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第2話 無職とCEOと契約結婚
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地下鉄の出口から徒歩五分。大都会東京の超一等地に聳え立つ三十七階建ての超高層タワーマンションに、本日の目的地、直人の家が入っている。
「高瀬由衣様がお越しです」
エントランスのカウンターでコンシェルジュが直人に来訪者の確認をする。
ここに来たのは初めてではないが、やはりコンシェルジュカウンターは緊張する。田舎出身のド庶民には敷居の高すぎるマンションである。
渡されたカードキーで部屋まで向かう。インターフォンを鳴らすと直人が出てきた。
「今日は一人で来られたか。偉い偉い」
「あんたの口は嫌味しか言えないの?」
開口一番これである。初めて来た時に勝手が分からずエントランスの端っこから電話を掛けたことを、いつまで経っても弄ってくるのだ。
直人は帰宅したばかりなのか、まだスーツ姿のままだ。上品な光沢感のある紺のスーツは、さほど詳しくない由衣でも一目で良い品だとわかる。
由衣の住むワンルームがすっぽり入りそうな広いリビングには、美しい夜景を邪魔しない程度に、ほんのりと間接照明が灯っていた。
気怠げにネクタイを緩める手と、少し疲れの滲む精悍な横顔。
それをこんな部屋で二人きりで見せつけられたら、並の女ならうっかりときめいてしまうだろう。
促されるままソファに腰掛けると、沈みすぎずしかし反発しすぎない丁度いい硬さで臀部が包まれる。座り心地の良さに感動していると、横からワイングラスを差し出された。
「じゃあ由衣の失職を祝って――」
「はいはい、かんぱーい」
「せっかちだな。急いで飲まなくても、明日も明後日もずーっと暇だろ?」
「うるさいなぁ! 早く仕事見つけて家賃払わないといけないの! これでも結構忙しいの!」
「家賃?? お前、まさか滞納してるんじゃ……」
「ま……まだ、してないよ」
直人の疑いに満ちた視線が痛い。真っ直ぐに目を見て答えられない。距離を取ろうと足を動かすと、何か硬いものに当たる。
「あ、そうだ! これ持ってきたんだった! 切り干し大根!!」
「ワインに切り干し大根?」
「いいじゃん。直人も好きでしょ? おばあちゃんの切り干し大根」
「まだあのレシピ残ってるのか」
「残ってるって言うか、何度も作ってるからもう覚えちゃった」
ローテーブルの上に用意されていた小皿と箸を手渡すと、直人は無言で切り干し大根を頬張る。何も言わないということは美味しいということなのだろう。由衣はグラスを手に取ると、良質なワインに舌鼓を打った。
「で、本当に滞納とかしてないんだろうな?」
切り干し大根で無事誤魔化すことが出来たと思ったのも束の間。直人から再度質問が繰り出される。
「………………」
「………………」
「………………………………実は、明日引落日で……」
こうなったらもう誤魔化しきれない。由衣が観念して現状をぽつりぽつりと打ち明けると、だんだん直人の顔が歪んでいく。
屈辱だ。なぜ家賃なんて単語をうっかり漏らしてしまったのだろう。
「祝ってる場合じゃないな」
「私は祝うなって言いました」
「助けてやろうか?」
「いい! いらない! ほら、一応まだ二十代だし? キャバとかなら時給良くて日払いの店もあるって聞いた事あるし……」
「馬鹿!!!何考えてんだ!キャバは十年遅い……じゃなくて!」
直人は前髪をかき上げると、ぐっとワインを飲み込む。視線はまっすぐにグラスの中の波紋に向いている。こういう時はなにかを真剣に考えている時だ。
少しの沈黙の後、ふと直人がこちらに視線を向ける。
「……なぁ、俺と結婚しないか?」
「冗談でしょ。もう酔ったの?」
「酔ってない。いいか、これは互いにメリットのある提案だ」
「メリット?」
「半年間でいい。縁談よけのために妻を演じて欲しい。その間の生活費は全て俺が賄う。お前は身ひとつでここに来ればいい」
「ただより高いものは無いっておばあちゃんが言ってた」
「なら荷物をまとめて田舎に帰るんだな。夜行バス代くらいは餞別にくれてやる。二十七歳の新人キャバ嬢なんて、目も当てられないことしようと思うなよ」
痛いところを突いてくる。何があったって実家に泣きつきたくないことを直人は知っているのだ。
「俺は縁談避け用のお飾りの妻が欲しい。お前は住むところが欲しい。ウィン・ウィンの契約結婚だ。悪くないだろう?」
確かにそうかもしれない。だが、友達との愛情のない利害関係で結んだ結婚なんて抵抗感しかない。
「それでも……直人と夫婦なんて……!」
「安心しろ。寝室は別だ」
「当たり前でしょ!!あんたとそんなの絶対嫌だからね!!」
「懸念事項はそれだけか?」
直人の視線が由衣の弱々しい瞳を捉える。
言い返したいことはたくさんあるはずなのに、喉の奥に詰まって出てこない。
「たった半年だ。つまらない意地を張るな。俺の妻になれ」
