「……何が言いたい」
リオネルの声には、怒りも驚きもなかった。ただ、静かな確認だった。
ミラは即答しなかった。わずかに唇を噛み、ふるふると首を振った。
「──リオネル殿下と、わたくし……ミラ・セレスタが、手を取り、交われと──」
ミラの声だけが静かに謁見の間に広がる。
「私は、神の言葉を都合よく解釈するような者にはなりたくありません。けれど……けれど、聖女である私が、“王太子妃になれ”などという神託を信じたとき……それは──聖女であることを、自ら捨てることになります……」
その声に、リオネルは動けなかった。
ミラの言葉は、訴えではなかった。ただ、震えながら祈るような声だった。
「……誰かのために生きることが、”聖女”なのだと信じてきました。しかし、神は”聖女”でありたいと思うのであれば、”聖女”であることを辞めよとおっしゃる──私はいったいどうすれば──」
ミラは袖で顔を覆うように泣き崩れた。
リオネルは、気づけばその手を伸ばしていた。
「──君は、間違っていない」
ミラがはっと顔を上げる。
その目には、涙が滲んでいた。
「君が王太子妃になれば、誰かがそれを咎めるだろう。でもそれが、神の言葉なのであれば、僕は君を否定しない。聖女としての君も、そうでない君も──僕は、君を必要としているのだから」
ミラの目から、ひとしずく、涙が零れた。
それは神への祈りではなく、ひとりの人間としての安堵の色を宿していた。
「先ほどの、神託の解釈については、まだ、誰にも話していないのだろう? 教会にも確認してもらおう。一度叔父上に相談するといい。大司教ならきっと良い答えを見つけてくれるはずだ」
リオネルは安心させるようにそう言った。
「確かに。おっしゃる通りですわ、殿下。一人で考えすぎてしまっていたようでした……大司教猊下ならば、わたくしを導いて下さるに違いありませんわ」
ミラはリオネルの手を握り微笑んだ。
その瞳はどこまでも深く澄んでいた。吸い込まれそうなほどに。
玉座の前に立ち尽くしたまま、リオネルはつぶやいた。
床に敷かれた赤絨毯の先、無人の玉座が、まるで責めるようにそこにあった。
しんと静まり返った謁見の間。
外ではまだ雨が続いているのか、窓を濡らす音がその気配を伝えている。
「……リオネル様」
背後に控えていたミラが、リオネルに声をかける。
言葉は穏やかだったが、彼女の目は確かにリオネルの顔を見据えていた。
リオネルは無意識のうちに、その視線から目を逸らす。
「……やはり、見て下さらないのですか……」
はっとするリオネル。
「いや、そういうわけでは……」
ミラは、小さく笑った。
「……それでは、ミラは、リオネル様を、あまり見ないようにいたします」
ミラは悪戯っぽくそう言うと、軽く俯いたまま、小さくつぶやいた。
「リオネル様……」
雨の湿気を帯びてか、その名を呼ぶ声が妙に艶っぽい。
リオネルは、どことなく居心地の悪さを感じ、ミラに背を向けた。
「ミラよ、用がないのであれば……」
言いかけたリオネルを、遮るようにミラは切り出した。
「神託の件で、ひとつだけ……どうしても、気になることがあったのです」
リオネルが視線を戻す。ミラは両手を胸元に重ね、祈るように目を伏せていた。
「神託の予言ですが、リオネル様もご存じのように、最後には”闇と光交わるとき、……すべてを流さんとす”とございます」
「うん」
「……この一節だけが、ずっと胸に残って離れないのです」
ミラの声が、わずかに震える。
リオネルは、じっと彼女を見つめていた。
「これは、二つの秩序が手を取り合うことで全てがうまくいくのだということを指しているのだと長らくとされておりましたが、予言の”聖の座を汚す者”が現れた今に至りましては、この二つの秩序とは”教会”と”王家”を指しているのではないのかと……」
彼女の声は、決して大きくはなかった。
だがそこには、迷いと、決意と、聖女としての戒めが複雑に絡んでいた。
「つまり──神は、”私たち”に国を清めよと、命じていらっしゃるのではないかと──思えてならないのです」
「……何が言いたい」
リオネルの声には、怒りも驚きもなかった。ただ、静かな確認だった。
ミラは即答しなかった。わずかに唇を噛み、ふるふると首を振った。
「──リオネル殿下と、わたくし……ミラ・セレスタが、手を取り、交われと──」
ミラの声だけが静かに謁見の間に広がる。
「私は、神の言葉を都合よく解釈するような者にはなりたくありません。けれど……けれど、聖女である私が、“王太子妃になれ”などという神託を信じたとき……それは──聖女であることを、自ら捨てることになります……」
その声に、リオネルは動けなかった。
ミラの言葉は、訴えではなかった。ただ、震えながら祈るような声だった。
「……誰かのために生きることが、”聖女”なのだと信じてきました。しかし、神は”聖女”でありたいと思うのであれば、”聖女”であることを辞めよとおっしゃる──私はいったいどうすれば──」
ミラは袖で顔を覆うように泣き崩れた。
リオネルは、気づけばその手を伸ばしていた。
「──君は、間違っていない」
ミラがはっと顔を上げる。
その目には、涙が滲んでいた。
「君が王太子妃になれば、誰かがそれを咎めるだろう。でもそれが、神の言葉なのであれば、僕は君を否定しない。聖女としての君も、そうでない君も──僕は、君を必要としているのだから」
ミラの目から、ひとしずく、涙が零れた。
それは神への祈りではなく、ひとりの人間としての安堵の色を宿していた。
「先ほどの、神託の解釈については、まだ、誰にも話していないのだろう? 教会にも確認してもらおう。一度叔父上に相談するといい。大司教ならきっと良い答えを見つけてくれるはずだ」
リオネルは安心させるようにそう言った。
「確かに。おっしゃる通りですわ、殿下。一人で考えすぎてしまっていたようでした……大司教猊下ならば、わたくしを導いて下さるに違いありませんわ」
ミラはリオネルの手を握り微笑んだ。
その瞳はどこまでも深く澄んでいた。吸い込まれそうなほどに。
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