月の光はやがて仄かに輝く

白ノ猫

文字の大きさ
14 / 15
番外編

バレンタイン(二)

しおりを挟む


 料理長のおかげで安心してチョコ作りを再開したその時、厨房に一人のメイドが飛び込んできた。

「デビッド料理長、急いで昼食の用意を!」

 ひどく慌てた様子で料理長を呼んだのは古参のメイドだ。彼女が取り乱すところなんてあまり見ないので、私は何事かとチョコ作りを中断させた。

「昼食? 何でだ?」
「旦那様がお戻りになって、奥様と昼食を取りたいと――」
「わぁ、今日に限ってか」
「それにしても、ずっと厨房に籠って奥様方と何をやっているのかと思えば、何か焦げ臭いのですけど……」
「あぁ、うん。察してくれ」

 話を読み取ると、ノエルが私と食事をしたがっているといったところか。
 まれに昼時に帰ってくることはあるが、まさかの今日とは。
 しかも私は今、普段の格好ではない。料理がしやすい服装に着替えているし、しかもところどころが汚れている。
 絶対絶命とは、こういうときのことを言うのだろうか。

「チョコのことがバレないようにノエルを追い出さなきゃ……」

 サプライズが失敗するのは悲しいから、どうにか隠し通さなければならない。

「――ラーニャ」
「はい、奥様」

 静かに古参のメイドの名を呼べば、真剣な表情で応えられる。
 彼女や、料理長以外の使用人は私達がバレンタインの為に何らかの料理をしていることは知っているが、それ以上は何も知らされていない。
 私達の料理下手っぷりも、バレンタインの詳しい意味も。
 知らされていないのに、

「今日は、ノエルには外食してもらうわ。あと、バレンタインのことは内密にするように」

 私がそう言えば、ラーニャは恭しく一礼してしっかりと頷くのだ。内密にするように、とは使用人全員に伝えてほしいという意思も、分かってくれたと確信できる。

「仰せのままに。奥様」

 料理長もラーニャも、なんて素晴らしい使用人なのだろう。
 そうしてノエルを追い出すために動き出した私とラーニャをよそに、料理長はどこか遠い目をしながらリリアにだけチョコ作りの指南を再開させた。




 大急ぎで着替えてリビングに向かうと、そこにはゆったりと紅茶を飲みながらソファに座っているノエルがいた。
 彼は私に気づくと微笑み、隣に来るよう促した。
 うっかりすると見惚れてしまうが、その笑みも仕草も、今は見過ごすのが最善だった。
 幸いにもリリアが乗ってきた馬車は一度実家に戻ったので、彼女が来ていることはバレていないはずだ。
 だからここを私が乗り切れば、それでいい。

「ノエル、今日は帰ってきたのね」
「うん、ちょうど一区切りついたか――」
「でも今はちょっと……そう、料理長が体調悪そうにしていたから、外食の方がいいと思うわ。外食すればいいことがあるわ、きっと。そうは思わない?」
「えっと、ソフィア?」
「だから外食してきてちょうだい。それでお仕事に戻るのよ。決して、終わるまで帰ってきてはいけないわ。分かった?」

 ひたすら困惑して疑問ばかり浮かぶ状態のノエルの隣に座り、彼の膝の上に置いてあった大きな片手を両手で握り込んだ。

「……分かったと、言ってほしいの」

 祈るように、乞うようにノエルの瞳を見上げて懇願する。結局こういうゴリ押しになってしまったが、都合よく騙されてくれないだろうか……。
 じっと、頷くまで見つめ続けると言わんばかりの私に、やがてノエルは空いている方の手を伸ばした。
 その手が私の後頭部に回り、身動きが取れないようになる。

「ノエル……ん、む……」

 いつもより激しい口づけに息が苦しくなる。
 徐々に霞がかっていく視界の中で煌めいた瞳の色に胸が高鳴り、ともすれば身体がとろけてしまいそうだ。


 ノエルは私が身体に力が入らなくなるまでキスを続けた。
 息も絶え絶えになれば流石に満足したのか、唇を離すと耳元で低く、

「隠しごとなんて、妬けるなぁ」
「ぁっ……」

 黒さの混じった声に身体がぴくりと反応する。そのときに漏れた声が恥ずかしくて顔を赤くさせ、下を向く。
 俯いた私の頭にキスを落とし、愛でるように私の首の後ろ側を撫でる。優しい、壊れ物を扱うような手の動きに身体をふるふると震わせたが、

「隠せるものなら隠しておけばいいよ……」
「ん……」

 先程よりも更にドス黒さを増した声音と共に軽く胸に触れられた。
 くすくすと、まるで悪者のような、それでいて色気のある笑い声が鼓膜を犯す。

「今は誤魔化されておくから」
「ノエル」
「いいかい、ソフィア。君は、俺のものだ」

 滅多に見せてくれない独占欲。
 その仄暗い感情を瞳に映しながら、ノエルはもう一度だけ口づけた。



 遠ざかっていく大きな背中を虚ろに見守りながら、私はほうと熱い息を吐く。
 いつも優しい彼だが、たまにはあれくらい激しく愛を示されてもいいかもしれない。
 ……あんなに、激しくされるとは思わなかったのだが。隠し事がそんなに嫌だったのだろうか。


 未だ力の入らない身体を叱咤して自室に向かい着替えてから、厨房に戻る。
 厨房ではまたもやリリアがチョコの出来具合に嘆いており、料理長は悟りを開いたような静かな目をしていた。

