呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する

香月文香

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結婚式

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 イリーシャがユージンと初めて出会ったのは、彼女が四つの頃だった。

 ロビンとイリーシャが、生まれのマルセル男爵家を出て、クロッセル公爵家へ養子にいくと決まった日のことだった。

 イリーシャはその日のことをまだ覚えている。穏やかな日差しが降り注ぐ、春の午後だった。初めて訪れた公爵家の客間で、クロッセル当主から紹介を受けたのだ。ユージンは仕立ての良いシャツにキュロットをまとって、少し俯きがちに立っていた。物憂げなその姿をひと目見て、イリーシャは驚いた。こんなにも美しい人がこの世にいるのか、と、男爵家で関わった人々と引き比べてみた。

 長じて、別に男爵家にいた人々が特別醜いわけではなく、ユージンが別格に美しいのだと理解したが、そのときは単純に、公爵家の実子ともなると姿形も高貴になるのだなあ、と失礼なことを考えていた。

 イリーシャの不躾な視線に気づいたのか、ユージンが顔を上げた。窓から差す日の光がきらきらと彼を縁取って、イリーシャはほう、と見惚れた。それで初めて気がついたのだ。彼の首元に、黒々と呪紋が広がっていることに。

 ユージンが生まれてすぐに受けたのは、短命の呪いだという。クロッセル公爵家の人々はほうぼう手を尽くしたが、結果はむなしく終わった。どんな薬草も、どんな呪術師も、呪いを解くことはできなかった。それほどまでに彼にかけられた呪いは強力だったのだ。

 ユージンが八歳の誕生日を迎える頃、クロッセル公爵家当主である彼の父親は決断した。公爵家の座はユージンには継がせない、遠縁のマルセル男爵家から養子をとる、と。

 ちょうどそのとき、マルセル男爵家では、嫡男以外にも幼い男児がすくすく育っていた。それがマルセル男爵家三男のロビンである。クロッセル公爵家とマルセル男爵家でどのような話し合いがあったのかは定かではない。何らかの駆け引きや談判の末、マルセル男爵家は、ロビンとイリーシャの双子をクロッセル公爵家に送り出した。ロビンは公爵家嫡男、イリーシャは公爵家息女として扱うことを条件として。

 正直に言えば、公爵家が欲しかったのはロビンだけで、イリーシャは政略結婚の駒として利用できるおまけみたいなものだと思うが、とにかくそう決まった。

 これは、男爵家にとっては望外の幸運だった。なぜなら、ロビンとイリーシャは当主が行きずりの女との間に作った、持て余し気味の子どもだったからだ。正妻との間には他に男子が二人と女子が一人いて、双子にはあまり存在価値がなかった。

 そんな経緯があったから、ユージンにとって、ロビンとイリーシャは簒奪者だった。

 二人は幼かったが、自分たちが誰から何を奪うのかは何となく察していた。ロビンとイリーシャは、男爵家で手に手を取って震えていた。公爵家で酷い目にあったらどうしよう、きっとユージンは自分たちを恨むはず、何があってもお互いがお互いを守りあおう、何を敵に回したって絶対に味方になる、僕たちは、私たちは、双子なのだから。

 けれど、そんな心配をよそに、ユージンは二人に優しかった。

 公爵家の生活に慣れない二人の手を引き、さまざまにものを教え、穏やかに微笑んでいた。遊んでいて花瓶を割ったときだって声を荒げることなく、「怪我はないか?」とまっさきに二人の無事を確かめた。あとで聞くと、その花瓶は郊外に小さな家を建てられるくらいの金額らしく、震え上がった二人がユージンに泣きつきにいくと、彼は笑って「ロビンとイルが無事ならそれでいいんだ」と頭を撫でた。その後、廊下に花瓶が置かれることはなくなった。

「呪われた子」として屋敷で遠巻きにされる彼を、二人はずっと慕っていた。ひとえに彼が優しくて、頭が良くて、頼りになる、二人の美しいお兄ちゃんだったからだ。二人はひな鳥のように彼の後ろをついて歩き、ジーン、と愛称で呼んでは一日の出来事を楽しく話した。一年前、クロッセル公爵家とマルセル男爵家の当主たちが相次いで亡くなり、急にロビンが当主となってからもなんとか切り盛りしていけたのは、ユージンの助力があったからだ。

