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徳川対毛利
竹野川⑤
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「敵軍、北に向かうようです」
吉川広家の下に伝令が届く。
「ふむ…」
広家は川向うを見た。少数の徳川隊がかがり火を持って北に向かっており、逆にそれ以外の徳川方の火は少なくなっている。
(潮時か…)
北に逃げた小笠原・保科・榊原隊を更に攻め込めば大打撃を与えられる可能性はある。しかし、北に夢中になって攻め入っている間に、別の地点から渡河されて形勢をひっくり返される恐れもある。
立花宗茂と互角の条件で戦い、それでも勝てるとは広家は考えていない。
「里見・正木隊に伝えよ。これ以上の深入りは無用と」
「ははっ」
「引き続き、持ち場をしっかり守れ。敵は正面から来るかもしれぬぞ」
一方、徳川方。
「必要以上の勝ちを求めてくることはなかったか」
立花宗茂も毛利軍が追撃しないことを確認する。
「ならば我々も北に移動せよ。明朝、被害を確認する」
そのうえで、藤堂高虎に伝令を出した。
「朝までに進められるだけ撤退の準備をしていてほしい」
朝が訪れた。
「あぁ…」
朝の光を受けて、川を見た徳川義直が絶句した。
そこには数百、いや千に上ろうかという兵士が鎧姿のまま倒れている。もちろん、動ける者は何とか引き上げたり、あるいは毛利方に降伏していたりするから、そこに倒れているのは全員死者であった。
「わしが迂闊であったせいで…」
義直は新たに作られた本陣の杭に自らの頭を打ち付ける。
「尾張様」
「わしが小笠原や保科に、迂闊なことを言ってしまったからこんなことに…」
前日、奮闘するようにと期待する声をかけたことを義直は忘れていない。総大将から声をかけられたことで、小笠原隊や保科隊の腰が軽くなったのだろうことも理解している。
(総大将が動くべきではないというのはこういうことだったのか…)
尚も頭を打ち付けている義直を、藤堂高虎が止める。
「尾張様がそのようなことをされても、死んだ者は帰ってきませぬ」
「左様でございます。それに、まだ戦が終わったわけでもありません」
「むっ…」
立花宗茂の言葉に、義直は我に返る。
「昨夜の戦闘は我々の負けでしたし…」
宗茂に指さされるまま、再び川向うの毛利軍を見る。旗印などには全く乱れがなく、損傷がほとんどないことが窺われた。
「残念ながら、この場で持ちこたえるのも難しいでしょう。しかし、豊岡城などの守備などまだまだこの戦線を維持していかなければなりませぬ」
「そ、そうか…そうだな」
「殿はそれがしが努めますゆえ」
「い、いや、ここはわしが…」
と、徳川義直が主張するが。
「こういう時は、経験者を使うものです。越前様もそうされました」
「むっ…」
義直は黙ると同時に悔しさも感じた。
(わしは、越前殿には全く及ばないということか…)
大坂の戦いで、松平忠直が立花宗茂の協力を仰ぎつつ井伊直孝と共に殿を務めたことはよく知られているところである。その後、うまく人を使いつつ、四国でも九州でも頑張っていることを知っていた。
翻って自分は余計な口出しばかりをして、みすみす負け戦を演出してしまった。
(無念じゃ…)
徳川義直は落胆しつつも、宗茂に任せて、朝のうちに豊岡を目指して後退していった。
その様子を川向うで見る毛利軍。
清水景治のところに坂崎直盛がかけつけてきた。
「立花隊が殿となりますと、迂闊には手を出せませんな」
「そうだな…」
「あれだけの兵力が豊岡に立て籠れば、落とすのは難しいかと思います。欲を言い出せばキリがないですが、できればもう少し被害を与えたかったですな」
「うむ。ただ、この戦いに関しては対峙して、徳川が撤退したという事実だけで十分であろう」
「そうでしょうか?」
「そうだ。坂崎がいるのは津和野だけではあるまい」
景治の言葉に、直盛はようやく合点がいったと笑みを浮かべる。
「なるほど。確かに、坂崎がいるは津和野だけではありませんでしたな」
豊岡に向かう藤堂高虎も、津和野以外の坂崎の存在を気にかけていた。
「豊岡を守ることであれば、この兵力でもできるであろうが…」
「あろうが、何なのじゃ?」
「若狭と丹後の京極家がどう動くか、気になるところです」