「何で、何で、どうしてぇ……! あ、お姉様。お帰りなさい!」
「また失敗したのね……」

 あまりの嘆きように声をかけるのを躊躇ったほどだが、リリアは私の姿を認めるとけろりとした様子で迎え入れた。

「そうなの。どうしても上手くいかなくて……お姉様、顔が赤いわよ?」
「嘘っ……!」

 キスされた名残が、まだ残っているのか。
 パタパタと両手で顔を扇いで冷やそうとし、リリアが寄越す生暖かい視線に唇を尖らせた。

「……なによ」
「ノエル様に、愛されてるなぁって」
「……」
「きっと、お姉様に誤魔化される代わりにキスしたのね……」
「何で、そんな……」
「何でこんなに分かるのか、かしら?」

 頬を赤く染めてノエルが数分前に取った行動を言い当てたことに驚けば、リリアは悪戯っぽくにかっと笑った。
 明るく、輝かしく、暖かく――まるで太陽の笑顔で。

「だって、ずっとずっと見てたもの。好きになってから、あの日まで。でも、私の『好き』は憧れが強かったって、今なら分かる」

 あの日――私達姉妹が、本当に分かりあえた日のことだ。
 笑顔の中に寂しさといったような闇は見当たらない。ノエルのことを、今は義理の兄としか思っていないと、表情から分かる。
 そして、自身の過去の感情を冷静に判断できるほど、彼女は成長していたのだ。

「だからね、ノエル様がお姉様をすっごく大事にしてるのも、ちゃんと分かるの。まぁ、お姉様を泣かせたら私が黙ってないけど」
「ふふ、ありがとう」

 ぷんぷんと焦げた臭いが漂う厨房にて、姉妹の絆を再確認するなか。
 この厨房の主と言うべき男性は原料のチョコをそのまま口に入れては黒焦げのチョコと見比べ、情けなさそうに口の端を上げるのだった。





 私達は、頑張った。
 今までにないほどの努力をし、涙と汗の滲む思いでチョコ作りに取り組んだ。
 窓の外では空が赤く染まり、美しくも情景的に地上を照らしている。
 そんな真っ赤な光を視界に入れながらもそれに気づかず、私とリリアはただただお互いの健闘を祝福し合った。

「やったわ! 私でも、できたの!」
「えぇ、えぇ。分かっているわ。私も、とっても嬉しい」

 これまでいくつもの黒焦げチョコレートを乗せてきたトレーの上。そこには形こそ不格好ではあるが、光をなめらかな色で反射する私達の集大成が鎮座している。
 見ているだけでその舌触りを想像したくなるような出来具合は、まさに努力の結晶と言えよう。

 料理長は窓の側の椅子に座って黄昏ている。時間はかかったが私達がやり遂げたことに感動しているのか、それともこんなに時間をかけてようやく成功したことに呆れているのか、どっちなのやら。
 おそらく後者なのだろうと予想はつく。
 料理長には感謝でいっぱいだ。彼がいなければこのチョコ作りは成功しなかった。彼が根気強く私達に付き合ってくれたから、こんなに素晴らしい結果が出てくれたのだ。

「料理長」
「はい?」

 疲れたように笑いながら振り返った彼に、精一杯の笑顔を送った。

「ありがとう」

 これ以外の言葉は相応しくない。これ以上の言葉も、必要ないだろう。
 仮に誰かがもっと必要だと言っても、お礼を言われた彼が「いえいえ」と照れ臭そうに笑んでいるのだから。


 互いの健闘を祝福し合って料理長にお礼を言った後、私とリリアはチョコをどのようにラッピングするかを相談した。
 リリアが持参してきたラッピング用の複数の袋をあれでもないこれでもないと見比べながら、手に取り選ぶのだ。この行為もとても楽しくて、時間はどんどんと過ぎ去っていく。

 だから、気づけなかったのだ。
 もう夕刻過ぎだということにも、いつの間にか料理長がいなくなっていることにも疑問を持たずに、楽しく話し合っていたから。

 とすんと、頭に何か乗っかった。
 そして後ろから優しく抱き締められる。
 その仕草は何度もされたことがあるので後ろに誰がいるかは分かったのだが、その相手には、ここに来てほしくなかった。

「の、ノエル……?」
「いい匂いがすると思ったら、チョコ作りかい? 随分上手く出来ているようじゃないか」

 軽く上を見上げれば毎日見ている麗しい顔が首を傾げて私を見下ろしており、にこりと微笑むのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」 ※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

裏庭係の私、いつの間にか偉い人に気に入られていたようです

ルーシャオ
恋愛
宮廷メイドのエイダは、先輩メイドに頼まれ王城裏庭を掃除した——のだが、それが悪かった。「一体全体何をしているのだ! お前はクビだ!」「すみません、すみません!」なんと貴重な薬草や香木があることを知らず、草むしりや剪定をしてしまったのだ。そこへ、薬師のデ・ヴァレスの取りなしのおかげで何とか「裏庭の管理人」として首が繋がった。そこからエイダは学び始め、薬草の知識を増やしていく。その真面目さを買われて、薬師のデ・ヴァレスを通じてリュドミラ王太后に面会することに。そして、お見合いを勧められるのである。一方で、エイダを嵌めた先輩メイドたちは——?

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない

百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。 幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。 ※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます

久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」 大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。 彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。 しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。 失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。 彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。 「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。 蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。 地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。 そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。 これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。 数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。

処理中です...