月の光はやがて仄かに輝く

白ノ猫

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番外編

バレンタイン(一)

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 ぽかぽかと陽気な太陽の光が射し込む窓の側。
 私はこの場所がお気に入りで、特にするべきこともなくのんびりと寛ぎたいとき、よく窓の側の椅子に座って編み物や刺繍をしている。
 今朝も天気は良く、外を見れば青い空が満面に広がっている。

 時折窓の外を見やりながら、私、ソフィア・チュレットは手元で一冊の本を広げていた。
 夫のノエルが買ってきた、政治書だ。もとは彼が自分で読むために購入したのだが、私の方が興味を持ってしまったので先に読ませてもらっている。
 ノエルは私に甘いので、頼めば何でも許してくれそうだ。もう一冊、自分用に欲しいと言えばきっと買ってくれるのだろう。

 内容が一区切りつきそうなところまで読み進めると、不意に外からガラガラという馬車の音が聞こえてきた。
 もしやと思い窓に近寄り外を見下ろすと、屋敷の前に一台の馬車が止まっていた。
 その馬車には私の実家――バセット侯爵家の紋章があり、中から淑やかな様子で現れたのはリリア・バセット侯爵家令嬢。
 彼女は私の愛する妹であり、私の夫に想いを寄せていた少女であり、昨日突然手紙を寄越した、今日の約束をしていた人物である。


 玄関でリリアを迎えると、パッと花が綻ぶような笑顔を向けられた。

「お姉様!」
「久しぶりね、リリア。元気だった……、リリア?」

 キラキラとした瞳で、力強く両手で私の手を握るリリア。
 昨日の手紙の内容は、今日屋敷に来る旨を伝えるだけのものだったので、本日のリリアの用事を知らない。
 けれど、こんな目をしているのだから、何か楽しいことをするのだろう。

「お姉様」
「なぁに、リリア?」

 ワクワク、ドキドキ、といった表情。見ている私まで楽しい気持ちになる。
 私を呼ぶ声に首を傾げ、こちらも手に力を入れてリリアに応える。
 愛する妹はここで笑みを最上のものにさせ、

「――今日は、バレンタインデーなの!」

 ……………………ばれん、たいん?



 何と言えばいいのか。こんなに嬉しそうなリリアの顔を目の前に、変な受け答えをしてガッカリさせてはいけない。

「……そう、ばれんたいんね。ばれんたいん……さんの、特別な日なの?」
「お姉様!?」
「どうしたの、リリア。バレンタインさんにプレゼントをあげる日……そうよね? 確かずっと東南の領地はバレンタイン伯爵という方が治めていらっしゃるはず。その方のことでしょう?」
「名字のことじゃないのよ、お姉様……!」
「……なんですって?」

 半ば必死な様子のリリアに、自分が受け答えを誤ったことを知る。
 では、私の考えが違うなら『ばれんたいん』とは何なのだろう?
 答えを求めるように、その単語を出してきた妹を見つめる。
 するとリリアは優しく微笑みながら、『答え』を口にするのだった。






「――そういうわけで、お姉様。チョコを作るわ」
「カカオ豆から作るの? 流石にそれは大変じゃないかしら……」
「……その手もあったのね。初めから作った方が愛情が籠りそう……! でも今回はチョコを融かして作り直すの!」

 妹が言うには、バレンタインの日にはチョコを作って大切な人に渡すのが通例らしい。
 なので私もリリアも料理しやすい服に着替えてこうして、普段は立ち入らない厨房にいるのだけれど。
 私には、この愛らしい妹が重要なことを忘れているような気がしてならない。
 材料も器具も何かもが揃っているが、これがなければチョコを作ることは成功しないと断言できるものだ。

「……リリア」

 小さく名前を呼ぶと、覚悟を決めた顔で頷かれる。

「分かっているの、お姉様。私だって覚えているわ。でも、これは自分の手でやりたいのよ……! お姉様だって、分かるでしょ!?」
「勿論、分かるわ。チョコを渡してノエルを喜ばせられるなら、自分の手で作ったものがいいって、思うもの」

 私とリリアには似ている部分は少ない。
 けれどこればかりは似てしまったのだ。

「「料理下手を克服しましょう」」

 そう、姉妹で料理に関してはこれ以上ないほど不器用なのである。




 料理下手を克服しようと誓い合った、数時間後だ。

「奥様、リリア様」

 チュレット家専属のベテラン料理長が、その悪い目付きを更に悪くさせて私達を呼ぶ。その低い声も相成って、殺人でもしていそうな雰囲気を醸し出している。
 普段彼と顔を合わせることのないリリアは萎縮してしまい、俯いてばかりだ。
 かと言って、私もリリアとそう変わらない状態だが。