 ——だから。

 きっとあの夜、ユージンの訪問を受けても、ロビンは疑いもしなかったに違いない。大好きな兄の訪いを嬉しく思い、笑顔で部屋に迎え入れようとしただろう。
 まさか自分が殺されてしまうなんて、夢にも思わず。

■  ■  ■

 ハッと夢から醒め、イリーシャは自分が自室のベッドで眠っていたことに気づいた。窓の外では、すでに日が高くのぼっている。もう昼が近いだろう。令嬢として堕落した生活もいいところだが、イリーシャは夜明けまで眠れず、朝日が顔を出す頃にようやく浅い眠りに落ちたのだ。最近はずっとこんな調子だ。

 あの夜から数日が過ぎていた。ロビンの死は「不幸な事故」として片付けられ、クロッセル家当主はユージンが継ぐことに決まった。誰も何も咎めず、初めからそう決まっていたように、すべてが粛々と進んだ。

 そして、イリーシャの身柄は。

 コンコン、とノックの音が響いた。イリーシャはびくりと身をすくませる。答えないでいると、もう一度、ドアが叩かれた。そうして、二度と聞きたくない声が外から投げられた。

「——イル? 俺だ」

 イリーシャは掛布をぎゅっと握りしめる。手が震えていた。呼吸が浅く、速くなる。口の中がカラカラに乾き、イリーシャはベッドサイドの水差しから水を飲もうと腕を伸ばした。けれど手が言うことを聞かず、空のグラスを床に落としてしまう。

 カン、と硬い音が部屋に響き渡った。間髪入れず、勢いよくドアが開かれた。

「どうした? 怪我はないか?」

 陽の光のもとで見るユージンは、惚れ惚れするほど美しい男だった。しなやかな体躯、整った顔の造形、品のある立ち振る舞い。呪紋の不吉さを差し引いても、完璧な公爵家当主に映る。

 ユージンはベッドに起き上がるイリーシャを見て、ほっと息を吐いた。大股に近づいてきて、ゆっくりと身を屈める。反射的にイリーシャの体がこわばった。心臓が嫌な音を立てて跳ねる。金に輝く目を見開いて、用心深く彼の動きを追った。

 ユージンは壊れ物を扱うように慎重な仕草で、イリーシャのもつれた髪を長い指で梳いた。そのまま、青ざめたイリーシャの頬を指の背で優しく撫で、心配そうに眉を下げる。イリーシャは身じろぎ一つできなかった。

 ユージンが低く呟く。

「起こしたか?」

 それでやっと、イリーシャは首を横に振った。

「いえ……」
「なら良かった。寝かせてやりたいが、今日はそういうわけにはいかないからな」

 明るく言って、俯くイリーシャの顔を片手でぐいと上向かせる。吐息の触れるほど近く、瞳を覗き込まれた。歓喜に蕩ける赤の瞳に、怯えきったイリーシャが映っていた。

 ユージンは甘く微笑み、イリーシャの左手を痛いほど強く掴む。逃すまいとするように。
 それからイリーシャの薬指に冷たい唇を触れさせ、蜜のような声で囁いた。

「今日は結婚式だ。受け入れてくれるか? 俺の可愛い花嫁」

 問うてはいるが、断ることを許さない強さだった。拒否したらどうなるのだろう、とイリーシャは恐怖に痺れた頭の隅で思う。自分も殺されるのだろうか、それともどこかに閉じ込められて二度と日の光を拝めないようになるのか? 少なくとも、ユージンから離れられないことだけは確実だった。そう考えるだけで、イリーシャは息苦しくなった。

 黙ったままのイリーシャを、ユージンはじっと見つめている。視線が肌に刺さり、痛みすら覚えるほどだった。しばらく見つめあったのち、彼はイリーシャの返事を待っているのだと悟って、彼女はのろのろと口を開いた。

「はい……」

 その瞬間の、ユージンの顔といったら。
 端正な顔いっぱいに喜びが広がり、白い頬が純情に赤らむ。赤い瞳が潤いを帯びて、日光にきらきら輝いた。幸せでたまらない男の表情だった。