悔しい。悔しくて仕方ない。しかし――
「………………よろしく、お願いします」
この時の直人の笑顔を、私は生涯忘れることはないだろう。
「高瀬由衣様がお越しです」
エントランスのカウンターでコンシェルジュが直人に来訪者の確認をする。
ここに来たのは初めてではないが、やはりコンシェルジュカウンターは緊張する。田舎出身のド庶民には敷居の高すぎるマンションである。
渡されたカードキーで部屋まで向かう。インターフォンを鳴らすと直人が出てきた。
「今日は一人で来られたか。偉い偉い」
「あんたの口は嫌味しか言えないの?」
開口一番これである。初めて来た時に勝手が分からずエントランスの端っこから電話を掛けたことを、いつまで経っても弄ってくるのだ。
直人は帰宅したばかりなのか、まだスーツ姿のままだ。上品な光沢感のある紺のスーツは、さほど詳しくない由衣でも一目で良い品だとわかる。
由衣の住むワンルームがすっぽり入りそうな広いリビングには、美しい夜景を邪魔しない程度に、ほんのりと間接照明が灯っていた。
気怠げにネクタイを緩める手と、少し疲れの滲む精悍な横顔。
それをこんな部屋で二人きりで見せつけられたら、並の女ならうっかりときめいてしまうだろう。
促されるままソファに腰掛けると、沈みすぎずしかし反発しすぎない丁度いい硬さで臀部が包まれる。座り心地の良さに感動していると、横からワイングラスを差し出された。
「じゃあ由衣の失職を祝って――」
「はいはい、かんぱーい」
「せっかちだな。急いで飲まなくても、明日も明後日もずーっと暇だろ?」
「うるさいなぁ! 早く仕事見つけて家賃払わないといけないの! これでも結構忙しいの!」
「家賃?? お前、まさか滞納してるんじゃ……」
「ま……まだ、してないよ」
直人の疑いに満ちた視線が痛い。真っ直ぐに目を見て答えられない。距離を取ろうと足を動かすと、何か硬いものに当たる。
「あ、そうだ! これ持ってきたんだった! 切り干し大根!!」
「ワインに切り干し大根?」
「いいじゃん。直人も好きでしょ? おばあちゃんの切り干し大根」
「まだあのレシピ残ってるのか」
「残ってるって言うか、何度も作ってるからもう覚えちゃった」
ローテーブルの上に用意されていた小皿と箸を手渡すと、直人は無言で切り干し大根を頬張る。何も言わないということは美味しいということなのだろう。由衣はグラスを手に取ると、良質なワインに舌鼓を打った。
「で、本当に滞納とかしてないんだろうな?」
切り干し大根で無事誤魔化すことが出来たと思ったのも束の間。直人から再度質問が繰り出される。
「………………」
「………………」
「………………………………実は、明日引落日で……」
こうなったらもう誤魔化しきれない。由衣が観念して現状をぽつりぽつりと打ち明けると、だんだん直人の顔が歪んでいく。
屈辱だ。なぜ家賃なんて単語をうっかり漏らしてしまったのだろう。
「祝ってる場合じゃないな」
「私は祝うなって言いました」
「助けてやろうか?」
「いい! いらない! ほら、一応まだ二十代だし? キャバとかなら時給良くて日払いの店もあるって聞いた事あるし……」
「馬鹿!!!何考えてんだ!キャバは十年遅い……じゃなくて!」
直人は前髪をかき上げると、ぐっとワインを飲み込む。視線はまっすぐにグラスの中の波紋に向いている。こういう時はなにかを真剣に考えている時だ。
少しの沈黙の後、ふと直人がこちらに視線を向ける。
「……なぁ、俺と結婚しないか?」
「冗談でしょ。もう酔ったの?」
「酔ってない。いいか、これは互いにメリットのある提案だ」
「メリット?」
「半年間でいい。縁談よけのために妻を演じて欲しい。その間の生活費は全て俺が賄う。お前は身ひとつでここに来ればいい」
「ただより高いものは無いっておばあちゃんが言ってた」
「なら荷物をまとめて田舎に帰るんだな。夜行バス代くらいは餞別にくれてやる。二十七歳の新人キャバ嬢なんて、目も当てられないことしようと思うなよ」
痛いところを突いてくる。何があったって実家に泣きつきたくないことを直人は知っているのだ。
「俺は縁談避け用のお飾りの妻が欲しい。お前は住むところが欲しい。ウィン・ウィンの契約結婚だ。悪くないだろう?」
確かにそうかもしれない。だが、友達との愛情のない利害関係で結んだ結婚なんて抵抗感しかない。
「それでも……直人と夫婦なんて……!」
「安心しろ。寝室は別だ」
「当たり前でしょ!!あんたとそんなの絶対嫌だからね!!」
「懸念事項はそれだけか?」
直人の視線が由衣の弱々しい瞳を捉える。
言い返したいことはたくさんあるはずなのに、喉の奥に詰まって出てこない。
「たった半年だ。つまらない意地を張るな。俺の妻になれ」
悔しい。悔しくて仕方ない。しかし――
「………………よろしく、お願いします」
この時の直人の笑顔を、私は生涯忘れることはないだろう。
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