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岡山の戦い
⑧
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鳥取を出た池田勢は因幡街道を智頭に向かい、そこから津山へと急ぐ。
「津山には申し伝えてあるだろうな」
「はい。返事も受け取っております」
津山藩城代の森可政からの返事で「承知した」旨のことが書かれてあった。
「よし」
池田勢は3日の強行軍で津山まで到達し、そのまま南へと向かう。
進めるようなら岡山まで進めば良いし、毛利軍が予想以上に手ごわい場合には一旦津山まで下がればいい。毛利も津山方面に兵を置かなければならないとなると、姫路を攻略する余裕はなくなってくるはずだ。
翌日まで弓削まで到達し、更に南に進む。毛利の守備兵の姿はない。
「ふむ。北から攻撃を受けることを全く想定しておらぬのか。迂闊なことよ」
更に南に進み、そろそろ辛香峠にさしかかろうという頃。
「殿! 後方より迫ってくる者があるとのこと」
「……何?」
利隆は首を捻った。後方から来るとなると、津山からということになる。いくら何でも毛利軍が津山方面から現れることはありえないだろう。そうなると森軍が応援に来たのだろうか。しかし、特に要請もしていないのに何故。
「一体何者だ?」
急いで調べさせると。
「坂崎軍のようでございます」
「坂崎……?」
坂崎というと、津和野の坂崎直盛以外にはありえない。
「津和野から応援に来たのか? いや、待てよ」
池田利隆は不吉な予感を抱いた。
津和野は石見の西端にあり、目と鼻の先に長門がある。毛利に対する牽制をするのであればそのまま萩を狙う方が早い。わざわざ山陰から津山を経て岡山に来る必要はないはずである。
にもかかわらず、坂崎直盛が津山から南に向かってきているということは…
答えは、程なく南からもたらされた。
「殿! 岡山城より内藤元盛の率いる部隊が北上してくるとのこと!」
利隆は愕然とした。
「おのれ、坂崎め。毛利に寝返ったか!」
事実、坂崎直盛は毛利家に寝返っていたのである。
予め池田軍と合流する旨を津山城に伝え、池田軍の通過を確認した後、平然と後をついていったのであった。
では、坂崎直盛は何故寝返ったのか。
坂崎直盛は、元々宇喜多詮家といった。父は宇喜多忠家。梟雄と呼ばれた宇喜多直家の弟である。従って、現在八丈島に流されている元豊臣五大老の宇喜多秀家とは従兄弟関係にあった。
であるが、この従兄弟は仲が悪かった。直情で性格的に問題のある詮家が、お坊ちゃん肌で鷹揚な秀家に対して一方的に不満を募らせていたところに領内統治の問題も絡んできて、関ヶ原の直前に対立が頂点に達していた。
結果、詮家は宇喜多家を出て、家康の保護下に置かれたのである。
そのような流れであるから、当然詮家は関ヶ原でも東軍に立っていた。戦後、秀家は領土没収のうえで八丈島に流罪となったが、詮家は津和野城主として大名となることができた。しかし、西軍の大将格であった宇喜多の名前を名乗るのは気が引けたため、坂崎家を名乗るようになった。
ここまでであれば、坂崎直盛と名前を改めた宇喜多詮家は徳川家のために誠心誠意働かなければならない立場である。
当然、大坂の陣でも直盛は東軍側に立った。しかし、ここに落とし穴があった。
運命の5月7日を前に、直盛は「大坂落城の際に千姫を救出してほしい」という依頼を家康から受けていた。更に口頭ではあるが、「救出したら、千姫を与える」とも言われていたのである。当然、勇んで戦に臨んでいたのであるが、案に相違して戦は大坂方の勝利となってしまった。直盛は城に近づいたところを銃撃され、負傷しただけで終わったのである。
負傷したことで直盛は駿府に向かう軍に同行することはできずに、すぐに津和野へと戻った。その間、彼は不甲斐ない東軍への怒りをふつふつと燃やしていた。
「俺は本来、千姫様をもらうはずだったのに、奴らが負けたせいで」
こういう理不尽な怒りを抱いていたのである。
吉川広家からの文には『首尾よく行けば備前を差し上げる』と書かれてあったが、それは直盛には二の次であった。目の前の恨みを晴らすことこそが、直盛の行動原理だったのである。
