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52.黄金の夜明けに微笑む
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フロレルは、薄暗い中で目を覚ました。ベッドの天蓋を見ていると、意識がどんどん覚醒していく。
「あれ……、わたくしは……」
フロレルは、ここ数か月ほど不快だった身体の調子が、嘘のようにすっきりとしていることに気づいた。フロレルの不調が始まったのは、オメガの発情期を調整する薬を飲むようになってからのことだ。
「そうだ、わたくしは……」
フロレルは、自分の発情期をアントワーヌに抱かれて過ごしたことを思い出した。
自ら強請って番になった頃の記憶は比較的はっきりしているものの、その後は曖昧だ。断片的に覚えているのは、フロレルがアントワーヌと激しく交わり、悦んでいたということである。
記憶の中の自分があまりにも恥ずかしすぎて、フロレルは丸くなって掛布にくるまった。
そっと首の後ろに触れてみると、ガーゼで覆われているのがわかる。
「わたくしは、アンヌと番になったのだな」
アントワーヌに項を噛まれた瞬間、フロレルは自分が別の何かに生まれ変わったような気がした。オメガはアルファと番になることによって体質が変わることもあると言われているが、アルファには大きな変化はないと言われている。オメガは番になったアルファのフェロモンしか感じられなくなるが、アルファは多少鈍くなっても番以外のオメガのフェロモンを感じることはできるのだ。番以外のオメガのフェロモンを不快に感じるようになるアルファは多いという研究もあるが。
アントワーヌには何か変化があったのか、それとも何もなかったのか、フロレルには知る由もない。
それと同時に再び自分がアントワーヌを何度も求めていたという記憶が蘇り、フロレルは羞恥に身もだえた。
「この後、アンヌと顔を合わせて平常心でいられる自信がない」
フロレルは赤い顔をしながらそう呟くと、掛布から顔を出した。周囲が薄暗いのは天蓋からの幕がベッドを囲んでいるためだろうか。とにかくフロレルには今が昼か夜かもわからないのだ。幕の外からぼんやりと漏れているのが陽の光なのかランプの灯なのか。
起き上がったフロレルは、天蓋から延びる幕をめくり寝室の様子を見るが、人の気配はない。カーテンがかかった窓の向こうは暗いようだ。足元だけを照らす小さなランプが、頼りなげに灯っていた。
「アンヌ……」
ベッドから下りて室内履きに足を入れて立ち上がったフロレルは、番になったはずのアルファの名前を呼ぶが、何も答えが返ってこない。
「アンヌ……、アントワーヌ?」
フロレルはベッドサイドのガウンを取り上げて羽織ると、寝室の扉を開けた。そこにあるのは、フロレルが研究をしたり寛いだりしている私室部分だ。その部屋の中は静かで薄暗く、何の気配もない。フロレルは、この部屋にたった一人でいる。
そう、誰もいない。
アルファが番になったオメガを置いて行ってしまうものだろうか。
フロレルは、これまでに学んだアルファとオメガに関する性質を思い出してみる。
アルファは、番になったオメガと極力離れないようにするものだ。
それなのにアントワーヌはここにいない。
あれほど愛を囁いていたアントワーヌが、番になったばかりのフロレルを置いていくはずがない。
「もしかしたら、夢だったのだろうか」
アントワーヌと抱き合ったことも番になったことも夢だったのかもしれない。
中途半端に覚醒した頭で考えていたから、確かな記憶だと思い込んでしまったという可能性もある。
不安になったフロレルが、もう一度項に触れてみればやはりガーゼで覆われている。
フロレルは、ランプを灯してからガーゼを引きちぎるようにして剝がした。そしてランプを持ったまま寝室へ取って返し、鏡の前に立った。
鏡の中にいるフロレルは、いつもよりやつれているように見えるが、今はそんなことは問題ではない。フロレルは襟足の髪を持ち上げ、手鏡をかざして項がどうなっているのかを確かめた。