 目の前には真っ黒に焦げ、何が原材料なのか分からなくなった不可思議な物質が並んでいる。
 料理長から初めから最後まで助言を貰い、時に手伝ってもらいながら作った結果が、これだ。手ほどきしてくれた料理長に申し訳ないくらいの出来である。

「……ごめんなさい」

 折角教えてくれたのに、その結果がこれでは失望したことだろう。謝罪の言葉が自然と出るのも、当然だった。

「いえ、……ただ、どうしたらこうなったのかと、心底不思議に思ってまして」
「怒ってるのもよりも更に申し訳なくなるわね……」

 私達姉妹の共通の欠点が、今になって炸裂するとは思っていなかったのだ。そもそも貴族は料理をすることがあまりない。なので、できないままでも問題はなかった。
 問題はないと、思っていたのだが。

「バレンタイン、恐るべしだわ……」

 しかしやり遂げなければならない。タイムリミットは夕方過ぎ。その時間になればノエルが帰ってきてしまう。
 私とリリアで話し合って、サプライズにすると決めたのだ。もともとバレンタインとは、ここ最近になって異国の人から持ち込まれた知識らしく、知る人物はまだ少ないのだという。私が知らなかったのも、そういった理由だ。
 もしかしたらノエルは既に知っているかもしれないが、まさか私がチョコを作って待っているなんて思いもしないのだろう。
 喜んでくれるだろうか。喜んでくれなかったら……適当にごまかして、自分で寂しく処理しよう。
 私は決意を新たに、リリアの手を握った。

「……リリア」
「お姉様…?」

 自分の不器用っぷりに気分が落ち込んでしまったリリアの目を覗き込み、

「大丈夫よ。きっとやれるわ。貴女だって、張り切っていたじゃない。大切な人に気持ちを伝えるんでしょう? やれる――やらなくちゃ」

 現在、リリアには友人以上恋人未満な男性が一人いる。私と会う度にのろけるのだからとっくに付き合っていてもいいと思うのに、まだそこまでいっていないのだそうだ。
 チョコを作るのは、今日こそはと気合いを入れるためのものでもあるらしい。

 私なりの激励に彼女は目を潤ませ、手を握り返した。

「お姉様。……はい。私は、やります。チョコを、絶対に作るわ!」

 姉妹としての絆を二人で再確認している最中、黒焦げのチョコレートの残骸を観察していた料理長がポツリと呟いた一言は耳に入ってこなかった。――「チョコ作りってそんな難しいものでしたっけねぇ」という耳に痛い一言だったので、聞こえなかったのは幸いであった――


 その後、私達は何度もチョコ作りに挑んだ。目指すチョコがいかにシンプルなものでも失敗ばかりなのは、私達に厳しい事実を叩きつけるものである他に何物でもなかった。
 こうなることを予測していたようで、材料はリリアが山ほど用意してくれていた。なので材料こそ余裕はあったのだが……。

「苦い……苦いわ、リリア……」
「これが……私達の実力なのね……!」

「チョコ作りが壮大な挑戦のように聞こえるのは、俺だけなんですかね……」

 出来上がったチョコを消費するのが、苦痛だった。
 ボソボソと聞こえてくる料理長の台詞にも胸を痛めながら、こんな失敗作を他の誰かに見られることがないようにと食べているのだが、食べれば食べるほど口の中が苦くなるのだ。
 一緒に消費してくれている料理長もこの苦さを味わっているのだと思うと、上手くならなければと焦らされる。

「奥様、リリア様。もう昼時ですけど……お腹は空いていないようですね」
「ずっと食べているから、平気ね……」
「お姉様ぁ、お姉様ぁ……」

 もはや半分泣くような表情で黒焦げチョコを口に入れ続けるリリアの悲痛な声に、私まで泣きたくなってくる。

「気をしっかり持つのよ、リリア。きっと、きっと上手くいく時が来るから」
「うぅ、この苦味が私を責めるの……!」
「リリア……!」

「あの……そんなにつらいなら、俺が処分しておきますよ? 他の皆にバレないように、こっそりと」

 料理長の呆れたような憐れむような声音にまた打ちのめされながら、私達はやがてその誘惑に負けたのだった。
 味見をすることにはするが、作ったぶん全てを食べるのは流石にやり過ぎということだった。チュレット家の料理長が優しい人でよかったと、この日以上に思った日はないだろう。

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