今や敵地となっている備前で、北に坂崎軍、南に内藤軍を抱える形となった池田利隆は進退窮まった。
とはいえ、可能性があるのはまだ北である。利隆は北への転進を命じた。
その日のうちに坂崎軍が見えてきた。
「坂崎! 貴様、何故徳川に弓を引く!?」
利隆の叫びに、坂崎直盛は薄ら笑いを浮かべた。
「これは妙なことを仰せられる。大御所や前将軍様のおらぬ徳川家など、それほどありがたがるものでもあるまい」
「だからと言って、毛利が天下を制するとでも思うておるのか!?」
「毛利が制するとも思うておりませぬが、機会があれば勢力拡大をして損はありますまい」
「この恩知らずめが」
利隆はそう吐き捨てて交戦に入るが、如何せん挟み撃ちにされている池田軍は士気も上がらない。一方の坂崎軍には予想通りの展開であり、相手を呑んでかかっている。
半刻もする頃には、池田軍は全く動けなくなっていた。
「……もはや、これまでか」
利隆は全てを諦め、切腹をせんとその場に座る。
それを遠目に見た、直盛が叫んだ。
「池田殿! 腹を切ったとて、何ともなりませぬぞ!」
「うるさいわ!」
「毛利の提案を聞いてから、腹を切ってもよいのではありませぬか?」
「毛利の提案だと?」
訳か分からない。
しかし、自分はともかく、今後の池田家のことを考えると、毛利の話を聞いてから腹を切ってもいいのではないかとも思えてきた。
程なく岡山からやってきた内藤元盛の部隊がかけつけてきた。坂崎直盛が池田利隆を引き連れてきて、内藤元盛と向かい合う。
「さて、池田様。姫路城の開城を願いましょう」
元盛が話しかけると、利隆は憤然となる。
「冗談ではない! 何故に開城せねばならぬ? 幕府からの軍が来れば毛利軍など」
「その場合、池田家はどうなりますかな」
「ぐっ……」
利隆は小さく呻いた。
「岡山を簡単に明け渡し、急襲も失敗し御大将が捕虜となる失態、おまけに播磨では領民の不満が溜まりに溜まっております。この後、場合によっては姫路をも失うかもしれないとあっては、仮に幕府軍が勝ったとしても池田家は改易が自然でありましょう」
「むむむ…」
利隆は悔し気に呻いた。馬鹿にされているという悔しさもあるが、それ以上に元盛の言がまさに事実だからである。
「頼みの綱の播磨御前もなく、どのように幕府を説得するおつもりで」
「……毛利は何を保証するのだ?」
「宇喜多殿との約束の関係上、備前だけはいただかなければならないのですが、播磨・因幡、それに伯耆と出雲をお約束しましょう。姫路に来ていただければ、吉川様の方で誓紙を差し入れます」
「毛利領でないところまで含まれておるではないか」
「何、すぐに手に入ります」
元盛が自信に満ちた様子で言う。
「……わしらと毛利がいれば、囲まれた地はいずれ落ちてくるということか。分かった、吉川殿のところに案内してくれい」
「承知いたしました」
元盛は会心の笑みを浮かべた。
岡山からの急使を受けて、吉川広家はにんまりと笑った。
「どうやらうまくいったようだ」
「お見事でございました」
清水景治が吉川広家に最敬礼する。
池田利隆が幕府につくことに利なしと説得すれば、姫路城は開城するであろう。池田氏はもう、徳川家での未来はないも同然であるから、今後は自家のためにも毛利側で戦わざるを得ない。
およそ二か月の間に、安芸・備後・備中・備前から、播磨、石見の西、因幡までを自家とその従属勢力で支配することになったのである。見事な手腕というより他ない。
「何、徳川の裁定の厳しさはわしもよう知っておるからのう。あやうく、毛利を潰すところまで行ってしまったわけであるし」
「しかし、坂崎を簡単に転がしたことには恐れ入りました」
「うむ。奴は備前宰相と険悪な関係だ。備前宰相が戻る前に宇喜多の名跡を約束してやれば転がるだろうと思っていたのよ」
正確には直盛の主要動機はそれではない。しかし、もちろん、一言でいえば逆恨みに他ならない坂崎直盛の真の動機を吉川広家は知らない。
しかし、動機の違いはあれども、直盛が毛利家のために動くつもりなのは間違いない。
