7 / 9
第7話「氷の庭に咲く花 ― 甘い静寂の中で」
しおりを挟む
あの夜から数日。
帝都には、穏やかな風が流れていた。
氷の皇帝が癒され、王国の獅子が姿を消した――
それはどこか神話のように語られ、街では「セレナの花」と呼ばれる白い花が売られている。
「……なんだか、落ち着きませんわね」
馬車の窓から通りを見下ろしながらつぶやくと、
ユリウス陛下が隣で笑った。
「お前の名が花になるくらい、帝国はお前に夢中だ」
「からかわないでください」
「本気だ。俺ですら、お前の名を口にするたびに救われる」
その言葉に胸が熱くなる。
まだ心のどこかで、彼に「皇帝陛下」という壁を感じていたのに。
こうして普通に笑い合えることが、不思議で嬉しかった。
その日、わたくしたちは“氷の庭”へ出向いた。
透明な氷でできたアーチが陽の光を反射し、空中に小さな虹を描いている。
「ここは……美しいですね」
「俺が若い頃に凍らせた湖だ。
怒りと孤独だけで作った。……けれど今は、お前が歩くだけで溶けていく」
確かに、わたくしの足元だけ、氷が柔らかく透きとおっていた。
凍てついた大地が、少しずつ春を取り戻していく。
「陛下。あなたにとって“氷”は敵ですか?」
「いいや。氷は俺の一部だ。
けれど、お前といるときだけ、それが静かになる」
彼の指が頬に触れた。
冷たいはずのその指が、驚くほどあたたかい。
「セレナ。お前の光に触れると、俺は人間に戻れる気がする」
言葉にするのが下手な人なのだと、もう知っている。
だからこそ、その一言がまっすぐに胸に届いた。
「……では、せいぜい凍らせてくださいませ。わたくしが溶かして差し上げますから」
「……その言葉、忘れるな」
互いの視線が交わった瞬間、風がやわらかく吹き抜けた。
氷の庭に散った光が、まるで二人を祝福するように揺れる。
夕刻。
宮殿へ戻ると、カイルが廊下で出迎えた。
「お帰りなさいませ、陛下。セレナ様」
いつもと変わらぬ穏やかな声。だが、その瞳はどこか硬かった。
「どうした?」
「……隣国アークライト王国にて、不穏な動きがあるとの報告が入りました」
「アークライト……レオンの国ですか?」
「はい。呪いの影響が拡大している様子。
城の一部では“獅子の咆哮”のような音が夜な夜な響き、民が怯えていると」
わたくしは小さく息を呑んだ。
――あの呪いは、彼ひとりにとどまらなかったのかもしれない。
「詳細はまだ不明ですが、王族筋が動揺しているのは確かです」
カイルは言葉を選びながら続けた。
「帝国にも何らかの影響が及ぶ前に、警備を強化すべきかと」
ユリウス陛下が短く頷く。
「手を打て。だが、セレナには知らせすぎるな。心を乱す必要はない」
「……もう遅いですわ」
思わず言ってしまう。
「レオン殿下のことは、きっとまだ終わっていません」
ユリウスの瞳が、わたくしを見つめた。
そこには怒りでも不安でもなく、ただ深い静けさがあった。
「終わらせるのは俺だ。お前の手を汚させはしない」
「いいえ。……わたくしにも、できることがあります」
「また“光”を使う気か?」
「必要とあらば、迷いません」
わたくしの言葉に、陛下はわずかに微笑んだ。
「まったく、誰に似たのやら」
「……陛下では?」
「認めよう」
互いに笑い合ったその空気の中で、少しだけ張り詰めていた胸の奥がやわらいだ。
◇
夜。
氷の月が宮殿の屋根を照らし、静寂が広がる。
窓辺で祈りを捧げると、風に紛れて神の声が微かに響いた。
『闇はまだ遠くで蠢く。だが恐れるな、光は凍てつくほど強くなる』
わたくしは目を閉じた。
――そうです。恐れる必要など、ない。
今度こそ、わたくしはもう逃げない。
そして、翌朝。
カイルから届いた一通の報告書には、ただ一行だけ。
「アークライト王城、夜に崩落。原因不明」
氷の帝国の朝が、また新しい運命を告げていた。
帝都には、穏やかな風が流れていた。
氷の皇帝が癒され、王国の獅子が姿を消した――
それはどこか神話のように語られ、街では「セレナの花」と呼ばれる白い花が売られている。
「……なんだか、落ち着きませんわね」
