跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

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50冬宮殿の動乱②

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 「勉学が足りていないのも相変わらずですね、クリス」


 卓を挟んで、兄はため息を漏らす。弟の方は周囲に邪な視線を向けていた。

 兄弟の間を囲む侍女たちの佇まい、所作をクリスはじろじろ眺めた。帝国でも指折りの容姿端麗な女性たちが並んでいる。男ならばその光景に目がいかないはずもなかった。


「ふぅむ……」


 いやらしい視線は順繰り回った。だがクリスは不満げな表情を示して、最後にハヤセの顔をじっと凝視した。


「マズいです」


「は?」


「未だにあんたよりも顔の良い女を見た試しがない。ここにいる女どもも、まるで相手にならないなんて」


 失望と渇きに満ちた顔でいる相手に対して、ハヤセは答えに窮した。


「皇太子殿下は傾国の美人をモノにしたわけですか。羨ましい、いや妬ましい。どちらにせよ自慢の容貌にお変わりはないようで」


「クリス……なにを。それにその……以前のような冗談を喋りに来たのではないでしょう?」


 ごくりと喉を鳴らす相手に悪寒が走る。ハヤセは堪らず話題を逸らした。「早く本題に移って」と手振りすると、弟の方は息遣いを戻していった。


「内密のことゆえ、人払いもしてほしいところですが。たぶん許されませんよね」


 先ほど周りを見た時にクリスは早くも気づいている。各々暗器を忍ばせている侍女たちの異常な物々しさ。皇后が事前に準備しておいた予防線のおかげで、かの武人も下手に手は出せない、はずである。


「察しのとおりです。そこで言いなさい」


 わかっているはずなのにハヤセは気分が落ち着かないでいる。ただの見舞いであれば、どうして弟だけを差し向ける必要があるだろうか。あの父のことだ。何か含みがあって、クリスを単独行動させているに違いない。


「やれやれそれでは、ええ。父からの伝言を伝えますからどうか拝聴ください。『あまり出しゃばるな。妃になろうなどとゆめ思わぬこと』だそうです」


 肩透かし、いや自分で不安を増大させていただけか。ハヤセは少しだけ張り詰めていた気を抜かしていった。


「それだけですか」


「文言は今ので全てですよ兄上……よっと!!」


 ひょいと卓上を飛び越えて、太い腕がハヤセの首めがけて伸ばされていく。迷いのないその手を避ける暇は瞬きほどもない。


「ぐ……!!っ……!!なっ!?」


「伝言はね」


 体格には歴然の差がある。手のひらの圧で抵抗する動きをことごとく封じられた。ぐいと掴まれたハヤセの身体は軽々と持ち上げられた。


「ここからは俺の用事を済ませようと思います」


「が……あっクリスっ……!!」


 首だけを支えに、空に吊るされた状態で時が止まる。迂闊、まさか弟がこんな暴挙に出てこようとは。ハヤセは息苦しさの中で天地がひっくり返るほどの衝撃を感じていた。


「ハヤセ様!!」


「動くなっ!!少しでも動いたらお前らの大事なお妃さまが傷物になるぞ!!」


 荒ぶる脅しの言葉に、付き人は凍ったように微動だにしなくなる。対人に備えた道具を手に持つ侍女らの息が上がる。頭上には護身用の剣。ハヤセはもがけばもがくほど、その銀の切っ先が霞んで見えた。


「宙ぶらりんな生活はどうでした?兄上。レイフィールドの名を継ぎながら、その実は家を見限ろうと頑張っていましたね。それで終いには好きでもない男に股を開きやがって。くそっもう十分、もう十分でしょう!!」


 はぁはぁと息を荒くするクリスに野獣めいた気配を感じる。ハヤセはとんでもないものを誘発してしまったと恐怖に苛まれた。


「俺の望むことを叶えてくだされば、このクソみたいな状況を救ってあげます」


 理性か本能か。落ち着いたまま話すクリスの声に、もはやハヤセの耳には響いてもいなかった。


「俺の妻になってください」


「ち……血迷うたかレイフィールド!!今のは実の兄弟に向けての台詞とは到底思えませんぞ」


「黙れ!!この剣先が見えないのか。部外者の出る幕なし、次に反論したら貴様の首ごとかっ切ってやる!!」


 遮る侍女頭の言葉が断じられる。怒涛の剣幕に侍女らの戦慄は止まらなくなる。好き放題される前に追い出すべきと皇后に言われたのに、その術を人々は持ち揃えていない。この愛憎に満ちた怪物を、一体どうやって止めたら良いというのだろうか。


 つとクリス・レイフィールドの片手が解かれた。いいかげんに手を離されたハヤセは、その場に受け身も取らずに倒れこむ。


「かはっ……!!うっ…………」


「成長するたびに思い焦がれていました。この世のほとんどの物は醜いけれど、あんたは違った。兄上だけは美しいままでいてくれる。ずっと同じ姿で、変わらず俺の前にいてくれましたよね」


 まずは気道、空気が欲しい。ハヤセは咳込みながら暗転する意識を正していった。


「抗おうとする姿も素敵でした。ああ、この抑えられない気持ちの正体がわかったのです。兄上。そうこれは正真正銘の愛だったのですよ!!」」


 汚らしい獣が。従者たちは暴走した男に侮蔑の視線を向けるだけ。いかなる抵抗も、ハヤセの身柄を考えれば行動に起こせなかった。

 ハヤセの手を握りしめる大男。あまりの馬鹿力に、握られた側は歯を食いしばって痛みを堪える。


「家名に囚われたあんたを幸せにできるのは俺しかいません。父の立場?そんなのも些細なことだ。あのジジイも所詮どうだってよい存在です。老人などいつだって殺してしまえるのだから」


 頭が完全に狂っている。彼を、弟を止めなくては。ハヤセは侍女の悔しさに滲む顔をできるだけ見通した。なぜ飛びかからないのか。なぜ男の背中を仕留めないのか。最悪なことに理解はできる、温室育ちの令嬢たちには酷な任務だろうと。


「血を分けた兄弟だなんて、障害にはなりませんよ。きっと神様もこの日を望まれていたんだ」


「もうやめ……なさいクリス。衛兵が…………あなたを殺してしまう」


「ああそうか。それも考えられる。宮廷も邪魔ですね、さすが兄上だ」


「どうして……なぜなの?」


 悦に浸った顔で、クリスはハヤセを勢いよく押し倒した。


「あなたを汚した奴がいるでしょう。そいつへの意趣返しがしたいのです」


 へらへらと笑みを浮かべる男。クリスの皇太子憎しの筋道を感じ取って、ハヤセは堪えていた涙をついに抑えることができなくなった。まるで皇太子が全て悪いような言いがかりを。どうして弟から直接受けなければならないのか。


 また人を狂わせたのか。
 上にまたがる肥えた相手の顔よりも、慣れ親しんだ金髪の美丈夫を想った。「アルベール」とハヤセはか細い声で呟く。懺悔の気持ち、自分の気持ち。幼馴染の心を裏切っている現状を憂いてばかり。


「ぐすっ、う……うぅっ…………」


 ないまぜになった感情に思考は揺れる。ハヤセは念じるように、祈るように自然と声を出していた。


「わたしを…………ぼくを拒んでアルベール。それかもう」
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