徳川方に対しては彼らが不甲斐ないゆえに人生最大の好機を逃すことになったと怒りを持っているし、大坂方に対しては自分を負傷させた直接の相手だという怒りをもっていたからである。
「津山には申し伝えてあるだろうな」
「はい。返事も受け取っております」
津山藩城代の森可政からの返事で「承知した」旨のことが書かれてあった。
「よし」
池田勢は3日の強行軍で津山まで到達し、そのまま南へと向かう。
進めるようなら岡山まで進めば良いし、毛利軍が予想以上に手ごわい場合には一旦津山まで下がればいい。毛利も津山方面に兵を置かなければならないとなると、姫路を攻略する余裕はなくなってくるはずだ。
翌日まで弓削まで到達し、更に南に進む。毛利の守備兵の姿はない。
「ふむ。北から攻撃を受けることを全く想定しておらぬのか。迂闊なことよ」
更に南に進み、そろそろ辛香峠にさしかかろうという頃。
「殿! 後方より迫ってくる者があるとのこと」
「……何?」
利隆は首を捻った。後方から来るとなると、津山からということになる。いくら何でも毛利軍が津山方面から現れることはありえないだろう。そうなると森軍が応援に来たのだろうか。しかし、特に要請もしていないのに何故。
「一体何者だ?」
急いで調べさせると。
「坂崎軍のようでございます」
「坂崎……?」
坂崎というと、津和野の坂崎直盛以外にはありえない。
「津和野から応援に来たのか? いや、待てよ」
池田利隆は不吉な予感を抱いた。
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にもかかわらず、坂崎直盛が津山から南に向かってきているということは…
答えは、程なく南からもたらされた。
「殿! 岡山城より内藤元盛の率いる部隊が北上してくるとのこと!」
利隆は愕然とした。
「おのれ、坂崎め。毛利に寝返ったか!」
事実、坂崎直盛は毛利家に寝返っていたのである。
予め池田軍と合流する旨を津山城に伝え、池田軍の通過を確認した後、平然と後をついていったのであった。
では、坂崎直盛は何故寝返ったのか。
坂崎直盛は、元々宇喜多詮家といった。父は宇喜多忠家。梟雄と呼ばれた宇喜多直家の弟である。従って、現在八丈島に流されている元豊臣五大老の宇喜多秀家とは従兄弟関係にあった。
であるが、この従兄弟は仲が悪かった。直情で性格的に問題のある詮家が、お坊ちゃん肌で鷹揚な秀家に対して一方的に不満を募らせていたところに領内統治の問題も絡んできて、関ヶ原の直前に対立が頂点に達していた。
結果、詮家は宇喜多家を出て、家康の保護下に置かれたのである。
そのような流れであるから、当然詮家は関ヶ原でも東軍に立っていた。戦後、秀家は領土没収のうえで八丈島に流罪となったが、詮家は津和野城主として大名となることができた。しかし、西軍の大将格であった宇喜多の名前を名乗るのは気が引けたため、坂崎家を名乗るようになった。
ここまでであれば、坂崎直盛と名前を改めた宇喜多詮家は徳川家のために誠心誠意働かなければならない立場である。
当然、大坂の陣でも直盛は東軍側に立った。しかし、ここに落とし穴があった。
運命の5月7日を前に、直盛は「大坂落城の際に千姫を救出してほしい」という依頼を家康から受けていた。更に口頭ではあるが、「救出したら、千姫を与える」とも言われていたのである。当然、勇んで戦に臨んでいたのであるが、案に相違して戦は大坂方の勝利となってしまった。直盛は城に近づいたところを銃撃され、負傷しただけで終わったのである。
負傷したことで直盛は駿府に向かう軍に同行することはできずに、すぐに津和野へと戻った。その間、彼は不甲斐ない東軍への怒りをふつふつと燃やしていた。
「俺は本来、千姫様をもらうはずだったのに、奴らが負けたせいで」
こういう理不尽な怒りを抱いていたのである。
吉川広家からの文には『首尾よく行けば備前を差し上げる』と書かれてあったが、それは直盛には二の次であった。目の前の恨みを晴らすことこそが、直盛の行動原理だったのである。
今や敵地となっている備前で、北に坂崎軍、南に内藤軍を抱える形となった池田利隆は進退窮まった。
とはいえ、可能性があるのはまだ北である。利隆は北への転進を命じた。
その日のうちに坂崎軍が見えてきた。
「坂崎! 貴様、何故徳川に弓を引く!?」
利隆の叫びに、坂崎直盛は薄ら笑いを浮かべた。
「これは妙なことを仰せられる。大御所や前将軍様のおらぬ徳川家など、それほどありがたがるものでもあるまい」
「だからと言って、毛利が天下を制するとでも思うておるのか!?」
「毛利が制するとも思うておりませぬが、機会があれば勢力拡大をして損はありますまい」
「この恩知らずめが」
利隆はそう吐き捨てて交戦に入るが、如何せん挟み撃ちにされている池田軍は士気も上がらない。一方の坂崎軍には予想通りの展開であり、相手を呑んでかかっている。
半刻もする頃には、池田軍は全く動けなくなっていた。
「……もはや、これまでか」
利隆は全てを諦め、切腹をせんとその場に座る。
それを遠目に見た、直盛が叫んだ。
「池田殿! 腹を切ったとて、何ともなりませぬぞ!」
「うるさいわ!」
「毛利の提案を聞いてから、腹を切ってもよいのではありませぬか?」
「毛利の提案だと?」
訳か分からない。
しかし、自分はともかく、今後の池田家のことを考えると、毛利の話を聞いてから腹を切ってもいいのではないかとも思えてきた。
程なく岡山からやってきた内藤元盛の部隊がかけつけてきた。坂崎直盛が池田利隆を引き連れてきて、内藤元盛と向かい合う。
「さて、池田様。姫路城の開城を願いましょう」
元盛が話しかけると、利隆は憤然となる。
「冗談ではない! 何故に開城せねばならぬ? 幕府からの軍が来れば毛利軍など」
「その場合、池田家はどうなりますかな」
「ぐっ……」
利隆は小さく呻いた。
「岡山を簡単に明け渡し、急襲も失敗し御大将が捕虜となる失態、おまけに播磨では領民の不満が溜まりに溜まっております。この後、場合によっては姫路をも失うかもしれないとあっては、仮に幕府軍が勝ったとしても池田家は改易が自然でありましょう」
「むむむ…」
利隆は悔し気に呻いた。馬鹿にされているという悔しさもあるが、それ以上に元盛の言がまさに事実だからである。
「頼みの綱の播磨御前もなく、どのように幕府を説得するおつもりで」
「……毛利は何を保証するのだ?」
「宇喜多殿との約束の関係上、備前だけはいただかなければならないのですが、播磨・因幡、それに伯耆と出雲をお約束しましょう。姫路に来ていただければ、吉川様の方で誓紙を差し入れます」
「毛利領でないところまで含まれておるではないか」
「何、すぐに手に入ります」
元盛が自信に満ちた様子で言う。
「……わしらと毛利がいれば、囲まれた地はいずれ落ちてくるということか。分かった、吉川殿のところに案内してくれい」
「承知いたしました」
元盛は会心の笑みを浮かべた。
岡山からの急使を受けて、吉川広家はにんまりと笑った。
「どうやらうまくいったようだ」
「お見事でございました」
清水景治が吉川広家に最敬礼する。
池田利隆が幕府につくことに利なしと説得すれば、姫路城は開城するであろう。池田氏はもう、徳川家での未来はないも同然であるから、今後は自家のためにも毛利側で戦わざるを得ない。
およそ二か月の間に、安芸・備後・備中・備前から、播磨、石見の西、因幡までを自家とその従属勢力で支配することになったのである。見事な手腕というより他ない。
「何、徳川の裁定の厳しさはわしもよう知っておるからのう。あやうく、毛利を潰すところまで行ってしまったわけであるし」
「しかし、坂崎を簡単に転がしたことには恐れ入りました」
「うむ。奴は備前宰相と険悪な関係だ。備前宰相が戻る前に宇喜多の名跡を約束してやれば転がるだろうと思っていたのよ」
正確には直盛の主要動機はそれではない。しかし、もちろん、一言でいえば逆恨みに他ならない坂崎直盛の真の動機を吉川広家は知らない。
しかし、動機の違いはあれども、直盛が毛利家のために動くつもりなのは間違いない。
徳川方に対しては彼らが不甲斐ないゆえに人生最大の好機を逃すことになったと怒りを持っているし、大坂方に対しては自分を負傷させた直接の相手だという怒りをもっていたからである。
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