いつかの絶望と

屑籠

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「~~~っっ!!」

 ばさっ、と布団を跳ね除け、真っ暗な部屋で飛び起きる。
 バクバクと心臓が大きく脈打っている。
 はっ、はっ、と息を吐き、辺りを見回した。ここがどこか、思い出してはぁ~、と大きく溜息を吐く。
 ベッドから起きだし、パソコンの前まで行って、パソコンに物理的に触れられないようにガードがかかっているのを確認する。
 スマフォ端末も、タブレット端末も没収されてしまっていて、どうしよう、と奨吾は崩れ落ちた。
 はっ、はっ、と心臓を抑えて蹲る。
 
「奨吾?どうした?」
「は、はっ、あ、んじ、はっ、ぐっ、っ、」
「落ち着つけ、奨吾」

 崩れ落ちた体を支え、庵司はベッドルームではなくリビングへと向かう。
 ぽんぽん、と背中をリズム良くたたき、奨吾をなだめる。
 リビングのソファーに座り、しばらくしてようやく奨吾の呼吸が落ち着きを見せた。
 暗かった空は明るくなっている。

「ココアでも飲むか?甘い物、好きだったろ」

 震える自分を抱きしめてソファーに座った奨吾。庵司は、キッチンの方へ向かい、ココアを作って戻ってくる。
 ほら、と机に置き、奨吾の隣に座った。

「……ベータ、なのがそんなに……俺が、悪い……?」

 ぼそぼそと話すその言葉は、ほぼ庵司には聞こえなかったけれど、ところどころ聞き取れば、学校でのことなのか、ずいぶん謂れ無い言葉をぶつけられたみたいだ。
 それが積み重なって、ひどく深い傷となって奨吾の中に残っている。
 
「奨吾、こっち向け」
「……?」

 庵司は溜息を吐いてから、奨吾の顔を両手で挟み、目と目を合わせた。

「もう、誰にも何も言わせない。だから安心しろ。俺が、守ってやるから」
「……嘘つき」
「嘘じゃない。と言っても、お前は信じないんだろうけど……」

 まぁ、いいかとココアの入ったマグカップを奨吾に渡し、飲めと言った。
 
「これだけは疑うな、奨吾。お前は俺の唯一無二なんだ」
「……」

 アルファである庵司には、運命の番であるオメガが居るはずで、オメガじゃない自分が庵司の唯一無二なんて、そんなこと信じられるはずもなくて。
 疑った目で見てしまうのも仕方がない。
 分かっているのか、まだまだだな、と庵司は苦笑した。

「さて、時間的には朝食だが……何か食べたいものは有るか?」

 カップ一杯のココアを何とか飲み干した奨吾はジト目で庵司を見上げた。
 それだけでもお腹はいっぱいになったというか、そもそもいっぱい以上だ。
 苦しくて、けぷっ、と息を吐けば、まぁ、作るまでに時間がかかるからな、と言うが。
 そんな短時間であまり使用されていなかった胃の消化が追い付くとは思わない。
 リクエストが無いなら昨日と同じでいいか、と庵司がキッチンに立つ。
 そう言えば、この家は庵司の実家みたいにお手伝いさんが居ないということに気が付く。

「……本当に、二人だけ?」
「ん?なんか言ったか?」
「いや……」

 声が小さいからか、良く聞こえなかったのか、庵司が手を止めて近づいてくる。
 途中で首を横に振れば、そうか?と作業に戻っていく。
 あ、と途中で失敗したことに気が付いた。
 庵司がこちら側に近づいてくれば、少しでも料理の出来上がる時間が遅くなったというのに。
 昨日の食事風景からわかる通り、庵司に妥協は無いだろう。
 呆然と空を眺めていたが、まだ時間がかかることに暇を持て余し、ぽちりとテレビの電源を入れた。
 どうせつまらないニュースばかりだろうと思っていた。

「……え?」

 画面の向こう側では、聞きなれない言葉が飛び交っていた。
 家の中が日本の家、と言う感じだったから、てっきり日本に居るものだと思っていた。
 英語圏と言うのは、幅広く、ここはどこなんだ?と首を傾げる。
 庵司、と声をかければ、テレビに気が付いたのか、あぁ、と奨吾のそばまで来た。

「仕事で使ってたんだ。安心しろ、ここはまだ日本だし、奨吾のパスポート作らなきゃ海外にも行けないからな」

 そうして、日本の番組に戻してくれたけど、庵司の仕事?と奨吾は首をかしげる。
 そもそも、庵司はどこで寝起きしているのか。
 ここはどこなのか、と言うこともさっぱりと分からない。
 
