呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する

香月文香

文字の大きさ
8 / 28

舞踏会

しおりを挟む
 王宮の大広間に続く扉が、バトラーの手によって開かれる。

 天使画が描かれた天井から吊り下がるシャンデリアが、まばゆい光を散乱させている。その下では、色とりどりのドレスをまとった令嬢たちが紳士と踊り、楽しげに笑いさざめいていた。

 イリーシャは真珠色のドレスを着て、大広間の入り口に立っていた。髪には氷の雫のような水晶の飾りをつけ、唇にはユージンの選んだ口紅を差し、顔立ちが際立って見えている。

「イル、お手をどうぞ?」

 隣に立っていたユージンに促され、イリーシャは自分がぼうっとしていたことに気づいた。頭を振って、毅然と背筋を伸ばす。

「行きましょう、ジーン」

 礼装をまとったユージンは凛々しく、先ほどからちらちらと頬を染めた令嬢たちの注目を集めている。きっちりと留められたドレスシャツの喉元から不意に覗く呪紋が、不思議にミステリアスな雰囲気を漂わせていた。

 広間に足を踏み入れると、すぐに声をかけられた。

「ユージン、来てくれたか」

 声の方に顔を向け、イリーシャは目を丸くし、急いで慎ましく顔を伏せた。ユージンに親しげに話しかけるのは、この国の第一王子、ヨハン=オ=ストレイジアだったのだ。絵に描いたような金髪碧眼の美青年で、誠実そうな面立ちをしている。

 ユージンは気負いなくヨハンに向き合うと、精到な礼を執った。

「この度はお招きいただきありがとうございます。謹んで御誕生日のお祝いを申し上げます」
「堅苦しい挨拶はいい。お前に言われると変に面白いな」

 ヨハンはひらひらと片手を振り、ユージンの後ろに控えるイリーシャに視線を向けた。
「ああ、あなたがイリーシャ嬢ですね。ぜひ一度お会いしたかったんだ」

 イリーシャは戸惑いながら、礼儀に沿ってカーテシーを行った。

「イリーシャ=ド=クロッセルでございます。お目にかかれて光栄です」

 顔を上げ、控えめにヨハンを見つめる。彼の瞳には面白がるような光が浮かんでいた。悪戯っぽく笑い、イリーシャに向かって片目を閉じてみせる。

「実はイリーシャ嬢の嫁ぎ先は、僕になる予定だったんですよ。クロッセル公爵家の姫君がこんなに美しい方なら、惜しいことをしたかな」
「えっ?」

 イリーシャは、蝶の羽ばたくように瞬きした。そんなことは全く知らなかった。いや、知らされていなかった。確かに彼女は貴族令嬢としては結婚話が来るのが遅かったが、単純に彼女自身に魅力がなくて断られているか、公爵家にふさわしい相手を吟味しているものと考えていた。まさか具体的な輿入れ先が決まっていたとは。

(しかも、相手がヨハン殿下だったなんて。下手をしたら王妃になるかもしれなかったのね……)

 あらためてヨハンを注視する。碧色の瞳に宿る理性の光、口元に浮かぶ穏和な笑み。彼のもとに嫁いでいたら、もっと普通の——王妃とはいえ——人生があっただろうか。

 沈思するイリーシャの視界を、広い背中が遮った。

「殿下」

 苦々しげな声はユージンだ。顔をしかめ、ヨハンを見下ろす。

「もう終わったことです。俺の妻に余計な話をしないでいただきたい」

 生真面目な抗議に、ヨハンが噴き出した。肩を震わせながら、

「冗談だよ。それに、俺だってもう婚約者が決まっているしな」

 そう言って、ちらと人だかりの方に視線をやる。ちょうど人垣を割って、一人の少女が歩いてきたところだった。

 こちらも金髪碧眼の、夢のように美しい少女だった。イリーシャより少し年下で、レースとフリルが贅沢にあしらわれたドレスを見事に着こなしている。愛らしい顔立ちや華奢な体躯もあいまって、お姫様のお人形のようだった。

 彼女はずんずんとこちらへやって来ると、ドレスの裾を引き、優雅なカーテシーを披露してみせた。

「フロイ公爵家が息女、マリアンヌですわ。ヨハン殿下の婚約者ですの」

 キッ、とぶしつけにイリーシャを睨みつけてくる。イリーシャも礼を返しながら、心の中で苦笑していた。

(マリアンヌさまはヨハン殿下のことが大好きなのね)

 可愛らしい恋だ。かつての婚約者候補のイリーシャが気に入らないのだろう。あからさまに敵意をむき出しにするなんて、将来王妃となる人間の振る舞いとしては失格かもしれない。だが、イリーシャにとっては微笑ましくてならなかった。

 マリアンヌは愛らしい顎をつんと上げ、バルコニーの方を指し示した。

「イリーシャさま、少しあちらでお話できませんこと? わたくし、お聞きしたいことがたくさんありますのよ」
「ええ、喜んで。——構いませんよね、ユージンさま?」

 ユージンの眉がぴくりと動いた。イリーシャの平然とした様子と、マリアンヌのいかにも害のない嫉妬に燃え盛る様を見比べて、小さく息を吐く。

「……ああ、何かあったらすぐに呼べ。駆けつける」
「そう心配なさらずとも、何もありませんよ」
「分かっている。俺がそうしたいだけだ」

 ユージンの指が、くすぐるように彼女の顎先を撫でる。イリーシャはわずかに唇をムッとさせたが、すぐに社交用の笑顔を貼りつけた。

 イリーシャはマリアンヌに手を伸ばした。

「それでは参りましょう、マリアンヌさま」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

番探しにやって来た王子様に見初められました。逃げたらだめですか?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はスミレ・デラウェア。伯爵令嬢だけど秘密がある。長閑なぶどう畑が広がる我がデラウェア領地で自警団に入っているのだ。騎士団に入れないのでコッソリと盗賊から領地を守ってます。 そんな領地に王都から番探しに王子がやって来るらしい。人が集まって来ると盗賊も来るから勘弁して欲しい。 お転婆令嬢が番から逃げ回るお話しです。 愛の花シリーズ第3弾です。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...