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舞踏会
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王宮の大広間に続く扉が、バトラーの手によって開かれる。
天使画が描かれた天井から吊り下がるシャンデリアが、まばゆい光を散乱させている。その下では、色とりどりのドレスをまとった令嬢たちが紳士と踊り、楽しげに笑いさざめいていた。
イリーシャは真珠色のドレスを着て、大広間の入り口に立っていた。髪には氷の雫のような水晶の飾りをつけ、唇にはユージンの選んだ口紅を差し、顔立ちが際立って見えている。
「イル、お手をどうぞ?」
隣に立っていたユージンに促され、イリーシャは自分がぼうっとしていたことに気づいた。頭を振って、毅然と背筋を伸ばす。
「行きましょう、ジーン」
礼装をまとったユージンは凛々しく、先ほどからちらちらと頬を染めた令嬢たちの注目を集めている。きっちりと留められたドレスシャツの喉元から不意に覗く呪紋が、不思議にミステリアスな雰囲気を漂わせていた。
広間に足を踏み入れると、すぐに声をかけられた。
「ユージン、来てくれたか」
声の方に顔を向け、イリーシャは目を丸くし、急いで慎ましく顔を伏せた。ユージンに親しげに話しかけるのは、この国の第一王子、ヨハン=オ=ストレイジアだったのだ。絵に描いたような金髪碧眼の美青年で、誠実そうな面立ちをしている。
ユージンは気負いなくヨハンに向き合うと、精到な礼を執った。
「この度はお招きいただきありがとうございます。謹んで御誕生日のお祝いを申し上げます」
「堅苦しい挨拶はいい。お前に言われると変に面白いな」
ヨハンはひらひらと片手を振り、ユージンの後ろに控えるイリーシャに視線を向けた。
「ああ、あなたがイリーシャ嬢ですね。ぜひ一度お会いしたかったんだ」
イリーシャは戸惑いながら、礼儀に沿ってカーテシーを行った。
「イリーシャ=ド=クロッセルでございます。お目にかかれて光栄です」
顔を上げ、控えめにヨハンを見つめる。彼の瞳には面白がるような光が浮かんでいた。悪戯っぽく笑い、イリーシャに向かって片目を閉じてみせる。
「実はイリーシャ嬢の嫁ぎ先は、僕になる予定だったんですよ。クロッセル公爵家の姫君がこんなに美しい方なら、惜しいことをしたかな」
「えっ?」
イリーシャは、蝶の羽ばたくように瞬きした。そんなことは全く知らなかった。いや、知らされていなかった。確かに彼女は貴族令嬢としては結婚話が来るのが遅かったが、単純に彼女自身に魅力がなくて断られているか、公爵家にふさわしい相手を吟味しているものと考えていた。まさか具体的な輿入れ先が決まっていたとは。
(しかも、相手がヨハン殿下だったなんて。下手をしたら王妃になるかもしれなかったのね……)
あらためてヨハンを注視する。碧色の瞳に宿る理性の光、口元に浮かぶ穏和な笑み。彼のもとに嫁いでいたら、もっと普通の——王妃とはいえ——人生があっただろうか。
沈思するイリーシャの視界を、広い背中が遮った。
「殿下」
苦々しげな声はユージンだ。顔をしかめ、ヨハンを見下ろす。
「もう終わったことです。俺の妻に余計な話をしないでいただきたい」
生真面目な抗議に、ヨハンが噴き出した。肩を震わせながら、
「冗談だよ。それに、俺だってもう婚約者が決まっているしな」
そう言って、ちらと人だかりの方に視線をやる。ちょうど人垣を割って、一人の少女が歩いてきたところだった。
こちらも金髪碧眼の、夢のように美しい少女だった。イリーシャより少し年下で、レースとフリルが贅沢にあしらわれたドレスを見事に着こなしている。愛らしい顔立ちや華奢な体躯もあいまって、お姫様のお人形のようだった。
彼女はずんずんとこちらへやって来ると、ドレスの裾を引き、優雅なカーテシーを披露してみせた。
「フロイ公爵家が息女、マリアンヌですわ。ヨハン殿下の婚約者ですの」
キッ、とぶしつけにイリーシャを睨みつけてくる。イリーシャも礼を返しながら、心の中で苦笑していた。
(マリアンヌさまはヨハン殿下のことが大好きなのね)
可愛らしい恋だ。かつての婚約者候補のイリーシャが気に入らないのだろう。あからさまに敵意をむき出しにするなんて、将来王妃となる人間の振る舞いとしては失格かもしれない。だが、イリーシャにとっては微笑ましくてならなかった。
マリアンヌは愛らしい顎をつんと上げ、バルコニーの方を指し示した。
「イリーシャさま、少しあちらでお話できませんこと? わたくし、お聞きしたいことがたくさんありますのよ」
「ええ、喜んで。——構いませんよね、ユージンさま?」
ユージンの眉がぴくりと動いた。イリーシャの平然とした様子と、マリアンヌのいかにも害のない嫉妬に燃え盛る様を見比べて、小さく息を吐く。
「……ああ、何かあったらすぐに呼べ。駆けつける」
「そう心配なさらずとも、何もありませんよ」
「分かっている。俺がそうしたいだけだ」
ユージンの指が、くすぐるように彼女の顎先を撫でる。イリーシャはわずかに唇をムッとさせたが、すぐに社交用の笑顔を貼りつけた。
