黒豹陛下の溺愛生活

月城雪華

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六章

お前が好きだ 2

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 ◆◆◆




 それから数日、顔を合わせれば喧嘩をしようとする衛兵らに少し手を焼きながら、アレンは少しずつ身体を動かせるようになっていた。

 レオが手ずからすり潰してくれた薬がよく効いてくれたらしく、しかしその状況を思い出すだけで頬が熱くなる。

(考えたら口移しで……された、んだよな)

 子どものように『絶対に飲まない』と言ったのは、我ながらいただけなかったと今なら思う。

 けれど治ってきたのはレオのお陰でもあるため、感謝はしてももう二度とあんな恥ずかしい事はしたくなかった。

 アレンはそっと己の唇に触れる。

 アルフェルに捕らわれて助けてくれたあの日から、それまで以上にレオのことを意識していた。

 自分でも驚き、しかしこう思ってしまうのも仕方ないのかもしれない。

 レオの言葉に嘘は無くて、ただただアレンが意気地になっていただけで、あの男は自分の感情に正直なだけだ。

 なのにレオはあの日を境に、一向に顔を見せてくれない。

 もしやまた何かアルフェルの事で問題があったのか、とも思ったが気にし過ぎてもいいことなどない──そう、己に言い聞かせる。

(どれだけ遅くなっても俺のところに来てくれる。……それに、約束したんだ)

 ──全部終わったら、その時は……お前の気持ちを、もう一回聞かせて欲しい。

 レオはしっかりとアレンの目を見て、そう言ってくれた。

 一度でもこうと決めたら、レオは約束をたがえない。

 少なくはない時間を城で過ごしてきたが、レオの性格は初めて出会った時から変わっていないのだ。

 その快活さや気遣いをありがたく思いつつも、スラムを出てから何も変わっていない自分が惨めだった。

 本当なら母を殺した獣人を見つける過程で、身体だけでなく心も強くなれれば、という固い意志を持っていた。

 けれど実際は誰かに甘えてばかりで、自分から行動を起こした事はほとんどないに等しい。

 それでもたった一度だけ、様々な偶然が重なって城から逃げ出そうとしたが、結局は未遂に終わってしまった。

 それ以外で言えば何も無くて、常に誰かの側にいて事の成り行きを見ているしかできなかった。

(俺も変わらないと。……レオの隣りに立てるように)

