1 / 8
婚約破棄と処刑台と帝国追放
しおりを挟む
焼けた鉄の匂いと、焦げた血の匂いが、鼻の奥にこびりついて離れなかった。
父と母の骸が、処刑台の上で静かに横たわっている。
頭上では空が赤く焼けていた。けれど、それが夕焼けなのか、それとも炎に照らされた空なのか、もう分からなかった。
「聖女ネリネ。そなたとは婚約破棄する。そして国家反逆罪の共犯者として、すべての地位を剥奪され、国外追放とする」
ベイスン宰相の声は、まるで裁判官のように冷たく、容赦がなかった。
わたしは声を出すことさえできず、ただ唇を噛み、崩れ落ちた。
(なぜ……)
昨日までは確かに未来を語っていた。
この国に、愛があった。家族がいた。誓い合った婚約者がいた。
なのに、今は。
両親の死体の前で、地にひれ伏すただの"追放者"――わたしは、ゴミのように、城門の外へ放り出された。
泣く力さえ、もうなかった。
※ ※ ※
どれだけ歩いたのだろう。
日も落ちて、月すら雲に隠れた山道。わたしは何度もつまずきながら、ただ彷徨っていた。
足元は泥にまみれ、裸足は切り傷だらけで、感覚もなかった。
――そのときだった。
「おい、見ろよ。有名な聖女様がこんなところで一人きりだ」
不快な笑い声が響いた。
茂みの向こうから、三人の男たちが現れる。
剣を腰に差した野盗のような恰好。目つきはいやらしく、まるで腐肉に群がるハイエナのようだった。
「こりゃあ、お宝だな。帝国の紋章もつけてない……つまり、追放されたってコトだ」
「顔も上等だぜ! へへ、ちょっと遊んでから売り飛ばしてもいいんじゃねえか?」
背筋が凍りついた。声が出ない。脚が震える。
逃げなきゃ。逃げなきゃいけないのに――身体が、動かなかった。
男たちが迫ってくる。
息が止まりそうだった。
わたしは目を閉じ、歯を噛みしめた。
そのときだった――
風が、吹いた。
ごうっと、地を鳴らすような黒い風。
次の瞬間、空から何かが降ってきた。
いや、駆け抜けた。
蹄の音と共に、黒い馬が山道を駆け抜けていく。
その背には、黒の鎧に身を包んだ騎士――いや、王子のような気高き気配をまとう青年がいた。
その銀の髪は月光を弾き、目は赤く燃えていた。
「……薄汚い手で、そのお方に触れるな!」
男たちが何かを叫ぶ暇すらなかった。
青年が振るったのは、闇色に輝く剣。
刃先から蒼い風が放たれ、三人の男たちは吹き飛ばされた。
剣……? いいえ、それはただの剣ではなかった。
青白い光を帯び、魔力を纏う魔剣のように感じられた。
「くそっ、誰だてめえは!」
「この野郎……っ!」
二人が剣を抜きかけた瞬間、青年は黒馬を跳ね上げ、空を裂くように斬りつけた。
その一撃は地を穿ち、岩を砕き、男たちの意志を打ち砕いた。
「ひ、ひぃ! に、逃げろ……!」
三人は何も言えず、這いつくばって逃げ去った。
世界が、静かになった。
わたしは、そこに立ち尽くしていた。
目の前に立つ青年を、ただ見つめていた。
彼は静かに剣を収め、わたしの前に降り立った。
「怪我はないか?」
その声は低く、澄んでいて、何よりも優しかった。
「……だ、誰……?」
「俺はケラウノス。アズール王国、第三王子だ」
心臓が跳ねた。
第三王子……? あのアズール王国の? なぜそんな人が……?
