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こい?
しおりを挟むすこやかに、僕は生きた。
僕の主食は、月の水だ。
緑のきみフォスァルトが時折、森の奥にたたずむリィフェルの庵にやってきて、精霊界の小さな桃をくれる。
精霊樹の実ほどの清浄さはないものの、精霊界にのみ生える薄紅に輝く桃の樹、精桃の実だ。
魔族は勿論、人間が食べると死ぬという。
「喰えるなら、精霊界にいてもいい」
鼻を鳴らすフォスァルトが精桃の実を恵んでくれるおかげで、僕とおとうさんは表立って批難されなくなった。
わかっているから、死をもたらすかもしれぬ果実に、僕はいつも丁寧に頭をさげる。
下界に時折、連れて行ってくれるアライアが教えてくれた。
人間はお礼や謝罪をするときに、頭をさげるらしい。
精霊にはないこの習慣は、人間としての分をわきまえていると、大抵の精霊がよく思ってくれるようだった。
僕が頭を低くすると、精霊たちは、えらくなったような気がして、胸がすくらしい。
そんなことで、おとうさんの傍にいられるなら、いくらだって頭をさげる。
「いちゅも、あーと、です」
リィフェルの庵を囲む深い緑の樹々に、朝のこもれびがちらちら揺れる。
舌足らずな声でお礼を言った僕は、ちいさなてのひらに桃の実を受け取った。
くうらりするような、あまい香りが、辺りをはらうような清浄が、立ちのぼる。
「……トェル、おっきくなってないか?」
緑の眉を寄せるフォスァルトに、僕はうれしく胸を張る。
「おとーた、ふぉーと、おかげ」
アライアが教えてくれる人間とは明らかに違う速さで、僕は成長しているらしい。
精霊界と人間界では、時の流れが違うからかもしれない。
月の加護と月の水、精霊樹の実と精桃の実、陽と緑の祝福もあるからかもしれない。
ちょこっと大きくなった僕は、よちよち歩きを卒業した。
リィフェルの隣に並ぶと、ぽてぽて、よれよれ歩いているようにしか見えないと思うし、舌足らずはどうしようもないが、お水をくんだり、リィフェルの衣を用意したりはできるようになってきた。
誇らしく胸を張る僕に、フォスァルトは吐息する。
「あまり人間らしくなさすぎると、魔族だと言われる。気をつけろ」
フォスァルトは、いつも、きびしい。
とびきり、やさしい。
僕は顔をひきしめた。
「あい。
あーと、です」
ていねいに頭をさげたら、フォスァルトは鼻を鳴らす。
「卑屈に見えるから止めろ。お前は精霊樹の実を喰っても生きたんだ。胸を張れ!」
「あい!」
ぴしりと立った僕の後ろの庵から、おとうさんが顔をのぞかせた。
「フォスァルト、トェルはまだちいさいんだ、あまり厳しくしないでくれないか」
不満げに、とがる唇に、緑のきみが眉をしかめる。
「出た、あほ親!」
「…………ひどくない?」
月の眉をさげるリィフェルの後ろで、毎日遊びにくるアライアが、お腹を抱えて笑ってる。
「お前はトェルを、あまやかしすぎだ!」
指されたリィフェルは吐息する。
「いくら緑のきみとはいえ、指すのは失礼だぞ、フォスァルト」
「お前に失礼を説かれたくない! 精霊界、至高五天に、なんだその頭の高さは!」
反りかえったリィフェルが、胸を張る。
「至天な母上の次に、私が強いから」
「ぐぅ──!」
うなるフォスァルトを支えるように、ノォナが駆け寄った。
「おばあさま、負けないでください!
リィフェルはトェルを可愛がりすぎです! ここは至高五天として、ビシっとご指導を!」
「ノォナが強引にリィフェルを口説くから、僕が譲歩する羽目になっているんだぞ!」
しかられたノォナが胸を張る。
「こんなにかっこいーリィフェルに、せまらないなんて、できません!」
誇らしそうなノォナに、アライアは苦い顔になった。
「びょーきだな」
「!」
病気というのは、命を危うくすることもあるらしい。
人間は、 病気になると動けなくなり、死んでしまうこともあるという。
「のー、くるし?」
心配でノォナをのぞきこむ僕に、アライアが吹きだして笑う。
「『恋のやまい』って言ってな、リィフェルが大すき過ぎて、おかしくなっちまうってことだ」
「……こい?」
首をかしげる僕と一緒に、リィフェルも不思議そうに月の瞳を瞬いた。
見あげるおとうさんの月の髪が、森を渡る風にさらさら揺れる。
僕を見つめて、やわらかに微笑んでくれるおとうさんが、月のひかりをまとうように瞬いた。
そのきらめきをこの目に映せるなら、何を失くしてもいい。
──この狂おしさは、なんと呼ぶのだろう。
家族になってくれたリィフェルに、おとうさんに捧げるこの気もちは、なんて名づける?
精霊界すべてのきらめきを集めても、僕をのみこんで、果てしなく広がってゆく気もちに、追いつかない気がした。
指が、背が、ほんのすこし大きくなるたび、おとうさんを想う気もちも大きくなってゆく気がする。
おとうさんに近づくたび、僕の胸はとくとく翔た。
おとうさんの腕に抱きあげられるたび
おとうさんの香りに包まれるたび
おとうさんのぬくもりに包まれるたび
ぽわぽわ僕の 頬は、熱くなり
とくとく僕の胸は、音を鳴らす。
おとうさんへと 向かう音を。
あなたへの想いを、 告げる音を。
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