フロレルの白い頸には、赤い噛み痕がくっきりと残っている。
「やはり番になっている……。それなのにどうして、アンヌ……」
フロレルは少しばかり混乱している。番を得たばかりのオメガの不安定さであったのだろうとは、後で思ったことだ。
「アンヌ……」
フロレルの頬を涙が流れる。
どうして、どうしてアントワーヌはここにいないのか。
番になったら、フロレルがいらなくなったのだろうか。
フロレルはその場に立ち尽くしてはらはらと涙を零した。
「フロル……?」
どれぐらいの間、鏡の前に佇んでいたのか、フロレルは覚えていない。しかし、寝室の扉が突然開いて、フロレルの名前を呼ぶ声が聞こえた。
フロレルが扉の方を見やると、そこには銀色の髪の美丈夫が立っていた。
「アントワーヌ……」
自分の方を振り返ったフロレルの顔を見たアントワーヌは思わず駆け寄り、その華奢な身体を抱きしめた。
「フロル、一人にしてしまってすまない」
「アンヌ……」
フロレルの涙に濡れた顔を拭いながら、アントワーヌが謝罪の言葉を口にする。
アントワーヌはフロレルの発情期の間に溜まっていた仕事を、片付けていたのだ。もちろん、アントワーヌとて、番になったばかりのフロレルの側を一時たりとも離れたくはなかった。
もともと、フロレルが発情期になれば番になってしまえば良いというのはシャルロットの発案である。それに賛同したジョゼフによって、いつでもフロレルと発情期を過ごせるようにアントワーヌは仕事を詰めに詰めていた。
それなのに、思ったよりフロレルの発情期が長く続いたため、一時仕事の時間を作らねばならなくなってしまったのだ。
もちろんその分、アントワーヌはフロレルとの蜜月を長く楽しむことができたのではあるが。
ほんの少しだけと思って執務室へ書類を取りに行っていた間に、フロレルが目を覚ますとはアントワーヌにとっても予想外のことであった。フロレルは朝までは眠っているだろうと考えて、アントワーヌは真夜中のうちに執務室へ行ったのだが、思うようにことは進まないものである。
アントワーヌは、フロレルが鏡の前で泣き濡れているのを見て、心臓が止まりそうだった。
番になったばかりのオメガは不安定なものだと知ってはいた。しかし、あの気丈なフロレルが鏡の前で泣くなどとは、アントワーヌには考えもつかなかったのだ。
「すごく不安定になっているようだ。お母様から聞いていたのに」
ソファに腰かけ、アントワーヌが淹れてくれたハーブティーを口にして落ち着いたフロレルは、恥ずかしそうにそう言った。
これまでにないような愛しいオメガの可愛らしさに、アントワーヌは心臓を掴まれたような気持ちになる。
「フロル、不安にさせてしまってすまなかった。さあ、頸の傷の手当てをしよう」
「ああ、そうだね。アンヌ、お願いするよ」
「さあ、項を見せて」
アントワーヌはその傷口に触れないようにフロレルの項にキスをした。
「ひ……あっ」
「ふふ、ごめんね。なんだかうれしくて」
「アンヌったら……」
思わす声を上げたフロレルを愛し気に見つめてから詫びたアントワーヌは、その傷口に手当てを施した。
このように可愛らしいフロレルを見ることができるのは自分だけだと満足しながら。
お互いの体温を確かめるように身を寄せ合うと、フロレルにも、アントワーヌにも相手に対する愛しい思いがこみ上げてくる。
そうしてどれぐらいの時間が経ったのか。
窓の外が薄っすらと明るくなり、夜明けの気配が部屋の中に入り込んで来た。
フロレルとアントワーヌは手を取り合い、窓際に寄り、二人でカーテンを開ける。
明るくなりかけている夜明け前の濃い青色の空が、窓の向こうに広がっている。
「夜明け前の空はアントワーヌの瞳の色だね」
愛しいフロレルのその言葉を聞いて、アントワーヌはそのこめかみにキスを落とす。
やがて陽が昇りだすと、空は金色に染まり始める。
フロレルの瞳のような黄金の夜明けが訪れる。
それは、二人の輝く未来を暗示するかのような美しい夜明けだ。
「フロレル、愛しているよ」
「わたくしもアントワーヌを愛している」
アントワーヌの腕の中で美しく微笑むフロレルが見つめる空には、自分の瞳と同じ色の黄金の夜明けが広がっていた。
☆Fin
★★★★★
読んでくださってありがとうございました。
この後は、フロレルとアントワーヌの結婚式や蜜月を番外編でゆるりとお送りします。
「あれ……、わたくしは……」
フロレルは、ここ数か月ほど不快だった身体の調子が、嘘のようにすっきりとしていることに気づいた。フロレルの不調が始まったのは、オメガの発情期を調整する薬を飲むようになってからのことだ。
「そうだ、わたくしは……」
フロレルは、自分の発情期をアントワーヌに抱かれて過ごしたことを思い出した。
自ら強請って番になった頃の記憶は比較的はっきりしているものの、その後は曖昧だ。断片的に覚えているのは、フロレルがアントワーヌと激しく交わり、悦んでいたということである。
記憶の中の自分があまりにも恥ずかしすぎて、フロレルは丸くなって掛布にくるまった。
そっと首の後ろに触れてみると、ガーゼで覆われているのがわかる。
「わたくしは、アンヌと番になったのだな」
アントワーヌに項を噛まれた瞬間、フロレルは自分が別の何かに生まれ変わったような気がした。オメガはアルファと番になることによって体質が変わることもあると言われているが、アルファには大きな変化はないと言われている。オメガは番になったアルファのフェロモンしか感じられなくなるが、アルファは多少鈍くなっても番以外のオメガのフェロモンを感じることはできるのだ。番以外のオメガのフェロモンを不快に感じるようになるアルファは多いという研究もあるが。
アントワーヌには何か変化があったのか、それとも何もなかったのか、フロレルには知る由もない。
それと同時に再び自分がアントワーヌを何度も求めていたという記憶が蘇り、フロレルは羞恥に身もだえた。
「この後、アンヌと顔を合わせて平常心でいられる自信がない」
フロレルは赤い顔をしながらそう呟くと、掛布から顔を出した。周囲が薄暗いのは天蓋からの幕がベッドを囲んでいるためだろうか。とにかくフロレルには今が昼か夜かもわからないのだ。幕の外からぼんやりと漏れているのが陽の光なのかランプの灯なのか。
起き上がったフロレルは、天蓋から延びる幕をめくり寝室の様子を見るが、人の気配はない。カーテンがかかった窓の向こうは暗いようだ。足元だけを照らす小さなランプが、頼りなげに灯っていた。
「アンヌ……」
ベッドから下りて室内履きに足を入れて立ち上がったフロレルは、番になったはずのアルファの名前を呼ぶが、何も答えが返ってこない。
「アンヌ……、アントワーヌ?」
フロレルはベッドサイドのガウンを取り上げて羽織ると、寝室の扉を開けた。そこにあるのは、フロレルが研究をしたり寛いだりしている私室部分だ。その部屋の中は静かで薄暗く、何の気配もない。フロレルは、この部屋にたった一人でいる。
そう、誰もいない。
アルファが番になったオメガを置いて行ってしまうものだろうか。
フロレルは、これまでに学んだアルファとオメガに関する性質を思い出してみる。
アルファは、番になったオメガと極力離れないようにするものだ。
それなのにアントワーヌはここにいない。
あれほど愛を囁いていたアントワーヌが、番になったばかりのフロレルを置いていくはずがない。
「もしかしたら、夢だったのだろうか」
アントワーヌと抱き合ったことも番になったことも夢だったのかもしれない。
中途半端に覚醒した頭で考えていたから、確かな記憶だと思い込んでしまったという可能性もある。
不安になったフロレルが、もう一度項に触れてみればやはりガーゼで覆われている。
フロレルは、ランプを灯してからガーゼを引きちぎるようにして剝がした。そしてランプを持ったまま寝室へ取って返し、鏡の前に立った。
鏡の中にいるフロレルは、いつもよりやつれているように見えるが、今はそんなことは問題ではない。フロレルは襟足の髪を持ち上げ、手鏡をかざして項がどうなっているのかを確かめた。
フロレルの白い頸には、赤い噛み痕がくっきりと残っている。
「やはり番になっている……。それなのにどうして、アンヌ……」
フロレルは少しばかり混乱している。番を得たばかりのオメガの不安定さであったのだろうとは、後で思ったことだ。
「アンヌ……」
フロレルの頬を涙が流れる。
どうして、どうしてアントワーヌはここにいないのか。
番になったら、フロレルがいらなくなったのだろうか。
フロレルはその場に立ち尽くしてはらはらと涙を零した。
「フロル……?」
どれぐらいの間、鏡の前に佇んでいたのか、フロレルは覚えていない。しかし、寝室の扉が突然開いて、フロレルの名前を呼ぶ声が聞こえた。
フロレルが扉の方を見やると、そこには銀色の髪の美丈夫が立っていた。
「アントワーヌ……」
自分の方を振り返ったフロレルの顔を見たアントワーヌは思わず駆け寄り、その華奢な身体を抱きしめた。
「フロル、一人にしてしまってすまない」
「アンヌ……」
フロレルの涙に濡れた顔を拭いながら、アントワーヌが謝罪の言葉を口にする。
アントワーヌはフロレルの発情期の間に溜まっていた仕事を、片付けていたのだ。もちろん、アントワーヌとて、番になったばかりのフロレルの側を一時たりとも離れたくはなかった。
もともと、フロレルが発情期になれば番になってしまえば良いというのはシャルロットの発案である。それに賛同したジョゼフによって、いつでもフロレルと発情期を過ごせるようにアントワーヌは仕事を詰めに詰めていた。
それなのに、思ったよりフロレルの発情期が長く続いたため、一時仕事の時間を作らねばならなくなってしまったのだ。
もちろんその分、アントワーヌはフロレルとの蜜月を長く楽しむことができたのではあるが。
ほんの少しだけと思って執務室へ書類を取りに行っていた間に、フロレルが目を覚ますとはアントワーヌにとっても予想外のことであった。フロレルは朝までは眠っているだろうと考えて、アントワーヌは真夜中のうちに執務室へ行ったのだが、思うようにことは進まないものである。
アントワーヌは、フロレルが鏡の前で泣き濡れているのを見て、心臓が止まりそうだった。
番になったばかりのオメガは不安定なものだと知ってはいた。しかし、あの気丈なフロレルが鏡の前で泣くなどとは、アントワーヌには考えもつかなかったのだ。
「すごく不安定になっているようだ。お母様から聞いていたのに」
ソファに腰かけ、アントワーヌが淹れてくれたハーブティーを口にして落ち着いたフロレルは、恥ずかしそうにそう言った。
これまでにないような愛しいオメガの可愛らしさに、アントワーヌは心臓を掴まれたような気持ちになる。
「フロル、不安にさせてしまってすまなかった。さあ、頸の傷の手当てをしよう」
「ああ、そうだね。アンヌ、お願いするよ」
「さあ、項を見せて」
アントワーヌはその傷口に触れないようにフロレルの項にキスをした。
「ひ……あっ」
「ふふ、ごめんね。なんだかうれしくて」
「アンヌったら……」
思わす声を上げたフロレルを愛し気に見つめてから詫びたアントワーヌは、その傷口に手当てを施した。
このように可愛らしいフロレルを見ることができるのは自分だけだと満足しながら。
お互いの体温を確かめるように身を寄せ合うと、フロレルにも、アントワーヌにも相手に対する愛しい思いがこみ上げてくる。
そうしてどれぐらいの時間が経ったのか。
窓の外が薄っすらと明るくなり、夜明けの気配が部屋の中に入り込んで来た。
フロレルとアントワーヌは手を取り合い、窓際に寄り、二人でカーテンを開ける。
明るくなりかけている夜明け前の濃い青色の空が、窓の向こうに広がっている。
「夜明け前の空はアントワーヌの瞳の色だね」
愛しいフロレルのその言葉を聞いて、アントワーヌはそのこめかみにキスを落とす。
やがて陽が昇りだすと、空は金色に染まり始める。
フロレルの瞳のような黄金の夜明けが訪れる。
それは、二人の輝く未来を暗示するかのような美しい夜明けだ。
「フロレル、愛しているよ」
「わたくしもアントワーヌを愛している」
アントワーヌの腕の中で美しく微笑むフロレルが見つめる空には、自分の瞳と同じ色の黄金の夜明けが広がっていた。
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