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〇1章【すれちがいと夜】
3節~灯る想い~ 21
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目の奥がじんじんと痛む。麻衣との通話を切ったヒロトは、ふうっと長い息を吐き、スマホをソファの脇に投げ出した。
肩から力が抜ける。気づけば背筋も少し丸まっていた。
――長かった。
限界まで走り続けた一週間。
最後の徹夜を越えた今、頭の中は空っぽで、もう何も考えたくなかった。
だが、彼にはずっと、心のどこかでが引っかかる何かがあった。
何だ……何か、言われていた気がするような……?
ふと、昨日の麻衣の声が、耳の奥で蘇った。
「――徹夜も泊まりも許可は下りたけど、ビル清掃があるから『絶対に』十五時までには退勤してね。過ぎると……閉じ込められちゃうから♪」
ヒロトは弾かれたように目を開いた。
「っぶなっ……!」
慌ててスマホを掴み、画面を確認する。
――十四時五十分。
完全に意識が覚醒する。残り十分――十分で、このビルは清掃のため完全に施錠される。
「……明坂!」
隣で気持ちよさそうに寝息を立てていたキリカの肩を、ヒロトは勢いよく揺さぶった。
「おい、起きろ! 帰るぞ!」
「むりですぅ……もう……土曜日……無理……やだぁ……」
目も開けず、子供のような声で寝言をこぼす。
ソファに再び沈み込む姿に、ヒロトは思わず天を仰いだ。
「マジでやばいんだって! 起きろ明坂、あと十分だ!」
「はぁい……じゃ、あと五分だけ……」
「お前、そのまま目を開けなかったら、来週までこのビルの中だぞ!」
「……ぁ……?」
その言葉に、ようやくキリカがうっすらと目を開いた。焦点が合わないまま、ヒロトの顔をぼんやりと見上げる。
「……え?」
「起きたか? もういい、担ぐぞ」
「……え、えっ……ちょっと、あの……」
ふわりと身体が浮く感覚に、キリカはようやく現状を理解し始めたのか、慌てたように辺りを見回す。
「うわっ……浮いてる!? え、夢!? これ夢ですか!? 降ろして! お願い、降ろしてくださいってば!」
「暴れるなって! 本気で時間ないんだから!」
「い、いやぁぁっ、降ろせーっ! 誰か見てたらどうするんですかーっ!」
「誰もいねーよ! 閉じ込められるよりマシだろ!」
オフィスを抜け、エレベーターへ駆け込み、非常ベルが鳴るかと思うほどの勢いで階を降りる。
扉が開くや否や、ヒロトは一気に一階の自動ドアを突き抜けた。
「――間に合った……!」
背中から、キリカの情けない呻き声が漏れる。
ヒロトの額には汗が滲み、肩で息をしながら、ようやく足を止めた。
担いでいたキリカをそっと下ろす。
「……最悪です……一生の不覚です……」
地面に降りたキリカは、ヨロヨロと歩きながらも、真っ赤な顔で背中を向けた。
「あのな。月曜日までオフィスに一人きりなのとどっちがよかったんだ?」
「そ、そういう問題じゃないです……」
口ではそう言いながら、少し唇が緩んでいるのを、ヒロトは見逃さなかった。
外の空気は思ったより冷たかった。
土曜の午後の街は静かで、遠くの道路をバイクが一台通り過ぎる音が響く。
ほんのりと春の匂いを含んだ風が、二人の髪を揺らした。
ヒロトは深く息を吸った。
ここまで走り抜けた一週間、そのすべてが一気に遠ざかっていく気がした。
――ようやく、すべてが終わった。
キリカはまだ背中を向けたまま、髪を整えようとして失敗し、ふてくされたようにため息をついていた。
だが、その横顔には、わずかに達成感の残り香が漂っていた。
ヒロトは小さく笑う。
「……お疲れさん、明坂。よくやったな」
声に驚いたのか、キリカは振り返りかけて、少しだけ頬を染めた。
その反応が可笑しくて、ヒロトはもう一度、小さく息を吐いた。
――この週末くらいは、ただゆっくり眠ってもいい。
そんな考えが、心地よく胸に落ちていった。
肩から力が抜ける。気づけば背筋も少し丸まっていた。
――長かった。
限界まで走り続けた一週間。
最後の徹夜を越えた今、頭の中は空っぽで、もう何も考えたくなかった。
だが、彼にはずっと、心のどこかでが引っかかる何かがあった。
何だ……何か、言われていた気がするような……?
ふと、昨日の麻衣の声が、耳の奥で蘇った。
「――徹夜も泊まりも許可は下りたけど、ビル清掃があるから『絶対に』十五時までには退勤してね。過ぎると……閉じ込められちゃうから♪」
ヒロトは弾かれたように目を開いた。
「っぶなっ……!」
慌ててスマホを掴み、画面を確認する。
――十四時五十分。
完全に意識が覚醒する。残り十分――十分で、このビルは清掃のため完全に施錠される。
「……明坂!」
隣で気持ちよさそうに寝息を立てていたキリカの肩を、ヒロトは勢いよく揺さぶった。
「おい、起きろ! 帰るぞ!」
「むりですぅ……もう……土曜日……無理……やだぁ……」
目も開けず、子供のような声で寝言をこぼす。
ソファに再び沈み込む姿に、ヒロトは思わず天を仰いだ。
「マジでやばいんだって! 起きろ明坂、あと十分だ!」
「はぁい……じゃ、あと五分だけ……」
「お前、そのまま目を開けなかったら、来週までこのビルの中だぞ!」
「……ぁ……?」
その言葉に、ようやくキリカがうっすらと目を開いた。焦点が合わないまま、ヒロトの顔をぼんやりと見上げる。
「……え?」
「起きたか? もういい、担ぐぞ」
「……え、えっ……ちょっと、あの……」
ふわりと身体が浮く感覚に、キリカはようやく現状を理解し始めたのか、慌てたように辺りを見回す。
「うわっ……浮いてる!? え、夢!? これ夢ですか!? 降ろして! お願い、降ろしてくださいってば!」
「暴れるなって! 本気で時間ないんだから!」
「い、いやぁぁっ、降ろせーっ! 誰か見てたらどうするんですかーっ!」
「誰もいねーよ! 閉じ込められるよりマシだろ!」
オフィスを抜け、エレベーターへ駆け込み、非常ベルが鳴るかと思うほどの勢いで階を降りる。
扉が開くや否や、ヒロトは一気に一階の自動ドアを突き抜けた。
「――間に合った……!」
背中から、キリカの情けない呻き声が漏れる。
ヒロトの額には汗が滲み、肩で息をしながら、ようやく足を止めた。
担いでいたキリカをそっと下ろす。
「……最悪です……一生の不覚です……」
地面に降りたキリカは、ヨロヨロと歩きながらも、真っ赤な顔で背中を向けた。
「あのな。月曜日までオフィスに一人きりなのとどっちがよかったんだ?」
「そ、そういう問題じゃないです……」
口ではそう言いながら、少し唇が緩んでいるのを、ヒロトは見逃さなかった。
外の空気は思ったより冷たかった。
土曜の午後の街は静かで、遠くの道路をバイクが一台通り過ぎる音が響く。
ほんのりと春の匂いを含んだ風が、二人の髪を揺らした。
ヒロトは深く息を吸った。
ここまで走り抜けた一週間、そのすべてが一気に遠ざかっていく気がした。
――ようやく、すべてが終わった。
キリカはまだ背中を向けたまま、髪を整えようとして失敗し、ふてくされたようにため息をついていた。
だが、その横顔には、わずかに達成感の残り香が漂っていた。
ヒロトは小さく笑う。
「……お疲れさん、明坂。よくやったな」
声に驚いたのか、キリカは振り返りかけて、少しだけ頬を染めた。
その反応が可笑しくて、ヒロトはもう一度、小さく息を吐いた。
――この週末くらいは、ただゆっくり眠ってもいい。
そんな考えが、心地よく胸に落ちていった。
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