馬車の窓から通りを見下ろしながらつぶやくと、
ユリウス陛下が隣で笑った。
「お前の名が花になるくらい、帝国はお前に夢中だ」
「からかわないでください」
「本気だ。俺ですら、お前の名を口にするたびに救われる」
その言葉に胸が熱くなる。
まだ心のどこかで、彼に「皇帝陛下」という壁を感じていたのに。
こうして普通に笑い合えることが、不思議で嬉しかった。
その日、わたくしたちは“氷の庭”へ出向いた。
透明な氷でできたアーチが陽の光を反射し、空中に小さな虹を描いている。
「ここは……美しいですね」
「俺が若い頃に凍らせた湖だ。
怒りと孤独だけで作った。……けれど今は、お前が歩くだけで溶けていく」
確かに、わたくしの足元だけ、氷が柔らかく透きとおっていた。
凍てついた大地が、少しずつ春を取り戻していく。
「陛下。あなたにとって“氷”は敵ですか?」
「いいや。氷は俺の一部だ。
けれど、お前といるときだけ、それが静かになる」
彼の指が頬に触れた。
冷たいはずのその指が、驚くほどあたたかい。
「セレナ。お前の光に触れると、俺は人間に戻れる気がする」
言葉にするのが下手な人なのだと、もう知っている。
だからこそ、その一言がまっすぐに胸に届いた。
「……では、せいぜい凍らせてくださいませ。わたくしが溶かして差し上げますから」
「……その言葉、忘れるな」
互いの視線が交わった瞬間、風がやわらかく吹き抜けた。
氷の庭に散った光が、まるで二人を祝福するように揺れる。
夕刻。
宮殿へ戻ると、カイルが廊下で出迎えた。
「お帰りなさいませ、陛下。セレナ様」
いつもと変わらぬ穏やかな声。だが、その瞳はどこか硬かった。
「どうした?」
「……隣国アークライト王国にて、不穏な動きがあるとの報告が入りました」
「アークライト……レオンの国ですか?」
「はい。呪いの影響が拡大している様子。
城の一部では“獅子の咆哮”のような音が夜な夜な響き、民が怯えていると」
わたくしは小さく息を呑んだ。
――あの呪いは、彼ひとりにとどまらなかったのかもしれない。
「詳細はまだ不明ですが、王族筋が動揺しているのは確かです」
カイルは言葉を選びながら続けた。
「帝国にも何らかの影響が及ぶ前に、警備を強化すべきかと」
ユリウス陛下が短く頷く。
「手を打て。だが、セレナには知らせすぎるな。心を乱す必要はない」
「……もう遅いですわ」
思わず言ってしまう。
「レオン殿下のことは、きっとまだ終わっていません」
ユリウスの瞳が、わたくしを見つめた。
そこには怒りでも不安でもなく、ただ深い静けさがあった。
「終わらせるのは俺だ。お前の手を汚させはしない」
「いいえ。……わたくしにも、できることがあります」
「また“光”を使う気か?」
「必要とあらば、迷いません」
わたくしの言葉に、陛下はわずかに微笑んだ。
「まったく、誰に似たのやら」
「……陛下では?」
「認めよう」
互いに笑い合ったその空気の中で、少しだけ張り詰めていた胸の奥がやわらいだ。
◇
夜。
氷の月が宮殿の屋根を照らし、静寂が広がる。
窓辺で祈りを捧げると、風に紛れて神の声が微かに響いた。
『闇はまだ遠くで蠢く。だが恐れるな、光は凍てつくほど強くなる』
わたくしは目を閉じた。
――そうです。恐れる必要など、ない。
今度こそ、わたくしはもう逃げない。
そして、翌朝。
カイルから届いた一通の報告書には、ただ一行だけ。
「アークライト王城、夜に崩落。原因不明」
氷の帝国の朝が、また新しい運命を告げていた。
33
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたので王子様を憎むけど息子が可愛すぎて何がいけない?
tartan321
恋愛
「君との婚約を破棄する!!!!」
「ええ、どうぞ。そのかわり、私の大切な子供は引き取りますので……」
子供を溺愛する母親令嬢の物語です。明日に完結します。
もてあそんでくれたお礼に、貴方に最高の餞別を。婚約者さまと、どうかお幸せに。まぁ、幸せになれるものなら......ね?
