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第11話 僕のマルティン
しおりを挟む「うん、わかった」
間諜役の騎士からの報告を聞いてフィルナンドは深いため息をついた。安全対策としてマルティンが泊まるように指示した食事のおいしい宿は、風呂がない。下町の安宿はたいてい風呂がないから、仕方のないことである。風呂付の宿はあっても共同である。たとえ男と言えども、いや、自分以外の男になんかマルティンの裸体を拝ませるわけにはいかないのだ。マルティンの貞操は自分が守るのだ。フィルナンドはそう堅い決心をしているからこそ、【ネコのシッポ】の女将から与える情報を操作させた。若くして薬師ギルドの副長官の座に就いたフィルナンドは結構な稼ぎを持っていた。なにしろ親のコネとかではなく、実力で得たポジションなのである。自分でも言うのも何ではあるが、フィルナンドが作ったポーションの効き目は王都イチなのである。品質も最高クラスであるから、騎士団が専属契約を結んで来たのはまだ学生の頃だった。だからこそ、その伝手からマルティンの婚約破棄の噂を手に入れたのだ。
さすがの騎士団も、自分たちの命に係わるポーションを作っているフィルナンドに対して、絶対の信頼を寄せていた。なにしろフィルナンド自身が伯爵家の御子息である。社交界でうわさが流れる前に騎士団が得た情報がフィルナンドに耳打ちされるのだ。王妃や王女のサロンの護衛の際、壁際に立つ騎士たちは否でも大量の噂話を聞くし、見てはいけないものを目にする。その中の一つがマルティンの婚約者であったアンテレーゼと王太子ラインハルトの密会だった。王妃のサロンに招かれた体で城にやってきたアンテレーゼに、偶然を装ってラインハルトが出会う。さすがに月に何度もそんなことが起きれば、偶然ではなく必然で、人払いがされていれば騎士たちはそれとなく悟るというものなのだ。そしてその話がポーションを受け取りに来た騎士からフィルナンドに耳打ちされる。マルティンが大好きなフィルナンドは対策を練っていたというわけだ。だが、マルティン自身も対策をしていたようで、当日その場であっさりと貴族街から姿を消してしまったのだから驚きは隠しようがなかった。
だがしかし、冒険者になってくれたことはフィルナンドにとって僥倖だった。なにしろ冒険者という稼業は命のやり取りが常である。一番安全なんて言われている地下道のネズミ駆除だって、その実死と隣り合わせである。ただ王都の外に出ないだけで、その駆除するネズミは毒を持った魔物なのだから。そんなわけで、堂々とマルティンのためにポーションを作って届ける。という大義名分をフィルナンドは手にすることができたのである。
「やっぱりマルティンは毎日お風呂に入りたいんだろうなぁ」
浄化の魔石があれば、風呂に入ることなんて必要はない。ただ、この浄化の魔石が高価なのだ。貴族の家庭なら絶対に常備されているけれど、大量の湯をそれこそ湯水のごとく使うのは贅沢なことで、ある種のステータスでもあるのだ。特に、貴族女性は大勢のメイドに世話をさせることが権力の誇示につながるので、それはもう、ご立派な浴場を邸に備えているのであった。
「マルティンの部屋にだけお風呂つけちゃう?」
思わずフィルナンドはそんなことを口にした。できないことはない。学生時代から騎士団にポーションを売っていた貯えがそのままそっくり残っているのだ。薬師ギルドで働き始めてまだ一か月たっていないので、給金は受け取ってはいない。実家暮らしだから、家賃もなければ自分の食費も支払う必要はない。ただ、間諜に使う騎士はこっそりと自分との契約にすり替え、給金を支払うことにしてある。それと、今部屋にいるメイドのジョアンナもフィルナンドとの個人契約に切り替えた。当然ながら、伯爵である父親には内緒である。執事を通して手続きを行った。当たり前のようにフィルナンドに貴族の令嬢をあてがおうとする伯爵がうざくて仕方がないからだ。
「それはよろしくありません」
フィルナンドの楽しい計画の邪魔をするのはメイドのジョアンナである。雇用主となったフィルナンドにたいして、なかなかな態度ではあるが、暴走気味のフィルナンドを軌道修正してくれるので、ジョアンナはできるメイドなのである。
「どうしてさ」
「食事が自慢の宿に風呂など付いてしまったら、女冒険者が殺到します」
「うーん、それはだめだねぇ」
マルティンに近づく女は一切排除、それがフィルナンドの使命である。
「冒険者としてランクが上がれば宿屋のグレードを上げることがステータスとなります」
「そうなの?」
「はい。冒険者ギルドから離れた宿になります」
「……そういやさ、なんで冒険者ギルドに近い宿に泊まるんだろ?」
そこでフィルナンドには疑問が生じた。あんな騒がしい冒険者ギルドの傍に泊まったら、ゆっくり眠れないのではないだろうか?
「それはランクの低い冒険者だからです。マルティン様は初日で見習いではなくなりましたから、ランクはF。最高位はAになりますが、Aランクの冒険者は国に在籍しているのは十人にも満たないと聞いております。冒険者ギルドに出される依頼はランクによって異なります。自分のランク以上の依頼は受けることができなのです。一番多いのはEランクの冒険者でしょう。ある程度の実績を積めば上がることができます。Dランクになるにはちょっとした試験があるそうです。護衛依頼が出るのもこのランクからになりますから、見張りをするスキルが必要とされますね。そんなわけで一番多いEランクの依頼は食材の確保。人気の魔物の肉など食材の調達であったり、ゴブリンなど街道を荒らす魔物の駆除になります。そんなEランクの依頼は奪い合いなのです。ですから冒険者ギルドに近い宿に泊まるのです。早い者勝ちですから。ところで、フィルナンド様がおつくりになるポーションの材料も冒険者が集めていたりするのですよ?ご存じでしたか?」
よどみなく説明をするジョアンナのことをじっと見つめながら、フィルナンドは考えた。
「じゃあ、僕が指名依頼でマルティンに素材を集めてきてもらえばいいじゃない」
「無理です」
すさまじい反応でジョアンナに却下された。
「なんで?いい案じゃない」
むくれるフィルナンドに、ジョアンナは諭すように説明をした。
「いいですか、指名依頼はDランクからなんです。マルティン様はまだ駆け出しのFランクですから指名依頼は出来ません」
理解はしたものの、納得をしない様子のフィルナンドにジョアンナは一つ提案をした。
「マルティン様は一つのことにじっくりと向き合うことがお好きな様なので、素材を集める依頼を出してはいかがでしょう?」
「そんなの、他の冒険者もできちゃうじゃない」
「丁寧な仕事をすれば割り増し、数が多ければさらに割増しで依頼料を払うようにすればよろしいのです。薬師ギルドで栽培はしていても、天然ものの方が効果が高い素材がございますよね?」
「うーん、そういうのって常設依頼になってると思うんだ。だからねぇ、魔物の素材にするよ」
そう宣言してフィルナンドは机に向かってなにやら書き物を始めた。
「ジョアンナ、この依頼を明日になったら冒険者ギルドに届けて欲しい」
「かしこまりました」
ジョアンナは一礼をするとフィルナンドの部屋を退室したのであった。
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