王太子妃(仮)でしたが、聞いたこともない予言のせいで追放されました。ですから、今さら呼び戻されても困ります。

實藤圭

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3章:静かなる祈り

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 風のない午後だった。
 陽の光が、足元に影を落とす。
 遊ぶ子供たちの声も、遠くに感じられる。
 “北の端”の午後はいつも静かだが、今日は特にそう感じられた。

 クラリスは、セラヴィアを探していた。ようやく、村はずれに立つ木に、もたれかかったその姿を見つけると、薬草の入った籠を抱えたまま、手を振り大きな声で呼びかける。セラヴィアもそれに気づき、小さく片手を上げて応じた。

「セラヴィアさん」
「……あら、少し慌てて? ……どうかしたの?」

 いつもと変わらぬ、彼女のけだるげな返事が返ってくる。
 今朝方降っていた雨の所為か、空気は少し湿っていた。日差しの強さも手伝って、少し蒸し暑い。
 セラヴィアの背中には汗がしっとりと滲んでいた。

「……エルバさんから、セラヴィアさんにこれをって。何かあったんですか?」

 そう言うと、クラリスは袋にしまっていたネックレスを、セラヴィアに渡した。

「エルバ婆から……?」
「これって、エルバさんがいつも身に着けていたネックレスですよね? まだ王都にいらっしゃったときに手に入れたものだとかで自慢されていたので」

 この北の端には不似合いなつくりのネックレス。派手さはないが、繊細な彫刻が施され、誰もが見とれてしまう美しさがあった。もし賊が村に押し入ることがあるなら、真っ先に狙われるに違いないと、クラリスは思っていた。

「ああ……これね……。多分、こないだの加護のお礼かな……」
「加護ですか?」
「そうよ……そうね……エルバ婆も……もうすぐかもね……」
「もうすぐって……?」

 クラリスははっとすると、大袈裟にため息をつく。

「なんてこというんですか。確かにお年はめされていらっしゃいますが、まだまだ元気なご様子でしたよ」

「……ほんとに?」

 クラリスはセラヴィアの言葉に眉をひそめた。「この人は、何を気にしているのだろう」……ただ、彼女のその愁いを帯びた声が、クラリスに少し引っかかるものを感じさせていたことも事実だった。

「でもねえ……人は、いつかは死ぬものよ……」

 静かな声で、セラヴィアは言った。
 ──しばらくして、クスリと笑う。……どうやら冗談のつもりだったらしい。まったく笑えない質の悪い冗談。

「もう。怖いこと言わないで下さい。誰も死にません!」

 クラリスは、元気よくそういうと、怒ったように、視線をそらした。

「クラリスさーん!」

 遠くから呼び声が聞こえる。髪の毛を二つに結った少女が、二人の下へ近づいてきた。

「噂をすれば……ってね」

 セラヴィアがからかうように小さくつぶやく。

「セラヴィアさん!」

 クラリスは、窘めるように少し強い口調で言った。
 少女は、クラリスの前まで駆けて来ると、膝に手をし、息を切らせながら言う。

「おばあちゃんが、痛みがひどいって、足が……歩けなくて……」
「あなた、エルバさんのおうちの子よね? 大丈夫。すぐに行くわ」

 少女がうなずく。セラヴィアは、立ち上がろうとしたクラリスの背に、視線を向けていた。
 クラリスは籠を持つと、振り返り、セラヴィアに早口で尋ねる。

「セラヴィアさん、張り薬と、あと……」
「いいわよ……私の物、いつでも好きに使っていいから……」
「ありがとうございます!」


 クラリスは、返事を聞くと急ぎ足でセラヴィアの使っている納屋へと向かっていった。セラヴィアは、その姿が見えなくなるまで見つめていた。



 * * *



 村の奥にある小さな家。小さなベッドに、年老いた女性が、横向きに丸くなって横たわっていた。
 浅く息をしている中、時折小さな呻き声が漏れる。

「エルバさん、クラリスです。すぐに楽になりますからね」

 クラリスは、そっと膝をついた。
 少女が背後で見守っている。

「少し、触れますね」

 クラリスが歌うように願いを心に紡ぐ。

 “手をそっと脚に置く”
 “深く祈るように”
 “言葉はなく”
 “ただ目を閉じ”
 “静かに心を澄ませる”
 “思いを心に念じる”

 空気が、一瞬震えるような気配を見せたかと思うと、波紋のように静寂が広がっていく。
 
 クラリスの手のひらが、ほんのりと淡い光に包まれた。
 その光は、エルバの年老いた身体へと優しく染み入り、しばらくするとエルバの眉間の皺が、すこしだけほどけた。


 やがて、クラリスはその手をゆっくりと離した。
 光はすぐに消え、代わりに、重い吐息が彼女の唇から漏れる。


「ありがとう……クラリスさん」

 少女が静かに頭を下げた。

「また、なにかあれば、いつでも言ってね」

 ベッドの上では、エルバが体を起こし、そばに置いてあった水を口にしているところだった。その様子にクラリスは胸を撫で下ろす。やがてクラリスが立ち上がろうとしたとき、彼女の背後からエルバの声が聞こえた。

「いつもすまないね……まあ、こんな痛みも、“神の祝福”だと思って受け入れられるようにならないと……だね」

 クラリスは驚いてエルバの目を見た。

「でも、それじゃ……」


 エルバは、まるで自分の孫を諭すように優しい目でクラリスを見つめると、「それでいいんだよ」と微笑んだ。


 その後、クラリスはエルバに簡単な処置を行うと外に出た。
 少女や、エルバの家族らに、見送られながら、セラヴィアの納屋へと戻ろうとする。
 クラリスはふと空を見上げた。


 ──風が吹いていた。


 さっきまで止まっていた空気が、木々をざわめかせる。
 クラリスが視線を遠くにやると、少し離れた木陰に、セラヴィアが立っていた。


「来てたんですか」
「うん。……いい風」

 セラヴィアの髪が、風に揺れていた。その細い指が頬にかかる髪を撫でる。

「元気だった? エルバ婆?」
「ええ、とっても」

 セラヴィアは、クラリスをじっと見つめる。
 やがて、小さくため息をつき、

「そう……」

 とだけ言うと、その木にもたれかかった。
 風に乱れた髪を直そうともせず、目を閉じる。
 セラヴィアは心地よさそうに、ただ、その風に身を預けていた。

「セラヴィアさん?」


 クラリスの呼びかけは風に消えセラヴィアには届かなかった。

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