【完結】お義父さんが、だいすきです

おきて

　いつも夜の闇とひかりに満ちた月の宮で、リィフェルはトェルを抱きあげる。

「おはよう、トェル。今日もいい月だ」


　てのひらで包む頬は、ほんのりあたたかい。

　目を明けてはくれないけれど、しんでいない。

　ぬくもりは、リィフェルの希望だった。




　人間の身体は弱いから、床に寝かしつづけると褥瘡というものができてしまうのだという。
　身体が腐ってしまったり、毒が身体に回って酷いと死に至ることさえあるらしい。

　調べてくれた母から聞いたリィフェルは、トェルを抱きあげるようになった。
　同じところで抱かないように気をつけ、肌に傷ができていないか、毎日確認する。


「トェル」

　ささやいても、抱きしめても、トェルは目を明けてくれない。


『おとーた』

　呼んでくれない。

　鼓動の音さえ聞こえない。

　それでもきっと、生きている。



　祈るように信じたリィフェルは、毎日すこしずつ、トェルに月の力を注いだ。

　くちびるに月の水を含ませても飲んでくれないから、口づける。

　そっと月の水を流しこむと、すうっとトェルの喉に消えてゆく。

　飲みこんだように、胸が上下することもあった。



「ちゅうしてあげるから」

　起きて。

　祈りながら、月の水を流しこむ。


「トェル」

　ささやいて、抱きしめる。


　月のひかりが、降りてくる。







「リィ」

　様子を見にきてくれた母リヴァリゼの呼び声は、痛ましさをにじませた。

「ご心配をおかけして、申しわけありません」

「……せめて、こちらを見て言いなさい」

　ため息をつかれたリィフェルは、顔をあげる。

「母上、トェルがすこし大きくなった気がするのです」

「……生きてるのかな」

　のびたリヴァリゼの指が、トェルの頬にそっとふれる。

「冷たくないでしょう」

「うん」

　不思議そうにトェルにふれた指が、リィフェルの頬をすべる。

「……やつれたな」

「トェルほどではありません。
　ヒメイアさまと母上が御力をお貸しくださったから、私は生きている。
　トェルとともに感謝を申しあげます」

「堅苦しい」

　つまらなそうに唇をとがらせる母に、リィフェルはちいさく笑った。




　トェルが死んだと思ったとき、世界が終わった気がした。

　リヴァリゼが、ヒメイアがたすけてくれたから、トェルの身体にはぬくもりが宿り、リィフェルの心には希望が燈る。

　どんなに微かでも、あたたかな光があれば、唇は笑みをえがける。


「……ありがとう、おかあさま」

「──っ！　リィが、かわいい……！」

　抱きつかれたリィフェルは、照れくさい頬で母の背に腕をまわす。


　精霊の肉体は精霊力で造りあげるもの、人間のような血も涙も通わぬが、それでもほのかなぬくもりがある。

　トェルと似ていた。



「たまには宮の外に出たほうがいい」

　心配してくれているのだろう母の言葉に、リィフェルは目をふせる。

「……離れたく、ないんだ。……ほんの数刻、離れただけで……トェルは……」

　かすれて消える声を、母の腕が抱きしめてくれる。

「俺が見ていても？」

「……ごめんなさい」

　母の肩に額をつけたリィフェルの頭を、母の指がやさしくなでる。

「皆、心配してくれている。アライアも、ノォナも」

「元気だと伝えてくれ」

「会わないのか」

　リィフェルは、トェルを抱きしめる。


「トェルの目が覚めたら」


　仕方ないなと言いたげに、リヴァリゼは吐息した。くしゃりとリィフェルの頭をなでた指が、離れる。

「……緑のきみにしかわからぬ程度だが、精霊樹の力が微かに弱まっていると。
　精霊の力も弱まり、精霊が与えた加護も祝福も弱くなる。
　……トェルは、もたないかもしれない」


　リィフェルは、トェルを抱きしめる。


　ぬくもりが、希望が壊れぬように、そっと、そっと抱きしめた。