京極家は大坂の陣以降、徳川家から少し距離を置いているところがあった。今回、徳川が毛利に負けたことで毛利側に与する恐れがある。
事実、まさにこの日の朝、吉川広家の陣営からは戦勝利の報告とともに、「毛利に与しないか」という手紙が若狭と丹後に出されていたのである。
若狭小浜城の京極忠高はこうした関係にもっとも悩む一人であった。
忠高自身は、義母の常高院(浅井三姉妹の次女・初)とも、正室の初(お江与の娘)とも関係が悪い。端的に言えば、徳川と毛利が互角であるなら毛利に奔りたいと考えるくらいに徳川家を毛嫌いしている。
しかし、吉川広家からの戦勝報告にもすぐには動かなかった。
その大きな理由としては、大坂の豊臣家が完全に徳川方として動くことを鮮明にしたことがある。常高院が鼻高々の様子で淀の方からの書状を携えてきた。すなわち、毛利勝永らが摂津から山城を経て、丹後・若狭をも伺うことができるというような書状であった。
(こうなってくると、加賀の前田が動かないとどうにもならない…)
但馬まで攻め込んだ毛利軍は豊岡で立花宗茂に止められることになる。そこに丹後・若狭から援軍に出ようにも、越前から松平忠昌が攻め込まれる可能性がある。もし、ここで前田利常が越前を攻撃する構えを見せれば、越前と近江の兵力は釘付けになるのであるし、大坂からの豊臣軍も簡単には動けなくなる。
そうなるのであれば、京極家は反徳川に立てるのであるが、前田家は軍を動かすような構えは一切見せていない以上、反対の旗幟を出すのはためらわれるところであった。
豊岡を伺える位置まで来た吉川広家にとっても、京極家が完全に動けなくなるのは誤算であった。
(このまま豊岡まで攻め込んでも、包囲戦となるだけか)
補給自体は大丈夫とはいえ、豊岡の徳川軍を落とし切るだけの材料がない。しかも、京極家が徳川方に立つ可能性がある以上、安心して包囲戦を行うこともできない。包囲戦ができないとなると、一旦因幡に撤退するしかなくなり、そうなると竹野川での勝利が無駄となってしまう。
(立花宗茂に勝つことができれば大丈夫かと思ったが、もう一つ手が必要だったかのう…)
そうした四月下旬、毛利・京極には厳しく、徳川には朗報がもたらされる。
真田幸村が彦根に入り、近江の兵力を越前・若狭の両方面に展開するべく動かしているという報告が入ってきたのである。
吉川広家の下に伝令が届く。
「ふむ…」
広家は川向うを見た。少数の徳川隊がかがり火を持って北に向かっており、逆にそれ以外の徳川方の火は少なくなっている。
(潮時か…)
北に逃げた小笠原・保科・榊原隊を更に攻め込めば大打撃を与えられる可能性はある。しかし、北に夢中になって攻め入っている間に、別の地点から渡河されて形勢をひっくり返される恐れもある。
立花宗茂と互角の条件で戦い、それでも勝てるとは広家は考えていない。
「里見・正木隊に伝えよ。これ以上の深入りは無用と」
「ははっ」
「引き続き、持ち場をしっかり守れ。敵は正面から来るかもしれぬぞ」
一方、徳川方。
「必要以上の勝ちを求めてくることはなかったか」
立花宗茂も毛利軍が追撃しないことを確認する。
「ならば我々も北に移動せよ。明朝、被害を確認する」
そのうえで、藤堂高虎に伝令を出した。
「朝までに進められるだけ撤退の準備をしていてほしい」
朝が訪れた。
「あぁ…」
朝の光を受けて、川を見た徳川義直が絶句した。
そこには数百、いや千に上ろうかという兵士が鎧姿のまま倒れている。もちろん、動ける者は何とか引き上げたり、あるいは毛利方に降伏していたりするから、そこに倒れているのは全員死者であった。
「わしが迂闊であったせいで…」
義直は新たに作られた本陣の杭に自らの頭を打ち付ける。
「尾張様」
「わしが小笠原や保科に、迂闊なことを言ってしまったからこんなことに…」
前日、奮闘するようにと期待する声をかけたことを義直は忘れていない。総大将から声をかけられたことで、小笠原隊や保科隊の腰が軽くなったのだろうことも理解している。
(総大将が動くべきではないというのはこういうことだったのか…)
尚も頭を打ち付けている義直を、藤堂高虎が止める。
「尾張様がそのようなことをされても、死んだ者は帰ってきませぬ」
「左様でございます。それに、まだ戦が終わったわけでもありません」
「むっ…」
立花宗茂の言葉に、義直は我に返る。
「昨夜の戦闘は我々の負けでしたし…」