「海外に行くにはまず、健康体にならないとな」
「……」
「せめて、普通に食事が出来るぐらいにまでは」

 無理だ、と言う視線を庵司は軽く無視して行ってしまう。
 奨吾は、テレビを見ながら、不安が全身を襲うようだった。
 結局、テレビをただ茫然と眺めているうちに、料理は出来上がってしまう。
 ダイニングの机に座り、昨日と同じようなそれに、奨吾はスプーンを取って、いただきますと手を合わせた。
 ちびちびとスプーンの中身を消費している間に、庵司は食べ終わっている。
 庵司の食事は、同じスープと食パン二枚、それからスクランブルエッグにサラダと健康的だ。
 昨日より形の残ったスープの具材は、余計にお腹をいっぱいに膨らませる。
 結局、今朝のココアとスプーン一杯のスープでお腹がいっぱいになった。
 庵司は仕方が無いか、と残りを飲み干して片づける。
 昼には大明地家のハウスクリーニングが来るらしく、散歩に出かけようと言われた。

「むり」
「無理じゃない。近くにカフェがあるんだ、そこで時間をつぶせばいい」
「やだ」
「やだでもない。ここに居たって、人に会う事には違わないんだ、外に出て日光を浴びろ」

 全く、と言う庵司に無理やり着替えさせられる。
 ベッドルームのクローゼットの中には、見覚えのない服ばかりが並んでいた。
 そもそも、自分の服たちはどこに行ってしまったのか。
 コーディネートは、庵司が決めてそのまま介護されるように着替えさせられた。庵司はもう着替えていたし、そのまま二人で出かけようか、と出たことのないリビングの扉から出ると、そこにはまた廊下が続いており、二階と、それから部屋が数個、並んでいた。
 扉が無い場所には、洗濯機が見える。物干しざおも見えるから、そこで洗濯して干せるようにだろう。
 玄関に着くと、靴も庵司が選ぶ。外に出ていないから、靴と言う概念すら忘れそうになっていた。
 行くぞ、と連れられ外に出る。
 家の外に出るときも指紋認証が必要らしく、一度家に入れば外に出ることもできなくなるんだな、と感慨もなく思う。
 庵司に手を引かれて、歩き出した久しぶりの街中。帽子をかぶってきてよかったと、半減する視界にほっとする。
 人の顔を見るのが怖くて、すれ違うたびにびくびくと体が震える。
 そのたびに、庵司の手が強く握りしめてきて、庵司に意識が向けられ、安心した。
 
「はっ、はーっ、は、うそ、つきっ!」
「三十分も歩いていない。嘘じゃないだろ……それに、普通に歩けば、もっと早く着くんだ。近くだろ」

 普通の人が歩けば、近くと言うのは間違いじゃない。
 だが、体力も無くなった奨吾にとっては遠く感じた。
 いや、実際遠かった。

「帰りは抱えて帰ってやるから、文句言うなよ」
「いやだよっ!」

 抱えて、なんてどんな羞恥だ。
 絶対嫌だ、と奨吾は庵司を睨みつけるが、庵司はそんな視線にも楽しそうに笑うだけ。
 その余裕が悔しいとも思う。
 カフェの中に入れば、いらっしゃいませー、と割と若い感じの声が聞こえてくる。
 外観は、アンティークっぽいのに、すごくアンバランスと言うかなんというか……。ただ、合ってないわけではなくて、違和感がある、でも、不思議と受け入れられる、そんな印象を持った。

「二名様ですね、お好きなところにどうぞ」

 カウンターの中でにっこりと笑う彼は、雰囲気が少し庵司に似ている。アルファなのだろう。
 どことなく、苦手意識を抱いてしまう。
 そっと、彼から隠れるように庵司の後ろへと回った。
 庵司は人見知りなんです。と笑い、奨吾の手を引っ張る。奥の二人掛けテーブル席へとつき、奨吾を座らせ、対面へ自分も腰を掛けた。
 庵司はざっくりとメニューに目を通し、フロアスタッフを呼ぶ。ご注文は?と聞かれ、ミルクティーとコーヒー、それから軽くつまめるように、なのかクッキーも頼んでいた。
 あまり待たない内に出てきた飲み物とクッキー。当然のごとくミルクティーは奨吾の前に置かれ、コーヒーは庵司が手を付けた。
 ごゆっくりどうぞ、と店員が去ると、はぁ、と長い溜息を吐いた奨吾は庵司を睨みつける。

「俺、ミルクティーが飲みたいなんて言ってない……」
「さっきココアは飲んだだろう?」
「いや、ココアもミルクティーも要らない」
「冷ましてから飲めばいい」
「話聞けよ……」

 はぁ、と溜息を吐いた奨吾は、動いて疲れたし、と少しだけミルクティーを口に運んだ。
 それから、時間をつぶすために、庵司が渡してきた小説をぺらっと捲る。
 割と好きな感じの文体で、自然とページが進む。
 幼馴染であったからか、好みはバレバレなのだろう。よく覚えていたな、とは思ったけれど。
 無言で本を読み、半分ぐらいまで来たところで、庵司に声をかけられた。

