呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する

香月文香

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ダンス

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 数日後の夜、イリーシャはユージンに呼ばれ、彼の執務室を訪れた。

 警戒しながら執務室のドアを開けたイリーシャの目の前に、色鮮やかな布とリボンの洪水が現れる。何度か瞬きをして、それがドレスや宝飾品の山だと気づき、彼女はきょとんと小首を傾げた。化粧品まで用意されている。

 執務室は、重厚な樫の書き物机や、分厚い専門書がぎっしり詰まった書棚に囲まれている。その厳格な雰囲気の中、煌びやかなドレスを着せられたトルソーが並び、芸術品のような化粧品の容器が陳列され、宝石に彩られたネックレスやイヤリングが輝きを放っているのは似合わない光景だった。

 ユージンは真面目な顔をして、椅子に腰を下ろしてイリーシャを待っていた。

「これは何のために?」

 イリーシャの問いへの応えは短い。

「今度王宮で開催される舞踏会のためだ」

 彼女は部屋の真ん中に進み出て、ぐるりと周りを見渡した。どれも上質で、高価なことが見て取れる。あっけに取られたままのイリーシャに、ユージンが言葉を続けた。

「王室主催の舞踏会だ。第一王子の誕生祝いだな。俺とイリーシャは、クロッセル家当主夫妻として参加が必要となる。そのためのドレスを用意した」

 イリーシャはくるりとユージンの方につま先を向けた。

「今シーズンのドレスはすでに新調しましたよね?」

 数ヶ月前、社交シーズンが始まる頃に、彼女は新しいドレスを数着設えた。イリーシャはさほど積極的に社交するタイプではなかったが、令嬢として舞踏会に参加するために必要なものは一通り揃えている。

 ユージンが眉を上げ、唇の片端を吊り上げた。椅子の上で長い脚を組み替える。

「知っている。あのドレスはどれも似合っていなかった」

 イリーシャは口を閉じた。ドレスを新調した日のことを思い出す。彼女はロビンと話し、彼の意見を取り入れて、薄桃色のシフォンドレスを仕立てた。リボンやフリルがたっぷりあしらわれた、夢の人形のようなドレスだった。

 それを着てみせたとき、ユージンは微笑して「似合ってるぞ」と言っていたが、心の中では正反対のことを考えていたわけだ。

「イルにはもっと上品でシンプルなデザインが似合う。多すぎる装飾は、素材の良さを消す」
「はあ……」
「というのは建前で」

 ユージンはきゅっと瞳を細め、昏く微笑んだ。

「俺の見立てたものを着て欲しい。舞踏会では有象無象が話しかけてくるだろうが、きみは俺のものだと明らかにしたい」
「そうですか……」

 イリーシャはなんでもないように頷いた。退きたがる足を叱咤し、なんとかその場に踏みとどまる。彼の言動にいちいち反応を見せた方が余計に喜ばせることになると気づき、最近は動じないように振る舞っていた。

 イリーシャは可能な限り無感情に、一つのトルソーの周りをくるくる回った。真珠色のサテン生地に、金糸で縁取りがなされた落ち着いたデザインのロングドレスだ。

(でも確かに、こちらの方が私好みだ……)

 この部屋に入って一番に目が吸い寄せられた。これに小さな輝石が一つついたネックレスでも合わせれば、立派な令嬢になれるだろう。

「それが気に入ったか? 試しに着てみてくれ」

 ユージンがめざとく気づき、声をかける。イリーシャは口早に答えた。

「一番近いところにあったから見ていただけです。でもこれにします。試着は結構。どうせジーンのことですから、サイズも私に合わせているのでしょう」
「そうだが」

 そうだが、ではないが。

 半ば冗談で言ったことを真顔で肯定され、イリーシャはため息をつきたくなるのを堪えた。トルソーから離れ、ユージンの前に立つ。

「そういえば、ジーンは踊れるんですか?」

 ロビンやイリーシャは貴族の子弟としてその辺りの教育も受けているが、「呪われた子」であったユージンは社交技術を教わっていないのではないか。舞踏会には、当主の付き人としていつも参加していたが。
 組んだ膝の上に手を置いたユージンがにこっと笑った。

「心配してくれているのか?」
「……ダンスが踊れなくて恥をかくのは、パートナーも同じです」

 慎重に応じたイリーシャに、大変な秘密を打ち明けるようにユージンが言った。

「実は……とても下手なんだ。よければ、俺に教えてくれないか?」
「そうなのですか?」

 イリーシャは目を丸くした。なんとなく、彼はなんでも器用にこなすような気がしていたのだ。
 これはこの男に一矢報いることができるチャンスかもしれない。イリーシャは俄然沸き立った。かつて受けた地獄のダンスレッスンを脳裏に思い描く。しごき倒してあげよう、と心に決めた。

「私でよければ、お教えしましょう」
「なんだか楽しそうだな?」
「気のせいでしょう」

 足が勝手にステップを踏みそうになるのを堪え、イリーシャはユージンと連れ立って広間へ向かった。

 広間にはダンスの邪魔になりそうな家具もなく、大理石の滑らかな床が広がっている。二人は真ん中で手を取って向かい合った。

「もっとちゃんと腰に手を回してください」
「こうか?」

 ぐっと腰を引き寄せられる。ずいぶん距離が近くなったが、ダンスとはそういうものだ。イリーシャはしかつめらしく頷いた。

「そう、お上手です」
「イリーシャ先生、次はどうすればいい?」
「音楽はありませんが、基本のステップを。舞踏会はだいたいワルツから始まりますから、三拍子さえできていれば大丈夫です」
「こうか?」

 途端、完璧な足さばきでユージンが踊り出したので、イリーシャは仰天した。頭上で楽しげな笑い声がする。

「それで? 次は何を踊りたい、先生?」
「できるじゃないですか!?」
「きみが言ったんじゃないか」

 非の打ち所のないリードで、イリーシャをくるりとターンさせる。彼女のスカートの裾が花びらのように広がった。

「ダンスが踊れなくて恥をかくのはパートナーもだろう。イルをそんな目に合わせるわけにはいかないさ」
「それなら、どうして踊れないなんて嘘を」
「そんなの決まっているだろう。イルと踊るせっかくの機会を、一度だって逃したくないからだ」

 イリーシャの腕を引き寄せ、その背を支えて仰け反らせる。イリーシャの傾いだ視界に、眉尻を下げ、淡い笑みを浮かべるユージンが映った。

「このさき何度踊れるか分からないんだ。見逃してくれ」

 イリーシャは口をつぐんだ。ぶつけてやりたい言葉がいくつも頭の中に渦巻き、どうしたらこの男を手酷く傷つけられるか算段をつけようとした。けれど結局、声になったのはたったの一言だった。

「……一曲だけですよ」

 ユージンに導かれ、ぽすん、と彼の腕の中に収まる。ほんの一瞬、熱を伝えるように抱きしめたあと、ユージンは耳元で囁いた。

「それで充分だ」
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