宗茂に指さされるまま、再び川向うの毛利軍を見る。旗印などには全く乱れがなく、損傷がほとんどないことが窺われた。
「残念ながら、この場で持ちこたえるのも難しいでしょう。しかし、豊岡城などの守備などまだまだこの戦線を維持していかなければなりませぬ」
「そ、そうか…そうだな」
「殿はそれがしが努めますゆえ」
「い、いや、ここはわしが…」
と、徳川義直が主張するが。
「こういう時は、経験者を使うものです。越前様もそうされました」
「むっ…」
義直は黙ると同時に悔しさも感じた。
(わしは、越前殿には全く及ばないということか…)
大坂の戦いで、松平忠直が立花宗茂の協力を仰ぎつつ井伊直孝と共に殿を務めたことはよく知られているところである。その後、うまく人を使いつつ、四国でも九州でも頑張っていることを知っていた。
翻って自分は余計な口出しばかりをして、みすみす負け戦を演出してしまった。
(無念じゃ…)
徳川義直は落胆しつつも、宗茂に任せて、朝のうちに豊岡を目指して後退していった。
その様子を川向うで見る毛利軍。
清水景治のところに坂崎直盛がかけつけてきた。
「立花隊が殿となりますと、迂闊には手を出せませんな」
「そうだな…」
「あれだけの兵力が豊岡に立て籠れば、落とすのは難しいかと思います。欲を言い出せばキリがないですが、できればもう少し被害を与えたかったですな」
「うむ。ただ、この戦いに関しては対峙して、徳川が撤退したという事実だけで十分であろう」
「そうでしょうか?」
「そうだ。坂崎がいるのは津和野だけではあるまい」
景治の言葉に、直盛はようやく合点がいったと笑みを浮かべる。
「なるほど。確かに、坂崎がいるは津和野だけではありませんでしたな」
豊岡に向かう藤堂高虎も、津和野以外の坂崎の存在を気にかけていた。
「豊岡を守ることであれば、この兵力でもできるであろうが…」
「あろうが、何なのじゃ?」
「若狭と丹後の京極家がどう動くか、気になるところです」
京極家は大坂の陣以降、徳川家から少し距離を置いているところがあった。今回、徳川が毛利に負けたことで毛利側に与する恐れがある。
事実、まさにこの日の朝、吉川広家の陣営からは戦勝利の報告とともに、「毛利に与しないか」という手紙が若狭と丹後に出されていたのである。
若狭小浜城の京極忠高はこうした関係にもっとも悩む一人であった。
忠高自身は、義母の常高院(浅井三姉妹の次女・初)とも、正室の初(お江与の娘)とも関係が悪い。端的に言えば、徳川と毛利が互角であるなら毛利に奔りたいと考えるくらいに徳川家を毛嫌いしている。
しかし、吉川広家からの戦勝報告にもすぐには動かなかった。
その大きな理由としては、大坂の豊臣家が完全に徳川方として動くことを鮮明にしたことがある。常高院が鼻高々の様子で淀の方からの書状を携えてきた。すなわち、毛利勝永らが摂津から山城を経て、丹後・若狭をも伺うことができるというような書状であった。
(こうなってくると、加賀の前田が動かないとどうにもならない…)
但馬まで攻め込んだ毛利軍は豊岡で立花宗茂に止められることになる。そこに丹後・若狭から援軍に出ようにも、越前から松平忠昌が攻め込まれる可能性がある。もし、ここで前田利常が越前を攻撃する構えを見せれば、越前と近江の兵力は釘付けになるのであるし、大坂からの豊臣軍も簡単には動けなくなる。
そうなるのであれば、京極家は反徳川に立てるのであるが、前田家は軍を動かすような構えは一切見せていない以上、反対の旗幟を出すのはためらわれるところであった。
豊岡を伺える位置まで来た吉川広家にとっても、京極家が完全に動けなくなるのは誤算であった。
(このまま豊岡まで攻め込んでも、包囲戦となるだけか)
補給自体は大丈夫とはいえ、豊岡の徳川軍を落とし切るだけの材料がない。しかも、京極家が徳川方に立つ可能性がある以上、安心して包囲戦を行うこともできない。包囲戦ができないとなると、一旦因幡に撤退するしかなくなり、そうなると竹野川での勝利が無駄となってしまう。
(立花宗茂に勝つことができれば大丈夫かと思ったが、もう一つ手が必要だったかのう…)
そうした四月下旬、毛利・京極には厳しく、徳川には朗報がもたらされる。
真田幸村が彦根に入り、近江の兵力を越前・若狭の両方面に展開するべく動かしているという報告が入ってきたのである。
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