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陽のきみ
しおりを挟むトェルを生かすには、精霊の秘術を使うしかない。
リィフェルには使うことができない、至天たる月のきみと、陽のきみしか使えぬ術を。
だからリィフェルは、懇願するしかなかった。
自分の手で救えるなら、救いたい。
──なにもできないなら、すがるしかない。
トェルを救うためなら、何でもする。
……きみが生きてくれるなら、何でもする。
精霊の秘術、その力の強大さにのみこまれ、間違いなく人間は死ぬだろう。
けれど、明らかに成長速度が違うというトェルはきっと、純粋な人間ではない。
そのことを、今ほど天に感謝したことはなかった。
──トェルは、生きるかもしれない。
精霊樹の実を食べてさえ、生きたのだから。
「ほうっておけば、今、しぬ。他に策がない」
リヴァリゼの厳しい声に、ヒメイアは凛々しい眉をひそめた。
「五天審議は」
「開く間に、トェルがしぬ」
リヴァリゼの月の瞳が細くなる。
「俺とヒメイアが諾と言えば、他の三天の反論は無いも同じだ」
五天審議を真っ向から否定する物言いだったが、力関係から考えると真実だ。
形のよいヒメイアの唇から、長いため息がこぼれた。
リィフェルと、リヴァリゼを見つめたヒメイアの瞳に楽しげな光が走る。
「リヴァリゼが私のものになってくれるなら、協力してもいい」
唖然と口を開きかけたリィフェルの隣で、母が吐息する。
「だからお前に頼み事などしたくないんだ」
吐き捨てるような声だった。
「……それほどこの人間が大切か?」
しずかな問いに、リヴァリゼが答える。
「リィフェルがな」
唇を噛んだリィフェルは、トェルを抱きしめた。
……何でもするつもりだった。
きみのためなら、どんなことでも。
けれど
──我が子を救うために、母を売る。
それは人間としても、精霊としても、決して行なってはいけない、非道だ。
……きっと、やさしいトェルは、喜ばない。
生涯、トェルは苦しむことになってしまう。
「……トェルのために母上にすがりましたが……母上を売って救われても、トェルは泣くでしょう。
もう充分です、帰りましょう」
絶望の声だった。
「しぬぞ」
リヴァリゼのつぶやきに、ささやいた。
「……トェルがさみしいでしょうから。私もすぐ後を追います」
きみのいない世界では、もう、息ができない。
陽のきみヒメイアが息をのむ。
「リィがしんだら、俺はお前を一生許さない」
リヴァリゼを、リィフェルを、トェルを見つめたヒメイアは、力なく肩を落とした。
「……ちょっと言ってみただけじゃないか」
「時と場合を選べ」
母の声が、絶対零度だ。
「……わかったよ。最奥の宮へ。その前に人間の傷を洗え。清水なら、そこ。宮に血を入れるな」
「御意」
すぐにトェルの傷を洗い流そうとしたリィフェルは、ふりかえる。
「ご厚情に、心から感謝申しあげます」
「息子が世話になっているから」
ヒメイアは微笑んだ。
「貸しひとつだ」
「わたくしにできることなら、何なりと」
リィフェルは胸に手をあてる。
「考えておく」
奥の宮へとうながそうと、リヴァリゼの細い腰に伸びたヒメイアの腕がはたき落とされている。笑う余裕はリィフェルにはなかった。
「何の匂いだ?」
「人間!?」
「傷が──!」
騒ぐ精霊たちを、ひとにらみで黙らせたリィフェルは、宮の外で、けがれをはらうために、しつらえられた泉の前にひざをつく。備えつけの桶で清水をくみ、指をひたした。
月の力をゆき渡らせた水で、トェルの腹を、身体を洗う。細く細くやせてしまったトェルの身体をいとおしむように、月の水をかけてゆく。
「ひィイ──!」
立ち昇る傷の匂いに、精霊たちが悲鳴をあげた。
「何事だ!」
駆けつけたアライアが、リィフェルとトェルに目をむいた。
「リィフェル! トェル……!?」
「泉を汚してすまない。後で浄化を」
傷と身体を洗い流し、トェルの唇に月の水を含ませたリィフェルが立ちあがる。
リィフェルの腕のなかの骨ばかりのトェルに、アライアは眉をさげた。
「……リィフェル……トェルはもう……」
「希望がすべて消えてから嘆く」
己の衣を指先で切り裂いたリィフェルは、月の水に濡れたトェルの身体を包みこむ。汚れた水と服を桶にまとめるのももどかしく、蹴立てるように陽の宮に入った。
「人間が陽の宮に入るなんて──!」
糾弾を背に、リィフェルは駆けた。
まだ、かすかに息がある。
「生きてくれ、トェル……!」
きみが生きてくれるなら、この命さえ、捧げるから。
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