イリーシャはマリアンヌに手を伸ばした。
「それでは参りましょう、マリアンヌさま」
天使画が描かれた天井から吊り下がるシャンデリアが、まばゆい光を散乱させている。その下では、色とりどりのドレスをまとった令嬢たちが紳士と踊り、楽しげに笑いさざめいていた。
イリーシャは真珠色のドレスを着て、大広間の入り口に立っていた。髪には氷の雫のような水晶の飾りをつけ、唇にはユージンの選んだ口紅を差し、顔立ちが際立って見えている。
「イル、お手をどうぞ?」
隣に立っていたユージンに促され、イリーシャは自分がぼうっとしていたことに気づいた。頭を振って、毅然と背筋を伸ばす。
「行きましょう、ジーン」
礼装をまとったユージンは凛々しく、先ほどからちらちらと頬を染めた令嬢たちの注目を集めている。きっちりと留められたドレスシャツの喉元から不意に覗く呪紋が、不思議にミステリアスな雰囲気を漂わせていた。
広間に足を踏み入れると、すぐに声をかけられた。
「ユージン、来てくれたか」
声の方に顔を向け、イリーシャは目を丸くし、急いで慎ましく顔を伏せた。ユージンに親しげに話しかけるのは、この国の第一王子、ヨハン=オ=ストレイジアだったのだ。絵に描いたような金髪碧眼の美青年で、誠実そうな面立ちをしている。
ユージンは気負いなくヨハンに向き合うと、精到な礼を執った。
「この度はお招きいただきありがとうございます。謹んで御誕生日のお祝いを申し上げます」
「堅苦しい挨拶はいい。お前に言われると変に面白いな」
ヨハンはひらひらと片手を振り、ユージンの後ろに控えるイリーシャに視線を向けた。
「ああ、あなたがイリーシャ嬢ですね。ぜひ一度お会いしたかったんだ」
イリーシャは戸惑いながら、礼儀に沿ってカーテシーを行った。
「イリーシャ=ド=クロッセルでございます。お目にかかれて光栄です」
顔を上げ、控えめにヨハンを見つめる。彼の瞳には面白がるような光が浮かんでいた。悪戯っぽく笑い、イリーシャに向かって片目を閉じてみせる。
「実はイリーシャ嬢の嫁ぎ先は、僕になる予定だったんですよ。クロッセル公爵家の姫君がこんなに美しい方なら、惜しいことをしたかな」
「えっ?」
イリーシャは、蝶の羽ばたくように瞬きした。そんなことは全く知らなかった。いや、知らされていなかった。確かに彼女は貴族令嬢としては結婚話が来るのが遅かったが、単純に彼女自身に魅力がなくて断られているか、公爵家にふさわしい相手を吟味しているものと考えていた。まさか具体的な輿入れ先が決まっていたとは。
(しかも、相手がヨハン殿下だったなんて。下手をしたら王妃になるかもしれなかったのね……)
あらためてヨハンを注視する。碧色の瞳に宿る理性の光、口元に浮かぶ穏和な笑み。彼のもとに嫁いでいたら、もっと普通の——王妃とはいえ——人生があっただろうか。
沈思するイリーシャの視界を、広い背中が遮った。
「殿下」
苦々しげな声はユージンだ。顔をしかめ、ヨハンを見下ろす。
「もう終わったことです。俺の妻に余計な話をしないでいただきたい」
生真面目な抗議に、ヨハンが噴き出した。肩を震わせながら、
「冗談だよ。それに、俺だってもう婚約者が決まっているしな」
そう言って、ちらと人だかりの方に視線をやる。ちょうど人垣を割って、一人の少女が歩いてきたところだった。
こちらも金髪碧眼の、夢のように美しい少女だった。イリーシャより少し年下で、レースとフリルが贅沢にあしらわれたドレスを見事に着こなしている。愛らしい顔立ちや華奢な体躯もあいまって、お姫様のお人形のようだった。
彼女はずんずんとこちらへやって来ると、ドレスの裾を引き、優雅なカーテシーを披露してみせた。
「フロイ公爵家が息女、マリアンヌですわ。ヨハン殿下の婚約者ですの」
キッ、とぶしつけにイリーシャを睨みつけてくる。イリーシャも礼を返しながら、心の中で苦笑していた。
(マリアンヌさまはヨハン殿下のことが大好きなのね)
可愛らしい恋だ。かつての婚約者候補のイリーシャが気に入らないのだろう。あからさまに敵意をむき出しにするなんて、将来王妃となる人間の振る舞いとしては失格かもしれない。だが、イリーシャにとっては微笑ましくてならなかった。
マリアンヌは愛らしい顎をつんと上げ、バルコニーの方を指し示した。
「イリーシャさま、少しあちらでお話できませんこと? わたくし、お聞きしたいことがたくさんありますのよ」
「ええ、喜んで。——構いませんよね、ユージンさま?」
ユージンの眉がぴくりと動いた。イリーシャの平然とした様子と、マリアンヌのいかにも害のない嫉妬に燃え盛る様を見比べて、小さく息を吐く。
「……ああ、何かあったらすぐに呼べ。駆けつける」
「そう心配なさらずとも、何もありませんよ」
「分かっている。俺がそうしたいだけだ」
ユージンの指が、くすぐるように彼女の顎先を撫でる。イリーシャはわずかに唇をムッとさせたが、すぐに社交用の笑顔を貼りつけた。
イリーシャはマリアンヌに手を伸ばした。
「それでは参りましょう、マリアンヌさま」
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