「そろそろハウスクリーニングも終わってる頃だ。帰るか?」
「ふぇ……?あ、帰れるのか」

 立地的に騒がしそうなのに、静かな店内は、とても落ち着いた。
 座った場所も奥まっていて人の視線を感じなかったのもある。
 それに、庵司の体が奨吾の視界を遮っていた。そのせいか、時間が過ぎるのを忘れていた。
 帰れるのなら帰ると言う奨吾に、庵司はわかったとその手を引く。
 会計をしてから外に出ると、ジワリと日差しが刺す。
 久しく家から出ない生活を送っていたからか、季節が夏間近だという事にも気が付いていなかった。
 暑い、と奨吾がぽろっとこぼす。
 クーラーの効いた室内に居たことも原因だろう。汗が噴き出るようだ。
 庵司はそうか?と首をかしげるが、こいつは大丈夫なのか、と奨吾は思うばかりである。
 ある程度歩き、ふらり、と奨吾の体が暑さに傾ぐ。
 おっと、と庵司が支えるも、ぜーはーと息を吐く奨吾は気にする余裕もないようだ。
 まぁ、仕方が無いか、と庵司は奨吾の体を抱えて歩く。

「はっ、……あ?」
「まぁ、初日にしては上出来だろうな。家に帰るからじっとしとけ」

 どこにそんな体力があるのか不思議に思うが、庵司は涼しい顔をして家までの帰り道、本当に奨吾を抱えたまま歩いてしまった。
 こうして、出かけることは何度かあり、そのたびに体力がついてきたのか、夏真っ盛りでも庵司に抱えてもらうなんて不名誉なことは少なくなった。
 まぁ、その頃より重たくなった体重ではタクシーをさすがに呼んだり、少し休憩してから、なんてこともあった。
 
「平川君?」

 この時、庵司は側にいなかった。奨吾のために自販機まで飲み物を買いに行っているからだ。
 聞き覚えのある声に、びくっ、と体を震わせ、そちらへと視線を向ける。
 彼は、自分の記憶に有るよりも大人びているが、知っている人物にそっくりだった。

「あ、……ふじ、つか……」
「やっぱり平川君だ、良かった」

 良かったと安堵の顔をする藤塚に、奨吾は警戒をつよめる。
 その笑顔の裏で何を考えているのか分からない。もう、二度と信用するものかと心に誓った。
 
「あの日から学校に来なくなって、退学しちゃうし、心配してたんだ……」
「やめろっ!!」

 触れてこようとした藤塚の手を振り払う。
 驚いて、悲しそうな顔になる藤塚。それが、本心なのかは知らない。
 奨吾が震えていることに気が付いたのか、ごめん、と藤塚はその手を引っ込める。

「奨吾っ!?」

 奨吾の声に反応したのか、駆け足で庵司が戻ってくる。
 戻ってきて藤塚を見た庵司は、目を見開いてそれから怒りをあらわにする。
 すぐに藤塚から引き離すように抱きしめた庵司。

「何故、お前がここに居る?」
「偶然だよ。今日は休日なんだ。その……大明地君は、今、平川君と一緒にいるの?」
「あぁ……」

 そう、と言った藤塚の声は暗く、何か考えるようだ。

「平塚君は、大明地君でいいの?」
「なに、が……」
「だって、彼はアルファだ。一緒に居て、辛くない?」

 辛いなんて感情、もうずっと昔に捨ててしまった。
 庵司と一緒にいるのだって、ただの惰性。
 アルファの血統である大明地家の血も残せない自分が庵司と一緒に居られるはずもない事はもうずいぶんと昔からわかってる。
 
「これから俺が俺の全てを使って奨吾を幸せにするから、余計な世話焼いてんな。てめぇがしたこと、忘れたとは言わせねぇからな」
「あの頃の話なら、君だって似たようなものだっただろ?俺だけ責めるのもお門違いだと思うけど」

 庵司と藤塚は、にらみ合っているみたいだが、正直奨吾はもう限界だった。
 
「うっ…、うっぇ……」
「っ、奨吾!?あぁ、くそっ」

 奨吾を抱えると、一目散に走りだした庵司。
 家に速攻で入り、トイレに連れていかれた。
 うぇ、と吐き出したものは、水分ばかりで固形物は無い。それはそうだ。食べれるようになったとはいえ、まだまだ水分の割合の方が多いのだから。
 はぁ、はぁ、とぐったりした奨吾を抱え、庵司は着替えをさせるとベッドに寝かせた。

「もう、大丈夫か?気持ち悪くないか?」
「……、ん」

 吐いたからか、少しスッキリした。体の震えも収まっている。
 返事をする余裕はなくて頷けば、良かったと、本当にホッとしたような顔をしてゆっくり休めと言う。
 部屋から庵司が出ていったのに安堵し、目を閉じた。
 
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