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六章
お前が好きだ 1
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今言わなければ、レオはきっとどこかへ行ってしまう。
次にこの男に会えるのは、もう少し後になる気がしたのだ。
「俺、レオのこと……っ」
しかし『好き』と言う前にレオの顔が近付き、頬に触れるだけの口付けを落とされる。
「っ……な、にを」
唐突に不意を突かれ、アレンの頬が瞬時に赤く染まった。
そんな己に何を思ったのか、レオが甘えるようにするりと頬を擦り寄せてきた。
くるくると小さく鳴る喉は実に楽しげで、なのにどこか悲しい。
「ありがとな。だが、そっから先は聞けねぇ。……まだまだやる事があるんだ」
穏やかな声なのに、まるで感情を押し殺しているようにも聞こえた。
しかし言葉の節々からは『愛しい』という思いが滲み出ていて、とくりとアレンの胸が小さく高鳴る。
「全部終わったら、その時は」
そこでレオは言葉を切ると、名残惜しげに顔を離す。
代わりに大きな手の平で包みこまれ、そっと顔を上向かせられた。
「……お前の気持ちを、もう一回聞かせて欲しい」
至近距離で見つめ合った黒曜石の瞳は優しさと、それ以上の愛しさで溢れている。
叶うならば今すぐにでも押し倒したいと、甘く細められた瞳が言っていた。
手の平は火傷しそうなほど熱く、ともすれば情事の雰囲気を思わせる。
レオが一つ一つの言葉を唇に乗せる度、心臓が痛いほど脈打っているのだ。
愛しそうに撫でてくる指先も、こちらを見つめる黒い瞳も、アレンのことを一番に考えてくれている。
「それまで待っててくれるか?」
出会った頃から変わらないしっとりと響く穏やかな声は、アレンの心に浮かんだ不安や寂しさを瞬くうちに霧散させた。
「うん」
アレンが小さく頷くと同時にレオは緩く片頬を上げ、今度は唇へ口付けてきた。
ただ唇を重ね合わせているだけだというのに、心が充足感でいっぱいになる。
互いの──この男の周囲に何も問題がなければ、このままレオの胸に抱かれたい。
しかし無理だと分かっていて、これ以上触れ合ってしまえば止められないことも、悲しいかな事実だった。
(俺は……このひとが好きだ)
無理矢理城に連れて来られ、手酷く抱かれたのは今思い出しても怖くて嫌だった。
けれどどんな事があったとしても、レオの言葉や行動は偽り無い本音なのだと知った。
アルフェルに捕まってしまった時も助けに来てくれ、薬まで作ってくれたのだ。
アレンの事をなんとも思っていなければ、そもそもこんな事はしないだろう。
意識を手放す前に見たレオの表情には、はっきりとした敵意があった。
それは力強く抱き留めてくれた腕からも伝わってきて、自分のために怒ってくれたのが嬉しかった。
もっとも、自分にもう少し力があれば自力で縄を解けたのかもしれないが。
「……じゃあ行ってくる」
名残惜しげに唇を離され、レオが眉を寄せて言う。
それでもすぐには離し難いのか、そっと耳ごと頭を撫でられて少し擽ったい。
「──も」
「っ、なに……?」
ごく小さな声で何かを囁かれ、しかしあまりに一瞬のことで聞こえなかった。
「いや、なんでもない」
くすりと微笑まれ、今一度頭を撫でられる。
その瞳が悪戯をする前の子どものようで、同時に頭に疑問符が浮かんだ。
「後でここに来るようにマナに言っておく。それまで寝てな」
言いながらそっと背中に手を添えられ、ベッドに横たえられる。
それだけでなく柔らかな毛布を首元まで掛けてくれ、ぽんと毛布の上から腹を撫でられた。
その手つきはこちらを労るようで、なによりも暖かい。
アレンはその暖かさに誘われるまま、そっと目を閉じた。
「──絶対に守ってやるからな」
レオがこちらを見下ろして、決意するように呟いたのは聞こえていなかった。
数時間後、ぱたぱたと誰かが忙しなく走る音が耳に届いた。
「あ、アレン様。気付かれましたか?」
少女の弾んだ声が聞こえ、アレンはそこでうっすらと目を開く。
声がした方を見れば、ベッドの側にあるテーブルの上で蒸気の立ち上る桶に手拭いを入れ、小さな手で懸命に絞っているマナと視線が合った。
「え……っと、何をしてるんだ?」
まだ寝ぼけ眼で、やや舌っ足らずな声は未だに掠れている。
「陛下から丁重にお世話しろ、とご命令を受けたんです。それから、えっと……」
もごもごとマナが言いにくそうに言い淀み、横になったまま首を傾げていると薄布越しに大きな声が聞こえた。
「あの、もう入っても構いませんか! 待ちくたびれちまったんですけど!」
低く野太い声はレオとも違い、なのに聞き覚えがあった。
「馬鹿、まだ眠っておられるかもしれないだろう。そんなに大声を出すな」
反してその声の主を窘める声音が続き、そちらは文字通り静かで耳を澄ませなければ聞き漏らしてしまいそうなほどだ。
「ああもう! お待ち下さいと言ってるのに……」
マナはふるふると首を振ると頭を抱え、その肩には白いフクロウが気遣うように寄り添っていた。
「ごめんなさい、うるさくて。紹介しますね」
けれどそれも少しの間で、にこりと安心させるように笑みを浮かべると、マナはややあって薄布を捲った。
「お待たせしました、アレン様がお目覚めに──」
「お、やっとですか!」
マナが最後まで言い終わるよりも早く、がっしりとした体躯の衛兵が姿を現した。
その獣人は癖っ毛なのか、ところどころの毛先が無造作に跳ねている。
けれどランプの光を浴びて輝く銀髪は美しく、口調の明るさも相俟って凛晟に似た気安さを感じる。
「えー、陛下からご命令を受けまして。しばらくの間、アレン様を護れと仰せつかりました。ウェンディっていいます」
以後お見知りおきを、と銀髪の衛兵──ウェンディが胸に手をあてて礼をする。
「おい、お前もそんなとこ隠れてないで。ほれ」
するとウェンディが自身の隣りに居たであろう獣人を、半ば無理矢理ベッドの前まで押し出した。
「……この馬鹿力が」
低く威圧感のある声とともに、渋面を作った赤髪の衛兵がきっとウェンディを睨み付ける。
しかしアレンが見ていると気付いたのか、小さく咳払いをすると落ち着いた声で言った。
「しっかりと顔を合わせるのは初めてですね。リアヌ・ライナポルドと申します」
折り目正しく礼をした赤髪の衛兵──リアヌは、ウェンディに比べると細身だ。
しかしその身体つきは武装していても筋肉の流れがはっきりと分かり、所作の一つ取っても洗練された靭やかさと優美さがあった。
「今から数日、お二人がアレン様をお守りします。私だけでは心許ないみたいで……でも実力は確かな方々なので、安心してくださいね」
折を見てマナがやんわりと口を挟んだのも束の間、すぐさまウェンディが間に割って入ってきた。
「早速ですけど、俺にご命令ください! こいつより役に立ってみせますんで!」
ね、とウェンディがさも快活な笑みを浮かべて言った。
ウェンディが指し示した先はリアヌで、その言葉にリアヌは嫌悪感を隠すこともなく低い声で言う。
「何か用が無い限り呼ぶ訳がないだろう。そんなことも分からないのか」
はぁ、とリアヌがこれみよがしに溜め息を吐いた。
「っなんだよ、文句あんのか!?」
「……その煩い声を抑えられたら答えてやらないこともない」
見る間に激昂するウェンディに、リアヌの静かで落ち着いた声が部屋に反響する。
「ま、守るって……? それに、なんでレオがこのひと達を……?」
今にも臨戦態勢に入りそうな獣人と、心底軽蔑するような瞳で睨み合う獣人を横目に、恐る恐るマナに問うた。
何が何なのかいまいち理解が追い付かないが、この衛兵らは知っている。
丁度アレンが空き部屋から元の部屋に戻る途中、遠目からだが会話をしているところを見たのだ。
それだけでなく、きっとアレンの居た部屋の前を護ってくれていた者達だろう。
その時は扉の隙間からしか顔を見ていなかったものの、よくよく聞けば声音や口調に聞き覚えがある。
「うーん……言っていいものか分からないんですが、あの陛下が説明するとは思えませんし。でも簡単に言うと、アレン様の護衛ですね」
「ホウッ!」
マナがこれ以上ないほどの笑顔を浮かべたと同時に、大人しく主の肩に留まっていたティアラが可愛らしい声で鳴く。
「……もしかしてだけど、今ってまずいのか?」
何が、とはあえて聞かない。
レオがこの寝室を出てどれほど経っているか分からないが、今一番心配な者は一致しているはずだ。
アレンが尋ねていることを正確に読み取ったらしいマナが、やや目尻を下げて首肯した。
「はい。……といっても、陛下が自ら対処すると言って聞かなくて。私達はアレン様のお側に居ろ、としか聞かされていないんです」
すみません、とマナが申し訳なさそうに頭を下げる。
「だーっ、埒が明かねぇ! おいクソ野郎、今すぐ表に出ろ!」
すると、怒りに満ちた声が薄布の向こうから聞こえた。
いつの間にかウェンディとリアヌがいなくなっており、怒号はウェンディのものだろう。
アレンとマナは顔を見合わせると、そっと耳をそばだてる。
どちらにしろアレンにはまだ自力で起き上がる体力がなく、自身の細腕では無理だとマナも分かっているのだろう。
「アレン様の御前で口汚い言葉を使うな。ただでさえお前は煩くて敵わないんだ。……それに、うら若い女性の姿が見えないのか」
冷静な口調で諭すリアヌに対して、無数の針のような言葉達はウェンディの怒りを燃え上がらせるには十分だったようだ。
「マナはいいだろ、昔っから知ってんだし! それよかお前だよ、いっつも正論ばっか吐きやがって……俺が何したってんだ!」
キャンキャンと喚くウェンディに、リアヌは眉間を揉んで短く息を吐く。
「その熱血さを職務にも発揮して欲しいものだが……お前には言っても無駄なのだろうな」
「なにおぅ!?」
「ま、まぁまぁお二人とも。アレン様も見ていますし、ここは穏便に握手で仲直りしませんか?」
更に白熱しそうだった口論に、慌ててマナが間に入る。
「仕方ありませんね」
「うっ……」
さすがに二人ともマナの言うことには逆らえないのか、先にリアヌが手を差し出し、ウェンディはいやいやながらもリアヌの手を握った。
その様子にマナが満足そうに笑みを浮かべると、薄布からひょこりと顔だけを覗かせる。
「お湯を変えてきますので、少し待っていてください。……ティアラ、おいで」
衛兵らが問答をしている間、アレンの腹の上で毛繕いをしていたフクロウに声を掛けると、ぬるくなったらしい桶を持ってマナは軽やかな足取りで寝室を後にした。
「え……っ、と」
残ったのは未だ握手をしたまま微動だにしない獣人達と、起き上がりたくてもできない自分だけが残った。
「あの」
「なんでしょう!」
「お呼びでしょうか」
アレンが小さく声を掛けるのを聞き付けると、我先にと屈強な衛兵が薄布を引き千切らんばかりにしてベッドの側にやってくる。
「お、起き上がらせてほしいなぁ、って」
はは、と苦笑しながら言うと、控えめながら大きな手が肩に触れた。
「お任せください! アレン様の一人や二人、このウェンディに……うっ!?」
「こんな脳筋よりも私が。さぁ、少し身体を浮かせて……失礼致します」
果たしてアレンを抱き起こしてくれたのはリアヌで、ウェンディはといえば何があったのか、目にもとまらぬ速さで床へ沈んだ。
「なに、しやが……る」
ウェンディはぷるぷると身体を震わせ、しかしアレンが聞いていると分かっているのか、その声はあまりに頼りない。
「お前は力の加減が分かってから出直せ。陛下からも言われているだろう。大体、つい最近も──」
リアヌはアレンを丁寧に起こすとどこかから持ってきたのか、薄手のブランケットを肩に羽織らせてくれた。
その細々とした気遣いに反して、ウェンディに向ける言葉は氷のように冷たい。
「ぐぅ……」
ぐるる、とウェンディが怒りを押し殺すように低く唸る。
けれどリアヌの『正論』に最早声を出す気力も無いのか、その場に座り込んだまま項垂れる。
「あ、はは……」
アレンは無意識に尻尾を丸め、毛布の中で手をこまねく。
(マナでも他のひとでもいいから、誰かこの二人を止めてくれ……!)
大きな耳をぺたりと伏せ、二人の言葉や張り詰めた空気感を、右から左へ受け流すしかできなかった。
次にこの男に会えるのは、もう少し後になる気がしたのだ。
「俺、レオのこと……っ」
しかし『好き』と言う前にレオの顔が近付き、頬に触れるだけの口付けを落とされる。
「っ……な、にを」
唐突に不意を突かれ、アレンの頬が瞬時に赤く染まった。
そんな己に何を思ったのか、レオが甘えるようにするりと頬を擦り寄せてきた。
くるくると小さく鳴る喉は実に楽しげで、なのにどこか悲しい。
「ありがとな。だが、そっから先は聞けねぇ。……まだまだやる事があるんだ」
穏やかな声なのに、まるで感情を押し殺しているようにも聞こえた。
しかし言葉の節々からは『愛しい』という思いが滲み出ていて、とくりとアレンの胸が小さく高鳴る。
「全部終わったら、その時は」
そこでレオは言葉を切ると、名残惜しげに顔を離す。
代わりに大きな手の平で包みこまれ、そっと顔を上向かせられた。
「……お前の気持ちを、もう一回聞かせて欲しい」
至近距離で見つめ合った黒曜石の瞳は優しさと、それ以上の愛しさで溢れている。
叶うならば今すぐにでも押し倒したいと、甘く細められた瞳が言っていた。
手の平は火傷しそうなほど熱く、ともすれば情事の雰囲気を思わせる。
レオが一つ一つの言葉を唇に乗せる度、心臓が痛いほど脈打っているのだ。
愛しそうに撫でてくる指先も、こちらを見つめる黒い瞳も、アレンのことを一番に考えてくれている。
「それまで待っててくれるか?」
出会った頃から変わらないしっとりと響く穏やかな声は、アレンの心に浮かんだ不安や寂しさを瞬くうちに霧散させた。
「うん」
アレンが小さく頷くと同時にレオは緩く片頬を上げ、今度は唇へ口付けてきた。
ただ唇を重ね合わせているだけだというのに、心が充足感でいっぱいになる。
互いの──この男の周囲に何も問題がなければ、このままレオの胸に抱かれたい。
しかし無理だと分かっていて、これ以上触れ合ってしまえば止められないことも、悲しいかな事実だった。
(俺は……このひとが好きだ)
無理矢理城に連れて来られ、手酷く抱かれたのは今思い出しても怖くて嫌だった。
けれどどんな事があったとしても、レオの言葉や行動は偽り無い本音なのだと知った。
アルフェルに捕まってしまった時も助けに来てくれ、薬まで作ってくれたのだ。
アレンの事をなんとも思っていなければ、そもそもこんな事はしないだろう。
意識を手放す前に見たレオの表情には、はっきりとした敵意があった。
それは力強く抱き留めてくれた腕からも伝わってきて、自分のために怒ってくれたのが嬉しかった。
もっとも、自分にもう少し力があれば自力で縄を解けたのかもしれないが。
「……じゃあ行ってくる」
名残惜しげに唇を離され、レオが眉を寄せて言う。
それでもすぐには離し難いのか、そっと耳ごと頭を撫でられて少し擽ったい。
「──も」
「っ、なに……?」
ごく小さな声で何かを囁かれ、しかしあまりに一瞬のことで聞こえなかった。
「いや、なんでもない」
くすりと微笑まれ、今一度頭を撫でられる。
その瞳が悪戯をする前の子どものようで、同時に頭に疑問符が浮かんだ。
「後でここに来るようにマナに言っておく。それまで寝てな」
言いながらそっと背中に手を添えられ、ベッドに横たえられる。
それだけでなく柔らかな毛布を首元まで掛けてくれ、ぽんと毛布の上から腹を撫でられた。
その手つきはこちらを労るようで、なによりも暖かい。
アレンはその暖かさに誘われるまま、そっと目を閉じた。
「──絶対に守ってやるからな」
レオがこちらを見下ろして、決意するように呟いたのは聞こえていなかった。
数時間後、ぱたぱたと誰かが忙しなく走る音が耳に届いた。
「あ、アレン様。気付かれましたか?」
少女の弾んだ声が聞こえ、アレンはそこでうっすらと目を開く。
声がした方を見れば、ベッドの側にあるテーブルの上で蒸気の立ち上る桶に手拭いを入れ、小さな手で懸命に絞っているマナと視線が合った。
「え……っと、何をしてるんだ?」
まだ寝ぼけ眼で、やや舌っ足らずな声は未だに掠れている。
「陛下から丁重にお世話しろ、とご命令を受けたんです。それから、えっと……」
もごもごとマナが言いにくそうに言い淀み、横になったまま首を傾げていると薄布越しに大きな声が聞こえた。
「あの、もう入っても構いませんか! 待ちくたびれちまったんですけど!」
低く野太い声はレオとも違い、なのに聞き覚えがあった。
「馬鹿、まだ眠っておられるかもしれないだろう。そんなに大声を出すな」
反してその声の主を窘める声音が続き、そちらは文字通り静かで耳を澄ませなければ聞き漏らしてしまいそうなほどだ。
「ああもう! お待ち下さいと言ってるのに……」
マナはふるふると首を振ると頭を抱え、その肩には白いフクロウが気遣うように寄り添っていた。
「ごめんなさい、うるさくて。紹介しますね」
けれどそれも少しの間で、にこりと安心させるように笑みを浮かべると、マナはややあって薄布を捲った。
「お待たせしました、アレン様がお目覚めに──」
「お、やっとですか!」
マナが最後まで言い終わるよりも早く、がっしりとした体躯の衛兵が姿を現した。
その獣人は癖っ毛なのか、ところどころの毛先が無造作に跳ねている。
けれどランプの光を浴びて輝く銀髪は美しく、口調の明るさも相俟って凛晟に似た気安さを感じる。
「えー、陛下からご命令を受けまして。しばらくの間、アレン様を護れと仰せつかりました。ウェンディっていいます」
以後お見知りおきを、と銀髪の衛兵──ウェンディが胸に手をあてて礼をする。
「おい、お前もそんなとこ隠れてないで。ほれ」
するとウェンディが自身の隣りに居たであろう獣人を、半ば無理矢理ベッドの前まで押し出した。
「……この馬鹿力が」
低く威圧感のある声とともに、渋面を作った赤髪の衛兵がきっとウェンディを睨み付ける。
しかしアレンが見ていると気付いたのか、小さく咳払いをすると落ち着いた声で言った。
「しっかりと顔を合わせるのは初めてですね。リアヌ・ライナポルドと申します」
折り目正しく礼をした赤髪の衛兵──リアヌは、ウェンディに比べると細身だ。
しかしその身体つきは武装していても筋肉の流れがはっきりと分かり、所作の一つ取っても洗練された靭やかさと優美さがあった。
「今から数日、お二人がアレン様をお守りします。私だけでは心許ないみたいで……でも実力は確かな方々なので、安心してくださいね」
折を見てマナがやんわりと口を挟んだのも束の間、すぐさまウェンディが間に割って入ってきた。
「早速ですけど、俺にご命令ください! こいつより役に立ってみせますんで!」
ね、とウェンディがさも快活な笑みを浮かべて言った。
ウェンディが指し示した先はリアヌで、その言葉にリアヌは嫌悪感を隠すこともなく低い声で言う。
「何か用が無い限り呼ぶ訳がないだろう。そんなことも分からないのか」
はぁ、とリアヌがこれみよがしに溜め息を吐いた。
「っなんだよ、文句あんのか!?」
「……その煩い声を抑えられたら答えてやらないこともない」
見る間に激昂するウェンディに、リアヌの静かで落ち着いた声が部屋に反響する。
「ま、守るって……? それに、なんでレオがこのひと達を……?」
今にも臨戦態勢に入りそうな獣人と、心底軽蔑するような瞳で睨み合う獣人を横目に、恐る恐るマナに問うた。
何が何なのかいまいち理解が追い付かないが、この衛兵らは知っている。
丁度アレンが空き部屋から元の部屋に戻る途中、遠目からだが会話をしているところを見たのだ。
それだけでなく、きっとアレンの居た部屋の前を護ってくれていた者達だろう。
その時は扉の隙間からしか顔を見ていなかったものの、よくよく聞けば声音や口調に聞き覚えがある。
「うーん……言っていいものか分からないんですが、あの陛下が説明するとは思えませんし。でも簡単に言うと、アレン様の護衛ですね」
「ホウッ!」
マナがこれ以上ないほどの笑顔を浮かべたと同時に、大人しく主の肩に留まっていたティアラが可愛らしい声で鳴く。
「……もしかしてだけど、今ってまずいのか?」
何が、とはあえて聞かない。
レオがこの寝室を出てどれほど経っているか分からないが、今一番心配な者は一致しているはずだ。
アレンが尋ねていることを正確に読み取ったらしいマナが、やや目尻を下げて首肯した。
「はい。……といっても、陛下が自ら対処すると言って聞かなくて。私達はアレン様のお側に居ろ、としか聞かされていないんです」
すみません、とマナが申し訳なさそうに頭を下げる。
「だーっ、埒が明かねぇ! おいクソ野郎、今すぐ表に出ろ!」
すると、怒りに満ちた声が薄布の向こうから聞こえた。
いつの間にかウェンディとリアヌがいなくなっており、怒号はウェンディのものだろう。
アレンとマナは顔を見合わせると、そっと耳をそばだてる。
どちらにしろアレンにはまだ自力で起き上がる体力がなく、自身の細腕では無理だとマナも分かっているのだろう。
「アレン様の御前で口汚い言葉を使うな。ただでさえお前は煩くて敵わないんだ。……それに、うら若い女性の姿が見えないのか」
冷静な口調で諭すリアヌに対して、無数の針のような言葉達はウェンディの怒りを燃え上がらせるには十分だったようだ。
「マナはいいだろ、昔っから知ってんだし! それよかお前だよ、いっつも正論ばっか吐きやがって……俺が何したってんだ!」
キャンキャンと喚くウェンディに、リアヌは眉間を揉んで短く息を吐く。
「その熱血さを職務にも発揮して欲しいものだが……お前には言っても無駄なのだろうな」
「なにおぅ!?」
「ま、まぁまぁお二人とも。アレン様も見ていますし、ここは穏便に握手で仲直りしませんか?」
更に白熱しそうだった口論に、慌ててマナが間に入る。
「仕方ありませんね」
「うっ……」
さすがに二人ともマナの言うことには逆らえないのか、先にリアヌが手を差し出し、ウェンディはいやいやながらもリアヌの手を握った。
その様子にマナが満足そうに笑みを浮かべると、薄布からひょこりと顔だけを覗かせる。
「お湯を変えてきますので、少し待っていてください。……ティアラ、おいで」
衛兵らが問答をしている間、アレンの腹の上で毛繕いをしていたフクロウに声を掛けると、ぬるくなったらしい桶を持ってマナは軽やかな足取りで寝室を後にした。
「え……っ、と」
残ったのは未だ握手をしたまま微動だにしない獣人達と、起き上がりたくてもできない自分だけが残った。
「あの」
「なんでしょう!」
「お呼びでしょうか」
アレンが小さく声を掛けるのを聞き付けると、我先にと屈強な衛兵が薄布を引き千切らんばかりにしてベッドの側にやってくる。
「お、起き上がらせてほしいなぁ、って」
はは、と苦笑しながら言うと、控えめながら大きな手が肩に触れた。
「お任せください! アレン様の一人や二人、このウェンディに……うっ!?」
「こんな脳筋よりも私が。さぁ、少し身体を浮かせて……失礼致します」
果たしてアレンを抱き起こしてくれたのはリアヌで、ウェンディはといえば何があったのか、目にもとまらぬ速さで床へ沈んだ。
「なに、しやが……る」
ウェンディはぷるぷると身体を震わせ、しかしアレンが聞いていると分かっているのか、その声はあまりに頼りない。
「お前は力の加減が分かってから出直せ。陛下からも言われているだろう。大体、つい最近も──」
リアヌはアレンを丁寧に起こすとどこかから持ってきたのか、薄手のブランケットを肩に羽織らせてくれた。
その細々とした気遣いに反して、ウェンディに向ける言葉は氷のように冷たい。
「ぐぅ……」
ぐるる、とウェンディが怒りを押し殺すように低く唸る。
けれどリアヌの『正論』に最早声を出す気力も無いのか、その場に座り込んだまま項垂れる。
「あ、はは……」
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