呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する

香月文香

文字の大きさ
1 / 28

序章

しおりを挟む
 その夜半、イリーシャ=ド=クロッセルが目覚めたのは、月が明るすぎたからだった。

 クロッセル公爵家において彼女に割り当てられた部屋は少し手狭で、ベッドと本棚、書き物机くらいしか置かれていなかった。その南向きの壁に設られたアーチ窓から、レースのカーテン越しに真っ白な月光が差し込んでくる。それがイリーシャの白銀の髪を洗い、天の川のように輝かせた。

(水でももらってこようかしら)

 イリーシャはベッドから抜け出し、そっと部屋のドアを開けた。廊下に出ると壁の角灯は消えており、辺りは暗闇に包まれている。彼女は壁に手をつき、そろそろと歩き始めた。

 ——ゴトリ、と重い音が響いたのはそのときだった。

 何かが倒れるような音だった。イリーシャは眉根を寄せる。それは廊下の向こう、弟の部屋の方から聞こえてきた。

(ロビン?)

 弟の名を呼び、イリーシャは爪先をそちらへ向ける。しばらく歩みを進めると、暗闇に慣れ始めた目が、ロビンの部屋の前に立つ人影をとらえた。

 廊下の窓から流れ込んだ月明かりが、闇の中に人影を浮かび上がらせる。その整った横顔を見て、イリーシャはハッと息を呑んだ。慣れ親しんだ横顔だった。クロッセル家の「呪われた子」、ユージン=ド=クロッセル。すらりとした長身で気負いなく立ち、足下を眺めている。右手にはなぜか剣を持っているようだった。

 そしてその剣先に、もう一人、誰かが倒れ込んでいた。

 雲が月を覆い隠す。廊下に闇が広がる。けれど、イリーシャがその顔を見間違えるわけがなかった。駆け寄りながら、彼女は叫んだ。

「ロビン!」

 床に倒れ伏しているのは、彼女の双子の弟であるロビンだった。目をカッと見開き、信じられないという表情で硬直している。彼のそばにひざまずくと、生ぬるい液体で膝が滑った。鉄臭いにおいが鼻をつく。震える手で上半身を抱き起こすと、胸元にガクンと頭が垂れた。イリーシャと同じ色彩の白銀の髪が真っ赤な血に塗れ、不気味なグラデーションを作っている。金色をした瞳にはすでに光がなく、イリーシャは弟の魂がもはや手の届かないところへ旅立ったのだと直感した。

「どうして……?」

 イリーシャは力なく、そばに立っている男を見上げた。暗闇の中、ユージンの赤い瞳が無感情にイリーシャに向けられている。彼女の背筋に冷たいものが走った。それは今まで見たことのない顔だった。彼女にとって、ユージンはいつでも優しい、穏やかなお兄さんだった。

 彼の持つ剣の先から、血の滴が床に垂れ落ちた。

「イル、分からないのか?」

 いつものように愛称で呼ぶ声が、ベルベットのように優しく耳を撫でる。ユージンが剣を振って血を払い、鞘に収め、そのまま壁に立てかけた。ゆっくりと振り返り、イリーシャに手を差し伸べる。

「すまない、イルを汚すつもりはなかったんだが」

 その手には弟の血が点々と付着している。イリーシャは事切れた弟の体を抱きしめ、いやいやと首を振った。喉が塞がり、上手く呼吸ができない。目元がじんと熱くなった。胸が苦しい。
 イリーシャは掠れた声で問いかけた。

「ジーン、あなたがロビンを殺したのですか……?」
「そうだ」
「殺すほど憎かった……?」
「まさか」

 面白い冗談を聞いたというふうに、ユージンが喉を鳴らして笑う。風が吹き、月を隠す雲が流れた。さっと差し込んだ月光に、彼の姿が照らし出された。

 闇に溶け込む真っ黒な髪、炯々と輝く赤い瞳、酷薄そうな唇。それらが完璧に調和した美しい顔の下、彼の喉を絞めるように、禍々しい呪紋が首をぐるりと取り巻いている。

 クロッセル家の「呪われた子」、ユージン。生まれてすぐに呪いをかけられた証拠だ。

 けれど、イリーシャが震えたのは、その禍々しさのせいではない。

 ユージンがそっと膝をつく。ハンカチを取り出して、手についた血飛沫を拭き取った。綺麗になったのを注意深く確認してから、イリーシャの頬を両手で包む。その冷たさに、彼女は震えた。

 ユージンはイリーシャの顔を覗き込み、この上なく優しく微笑んだ。

「きみを愛しているからだよ、イル」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

お人形令嬢の私はヤンデレ義兄から逃げられない

白黒
恋愛
お人形のように綺麗だと言われるアリスはある日義兄ができる。 義兄のレイモンドは幼い頃よりのトラウマで次第に少し歪んだ愛情をアリスに向けるようになる。 義兄の溺愛に少し悩むアリス…。 二人の行き着く先は…!?

転生したら4人のヤンデレ彼氏に溺愛される日々が待っていた。

aika
恋愛
主人公まゆは冴えないOL。 ある日ちょっとした事故で命を落とし転生したら・・・ 4人のイケメン俳優たちと同棲するという神展開が待っていた。 それぞれタイプの違うイケメンたちに囲まれながら、 生活することになったまゆだが、彼らはまゆを溺愛するあまり どんどんヤンデレ男になっていき・・・・ ヤンデレ、溺愛、執着、取り合い・・・♡ 何でもありのドタバタ恋愛逆ハーレムコメディです。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

男嫌いな王女と、帰ってきた筆頭魔術師様の『執着的指導』 ~魔道具は大人の玩具じゃありません~

花虎
恋愛
魔術大国カリューノスの現国王の末っ子である第一王女エレノアは、その見た目から妖精姫と呼ばれ、可愛がられていた。  だが、10歳の頃男の家庭教師に誘拐されかけたことをきっかけに大人の男嫌いとなってしまう。そんなエレノアの遊び相手として送り込まれた美少女がいた。……けれどその正体は、兄王子の親友だった。  エレノアは彼を気に入り、嫌がるのもかまわずいたずらまがいにちょっかいをかけていた。けれど、いつの間にか彼はエレノアの前から去り、エレノアも誘拐の恐ろしい記憶を封印すると共に少年を忘れていく。  そんなエレノアの前に、可愛がっていた男の子が八年越しに大人になって再び現れた。 「やっと、あなたに復讐できる」 歪んだ復讐心と執着で魔道具を使ってエレノアに快楽責めを仕掛けてくる美形の宮廷魔術師リアン。  彼の真意は一体どこにあるのか……わからないままエレノアは彼に惹かれていく。 過去の出来事で男嫌いとなり引きこもりになってしまった王女(18)×王女に執着するヤンデレ天才宮廷魔術師(21)のラブコメです。 ※ムーンライトノベルにも掲載しております。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

番が逃げました、ただ今修羅場中〜羊獣人リノの執着と婚約破壊劇〜

く〜いっ
恋愛
「私の本当の番は、 君だ!」 今まさに、 結婚式が始まろうとしていた 静まり返った会場に響くフォン・ガラッド・ミナ公爵令息の宣言。 壇上から真っ直ぐ指差す先にいたのは、わたくしの義弟リノ。 「わたくし、結婚式の直前で振られたの?」 番の勘違いから始まった甘く狂気が混じる物語り。でもギャグ強め。 狼獣人の令嬢クラリーチェは、幼い頃に家族から捨てられた羊獣人の 少年リノを弟として家に連れ帰る。 天然でツンデレなクラリーチェと、こじらせヤンデレなリノ。 夢見がち勘違い男のガラッド(当て馬)が主な登場人物。

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

処理中です...