「ああ、頷いてくれてありがとう、イル。俺のすべてをかけて、何をしても、きみを幸せにすると誓おう」

 感極まったようにイリーシャを抱きしめる。鍛えられた腕が、イリーシャには檻のように感じられた。かつてはイリーシャやロビンを守ってくれた、たくましい腕が。

(ロビン……)

 弟の名を呟き、イリーシャは目を閉じる。最悪の手段でイリーシャから幸せを奪った男が、彼女を幸せにするという。そんなことがあるはずがなかった。彼女にとっての幸福は、弟と、頼れる兄であるユージンと、三人でいつまでも仲良く暮らすことだった。

 もちろん、そんなおとぎ話はあり得ない。

 イリーシャはクロッセル公爵家令嬢として、どこかへ嫁がなければならない。彼女はもうすぐ二十歳で、貴族令嬢としては今すぐに結婚してもよいくらいの年齢だった。

 そして何より、ユージンには短命の呪いがかかっている。彼は二十四歳になる。今まで同様の呪いがかけられた事例を鑑みると、いつ呪いが発動してもおかしくはなかった。

 けれど、幸せな日々は、あんな形で断ち切られることはなかった、と思う。ロビンもイリーシャも満たされていて、ユージンも同じ気持ちだと考えていた。彼も、この穏やかな日々をかけがえのないものとして大切にしていると無邪気に信じていた。

 そうではなかったわけだが。

 そこまで考えて、彼女の心の隅に、ちらりと影がかすめた。

 ——それでは、ユージンの幸福とは一体なんなのだろう。

 知ったことじゃないわ、とイリーシャは唇を噛む。弟を殺しその妹に愛を囁く男のことなんて、イリーシャに分かるわけがなかった。
 イリーシャの薄い背中を、ユージンの手がゆるやかに撫で続けていた。

■  ■  ■

 結婚式といっても、派手な披露宴を開くわけではなかった。神殿において、神官の前で永遠の愛とやらを誓うだけの簡素な式だ。その後、神官の監視の下、結婚契約書にサインすればおしまいだった。
 神殿に向かう馬車の中、ユージンがため息をついた。

「本当は、もっときちんとした式を挙げたかったんだが。さすがにロビンが亡くなったばかりだからそういうわけにもいかない。イルは不満か?」
「いえ……」

 膝に置いた拳をぎゅっと握りしめる。今の彼女は、純白のレースのドレスに、薄絹のヴェールを被っていた。ドレスには小さなダイヤが散りばめられ、動くたびに星屑のように瞬く。ヴェールの縁には繊細な刺繍があしらわれ、彼女の小さな顔を美しく彩っていた。二の腕の辺りまでを覆うサテンの手袋もやはり白で、イリーシャが握りしめたせいで皺が寄っている。

 これはユージンの命令の下、侍女たちが寄ってたかって彼女を飾り立てたのである。鏡に映っていたどこからどう見ても花嫁の姿を思い返すと、イリーシャはカッと目の前が赤くなる。自分の手で殺めた弟の死を他人事のように語る男のもとへ、自分はこれから嫁がなければならないのだ。

 隣に座った、こちらも正装のユージンが、イリーシャの拳をほどいて手のひらを絡ませる。強く握りしめていたせいで、爪が手袋越しに手のひらの皮膚まで食い破りそうだった。

「緊張しているか? 何も心配はいらない。特に難しいことをするわけではないし、今のイルはまるで……」

 改めてイリーシャを眺め、ユージンの頬に赤みが差した。口元を手で覆い、眩しそうに目を細める。

「……うん、とても綺麗だ。俺の言葉では言い表せないが……なんというのか、雪の妖精みたいに見える」
「私には花嫁に見えました」

 イリーシャは短く答えた。自分の立場を、自身に言い聞かせるように。今から自分が何にならなくてはならないのか、覚悟を決めるために。雪の妖精なんて可愛らしいものではない。

 今から彼女は、弟を殺めた、この狂った男の妻にならなくてはならないのだ。そしてたぶん、逃げることはできず、離れることは永遠に許されない。

 ユージンが目を見開く。それからしみじみと頷き、噛みしめるように言った。

「ああ、そうだな……。イルは花嫁だ。俺の、俺だけの花嫁だ」

 それきり、二人の間に会話はなかった。
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