当麻月菜
恋愛
次期当主になるべく、領地にて父親から仕事を学んでいた伯爵令息フレデリックは、ちょっとした出来心で領民の娘イルアに手を出した。
ただそれは、結婚するまでの繋ぎという、身体目的の軽い気持ちで。
対して領民の娘イルアは、本気だった。
もちろんイルアは、フレデリックとの間に身分差という越えられない壁があるのはわかっていた。そして、その時が来たら綺麗に幕を下ろそうと決めていた。
けれど、二人の関係の幕引きはあまりに酷いものだった。
誠意の欠片もないフレデリックの態度に、立ち直れないほど心に傷を受けたイルアは、彼に復讐することを誓った。
弄ばれた女が、捨てた男にとって最後で最高の女性でいられるための、本気の復讐劇。
「いらない」と捨てられた令嬢、実は全属性持ちの聖女でした
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約は破棄する。もう用済み
そう言い放ったのは、五年間想い続けた婚約者――王太子アレクシスさま。
広間に響く冷たい声。貴族たちの視線が一斉に私へ突き刺さる。
「アレクシスさま……どういう、ことでしょうか……?」
震える声で問い返すと、彼は心底嫌そうに眉を顰めた。
「言葉の意味が理解できないのか? ――お前は“無属性”だ。魔法の才能もなければ、聖女の資質もない。王太子妃として役不足だ」
「無……属性?」
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
【完結】婚約破棄されたユニコーンの乙女は、神殿に向かいます。
秋月一花
恋愛
「イザベラ。君との婚約破棄を、ここに宣言する!」
「かしこまりました。わたくしは神殿へ向かいます」
「……え?」
あっさりと婚約破棄を認めたわたくしに、ディラン殿下は目を瞬かせた。
「ほ、本当に良いのか? 王妃になりたくないのか?」
「……何か誤解なさっているようですが……。ディラン殿下が王太子なのは、わたくしがユニコーンの乙女だからですわ」
そう言い残して、その場から去った。呆然とした表情を浮かべていたディラン殿下を見て、本当に気付いてなかったのかと呆れたけれど――……。おめでとうございます、ディラン殿下。あなたは明日から王太子ではありません。
王太子に婚約破棄され塔に幽閉されてしまい、守護神に祈れません。このままでは国が滅んでしまいます。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
リドス公爵家の長女ダイアナは、ラステ王国の守護神に選ばれた聖女だった。
守護神との契約で、穢れない乙女が毎日祈りを行うことになっていた。
だがダイアナの婚約者チャールズ王太子は守護神を蔑ろにして、ダイアナに婚前交渉を迫り平手打ちを喰らった。
それを逆恨みしたチャールズ王太子は、ダイアナの妹で愛人のカミラと謀り、ダイアナが守護神との契約を蔑ろにして、リドス公爵家で入りの庭師と不義密通したと罪を捏造し、何の罪もない庭師を殺害して反論を封じたうえで、ダイアナを塔に幽閉してしまった。
「君との婚約は時間の無駄だった」とエリート魔術師に捨てられた凡人令嬢ですが、彼が必死で探している『古代魔法の唯一の使い手』って、どうやら私
白桃
恋愛
魔力も才能もない「凡人令嬢」フィリア。婚約者の天才魔術師アルトは彼女を見下し、ついに「君は無駄だ」と婚約破棄。失意の中、フィリアは自分に古代魔法の力が宿っていることを知る。時を同じくして、アルトは国を救う鍵となる古代魔法の使い手が、自分が捨てたフィリアだったと気づき後悔に苛まれる。「彼女を見つけ出さねば…!」必死でフィリアを探す元婚約者。果たして彼は、彼女に許されるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる