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〇2章【波乱と温泉】
8節~また来たいですね~ 2
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浴衣に袖を通し、バスタオルを肩に引っかけたヒロトは、ようやく部屋を出た。
温泉なんて、いつ以来だろう。
休日に行こうと検索までして、そのまま「まあいいか」で流した計画が、いくつ頭の中で消えていったか分からない。
廊下の窓には、濃紺の夜空がのぞいていた。
星が散らばり、冷たい空気の気配がガラス越しに伝わる。
「露天風呂、絶景だろうな」と、自分でも笑ってしまうほど、どうでもいい想像がよぎる。
思考が空回りしているあたり、今日一日の疲れがじわじわ効いているのだろう。
「おーい、中町~!」
背中に声がぶつかり、ヒロトは振り返った。
倉本が満面の笑みで手を振っている。その後ろには見慣れた男連中がぞろぞろと連なっていた。
仕事の決起集会というより、学生の合宿にしか見えないテンションだ。
「今から風呂か?」
「ああ。……ってか、人数多くないか?」
「さっきまで卓球やっててよ。見事、準優勝!」
「……ふーん」
倉本は得意げにVサインまで決めてくる。
その能天気さに、ヒロトはうっすらと目を細めた。
「なんだよ、誘われなくて拗ねてんのか~?」
「いや、元気だなぁって思っただけ」
「レクで散々イイ思いした中町に、卓球王の座まで譲るわけにはいかねぇからな!」
「そうだそうだ!」と、周囲の男たちも乗ってくる。
こういうノリは正直面倒だが、不思議と疲れるとは思わなかった。
「狙ってないし、いらない」
「はっはっは、そう言うと思った! 温泉くらいは付き合うだろ?」
「……だから、今から行くとこなんだよ」
そう答えると、男たちは満足そうに笑った。
ヒロトもその輪に自然と混ざり、そのまま足を進める。
遠くから、女子たちのはしゃぐ声がかすかに届いた。
ほんの一瞬だけ視線がそちらへ向く。何を考えたか、自分でもよく分からないまま前を向いた。
男湯の暖簾をくぐり、脱衣所へ入ると、むっとした熱気が肩口にまとわりつく。
硫黄の匂い、濡れた床のすべり、乾いた空気が急に湿る感覚──さっきまでの廊下とはまるで別世界だ。
男たちは「うおーっ」と声を上げ、まるで灯りの下に集まる子供のように一斉にテンションが跳ねる。
「温泉、マジで久しぶりだわぁ」
「俺、この前彼女と行った」
「いちいちマウント取ってくんな!」
湯気がふわりと立ち上り、照明に散って光る。
人数が揃うと、男のテンションもたいして変わらない。結局、学生の延長だ。
倉本が肩で笑いながら、ヒロトに身を寄せる。
「なぁ、中町さぁ」
「……なんだよ」
「お前最近、やたらとモテてないか? 自覚ある? モテ期?」
「はぁ?」
「いやその反応は白々しいわ」
別の同僚がタオルでヒロトの背中をぺちんと叩く。
「今日のレクも、美味しいとこ全部持っていきやがって! 明坂ちゃんってお気に入りいるんだから、ちょっとは遠慮しろよ!」
「あのなぁ……」
「そうだそうだ!」と、また無責任な合唱。
ヒロトは呆れ混じりに片眉を上げた。
「ペアはくじ引きだし、遠慮もなにもないだろ。あと、明坂のことそういう感じで見るのやめろ」
言い捨てて、さっさと洗い場へ向かう。
引き戸を開けると、さらに濃い湯気が身体を包み、視界が揺れる。
「くっそ~、余裕ぶりやがって! やっぱりちょっと斜に構える感じがいいのか!」
倉本が訳の分からない悔しがり方をし、他の連中も笑いながら続く。
洗い場に座り、シャワーを浴びながらも、話題は変わらない。
「つーか中町さん、あれだけベタベタされてよく我慢できますよね」
「ホントそれな。俺ならとっくに理性崩壊してる」
「徹夜で仕事してたときも何もなかったん? マジで?」
「塚原先輩もさ、中町さんにだけ当たり強いよね。……いや、逆に甘い?」
「俺にもモテ期こないかなぁ」
好き勝手に妄想して笑い合う男たち。
ヒロトは大きく息を吐く。湯気の中でそのため息がほどけていく。
「……お前らがモテない理由が分かった気がするわ」
一瞬の静寂。その後、風呂場が爆発したみたいに笑いが湧いた。
「おい! 女子にちやほやされたからって天狗か!」
「そうだそうだ! 今に見てろよ!」
「余裕ぶってるヤツに限って、修羅場が訪れるんだぞ~」
「お前ら、もうサウナ行って反省してこいよ」
乾いたツッコミを投げると、また一段と笑いが弾けた。
声が浴場のタイルに跳ね返り、湯気に乗って天井へ吸い込まれていく。
「デトックスー!」
倉本が泡まみれの頭で両手を広げ、わけの分からないポーズを決める。
馬鹿らしさに呆れながらも、ヒロトは肩の力が抜けて、小さく笑った。
なんてことのない時間だ。
くだらなくて、騒がしくて、意味なんてどこにもない。
けれど──こういう空気に身を置いていると、なぜか心が軽くなる。