 アレンはぎゅうと両手を握り締め、そっと開く。

 それ即ちこの国を統べる王の伴侶になる事で、きっとアレンの想像もできない危険が、この先降り掛かるのは明白だ。

 加えてアルフェルとレオの確執が根深いものだと、薄れゆく意識の中で理解したのだ。

 必ずやレオを亡き者にするため、どこかで機を待っていることだろう。

「──失礼します、アレン様」

「ピィ!」

 すると控えめに扉を叩く音が聞こえ、次いでやや高く可愛らしい鳴き声が響いた。

「こらっ、ティアラ……!」

 慌てた声はマナで、白いフクロウとのいつものやり取りに、知らず小さく笑ってしまう。

「入ってくれ」

 やや笑い混じりで応答すると、両手でフクロウを摑んでいるマナと視線が合った。

「すみません、アレン様。少し騒がしくて」

「ピィー! ピィッ」

 平謝りする主とは対照的に、ティアラは一際元気よく鳴くと主の手をすり抜けた。

 ぱたぱたと羽ばたき、ちょこんとアレンの頭の上に落ち着く。

 耳の後ろを中心に小さなくちばしで優しく毛繕いをしてくれるのが、ここ数日でお約束になりつつあった。

「もう、ティアラってば」

 フクロウの様子に呆れたように溜め息を吐き、けれどマナは淡く口角を上げる。

 よほどの事がない限りティアラの好きにさせるのは、それほど強い信頼関係があるからだろう。

「ひと懐っこいよな。よく考えたら、最初に会ってからすぐに俺のところに来たし……マナで慣れてるからかな」

 こうして小さな生き物に心を許されるのは悪くない。

 可愛らしくて、もっと仲良くなりたいと思いさえするほどだった。

 アレンは手探りでフクロウに触れると、そろりと小さな身体を包み込む。

「ホッ?」

 唐突な事にティアラは大きな目を更に大きく見開き、じっと見つめてきた。

 言葉は分からないはずなのに、その黒目には優しさが滲んでいた。

「ティアラはマナが好きなんだな」

 ふふ、と可愛らしく首を傾げているフクロウへ微笑み掛ける。

 こうして誰かの元に来て甘えるのは、すぐに出来ることではない。

 特に小さくて言葉を話さない者は獣人よりも警戒心が強く、場合によっては攻撃すると聞く。

 スラムにはそうした者がいなかったという理由もあって、アレンは今まで触れ合って来なかった。

 改めて新鮮な気持ちと仲良くなりたいという気持ちが合わさって、ティアラのふわふわとした身体をそっと撫でる。

「……あの、アレン様。今ってよろしいですか?」

 毛繕いをしてくれたお礼に、ティアラの白く柔らかな毛並みを指先で撫でていると、マナが控えめに声を掛けてきた。

「うん? いいけど……どうしたんだ?」

 普段から明るいマナには珍しく、やけに神妙な面持ちで言ってきたため、アレンは緩く首を傾げた。

 手の平で気持ち良さそうに目を閉じていたティアラも、ふと主の声に気付くとそのまま羽ばたき、マナの肩に止まる。

「陛下がお呼びです。アレン様さえ良ければ、すぐにでも来てほしいとのことです」

 マナが軽く眉根を寄せて言った。

 どうやらアレンに話したいことがあるのだが手が離せないらしく、こちらに出向いて欲しいとのことだった。

「現在、陛下は事務作業をしています。……あまり言うなと口止めされているんですが、フェイグス公爵……いえ、アルフェル様が何やら水面下で動いているようで」

 ちらりとアレンを見つめてくるマナの表情はぎこちなくて、まるで見えない何かを警戒しているように見えた。

 けれど主の感情が分かるというフクロウを見ても、のほほんと肩に止まって身体を繕っている。

(気のせい、かな。なんだか……マナが怖い)

 それほど自分と年齢の変わらない少女に対して、あんまりな考えだと思う。

 しかしその恐怖は瞬く間に霧散した。

「──というのは私の予想でしかないんですが。要は、その……陛下が今すぐ貴方に会いたいと、そう仰っていました」

 さすがに第三者の立場から伝えるのは恥ずかしかったのか、マナは俯きがちにぼそぼそと呟く。

 心做しか頬が赤くなっており、こうした恋愛事にはとんと疎いようだった。

「そ、そうか。けど……レオが」

 つられてアレンもぽっと顔が熱くなるも、レオが会いたいと思ってくれたのが嬉しかった。

 早くとも城で起こっている事が終わるまでは、今居る部屋に──レオの寝室には戻って来ないと思っていたのだ。

 こんなに早く顔を合わせられるとは思わず、ぶんぶんと尻尾が揺れる。

「行く。……早く行こう、マナ!」

「ホッ!?」

 普段よりも幾分か大きな声を出しているのにも気付かず、アレンはベッドから半ば飛び起きるようにして立ち上がる。

 その声に驚いたのか、ティアラが小さく飛び上がった。

「……分かりました。えっと、お二人とも」

 あまりのアレンの変わりようにマナはくすりと苦笑し、こほんと小さく咳払いをする。

 扉の前で大人しく成り行きを見守っていた衛兵達が、マナの声にぴくりと耳を動かした。

「お任せください、アレン様の護衛ですよね!?」

「お前は留守番をしていろ。……命に変えてもお守り致します」

 ウェンディは見る間に尻尾を振って瞳を輝かせ、反してリアヌは静かな声で同僚に悪態を吐くと、胸に手をあてて礼をした。

「あ、いえ。私がご案内するので、もう元の持ち場へ戻れとのことです」

 マナはそんな二人の期待をばっさりと切り伏せるように、淡々とした声で言った。

「あ、そう……っすか」

 分かりやすく肩を落とすウェンディに、アレンは図らずも苦笑する。

(ウェンディさんは顔に出やすいんだろうな。俺が言えたことじゃないけど……)

 この数日で分かったことだが、ウェンディは誰よりも感情表現が豊かで分かりやすい獣人だった。

 取っつきやすく、兄貴肌で面倒見がいいところはレオを彷彿とさせたものだ。

「まぁ貴方が居れば問題は無いでしょうし、仕方ありません」

 戻るぞ、と短くリアヌが言い、落胆するウェンディの背中を長い尻尾でパシンと叩く。

いてっ! なんだよ、お前だって一丁前に格好良いこと言ったくせに!」

「見境なく感情を出すお前とは違うんだ。分かったら戻るぞ」

 わぁわぁと喚くウェンディをよそに、リアヌはやはり冷静な声で同僚を諭す。

 肉食系獣人の証として、靭やかな尻尾やよく動く耳があるというのに、声音以上にリアヌは落ち込んでいる素振りすら見せなかった。

 ウェンディが特殊なのか、リアヌが感情を表に出すのがに下手なのか、やはり二人は対照的だった。

 ひと当たりのいいウェンディに比べて、最後の最後までリアヌとしっかりと話せた試しはない。

(リアヌさんは俺のことが嫌いなのかな、あんまり話さないし)

 常に寡黙で、ウェンディがちょっかいを掛けた時だけ声を聞いている印象がある。

 もしそうだとすれば悲しいが、口下手な獣人が居るのは事実なのだ。

 気を許していない相手に対して、どこか一線を引いている節のある男だと思う反面、自分にはない落ち着きが格好良いと思う。

 本当なら二人にはもう少し居て欲しいが、レオが決めた事ならば仕方がない、と一人で納得した。

「では、私どもはこれで失礼致します。──それからアレン様」

「え、はい!」

 まさかリアヌから呼ばれるとは思わず、ぴんと背筋が伸びる。

 そんなアレンの反応にリアヌはかすかに唇の端を上げたものの、すぐに元の鋭さを帯びた冷静な声で続けた。

「持ち場に戻ると言っても、貴方様のお部屋の前で待機せよとのご命令です。貴方の側を離れる訳ではありませんので、どうぞご安心ください」

 そこまで言い終えると、リアヌは緩やかに微笑した。

「っ……あ、わかり……ました」

 つい敬語で返してしまったが、普段は無表情に徹する男が笑うさまは珍しいのかもしれない。

 同時に顔に出ているとは思わなくて、少し気恥ずかしかった。

「あっ、団長の前でしか笑わないのに! アレン様、こりゃあ貴重ですよ! 昔っから俺と一緒だってのにこいつ──へぶっ!?」

 雑に首根っこを摑まれていたウェンディが、リアヌの表情に目敏く気付くと、意気揚々と何ごとかを話そうとする。

 けれどすぐにリアヌの渾身の力らしい拳を頬に受け、ドシンと部屋を揺るがすほどの音を立ててウェンディが床に沈んだ。

「無駄口を叩いてないで行くぞ」

 呻き声を上げるウェンディを睨み付け、ついでに背中を軽く蹴る。

「っんだよ、殴ることねぇだろ!? いいのか、お前がだぁい好きなユーグレイ団長に今あったこと言うからな!」

「言いたいなら好きにしろ。お前の話なぞ、端から話半分に聞くだけだろうがな」

 はぁ、とリアヌが心の底から盛大な溜め息を吐き、改めてアレンに視線を向けた。

「お戻りをお待ちしております」

 リアヌは手本のように丁寧に腰から礼をすると、ウェンディを半ば引き摺るようにして部屋を出ていく。

 肉食系獣人とは力がある者がほとんどだ。

 しかし普段と変わらない足取りで、がっしりとした男を片手で引き摺る事が出来るのはリアヌしかいないだろう。

「行きましょうか、アレン様」

 そっと声を掛けてきたマナは苦笑いで、また二人が喧嘩をしないように目を光らせておく必要があるかもな、とアレンも心の中で苦笑した。
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