氷のように冷たい王子が、私だけに溶けるとき

夜桜

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婚約破棄と処刑台と帝国追放

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 焼けた鉄の匂いと、焦げた血の匂いが、鼻の奥にこびりついて離れなかった。
 父と母の骸が、処刑台の上で静かに横たわっている。
 頭上では空が赤く焼けていた。けれど、それが夕焼けなのか、それとも炎に照らされた空なのか、もう分からなかった。

「聖女ネリネ。そなたとは婚約破棄する。そして国家反逆罪の共犯者として、すべての地位を剥奪され、国外追放とする」

 ベイスン宰相の声は、まるで裁判官のように冷たく、容赦がなかった。
 わたしは声を出すことさえできず、ただ唇を噛み、崩れ落ちた。

(なぜ……)

 昨日までは確かに未来を語っていた。
 この国に、愛があった。家族がいた。誓い合った婚約者がいた。
 なのに、今は。
 両親の死体の前で、地にひれ伏すただの"追放者"――わたしは、ゴミのように、城門の外へ放り出された。

 泣く力さえ、もうなかった。

 ※ ※ ※

 どれだけ歩いたのだろう。
 日も落ちて、月すら雲に隠れた山道。わたしは何度もつまずきながら、ただ彷徨っていた。
 足元は泥にまみれ、裸足は切り傷だらけで、感覚もなかった。

 ――そのときだった。

「おい、見ろよ。有名な聖女様がこんなところで一人きりだ」

 不快な笑い声が響いた。
 茂みの向こうから、三人の男たちが現れる。
 剣を腰に差した野盗のような恰好。目つきはいやらしく、まるで腐肉に群がるハイエナのようだった。

「こりゃあ、お宝だな。帝国の紋章もつけてない……つまり、追放されたってコトだ」

「顔も上等だぜ! へへ、ちょっと遊んでから売り飛ばしてもいいんじゃねえか?」

 背筋が凍りついた。声が出ない。脚が震える。
 逃げなきゃ。逃げなきゃいけないのに――身体が、動かなかった。

 男たちが迫ってくる。
 息が止まりそうだった。
 わたしは目を閉じ、歯を噛みしめた。

 そのときだった――

 風が、吹いた。

 ごうっと、地を鳴らすような黒い風。
 次の瞬間、空から何かが降ってきた。
 いや、駆け抜けた。

 蹄の音と共に、黒い馬が山道を駆け抜けていく。
 その背には、黒の鎧に身を包んだ騎士――いや、王子のような気高き気配をまとう青年がいた。

 その銀の髪は月光を弾き、目は赤く燃えていた。

「……薄汚い手で、そのお方に触れるな!」

 男たちが何かを叫ぶ暇すらなかった。
 青年が振るったのは、闇色に輝く剣。
 刃先から蒼い風が放たれ、三人の男たちは吹き飛ばされた。

 剣……? いいえ、それはただの剣ではなかった。
 青白い光を帯び、魔力を纏う魔剣のように感じられた。

「くそっ、誰だてめえは!」
「この野郎……っ!」

 二人が剣を抜きかけた瞬間、青年は黒馬を跳ね上げ、空を裂くように斬りつけた。
 その一撃は地を穿ち、岩を砕き、男たちの意志を打ち砕いた。

「ひ、ひぃ! に、逃げろ……!」

 三人は何も言えず、這いつくばって逃げ去った。

 世界が、静かになった。

 わたしは、そこに立ち尽くしていた。
 目の前に立つ青年を、ただ見つめていた。
 彼は静かに剣を収め、わたしの前に降り立った。

「怪我はないか?」

 その声は低く、澄んでいて、何よりも優しかった。

「……だ、誰……?」

「俺はケラウノス。アズール王国、第三王子だ」

 心臓が跳ねた。

 第三王子……? あのアズール王国の? なぜそんな人が……?

「君が、帝国から追放されたと聞いた。……そして、その理由も」

 わたしは震えながらも、彼の瞳を見た。
 赤いその瞳には、怒りと悲しみ、そして、何か決意のようなものが宿っていた。

「ベイスン宰相が、アズールの第二王女と通じていることが分かった。――君を陥れる計画も、その一部だった。婚約破棄もね」

「……そんな……どうして……」

「君を救わねばならなかった。誰かが、正しくあらねばならなかった。だから、俺はここに来た」
「……救いに」

 彼はわたしに手を差し出した。
 その掌は、剣を握っていたとは思えないほど温かくて、強かった。

「行こう。君を必要としている人たちがいる」

 その言葉に、わたしは――涙を零した。
 もう、枯れたはずの涙が、彼の前では自然と流れていた。

「……ありがとう、ございます……」

 わたしはその手を取った。
 そして、彼の黒馬に乗せられ、闇を裂いて駆けていく。

 ――風のように駆ける馬の上で、
 わたしは、もう一度生きることを、心に決めた。
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