シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜

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第十章 消えたシンデレラ

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 まあ、社長の結婚相手の情報を、得体の知れない人間に話すような愚か者はいないだろう。だが、捺美の情報を聞き回っている女性の存在は、社内ではちょっとした噂になっていて、俺の昔の彼女が復讐のために捺美を探しているという事実無根の風評被害を受けたわけだが。

 結婚式に家族を呼ばないというのは、高城とウェディングプランナーは難色を示していたそうだが、それも最初だけで、社内に乗り込んでくる危ない親子が捺美の家族だと高城が知ると、結婚式に呼ぶかどうかの議論は一切なくなった。

 捺美には、携帯電話を解約させ、新しい携帯を持たせるなどの対策のほか、朝は俺と出勤、帰りは時間が合えば一緒に帰るし、合わなければ必ずタクシーで帰るようにさせた。

 会社を辞めたと伝えているにも関わらず、彼女たちは毎日のように受付に現われたそうだが、それも一週間程度で終わったらしい。

 さすがにもう諦めたと思っていた。まさか、昼の時間帯を狙って毎日捺美が出てくるのを待っていたとは想定外だ。

 捺美が俺と結婚することを決めた理由は、実家から出るためだ。

 奨学金も返済し、捺美は義務を果たした。捺美は自由になっていいはずだ。

 それなのに、あいつらは……。

 捺美が急にいなくなってから、最初に探したのは実家だ。探偵を雇って張り込みもさせているが、捺美が家から出てきたという情報はない。

 監禁でもされているのだろうか。いや、離婚届けに記入されていた字は、間違いなく捺美の筆跡だ。捺美は、捺美自身の意志で、実家に戻った。

 つまり、実家に突入して無理やり捺美を引きだしたら、罪に問われるのはこちらの方だということだ。

 それに、捺美の意志で実家にいるなら、実家に戻ってしまう可能性も高い。あんなに実家から出たがっていたのに、どうして。

 なにがあった? なにを言ったんだ、あの女は。


 次の日、捺美のことを頭から追いやって仕事に集中しようとするも、なかなかはかどらない。

 捺美がいた頃は、仕事も絶好調でなんでもできる気がしていたのに。

 頭に靄がかかったように重く、身体も気怠さが抜けない。幸せから一転して地獄に突き落とされるとはこのことだ。

 思うように仕事が進まず、デスクチェアにもたれかかって天井をぼんやりと見つめていると、高城が誰かを連れて社長室へと入ってきた。

「社長、精神科医の柳田やなぎだ先生です。先生は本もたくさん出版していて、メディア出演もある第一線で活躍する著名な方です」

 高城から紹介された精神科医の先生は、穏やかな笑みを浮かべて一礼した。

 病院から直接来たのか、白衣を着ていていかにも先生という風貌だった。歳は四十~五十代だろうか、痩せてはいるが適度な筋肉質体型で健康的に見える。

 大人しく優しそうな雰囲気だが、眼鏡の奥の目は一瞬で人を見抜くような鋭さと賢さを備えていた。

「ああ、これはどうも、わざわざお越しくださってありがとうございます。でも、精神科医のカウンセリングを受けるほどの状態ではないかと。仕事も一応できていますし」

「なにを言っているのですか。社長を診てもらうために来てもらったわけじゃないですよ。捺美さんの精神状態を解説してもらうためですよ」

「捺美の?」

 驚いて精神科医の先生を見ると、にこやかな笑みを浮かべていた。高城は、先生を応接室のソファに座らせ、社員にお茶を持ってくるように指示した。

「どんなに考えても理解できないのですよ、捺美さんの行動が。あれだけ実家から離れたがっていたのに、誰にも相談せずに戻るなんて。それに社長と本物の夫婦になれて心から嬉しそうで明るくなっていたのに。一体どうして……」

 それは、俺も思っていたことだった。捺美の行動の理由がわからない。

 高城は悔しそうに言葉を吐いたが、俺だって同じ気持ちだ。どうして捺美は俺を頼ってくれなかったのか。どうして俺は、捺美を守れなかったのだろう。

「先生にはおおかたの情報を渡してあります。捺美さんの家族経歴や、友人関係、結婚の経緯なども伝えました。社長の了承も得ずに申し訳ありません。早い方がいいと思いまして」

「大丈夫だ、問題ない。ありがとう」

 俺も知りたかった。捺美の気持ちが。現在の捺美の考えを理解せずに無理やり実家から引き離そうとしても逆にこじれるような気もしていた。

 おそらく、俺が想像するよりも、捺美と実家の関係は根深い。

 先生は、俺が聞く体制に入ったのを確認し、静かに口を開いた。

「資料は読ませていただきました。捺美さんは、いわゆるヤングケアラーだったようですね」

 ヤングケアラー。『本来は大人がやるべき家事や家族の世話(ケア)を日常的に行っている一八歳未満の子ども』のことを指す。

「十八歳~三十歳代になると『若者ケアラー』と呼ぶこともあるのですが、捺美さんの場合は十代から継続的に家族のケアを行っていたので、厳密な専門用語ではなく一般の方にも普及しているヤングケアラーと呼ばせてください」

 先生の説明に、俺は静かに頷いた。正直呼称はどちらでもいい。専門家はやたら用語を詳しく使いたがるが、重要なのはそこではない。

「実家から離れたがっていたのに、実家に戻ってしまった理由を知りたいとのことですよね。あくまで仮説であり、このような家庭環境に育った方の多くの思考回路を説明するという前提でよろしいですか?」

「かまわない」

 言質を取れた先生は、安心したように話し出した。

「継娘との接触のせいで彼女は実家に戻ったように見えますが、実際は違うと思います。なぜなら、継娘との接触後も情緒が多少不安定ではあったものの、日常生活を送れているからです。数日間悩み抜いて実家に戻る決意をした、ように見えますが、実際は突然いなくなっています。資料を読むと、彼女はとても責任感があり仕事を放り出すようなタイプではない。それなのに、いまだに会社に連絡すら入れていない。継娘との接触後も普通に仕事をしていたことを考えると、彼女にとってのトリガーは継娘ではないということです」

「トリガー?」

 俺が質問をすると、先生は説明に補足してくれた。

「トリガーとは、物事を引き起こすきっかけです。人によっては、場所や人物、匂いなど、トリガーとなりうる要素は様々です。彼女の行動は、突発的で不可解です。そのような行動を取るときは、過去のトラウマなどのトリガーが影響することがあります」

 過去のトラウマ。捺美の家庭環境は複雑だった。家庭というのは閉ざされた空間で、そこでなにが起こっていたのかは外部の人間にはわからない。

「離婚届は書いたけれども、辞職願や休職願は出していない。ここに、捺美さんの葛藤が見て取れます。または、離婚は強く勧められたけれど、会社を辞めることは勧められていないというケースも考えられます」

 先生の見解に、高城が嬉々として口を挟んできた。

「それは考えられますね。捺美さんのご家族は、捺美さんの収入もあてにしてきた経緯があります。離婚は絶対にさせたいけれど、大企業の収入は捨てきれない。捺美さんというよりも、継母や継娘の葛藤が感じられます」

 捺美の字で書かれた離婚届を見たとき、人生が終わったくらいの衝撃を受けた。思い出すだけで胸が痛む。

「継娘との接触が直接の原因ではないとすると、いったい捺美になにが起きたんだ?」

「これはあくまで推論ですが……」

 先生は俺から言質を取ったにも関わらず、さらに保険をかけた言い方で話し始めた。

「様々な患者を診察してきた経験から、多くあるケースとしての話をしましょう。愛着形成が困難な家庭環境で育ってきた子どもは、どんなに理不尽な目にあっても、拒否することができません。いくら周囲が離れた方がいいと説得しても、戻ってしまうケースがよくあります。本人も大人になり、親はおかしいと理解し始めても、どうしても捨てることができないのです」

「それは、血の繋がっていない親子でもいえることですか?」

 高城が真剣な面持ちで問う。

「もちろん、そういうケースもありますが、多くは肉親に寄ります。血は水よりも濃いとはよく言ったもので、理性が本能に抗うことはなかなか難しいことのようです」

「つまり、トリガーは父親ということか?」

 俺の問いに先生は静かに頷いた。

「そういう可能性がある、というお話です」

 先生は最後まで断定を避けたが、それが逆に信憑性と誠実さを感じられた。

「継母や継娘が濃すぎて存在が薄く感じていたが、重要人物は父親だったのか。父親について大至急調べろ」

 俺の言葉に、すぐに高城が「はい」と返事をした。

「先生、最後に一ついいですか?」

「なんでしょう」

「捺美は、親の呪縛から逃れることはできるのですか?」

 俺は先生の目を真っ直ぐに見つめて言った。すると先生は少し考え込んでから、慎重に口を開いた。

「子どもの頃に受けた心の傷は、本人や周りが想像しているよりも深く長く人生に影響を与え続けます。結婚をして幸せな家庭を築こうと前向きに歩き始めても、結局過去の傷から人間関係が上手く築けなくなり離婚してしまう人はとても多いです。でも……」

 先生は顔を上げて、俺の顔を見つめた。

「克服している人もいます。心に負った大きな傷を、成長の糧にして人生を逞しく生きている人もちゃんといます。それには、本人の努力はもちろん、支える人の存在が必要です。簡単なことではありませんよ、その覚悟がありますか?」

「あります。捺美を失うことの方が、俺にとっては辛いことです」

 即答した俺に投げかけられたのは、先生の優しい笑顔だけだった。

 例え俺が覚悟を決めたとしても、捺美が戻ってくるかはわからない。捺美自身が、どう思うかも重要なのだ。

 先生が帰り、高城と二人きりになったが、以前として重い空気が漂っていた。

「社長、なかなか大変な方を好きになってしまったようですね」

「病めるときも健やかなるときも、妻として愛し、敬い、慈しむのが結婚だろ?」

「あはは、そうですね、そうでした」

「辛さを乗り越えてこそ、本物の夫婦になれるなら、今回の出来事こそ本物の夫婦になれるかどうかが試されているのかもしれない」

「社長の言葉に迂闊にも感動してしまう日がくるとは」

「お前、俺をなんだと思っている?」

 高城は悪戯な笑みを浮かべたあと、仕事モードに入るときの真剣な顔に切り替わった。

「この問題を片付けないことには、社長の仕事の効率が激落ちです。捺美さんにはなんとか社長のもとに戻っていただいて、再び最強モードになってもらわないと、会社の利益に関わります。強いては私のボーナスにまで……」

「うん、お前はそういう奴だよ」

 乗り越えてやろうじゃないか。どんなに高い壁だとしても。

 だんだんやる気が漲ってきた。捺美を実家の呪縛から救い出す。そして、捺美の心の傷までも俺が癒してみせる。

 待っていろ、捺美。俺が救い出してやる。
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