「君が、帝国から追放されたと聞いた。……そして、その理由も」
わたしは震えながらも、彼の瞳を見た。
赤いその瞳には、怒りと悲しみ、そして、何か決意のようなものが宿っていた。
「ベイスン宰相が、アズールの第二王女と通じていることが分かった。――君を陥れる計画も、その一部だった。婚約破棄もね」
「……そんな……どうして……」
「君を救わねばならなかった。誰かが、正しくあらねばならなかった。だから、俺はここに来た」
「……救いに」
彼はわたしに手を差し出した。
その掌は、剣を握っていたとは思えないほど温かくて、強かった。
「行こう。君を必要としている人たちがいる」
その言葉に、わたしは――涙を零した。
もう、枯れたはずの涙が、彼の前では自然と流れていた。
「……ありがとう、ございます……」
わたしはその手を取った。
そして、彼の黒馬に乗せられ、闇を裂いて駆けていく。
――風のように駆ける馬の上で、
わたしは、もう一度生きることを、心に決めた。
父と母の骸が、処刑台の上で静かに横たわっている。
頭上では空が赤く焼けていた。けれど、それが夕焼けなのか、それとも炎に照らされた空なのか、もう分からなかった。
「聖女ネリネ。そなたとは婚約破棄する。そして国家反逆罪の共犯者として、すべての地位を剥奪され、国外追放とする」
ベイスン宰相の声は、まるで裁判官のように冷たく、容赦がなかった。
わたしは声を出すことさえできず、ただ唇を噛み、崩れ落ちた。
(なぜ……)
昨日までは確かに未来を語っていた。
この国に、愛があった。家族がいた。誓い合った婚約者がいた。
なのに、今は。
両親の死体の前で、地にひれ伏すただの"追放者"――わたしは、ゴミのように、城門の外へ放り出された。
泣く力さえ、もうなかった。
※ ※ ※
どれだけ歩いたのだろう。
日も落ちて、月すら雲に隠れた山道。わたしは何度もつまずきながら、ただ彷徨っていた。
足元は泥にまみれ、裸足は切り傷だらけで、感覚もなかった。
――そのときだった。
「おい、見ろよ。有名な聖女様がこんなところで一人きりだ」
不快な笑い声が響いた。
茂みの向こうから、三人の男たちが現れる。
剣を腰に差した野盗のような恰好。目つきはいやらしく、まるで腐肉に群がるハイエナのようだった。
「こりゃあ、お宝だな。帝国の紋章もつけてない……つまり、追放されたってコトだ」
「顔も上等だぜ! へへ、ちょっと遊んでから売り飛ばしてもいいんじゃねえか?」
背筋が凍りついた。声が出ない。脚が震える。
逃げなきゃ。逃げなきゃいけないのに――身体が、動かなかった。
男たちが迫ってくる。
息が止まりそうだった。
わたしは目を閉じ、歯を噛みしめた。
そのときだった――
風が、吹いた。
ごうっと、地を鳴らすような黒い風。
次の瞬間、空から何かが降ってきた。
いや、駆け抜けた。
蹄の音と共に、黒い馬が山道を駆け抜けていく。
その背には、黒の鎧に身を包んだ騎士――いや、王子のような気高き気配をまとう青年がいた。
その銀の髪は月光を弾き、目は赤く燃えていた。
「……薄汚い手で、そのお方に触れるな!」
男たちが何かを叫ぶ暇すらなかった。
青年が振るったのは、闇色に輝く剣。
刃先から蒼い風が放たれ、三人の男たちは吹き飛ばされた。
剣……? いいえ、それはただの剣ではなかった。
青白い光を帯び、魔力を纏う魔剣のように感じられた。
「くそっ、誰だてめえは!」
「この野郎……っ!」
二人が剣を抜きかけた瞬間、青年は黒馬を跳ね上げ、空を裂くように斬りつけた。
その一撃は地を穿ち、岩を砕き、男たちの意志を打ち砕いた。
「ひ、ひぃ! に、逃げろ……!」
三人は何も言えず、這いつくばって逃げ去った。
世界が、静かになった。
わたしは、そこに立ち尽くしていた。
目の前に立つ青年を、ただ見つめていた。
彼は静かに剣を収め、わたしの前に降り立った。
「怪我はないか?」
その声は低く、澄んでいて、何よりも優しかった。
「……だ、誰……?」
「俺はケラウノス。アズール王国、第三王子だ」
心臓が跳ねた。
第三王子……? あのアズール王国の? なぜそんな人が……?
「君が、帝国から追放されたと聞いた。……そして、その理由も」
わたしは震えながらも、彼の瞳を見た。
赤いその瞳には、怒りと悲しみ、そして、何か決意のようなものが宿っていた。
「ベイスン宰相が、アズールの第二王女と通じていることが分かった。――君を陥れる計画も、その一部だった。婚約破棄もね」
「……そんな……どうして……」
「君を救わねばならなかった。誰かが、正しくあらねばならなかった。だから、俺はここに来た」
「……救いに」
彼はわたしに手を差し出した。
その掌は、剣を握っていたとは思えないほど温かくて、強かった。
「行こう。君を必要としている人たちがいる」
その言葉に、わたしは――涙を零した。
もう、枯れたはずの涙が、彼の前では自然と流れていた。
「……ありがとう、ございます……」
わたしはその手を取った。
そして、彼の黒馬に乗せられ、闇を裂いて駆けていく。
――風のように駆ける馬の上で、
わたしは、もう一度生きることを、心に決めた。
24
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
【完結】見えるのは私だけ?〜真実の愛が見えたなら〜
白崎りか
恋愛
「これは政略結婚だ。おまえを愛することはない」
初めて会った婚約者は、膝の上に女をのせていた。
男爵家の者達はみな、彼女が見えていないふりをする。
どうやら、男爵の愛人が幽霊のふりをして、私に嫌がらせをしているようだ。
「なんだ? まさかまた、幽霊がいるなんて言うんじゃないだろうな?」
私は「うそつき令嬢」と呼ばれている。
幼い頃に「幽霊が見える」と王妃に言ってしまったからだ。
婚約者も、愛人も、召使たちも。みんな私のことが気に入らないのね。
いいわ。最後までこの茶番劇に付き合ってあげる。
だって、私には見えるのだから。
※小説家になろう様にも投稿しています。
婚約者を奪われるのは運命ですか?
ぽんぽこ狸
恋愛
転生者であるエリアナは、婚約者のカイルと聖女ベルティーナが仲睦まじげに横並びで座っている様子に表情を硬くしていた。
そしてカイルは、エリアナが今までカイルに指一本触れさせなかったことを引き合いに婚約破棄を申し出てきた。
終始イチャイチャしている彼らを腹立たしく思いながらも、了承できないと伝えると「ヤれない女には意味がない」ときっぱり言われ、エリアナは産まれて十五年寄り添ってきた婚約者を失うことになった。
自身の屋敷に帰ると、転生者であるエリアナをよく思っていない兄に絡まれ、感情のままに荷物を纏めて従者たちと屋敷を出た。
頭の中には「こうなる運命だったのよ」というベルティーナの言葉が反芻される。
そう言われてしまうと、エリアナには”やはり”そうなのかと思ってしまう理由があったのだった。
こちらの作品は第18回恋愛小説大賞にエントリーさせていただいております。よろしければ投票ボタンをぽちっと押していただけますと、大変うれしいです。
婚約破棄を求められました。私は嬉しいですが、貴方はそれでいいのですね?
ゆるり
恋愛
アリシエラは聖女であり、婚約者と結婚して王太子妃になる筈だった。しかし、ある少女の登場により、未来が狂いだす。婚約破棄を求める彼にアリシエラは答えた。「はい、喜んで」と。
婚約破棄してくださって結構です
二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。
※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています
聖女の力は使いたくありません!
三谷朱花
恋愛
目の前に並ぶ、婚約者と、気弱そうに隣に立つ義理の姉の姿に、私はめまいを覚えた。
ここは、私がヒロインの舞台じゃなかったの?
昨日までは、これまでの人生を逆転させて、ヒロインになりあがった自分を自分で褒めていたのに!
どうしてこうなったのか、誰か教えて!
※アルファポリスのみの公開です。
【完結】薔薇の花をあなたに贈ります
彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。
目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。
ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。
たが、それに違和感を抱くようになる。
ロベルト殿下視点がおもになります。
前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!!
11話完結です。
この度改編した(ストーリーは変わらず)をなろうさんに投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる