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28.希望と不安
しおりを挟む「ちょっと集中しすぎてしまったようだ……」
フロレルは、目を通していた文献を机の上に置いてクリスタルのペーパーウエイトを載せた。それからベルを鳴らして侍従を呼び、お茶の準備をするよう命じた。
卒業パーティーが終わり、婚約解消が整ったことで、フロレルには当面の予定はなくなった。その時間を生かしてフロレルは、オランジュ教授から預かった遺跡に刻まれた天文学に関する古代語の文章を読み込んでいた。
シャルルは現在、謹慎中だ。ジョゼフによると、国王は、ほとぼりが冷めた頃に王太子にはアルチュールを指名し、シャルルは臣籍降下をさせる予定だという。
甘い甘い処理だ。
もともとシャルルは王になるためには、フロレルが伴侶になることでその足りない能力を補うことと後ろ盾を得ることとの両方が必要だった。それがいつの間にか、シャルルも王妃もショコラ公爵家の後ろ盾さえあれば王太子になれると思うようになってしまった。
シャルルの王子として行う公務がうまくいっていたのは、フロレルの補佐があったからだ。それを全てシャルルの能力によるものだと、王妃もシャルルも錯覚してしまったのかもしれない。
王家で教育を受けた以上、フロレルはそれに見合う義務を果たさなければならないのだが、十三歳のときからおおらかなだけの王子が公務をできるようにしてやったのだから、このまま解放されても許されるのではないかとフロレルは思っている。
シャルルの側近は全て解任される。そうは言っても、もともとアントワーヌはショコラ公爵家の継嗣としての仕事をする予定であったし、ジャックは警察騎士団へ配属され、カミュはミエルの支店へ行くことが決まっていたのだから、側近にならずとも誰も困らないのだ。
罰を与えられたとは誰も考えていないだろう。
実のところフロレルがシャルルの婚約者でなくなってしまったために、アントワーヌだけはショコラ公爵家を継ぐことは未だ決定していない。しかし、ジョゼフが自分を跡継ぎに戻したいと言うことはないだろうと、フロレルは考えていた。
フロレルは今や、婚約がなくなった傷物オメガなので、嫁ぎ先を探すのは難しい立場だ。
シャルルとの婚約がなくなれば、領地のどこかに天文台を建ててもらえればなどという夢を見ていたが、そのような無謀な望みは今のフロレルからは消えている。天文学は趣味に留めるつもりだ。
当面、フロレルはオランジュ教授からの勧めもあり、古代語の研究をしていくことになるだろう。それについては、ジョゼフからの許可を得ている。
だから、跡継ぎはアントワーヌのはずだ。
フロレルはそう判断した。
もちろん、フロレルの希望的観測もあるのだが。
「さて、早く古代語の天文に関する記述を読み解いて、あの時代と現在の星図の差をみなければ」
フロレルはそう呟いて、お茶を口にする。自分好みの南方の茶葉の芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、フロレルは口元を緩めた。
ゆるりとお茶を楽しんでいると、窓の向こうから誰か馬車を出している気配がする。
フロレルが立ち上がり、窓から前庭を眺めると、陽の光に銀色の髪がきらきらと輝いているのが見えた。
「アントワーヌ……?」
卒業式後、アントワーヌは毎日出かけている。様子がいつもと違うように見えるのは、身につけているのが地味な色合いの上下だということだ。
地味な色合いの衣服で出かけた日のアントワーヌからは、オメガフェロモンの香りがすることが多かった。
おそらくアントワーヌは、彼のオメガに会いに行くのだとフロレルは予想する。
アントワーヌが何かに気づいたように振り向いたので、フロレルは急いで窓から離れた。
「アンヌ……」
かつての呼び名が思わず自分の口から出てしまう。そのことにフロレル自身が驚いて、両手で口を押えた。
アントワーヌが会いに行っているのはルネだろう。アントワーヌが学園卒業後も変わらず会いに行くのであれば、今後もルネと睦まじくするつもりなのだ。
ルネは子爵令息ではあるが、希少なオメガであるし学園の成績も良かった。アントワーヌがルネを伴侶として迎えたいと望むのであれば、ジョゼフを説得することは可能だろう。ジョゼフはアルファのオメガに対する執着心には肯定的だ。アントワーヌはあの優秀な頭脳を使って、ジョゼフを説き伏せるに違いないとフロレルは思った。
そうなれば、オメガのフロレルがこの屋敷にいては、二人の邪魔になるだろう。
卒業パーティーであのようなことがあったので、ほとぼりが冷めるまではルネとの仲を公にはしないとは思うものの、フロレルはこれからの住まいを考えなければならないことになる。
「お父様に相談したら、わたくしの住まいも手配してくださるだろう」
フロレルはそう独り言ちた。
いずれにしても、ジョゼフはフロレルが勝手に自分の住まいを決めることを許すことはないはずだ。
一人で暮らすとしても、それほど長い人生ではない。
番を持たないオメガは短命だ。現在は薬で発情期の症状を軽減することができるが、完全に抑えることのできる薬を使うとやはり体には負担がかかる。十八歳となり、身体が成熟したフロレルもこのまま独り身でいるのであれば、完全に発情期の症状を抑える薬を飲まなければならない。
自分が生涯暮らす程度の小さな家。それは素敵なものかもしれない。
フロレルはそう思っているのに、自分の足元が揺らぐような気持ちになる。
湧き上がる不安を振り払うように、フロレルは首を左右に振って気を取り直す。
「これまで予想もしていなかった未来がやってきて、少々気弱になっているのかもしれないな」
フロレルは自嘲するような笑みを浮かべてから、優雅な動作で再びベルを鳴らし、新しいお茶を淹れるよう侍従に命じた。
◇◇◇◇◇
何かの気配を感じたアントワーヌがフロレルの部屋の窓を見上げると、ガラスの向こうで薄い金色の髪が揺れていた。
アントワーヌは、しばらくその窓を見つめてから踵を返し、馬車に乗る。
望みが叶うまで、あと少しだ。
アントワーヌはそう思いながら、馬車の椅子に身を沈めた。
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