湯けむりの中、笑い声がゆっくりと薄れていく。
静けさと温度がじわりと広がり、ヒロトの胸の奥にも遅れて湯の熱が染みていった。
温泉なんて、いつ以来だろう。
休日に行こうと検索までして、そのまま「まあいいか」で流した計画が、いくつ頭の中で消えていったか分からない。
廊下の窓には、濃紺の夜空がのぞいていた。
星が散らばり、冷たい空気の気配がガラス越しに伝わる。
「露天風呂、絶景だろうな」と、自分でも笑ってしまうほど、どうでもいい想像がよぎる。
思考が空回りしているあたり、今日一日の疲れがじわじわ効いているのだろう。
「おーい、中町~!」
背中に声がぶつかり、ヒロトは振り返った。
倉本が満面の笑みで手を振っている。その後ろには見慣れた男連中がぞろぞろと連なっていた。
仕事の決起集会というより、学生の合宿にしか見えないテンションだ。
「今から風呂か?」
「ああ。……ってか、人数多くないか?」
「さっきまで卓球やっててよ。見事、準優勝!」
「……ふーん」
倉本は得意げにVサインまで決めてくる。
その能天気さに、ヒロトはうっすらと目を細めた。
「なんだよ、誘われなくて拗ねてんのか~?」
「いや、元気だなぁって思っただけ」
「レクで散々イイ思いした中町に、卓球王の座まで譲るわけにはいかねぇからな!」
「そうだそうだ!」と、周囲の男たちも乗ってくる。
こういうノリは正直面倒だが、不思議と疲れるとは思わなかった。
「狙ってないし、いらない」
「はっはっは、そう言うと思った! 温泉くらいは付き合うだろ?」
「……だから、今から行くとこなんだよ」
そう答えると、男たちは満足そうに笑った。
ヒロトもその輪に自然と混ざり、そのまま足を進める。
遠くから、女子たちのはしゃぐ声がかすかに届いた。
ほんの一瞬だけ視線がそちらへ向く。何を考えたか、自分でもよく分からないまま前を向いた。
男湯の暖簾をくぐり、脱衣所へ入ると、むっとした熱気が肩口にまとわりつく。
硫黄の匂い、濡れた床のすべり、乾いた空気が急に湿る感覚──さっきまでの廊下とはまるで別世界だ。
男たちは「うおーっ」と声を上げ、まるで灯りの下に集まる子供のように一斉にテンションが跳ねる。
「温泉、マジで久しぶりだわぁ」
「俺、この前彼女と行った」
「いちいちマウント取ってくんな!」
湯気がふわりと立ち上り、照明に散って光る。
人数が揃うと、男のテンションもたいして変わらない。結局、学生の延長だ。
倉本が肩で笑いながら、ヒロトに身を寄せる。
「なぁ、中町さぁ」
「……なんだよ」
「お前最近、やたらとモテてないか? 自覚ある? モテ期?」
「はぁ?」
「いやその反応は白々しいわ」
別の同僚がタオルでヒロトの背中をぺちんと叩く。
「今日のレクも、美味しいとこ全部持っていきやがって! 明坂ちゃんってお気に入りいるんだから、ちょっとは遠慮しろよ!」
「あのなぁ……」
「そうだそうだ!」と、また無責任な合唱。
ヒロトは呆れ混じりに片眉を上げた。
「ペアはくじ引きだし、遠慮もなにもないだろ。あと、明坂のことそういう感じで見るのやめろ」
言い捨てて、さっさと洗い場へ向かう。
引き戸を開けると、さらに濃い湯気が身体を包み、視界が揺れる。
「くっそ~、余裕ぶりやがって! やっぱりちょっと斜に構える感じがいいのか!」
倉本が訳の分からない悔しがり方をし、他の連中も笑いながら続く。
洗い場に座り、シャワーを浴びながらも、話題は変わらない。
「つーか中町さん、あれだけベタベタされてよく我慢できますよね」
「ホントそれな。俺ならとっくに理性崩壊してる」
「徹夜で仕事してたときも何もなかったん? マジで?」
「塚原先輩もさ、中町さんにだけ当たり強いよね。……いや、逆に甘い?」
「俺にもモテ期こないかなぁ」
好き勝手に妄想して笑い合う男たち。
ヒロトは大きく息を吐く。湯気の中でそのため息がほどけていく。
「……お前らがモテない理由が分かった気がするわ」
一瞬の静寂。その後、風呂場が爆発したみたいに笑いが湧いた。
「おい! 女子にちやほやされたからって天狗か!」
「そうだそうだ! 今に見てろよ!」
「余裕ぶってるヤツに限って、修羅場が訪れるんだぞ~」
「お前ら、もうサウナ行って反省してこいよ」
乾いたツッコミを投げると、また一段と笑いが弾けた。
声が浴場のタイルに跳ね返り、湯気に乗って天井へ吸い込まれていく。
「デトックスー!」
倉本が泡まみれの頭で両手を広げ、わけの分からないポーズを決める。
馬鹿らしさに呆れながらも、ヒロトは肩の力が抜けて、小さく笑った。
なんてことのない時間だ。
くだらなくて、騒がしくて、意味なんてどこにもない。
けれど──こういう空気に身を置いていると、なぜか心が軽くなる。
湯けむりの中、笑い声がゆっくりと薄れていく。
静けさと温度がじわりと広がり、ヒロトの胸の奥にも遅れて湯の熱が染みていった。
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